【Ⅵ】#Ex 「カサンドラ」
雪奈がジアのギルド付近で【蝗害】に襲撃されている頃、「エラー」はジアより北部に位置する都市「ハーミュゾロア」にあるしがない一つの店を訪ねていた。
ハーミュゾロアは、ジアの北部にある膨大な水量を誇る河川である清濁河流よりも更に北部、中央管理局のある中央区に程近い場所に位置している都市だ。白の区域の中央都市であるジアとは打って変わって、蒸気機関などは一切なく、素朴な自給自足で暮らしているような昔ながらの暮らしを続けているような変わった街だった。
大抵の人材は全てジアやレルラリアに持っていかれ、残っているのは堕落を極めた若者と、変革を望まない老人だけ。だから探索者などは基本的にハーミュゾロアには訪れず、その近くの清濁河流で引き返すのが大半だ。
そんな辺境の地と言える場所に彼女が訪れたのには訳があった。
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「「七つの罪源」の一人の潜伏先が判明した!?それ本当ですか!?」
「声でかいって、“虚華”ちゃん。そんな大声で言わなくても僕には聞こえてるから」
虚華──もとい「エラー」は週末に差し掛かる日の夜は定期的に「運び屋」イドル・B・フィルレイスと二人きりの茶会を開いている。その茶会の中でボソリとイドルがそう呟いたことに虚華は過剰に反応した。
イドルは眉をしかめ、人差し指を口に添えて静かにと虚華を嗜めるも、彼女の興奮は覚めそうにない。
虚華が家を出る前は、結白家の庭であまり公には出来ない情報も交換していたのだが、探索者になってからは人気のない場所で茶会を開くことは中々出来ずにいた。今回もレルラリアでそこそこ繁盛している喫茶店でお喋りという名目で情報交換をしていたのだが、虚華が大声を上げてしまったので、周囲の注目を集めてしまった。
周りの人がこちらを見て、ヒソヒソと話をしている。あまり周囲の目はいいものじゃない。きっと、虚華はここから先はその「七つの罪源」の話しか求めてこないだろうと思ったイドルは、早々に勘定を済ませ、興奮気味の虚華を喫茶店から引き摺り出す。
店を出て、イドルに手を掴まれたままの虚華は、イドルの顔も見ずに不満げな態度で尋ねる。
「何処行くんですか、イドル。まだ話は終わってませんよ」
「良いから。人の居ない所、行くよ」
有無を言わせない様な態度でイドルは、喫茶店から少し離れた所にある森に来た辺りで足を止める。
聞きたい話が聞けずに居た虚華は不満げに自身を引っ張る手を振り払い、イドルに詰め寄る。
「それで?何処に居るんです。「七つの罪源」は。もしかして此処に居るんですか!?ねぇ!居るなら出てきなさい!私が今すぐに成敗してくれるっ!」
最早、錯乱状態と言っても過言ではない程にトリップしている虚華を背にイドルは溜息を一つ吐く。
虚華が何処に隠し持っていたのか、身の丈に合わないサイズの槍斧を展開して振り回していると、イドルは虚華に近づき、渾身の力でビンタをする。
虚華は何が起きたのか分かっていなかったのか、目をパチクリと動かしながら、イドルの方を見る。この時虚華が見たイドルの表情は、怒りと悲しみが半々の複雑そうな表情だった。
なんでそんな顔で自分を見ているんだろう?そう思っていた虚華は、何も言葉を発することが出来ないまま、イドルの言葉を待っていた。
「あのねぇ。虚華ちゃん、もっと冷静になって周りを見なよ。店の中の人らはみんなこっちを見てたよね?僕が「七つの罪源」の話を漏らしたことが原因かも知れないけど、あそこまで騒いだら店を出ざるを得ないでしょう?」
「え……?なんでそんな事を言うんですか?だって、「七つの罪源」は非人の集まり、倒すべき人類悪でしょう?そんな人物の所在が分かったって、イドル言ったじゃないですか。どうして私が非人を殺すことを止めるのですか?もしかしてイドルも非人?そうなんですね?」
イドルはすっかり性格が変貌してしまった虚華を前に頭を抱える。彼女の言う非人というのはこの世界に頭に存在する種族のうち、人間以外の知能を持つ生物──人間ではないのに人間の言語を理解する生物のことを指している。
ディストピアにはそんな生物は存在しなかったが、フィーアでは違う。言語を理解していないがゴブリンやオークと言った人形の異形──亜人族。
知性が高く、長い耳が特徴の魔術に秀でているお陰で魔法を使うのに詠唱を必要としないエルフ、ダークエルフ等の長耳族。
人間と比較して、体躯が小さく、坑道などに暮らし、鍛造などが得意の小人──ドワーフなどを内包している小人族。
人間と獣が混じったような混血や、狼男や、猫又のような人間に近い獣族──獣人族。
伝説上の存在である竜や過去に絶滅してしまった恐竜と言った爬虫類の特徴を内包している竜人、リザードマンなどが含まれる竜人族。
人間が太古に作ったとされる機械に知性が宿った機械生命体等が分類される機械族。
その他にも存在するが、結白虚華は人間以外のこれらの存在を全て敵視しており、情報が入り次第討伐しに行こうと行動する。
毎回誰かしらに止められているが、彼女がどうしてまで躍起になっているのかも、殺意を抱いているのかすらイドルには分からなかった。
何度も知ろうと探ったが、誰も知らない。情報も運ぶ運び屋のイドルが人生で唯一達成できなかった依頼も彼女の殺戮衝動の原因だった程だ。
(こうなった虚華ちゃんを止めるには一回意識を飛ばさなきゃならないんだけど……此処最近は「喪失」に在籍しているせいで物凄い手強くなってるんだよねぇ……)
イドルがこう考えるのも無理はない。以前は虚華の不意をついて、意識を落とす魔術を掛けるだけで終わるだけの簡単な作業だったのが、隙は大幅に減り、魔術耐性まで身につけているせいでお得意の「落ち往く意識」が使えなくなっている。
純粋な近接前衛の虚華と違い、支援系、戦闘はあまり得意ではないイドルが真っ向から挑んでも勝てる相手ではない。
(しょうがない、情報流して倒されて貰うか……。「七つの罪源」様も無益な殺生はしないだろうし)
虚華が槍斧を構えながら、イドルを牽制していると、イドルは両手を上げ降伏のポーズを取る。
諦観した表情でイドルは虚華に声を掛ける。勿論虚華が正気を失ったままこちらを攻撃してくる可能性がある以上、完全に無防備には出来ないのでイドルはこっそりと防御魔術を自身に掛けておく。
「分かったよ。教える、教えるから一旦落ち着いてくれない?」
「……分かれば良いんです。それで?「七つの罪源」の誰が、何処に居るんです?」
激昂していた虚華は武器を何処かに納めて、イドルにそう尋ねた。
問答無用でこちらを襲いかかって来るような、イドルが考えていた最悪の事態は起きずに済んだのでほっと息を吐く。
「ハーミュゾロアは知ってる?ジアの北にある街なんだけど」
「勿論知ってますよ。これでも白の区域の区域長の血筋なので。それで?」
イドルは、区域長の血筋が人間以外の全てに敵意を抱いていることが大問題なんだけどなぁと、心の中でぼやきつつ言葉を続ける。
「そこにある食事処で最近働き始めたカサンドラという女性が「七つの罪源」の一人である「寂寞」であると言われてるんだけどまだ確証が……あれ?」
イドルが言葉の途中で虚華の居た方を見ると、既に虚華の姿はなかった。
きっと、イドルの言葉を最後まで聞かずに猛ダッシュでハーミュゾロアへと向かったのだろう。
イドルはふと空を見上げる。綺麗な青空だったが、北部は暗雲が立ち込めている。
「一発痛い目を見たほうが良いかも知んないね、虚華ちゃん。もし「寂寞」に打ち破れるなら、本当に非人を根絶やしにしちゃうかもだけど」
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そうしてこうして「エラー」はイドルの忠告も聞かずにハーミュゾロアにある唯一の食事処「衣食住」に辿り着いた。時間で言えば数日歩いたが、「エラー」はアドレナリンが過剰分泌されていたせいか、食事も取らずに「衣食住」に入る。
「らっしゃーい。見ない顔だね、席に座ってさっさと注文しな」
「エラー」が「衣食住」に入ると八十位の髭で顔の半分以上が隠れている背の小さい老爺がカウンターの奥に座っていた。よろよろと歩いてきて、暖簾を潜ったばかりの「エラー」を席に促す。
「食事に来たのではないのです。此処に最近働き始めたという……」
「そんな腹を空かせて食事処に来たのにか?良いから座んな」
「エラー」はそんな事をしに来たのではない!と断りを入れようとしたが、腹の音がなった。それもそうだ、数日間食事を取っていない「エラー」にとって、食事処の匂いは消えかけていた食欲を掻き立ててしまう。
腹の音を店主に聞かせてしまったイドルは顔を真っ赤にさせて、店主の促し通りに席につく。
「エラー」は先程まで店内を見回す余裕がなかったが、改めて見ると相当ボロく見える。閑散とした店内に、狭い食事スペース。正直、新人を雇えるとは思えなかったイドルは注文をしてから、店主に尋ねた。
「此処は店主さん一人でやっているのですか?」
「ついこの間まではな。最近バイトを一人雇ったんだ。偉いべっぴんさんだけど、これまた見た目によらない大食漢でなぁ。賄いの量が凄まじいんだ」
「あはは、そうなんですね」
店主は「エラー」と他愛ない会話をしながら、テキパキと食事を用意していく。出されたものはジアでは見慣れない郷土料理のようなものだった。この付近には清濁河流という大きな河川があるから、そこで釣った魚を塩焼きにしたのだろう。他にもジアのような都会では見られない山菜の天ぷらや、だしから取ったお味噌汁まで付いていた。
頂きますと、「エラー」が小声で言い、一口塩焼きを食べると、どうやら箸が止まらなかったらしく、気づいた頃には全てを平らげてしまっていた。
「エラー」は満足気に口元をさっと布巾で拭くと、店主に料金を支払い、改めて最近入ったバイトの子の事を聞き出そうと口を開く。
「店主さん。さっき言ってたバイトの子に話があるんですが……」
「おぉ。分かった。おい、カサンドラ。お客さんだぞ〜!」
店主に名前を呼ばれ、奥から出てきたのは亜麻色の髪で、毛先を巻いているいかにもゆるふわ系な見た目をしているお姉さんだった。垂れ目で雰囲気もおっとりとしている彼女が、本当に「七つの罪源」の一人なのだろうか?と思い込みの激しい「エラー」が首を傾げる程には、そうは見えない。
カサンドラと呼ばれた娘は食事処のエプロンを付けたまま、とてとてと鈍臭い歩き方で、こちらに向かうも、見慣れぬ顔を見て怪訝そうな顔を見せる。
「はぁ〜い。えと?初めましてさんですよね〜?カサンドラですぅ。貴方は〜?」
「私は「エラー」。探索者をしている者です。少しカサンドラさんと二人きりでお話がしたいのですが、お時間宜しいでしょうか?」
(どうしてこんなに丁寧に接しているんだろう?相手は「七つの罪源」の可能性があるっていうのに……)
自身の心の中では相手を非人だと思っているのに、現実の「エラー」は相手に敬語を使い、いつもどおりの対応をしている。そんな行動と感情の乖離に「エラー」は違和感を覚えながら、会話を続ける。
「カサンドラ」は「エラー」の言葉に眉を下げ、困った表情をしながら店長の方を向いた。
「えぇ〜と。店長ぅ。どうします?」
「どうせ、客も来ないし、構わんよ。行って来い」
「分かりましたぁ。じゃあ「エラー」さん?何処で話しましょう〜?」
店長の承諾を貰った「カサンドラ」は、おっとりとした喋り方で虚華の返事を促す。
心の中の違和感が膨れ上がる中、「エラー」は直ぐに返事が出来ずに居た。自分から提案しているのに、直ぐに返事が出来ずに居た「エラー」を心配した「カサンドラ」は「エラー」の顔を覗くように近づく。
「大丈夫ですかぁ?良かったら裏にある待合室に行きましょうか〜?」
優しそうな微笑みに、雰囲気からも優しさが溢れ出している「カサンドラ」の言葉に「エラー」は無言で頷いた。頷いてしまった。「七つの罪源」である可能性が高いとイドルが言ったのにも関わらずだ。
「カサンドラ」は「エラー」の了承を得ると「エラー」の手を引き、店を出る。
二人で裏手に向かうと、そこには「七つの罪源」の皆が持つ製作者しか知らない転移用の扉があった。
「エラー」がその扉と「カサンドラ」を交互に見ると、「カサンドラ」のおっとりとした雰囲気が一気に消え去る。凍えるような冷たさを感じ、何故だか分からないが震えが止まらない。
口角が邪悪に歪み、「カサンドラ」は優しい声のまま、「エラー」に言った。
「話が出来る場所があるの。寒そうにしてる貴女の為に温かいスープも用意してあげる」