【Ⅵ】#11 ホロウ・ブランシュの嘆息
模擬戦を終え、虚華と雪奈は気絶している依音と琴理、その二人を介抱している薺を待つ為にアトリエ内を散策していた。
粗方見終えた虚華達は、薺が指定した来賓室のような場所でゲスト側のソファに深く腰掛ける。
虚華は部屋の中をぐるりと見回す。アトリエ内の他の部屋には無かったような調度品が数点置かれており、ソファなどもそれなりに質の良いものが配置されている。
全体的には豪華な屋敷にありがちな雰囲気を醸し出しているが、どうにも所々で違和感を抱かせる。虚華は首を傾げながら己の中の違和感の在り処を探していると、小さな疑問を覚えた。
(ん……?)
目の前のテーブル、座っている椅子、飾られている絵画。他にも置かれている物は来賓室にあっても可笑しくないものばかりだ。他の部屋も見回ってきた虚華には、どうにも何かが引っ掛かる。
視覚に問題がないのなら、嗅覚、聴覚のどちらかだろうか……、そう思った虚華はすんすんと鼻を鳴らす。肺一杯に部屋の空気を吸い込んで、虚華はようやく気づいた。
隣でまた自分の知らない本を黙々と読んでいた雪奈に、雑談がてら聞こうとすると、来賓室の閉めた筈の扉が開く音がする。
開いた扉からは若干疲れた顔をした薺が、両脇に依音と琴理を連れてきたようだった。
「お待たせー、二人が起きたから此処まで連れてきたよ。なんか話があるんでしょ?私も聞いていい?ま、駄目ならアトリエ内うろついてるけど、ケヒ」
「すみません、二人の介抱に加えて話し合いの場まで用意して貰って。本来なら私がしなきゃいけなかったのに……。後、ごめんなさい、出来れば席を外して貰えたら助かります。後程、情報は共有しますので」
虚華がソファから立ち上がり、礼をすると薺は気にしないでと言わんばかりに手を振る。
「大丈夫よ、私だって葵家の人間だしね。詳しいことは知らないけど、随分とホロウちゃんの事、根に持ってるみたいだし?分かった。じゃあ後で二人でお話しようね♡」
「ん……。葵薺……」
「こら、誰彼構わず噛み付くのは駄目だって、分かりました。では後程」
虚華は番犬のように噛みつこうとする雪奈を抑える。薺は手を振りながら依音達の方を向く。
「ほら二人共、そういう事だからとっととホロウちゃん達とお話してきなさいな。それにしても、あちこちボロボロのアトリエでなんで此処だけこんな豪華になってんだか、お姉ちゃん聞かされてないんだけど〜?琴理〜?」
「……うっさい。今更姉面して、何のつもりすか」
薺がニンマリとした笑顔で琴理達を来賓室のような場所のソファに下ろすと、琴理が下唇を尖らせて毒づく。
よくよく見てみると、琴理も依音も怪我が綺麗に完治している。恐らくは薺がここに戻るまでにあらかたの回復魔術を掛けて治したのだろう。それを分かっていての琴理の反抗心と虚華は判断して見守る。
「依音ちゃんは大丈夫?一応怪我は治したけど、痛むとこはない?」
「えぇ、大丈夫です。お手数をお掛けしました」
「うちはまだ腰の部分が痛いんすよねー。馬鹿お姉、はよ治せっす!」
「馬鹿とクリムちゃんの強烈な殴打に付ける薬は無いよ、ケヒヒ」
依音の方はと言うと、すっかり毒気が抜かれておりしおらしくしている。この世界での彼女の性格がディストピアと同じかどうかはまだ分からないが、少なくとも琴理程、クリムを殺してでも雪奈を甦らせたいとは思っていなかったようだ。
時折、雪奈の方を見ている辺り、フィーアでの三人もそれなりに仲が良かったのだろう。ちらちらと見られていることに気づいた雪奈は虚華の服の袖をちょいちょいと引く。
「どうかした?」
「視線、感じる。また殴る?」
雪奈が抑揚のない声でそう言いながら、椅子に座り腰を擦っていた琴理の方を見る。
見られていることに気づいた琴理は息を呑み、雪奈から距離を取ろうと後ずさる。
「ひぃっ!うちが悪かったっす!だから殴らないで……」
「辞めなさいって……。なんかDV彼女みたいになってるから……」
虚華が半ば呆れながら雪奈を嗜めると、ふぅっと琴理が息を吐く。琴理の腰を鈍器で崩壊させた事実は、もし仮に彼女と行動する際には口に出してはいけない一種の禁忌として扱った方が良いと虚華は考えた。
勝ち気で快闊そうに話す少女が、雪奈──クリムの一言で借りてきた猫状態になるのだ。
(心の傷はそう簡単に癒せない。“嘘”で記憶を消せれば、楽なんだけどね)
虚華は形に残る物──持続性のある現実改変を行うことは出来ない。
つまり、琴理の心の傷を虚華の“嘘”で完全に消し去ることは不可能だ。自身の魔力を代償とし続ける限り、癒やすことは出来るが、それは治療ではないのだから。
「んじゃ。ホロウちゃん、また後でね〜ケヒヒ」
一人呑気な薺は、虚華に投げキッスをして来賓室から立ち去った。数箇所からピリピリとした空気が漂っているのを無視して、虚華は三人の方を向く。
「あはは、あの人は地雷を振りまくのが得意みたいだね……」
「それで、話って何?殺人未遂の奴と話がしたいなんて、変わってるのね」
相変わらず刺々しい依音の言葉だったが、表情も声色も沈んでいる。
罪悪感を抱く位なら、命なんて狙うなと叫びたかったが、虚華は堪えて言葉を続ける。
「何事も歩み寄りだからね。さて、戦闘中に“Why?”は聞いた。雪が此処に居る理由も話したよね。当たり前だけど、私は二人の知っている私じゃないのは理解してくれる?」
「貴方は現地人で、何らかの方法で緋浦さんを蘇生させて連れ歩いている可能性は?」
何らかの方法ってなんだよというツッコミは行わずに、虚華は自身の探索者になった際に貰った登録証を二人に見せるように指示する。
雪奈が持っている登録証には種族欄がある。そこに人間と書かれているのを確認すると、その考えが間違っていることを依音は頭を下げる。
「心配しなくとも、私は私じゃない。……言葉にするの難しいな。この世界の私が何をしたのか分からないけど、私は味方のつもり。信じて貰えないかな?」
「本当にとぼけてる訳じゃないんすよね?」
「状況証拠だけしかないけれど、信じてもいいと思うわ」
依音と琴理は顔を合わせ、二人だけで相談しているが、虚華はあえて聞かないフリをした。
戦闘中に自身の顔に魔術刻印を刻んでいることを言った時点で、他人だと信じてくれていたものだと思っていたので、少しだけしょんもりしながら話を続ける。
二人だけの内緒話が終わったのか、依音は虚華達の方を向く。本の世界に没頭していて、こちらのことなど意に介さない様子の雪奈を一瞥し、ため息をついた依音は薄い笑みを浮かべる。
「分かった、信じるわ。貴方の事は、あの人と同じ顔をしているだけの別人として接する。それで、今度はこっちの質問に答えて貰っても?」
「私に答えられることなら」
虚華が二人にも座るように促し、自分自身もソファに座り直し、足を組む。
此処、うちのアトリエなんすけどねと小声で愚痴を漏らす琴理を依音は小突き、言葉を続ける。
「貴方……えと」
「ホロウ・ブランシュ。こっちのはクリム・メラー。本名を呼ぶのがあれなら、今私達が名乗ってる名前で呼んでもらっても良いから」
虚華が名前を呼ぶと雪奈は虚華の方を見る。虚華が首を横に振り、名前を呼んだだけだと気づくと、直ぐに本に視界を戻す。
そのやりとりが微笑ましかったのか、琴理は半ば不貞腐れた顔を少しだけ緩ませる。
「じゃあホロウ、貴方達は確か……ジア内の探索者用の施設が焼き討ちにあったって言ってたわよね?一体誰がそんな事を?」
「あぁ、【蝗害】って奴らが破壊して回ってたみたいなの。私は依頼で外に出てて、戻ってきたら既に焼け野原になってたんだ」
虚華が【蝗害】の名を口にすると、依音と琴理は目を見開いて驚く。どうやら二人共知っている名前らしい。
今でも玄緋と名乗っていた二人の事を思い出すと、虚華の腹の底から怒りがこみ上げてくる。
虚華が怒りに震えていると、依音の隣で縮こまっていた琴理が極小さな声で呟く。
「あの子達、今は白の区域に居たんすね……。そっか」
琴理の独り言を聞き逃さなかった虚華は、乱暴気味に立ち上がる。
直ぐに琴理の元へ近づき、琴理の目を覗ける距離まで詰め寄る。
「琴理、知ってるの?あの二人を」
「し、知ってるっすよ。仕事でもプラベでも……。だって」
虚華の距離の詰め方に驚いたのか、琴理はソファに座ったまま依音に近寄る。先程までの勝ち気で快闊そうな雰囲気は等に消え去り、涙目で怯えた表情で虚華を見ている。
琴理の反応を見て、自分の行いが良くなったことを悟り、虚華は一度心を落ち着かせ、ソファに再度座り直す。
そして、琴理が言葉の続きを話しやすくさせるために、優しい表情で促す。
「だって?」
「ひぃ……ごめんってば……」
虚華の優しさも虚しく、琴理はすっかりぴよってしまったが、それを見兼ねた依音が足を組み直す。
「綿罪と疚罪は知り合いなのよ。あの子達、赫の区域出身で今は蒼の区域に拠点置いてるから。仕事でもって琴理が言ったのは、彼女らの得物も琴理が作った物よ」
「なんで……あんな奴らに……」
どうしてあんな奴らの為に得物を作ったんだ。虚華はそう言いたかった。
けれど、そんな事は言えなかった。アトリエの中を見れば、虚華でも分かった。
このアトリエ内では様々な技術を用いて、沢山の試作品を生み出している。
あちこちに使い物にならない試作品が転がっているが、どれも画期的な考えのもと、作られている。そんな武器を作るのが好きなのであろう少女に、昔の話を問い質しても、どうにもならない。そんな事は分かってる。
行き場のない怒りが虚華の身体を支配している中、依音がふぅっと息を吐く。
「あのね、ホロウ。お金を貰い、依頼を受ければ探索者だって依頼主に関係無く受注するでしょ?それと同じよ。琴理も報酬も貰って仕事をしたに過ぎない。責めるのが違うのは分かるわね?」
「分かってる。だから琴理には何も言ってない」
「身体や表情に出てるわよ。それじゃ何の意味もない。ポーカーフェイスも身体に出たら価値がないのと同じよ」
そんな奴を見たら滑稽だ、って皆笑いものにするでしょう?と依音は言葉を付け足す。
その通りだ。どれだけ心を押し殺し、思ったことを口に出さずとも、顔や身体に出てしまえば、何の意味もない。
「そうだね、依音の言う通り。別に怒ってないから許してね、琴理」
「なら良いんす。うちも喧嘩したい訳じゃないっすから」
それから虚華はこの世界に来て起きたことを粗方話した。何故この世界に来ることになったのか、そしてディストピアではどんな生き方をしてきたのか等全てを話した。
勿論パンドラや「七つの罪源」関連の話などは省いている。あの人達とのやり取りを伝える理由もないからだ。
虚華が話し終えると、依音は腕を組み眉を顰めて難しい顔をする。
「相当大変な人生だったのね。別世界とは言え、仲間に命を狙われたらそりゃ怒るわよね。分かった。私達になにか手伝えることはある?お詫びと言っちゃなんだけど、あの人と仲直りする以外の事なら力になれると思う」
「良いの?じゃあ……臨、私達の世界の黒咲臨が今、行方不明なんだ。こっちの臨がどんな人かは知らないけど……良いかな?」
虚華は既にディストピアでの臨がどんな人物かを話したから、臨が悪い人間じゃないことを依音達は理解しているだろう。けれど、それを知った上でも依音達は首を縦に振ろうとはしなかった。
どうにも嫌な予感がしながらも、話を進めるために虚華は二人に尋ねた。
「えと、もしかしてこっちの臨って何かやったり……とか?」
重々しい空気の中、依音はこう言った。聞き間違えなど有り得ない程に聞き直した。
「黒咲くんは……緋浦さんを殺した実行犯……なの」
依音のその言葉が虚華の頭の中で無限にループしていた。




