【Ⅵ】#12 名前なんて所詮ただの個別認識
模擬戦が終わった後、虚華と雪奈、依音と琴理の四人は琴理のアトリエで集まり、ディストピアでの出来事を簡潔に話した。
その過程で、虚華は臨と逸れてしまったため、臨を探すのを手伝って欲しい旨を依音達に伝えると二人の顔が途端に曇る。
どうしてそんな顔をするの、もしかしてこの世界の臨はなにか大きな罪を抱えているの?
そんな聞き方をした気がする。実際にどんな言葉を言ったかなんて覚えていない。
「黒咲くんは……緋浦さんを殺した実行犯……なの」
虚華の頭の中では、その言葉だけが何度も何度も反復し、耳から離れる気配がない。
きっと、酷い顔をしていたのだろう。隣に座る雪奈が何も言わずに肩を擦る。
どうしてこんなに虚華自身がショックを受けているのか、自分でも理解出来ていない。
だって、臨は臨でも、自分の知っている彼ではないのだ。目の前に居る二人ですら、顔や存在自体は同じでも、生き方や環境が違っているせいで、自分達の知っている彼女達ではないのだ。
ましてや一度も会ったことのないフィーアでの臨が、フィーアでの雪奈を殺していようが、本来ならばショックを受けるべきではない。
(どうすれば良いの?私は……雪奈を殺した臨が居るせいで、ブルームを探すのを手伝ってくれないなんて言われるとは思ってなかった)
こんな問題、ディストピアの何処の問題集にも答えはないだろう。
それどころか、こんな問題に遭遇できる人間がどれだけ存在するのか。
「虚、大丈夫?少し休んだ方が良い。出灰、虚が休める場所、ある?」
「え、えぇ。扉を出て少し進んだ所に仮眠室があるから、そこで休むと良いわ。幸い、今は私達以外誰も居ないし」
虚華が休める場所があることを依音から聞いた雪奈は、虚華に声を掛けつつ仮眠室へと連れて行った。暫くすると、雪奈だけが来賓室に戻ってきた。どうやら虚華を寝かせて自分は戻ってきたらしい。
それもそうだ、今の状態の彼女を話し合いの場に置いていてもお荷物でしか無い。雪奈の判断はとても合理的だ。感情を失ってしまっていると虚華が話していただけのことはあると、依音は冷静に分析していた。
少し疲れた顔をしていた雪奈が、先程まで座っていた席に座り直すと、虚華と同じ足の組み方をする。
「それで、クリム。貴方にも聞きたいことがあるの」
「何?」
虚華が居なくなったからか、何処と無く言葉に鋭さが増している気がする。
依音は、相手の様子を逐次観察しながら、言葉を続ける。
「貴方が私達の知る雪奈じゃないのは理解した。魔術の才能がからっきしだった筈の雪奈が、高度な魔術を何度も発動してたんですもの。目を疑ったわ」
「そっすね、私達の知るあの人は……足技系殺戮マシーンって感じだったし」
依音の言葉に琴理は腕を組み、うんうんと首を縦に振る。雪奈は此処だけを見ているとディストピアでの彼女らとそっくりだなぁなんて思いながら話を続ける。
「そう。あたしに近接戦闘は無理、非効率。あ」
「え、何すかこの高度な魔術式。ちょっとクリム!……さん。何する気すか!?」
一応、保険を掛ける意味でも魔術を複数展開させる必要があることを思い出した雪奈は、高速詠唱で魔術式を展開させる。
依音が紅茶を嗜み、琴理が雪奈の詠唱を聞いてビビリ散らしていると、雪奈は指を鳴らす。
雪奈が詠唱を終えて魔術を発動させると、来賓室の全てを結界のような物でぐるっと囲むと、直ぐに透明になって消えた。
依音が見えなくなった結界付近で、恐らくあるであろう結界にノックすると異質な音が響く。その独特な音を聞いた依音は眉を顰めるが、諦観したのか、席に戻る。
依音は少しだけ不満そうな声色で、雪奈の張った結界を指差す。
「この結界は、私達を縛る楔なの?それとも、あの子を守る殻なの?」
「貴方達に、守る価値など無い」
この言葉を虚華が聞けば憤慨するだろうなと思い、依音は苦笑する。雪奈は虚華を守るためだけに張ったに決まっていると言わんばかりに、断言した。
すっかり冷めてしまった紅茶で唇を潤すと、雪奈は話を続けて、と依音に言う。依音は雪奈を見て複雑そうな笑みを浮かべると、椅子に深く腰掛ける。
「貴方がこの世界に来た目的は何かしら?あの子みたいに何かを成す為に?」
「虚が、来たいって言ったから、着いてきただけ」
あまりにも雪奈の言葉が言い切ったものだったから、琴理はぽかーんとしていた。
琴理が何故放心状態になっているのか理解出来ていない雪奈は無表情で首を傾げている。
「死んだ仲間にもう一度会いたいとかは?」
「興味無い。死んだ仲間にも、貴方達にも」
琴理は相変わらず口をあんぐりと開けたままで固まっているが、依音は顎に手を置き、何かを考える仕草をしている。生前でも頭がキレていた彼女だ、何か思いついてもおかしくはない。
(何か勘ぐるなら、殺しても良いけど……虚、悲しむよね)
雪奈の行動原理は基本的に虚華が望むか、もしくは虚華の益になるかだけ。
他は自身のスキルを上げるために読書をしたり、鍛錬をするかだが、そんな物は空いた時間に効率よくすればいい。とにかく今は──この二人の処遇をどうするか。
虚華は二人に臨を探すことに協力して欲しいと言った、願った。その願いを雪奈は叶えることが出来なかった。いいや、しなかった。
もしかしたら、彼女らなら見つけられるかもしれない。ならば、任せてしまえば良いのか?
ディストピアの黒咲臨が未だに生きているのは知っている。ただ、この世界での彼の存在を考えれば、彼とは暫く別行動しておいた方が良い。少なくとも雪奈はそう考えている。
「そう。じゃあ次だけど……貴方、私達の仲間にならない?」
「……?どういう事?」
雪奈がそう言うと、依音の口角が一瞬吊り上がったのを雪奈は見逃さなかった。
後ろでドヤ顔気味になっている琴理は、恐らく馬鹿だから何も言うなと言われているのだろう。露骨に口数が減っている。心做しかソワソワしているようにも見える。
(何か裏があるのは確実。その裏は何?)
元々感情の喪失をしてしまっている雪奈にとって、対人との心理戦は最も苦手な部類のものだ。なにせ、相手の発言の真偽を見極め、舌戦に長けている臨という存在が大きかった。彼が居れば自身らが言葉や心理戦で敗北することもなかったから、雪奈自身もそういった部分は彼に任せっきりだった。
けど、今回は現実を歪められる虚華も、舌戦心理戦負け無しの臨も居ない。
何か……引っ掛かるものはないのかと、雪奈は此処数時間のやり取りを必死に思い出す。
(あ……そう言えば)
雪奈は虚華が自分に何かを言おうとしていたことを思い出した。確か、その時の虚華はこの来賓室に入った時から随分と訝しげな顔をしていた。あちこちをキョロキョロ見回して、首を傾げ、次はすんすんと鼻を鳴らすと何かに気づいた顔をしていた。
その時、雪奈は読書をしていたが、本の中身は既に読み終えていたので、後はじっと虚華のことを見ていた。
虚華の反応から推測するに、この部屋には何かの仕掛けがある?それも嗅覚で何かを感じ取れるような何かが。
雪奈は嗅覚強化の魔術を極短い詠唱で発動させ、匂いを嗅ぐことに集中する。
雪奈が感じ取れたのは、部屋の中にいる三人の体臭に調度品に使われている木材や金属の匂い、それと……火薬の匂いがあちこちからする。この部屋の中には火薬が含まれている物などは見当たらない。それを疑問に思った虚華は自分に聞こうとした事に気づいた。
(成程、火力不足で、火薬ね。ありがと、虚)
雪奈は依音の言葉の意味やこの部屋の仕掛、虚華を退席させる為の言葉選び、それらを行った理由を理解した。
しかしどうしようかと雪奈は悩む。自分一人ならばさっさと殺して脱出が手堅い。けれど、このアトリエ内では虚華も居る上に、彼女らは別世界の人間とは言え、虚華の元仲間だ。
きっと殺してしまえば、虚華は雪奈の事をよく思わないだろう。それは避けたい。
「あたしが、仲間になるメリット、あるの?」
「勿論、無いわよ。貴方には選択権も自由も」
依音の顔が歪に曲がると、琴理が指をパチンと鳴らす。
琴理の合図で雪奈が居る場所の床が全て消え去った。
普通ならば、そのまま落ちるか、何かしらの機転を利かせて空中に飛び上がるかだが、もし飛び上がれば、天井付近に仕掛けておいた爆薬で射出するタイプの弓矢が対象者の身体を貫く。
けれど、雪奈は奈落に落ちることも、飛び上がって回避することもしなかった。
依音達には雪奈が落ちた気配は感じられず、感知式の弓矢が作動していないことから空中で回避もしていないことだけは分かっていた。
状況を理解出来ていない依音は机を両手で叩く。激しい剣幕で琴理を責めるも、琴理にも状況が分かっていないせいか、涙目で首を横に振る。
「雪奈は何処行ったの!?」
「分かんないすよぉ。けど、落ちてないし、飛んでもないなら何なんすかぁ!?」
「そんな事も分からないの?」
「……え?あ……」
何処かから雪奈の声がしたと思えば、琴理は絶望した顔で膝から崩れ落ちる。
そのまま、琴理は絶望に塗れた顔で、用意された奈落へと声もなく落ちていった。
依音がぎょっと目を見開いて琴理の方を向くも、誰も居ない。何処に居るかもわからない雪奈に依音は睨み付け、声を荒げる。
「何処に居るの!出てきなさい!姿を見せないなんて卑怯よ!!」
「秘境?あぁ、卑怯?そかそか。てめぇらに言われたくねぇんだよ」
「そこね!?……きゃあ!?」
依音が声のした方を向くと先程までの感情を感じられなかったような雪奈ではなく、怒りに満ち溢れた表情をしている雪奈が、コンコンと踵を踏み鳴らしていた。依音が黄色い声を上げると、うるせぇなぁ!とドスの利いた声で言った後、依音を弓矢が作動する範囲の空中へと蹴り上げた。
案の定、空中へ浮かび上がった依音は弓矢のセンサーに引っかかり、全身をめった刺しにされた。恐らくは死んでいないだろうが、それでも虫の息になっているのは間違いない。
地面にドサリと倒れている依音を雪奈はゴミを見るような目で見る。血を吐きながらも、死んでいない依音は恨めしげにすっかり豹変していた雪奈を見つめる。
「その話し方、私達の知ってる雪奈そっくりね……。もしかしてやっぱり貴方は……」
視界が霞んでいるのか、的はずれな場所に手を差し出している依音に、雪奈は最低限の治療魔術を掛ける。その後、部屋を出ようと扉の近くまで歩き、普段なら何も手を付けずに伸ばしっぱなしだった綺麗な真っ赤のロングヘアーを短く纏め上げる。
雪奈は振り返り、先程まで激情を浮かべていたとは思えない程の無表情さでこう言った。
「私はクリム・メラー。ホロウ・ブランシュを愛し、付き従う者。あの人があたしを雪奈と呼ぶのなら、雪奈を名乗り、クリムと呼ぶのならクリムになる」
自身の傷が癒えていることに驚いた依音は、雪奈……と小さく呟く。
扉を開こうと依音に背を向けた雪奈は、ドスの利いた声で警告した。
「今回は虚の頼みもあって殺しはしなかったけど、次、同じようなことしたらバック共々鏖殺……するからね」
扉の閉まる音がし、雪奈が部屋から退出すると依音は胸をなでおろした。
依音は、ふと思い出したように琴理が叩き落された奈落を覗くと、そこには琴理が目を回して倒れていた。




