【Ⅵ】#10 鈍器で腰殴ってKOさせた女
ホロウ・ブランシュがディストピアで結代虚華を名乗っていた頃、数少ない仲間に群青色の髪の少女と、昏い灰色の髪の少女が居た。
葵琴理と出灰依音。二人は虚華の人生においてとても大切な存在であり、かけがえのない仲間だった。
そんな大切な仲間である二人は、とある人物によって無惨にも殺されてしまった。
虚華は彼女達の亡骸を抱いて、涙が枯れるほど泣いた。泣いて泣いて泣き続けた。
その涙で少しだけでも息を吹き返すのなら、話がしたかった。
琴理に、ごめんねと言いたかった。依音に、ありがとうって言いたかった。
けれど、そんな夢物語はついに叶わず、虚華の涙は枯れ果ててしまった。
どれだけ自分を責めただろう、どれだけ苦しんだだろう。代わりの効かない存在の喪失に。
二人が自分と敵対すれば、こんな事にはならなかったと後悔していた。
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「貴方の力は、その程度の物なの?」
「もう終わりっすか?なら、うちらの為に一回死んで下さいっ」
二人との模擬戦で、虚華達は追い詰められていた。
元々手負いだった雪奈は、息絶え絶えになりながらも、依音達を睨み付けている。
だだっ広い模擬戦闘場のど真ん中で虚華は雪奈を背中で庇い、依音と琴理を相手取っていた。負ければ、雪奈の命を頂くという極めて理不尽な代償を求められながら。
戦うつもりのなかった虚華は冗談だと思いながら相手をしていたが、どうにも彼女らは本当に命を奪うつもりで攻撃を仕掛けてきている。
躱さなければ即死。まともに受けても大怪我は免れられない。そんな一撃を頻繁に仕掛けてきているのは、模擬戦としては常軌を逸していた。
元々体力のない虚華は直ぐに息を上げ、雪奈はなんとか状況を変えようと応戦していたが、依音達は雪奈の方が危険であると踏んだのか集中攻撃を仕掛けた結果、虚華よりも先に消耗しきってしまった。
雪奈が横になり、雪奈を背中に庇う虚華が肩で息をしているのを見た依音は、ため息交じりに右手を腰に当て、武器を納める。
「もう充分でしょう?貴方達の負けよ。さっさと認めて楽になった方が賢明よ」
依音の言葉に同調するように、琴理も武器に纏わせていた魔力の供給を止める。
「そこのせっちゃんもどきを手放すなら、あんただけは助けてやってもいいっすよ。どうせ、アンタを殺しても、蘇生してアイツの人格が乗り移っても寒いし」
完全に勝利宣言している二人は、既に武器を納めてこちらに降伏勧告をしている。
雪奈を殺すことを許容するならば、これ以上は攻撃をしないと言い、ただこちらの判断を何も言わずに待っている。
(もし仮に、まだ反抗するつもりなら、その時は斬り捨て御免って訳)
武器を収めても尚、彼女らの殺意は色濃く放たれている。それも雪奈には一切向けておらず、全てがこちら──虚華が標的にされている。
勝ち目のない戦況、頼れる仲間も既に倒れ、自身の力を使わないと雪奈の命が奪われる。
そんな事を許すつもりは更々無い。それでも、彼女らの目的だけは聞かなければならない。
どういう結論に至れば、並行世界とは言え、仲間を平然と殺せるのか。どんな考えを抱けば、自身を此処まで否定するのか。それを知らなければ、虚華に友を傷つける覚悟が生まれない。
虚華は呼吸を整えて、拙い言葉で琴理に問いかける。
「なんで、クリムを殺すの……殺せるの?」
膝に手を置かないと既に立つのもしんどいが、それでも虚華は二人と同じ目線で話す為に背を起こす。
変形型魔導弓であちこちに切り傷を作られ、かなり硬度の高い素材で作られている棍棒であちこちの骨を折られ、苦痛が顔に滲み出ている虚華の顔を直視できないのか、琴理はそっぽを向く。
「せっちゃんを甦らせるためっすよ。せっちゃんもどきを殺して蘇生術式を掛ければ、せっちゃんの人格で生き返る可能性があるんすから。こんな……えーと、」
「千載一遇、そりゃあそうよね。並行世界の緋浦雪奈をこちら側で殺害し、蘇生させることで擬似的に過去に死んだ緋浦雪奈を甦らせるなんて絵空事、叶うなんて思ってなかったんだから」
彼女らの言葉を虚華はにわかにも信じられなかった。
自分が並行世界の人間であると話したせいで、今の状況を生んだことに。
仮説だった死者を擬似的に蘇生する方法を、躊躇なく実行できる彼女らの行動力に。
何よりも自分にとって残酷な行動をしようとしてきた二人に恐れ慄いた。
虚華は、何よりも仲間の喪失を恐れている。それが目前に迫っている中、冷静に今の状況を分析する。
(このままだと雪は殺され、フィーアの雪の人格が乗り移る可能性がある……ましてや死者蘇生はこの世界での準禁忌だったはず……。術者は誰……いや、今はそんなことよりも)
虚華は後ろで地面に横になっている雪奈を見る。先程までの戦闘で魔力を大幅に消耗しているせいか、治療魔術が使えない。これ以上彼女を酷使することは本当に死なせてしまうことに繋がる。
どうする?もう“嘘”を出し惜しみできる状況じゃない。逃げる?逃げてどうする?
この状況から脱せたとしても何も変わらない。此処が恐らく蒼の区域なのは間違いないが、土地勘のない場所で鬼ごっこをして勝てる見込みなどない。
(やっぱり、勝つしか無い。この負け確みたいな盤面から脱しないと。死なない程度には“嘘”の大盤振る舞いをしなきゃな……)
虚華が真剣な面持ちで考え込むと、自分たちの要求を受け入れたと思った琴理が虚華に近づき、ぽんぽんと肩を叩く。
ディストピアでの琴理も虚華が落ち込んだ時、こうして慰めてくれたのを思い出すと涙が溢れそうなのを必死に抑え込む。こんなとこで泣いてちゃ、心まで屈服したようなものだと言い聞かせて。
「にしても、本当ツイてないっすよね、アンタ。味方は貧弱な魔術師、当の本人は今回の誓約のせいでうちらを殺すことも出来ないんすから。同情するっすよ、だからとっととその不思議な武器と、せっちゃんもどきだけ置いてどっか行って欲しいっす。無用な殺生はしたくないんで」
そう、琴理の言う通り、虚華は琴理達を殺すことが出来ない。
元より殺す気など更々無いが、模擬戦のルールでこちら側は致命傷を与えることを禁じられている。一方、あちら側は誓約を掛けられなかったせいで、好き放題に攻撃してくる。お陰様で虚華達は半ば蹂躙されているようなものだ。
けれど、そんな事よりも虚華は許せないことがあった。
「は……?今なんて言った?ねぇ琴理。今、雪の事をなんて言ったの?」
怒りで全身を震わせている虚華を見て、依音の顔に若干の焦りが見える。
考え無しで言ったのであろう琴理に依音は語気を強めて叱りつける。
「ちっ、琴理!相手の琴線に触れることが如何に危険なのか、散々教えたでしょう!?」
「ふえ?うち今なんか不味いこと言ったんすか??」
「自分が罵られるのは我慢できるけど、親しい人が罵られるのは耐えられない」という人は何処の世界にも存在するだろう。虚華も例に漏れず、そういった人間だ。勿論我慢するべき時ならば我慢するが、今回はその限りではない。雪奈への罵詈雑言が、虚華の決断力の無さを完全に掻き消した。
「私勝つよ。雪、怪我してないよね?寝た振りは許さないよ」
「ん。人使いの荒い、虚」
魔力欠乏の症状が全身から見られ、起き上がれない程に消耗しきっていた筈の雪奈がまるで朝、目が覚めて起き上がるかのように立ち上がった。
何も知らない依音と琴理は自身達の目を疑った。それもそうだ、虚華が一声掛けただけで傷が治り、魔力が漲り、あたかも虚華とハイタッチまでしているのだ。そんなのを見たら目を見開いて驚くのも無理はない。
心配そうな表情で虚華を見る雪奈に、肩口を抑えながらも虚華はへらりと笑う。
「誓約上、相手を殺せないから無力化させる方向で行こうかなって思うけど、どう?」
「ん。虚は、後何回使う気?」
「んー。後三回は行けるけど、流石に死者蘇生は無理かな」
分かったと、短い返事だけすると雪奈は、虚華を背中に隠して二人の前に仁王立ちする。
本来、純後衛である雪奈がこうして人の前に立ち、得物の一つも持たずに戦おうとするのは無謀の極みだ。
その無謀さを見た琴理は落ち着きを取り戻し、本来の優位性が損なわれていない事を思い出す。
「結局、ダメージが回復した程度じゃ、うちらには勝てないっすよ!得物も無いのにうちの破砕槌の攻撃は防げないっすよぉ!」
「ま、待ちなさい!冷静に状況を分析しないと……焦りは禁物よ!」
依音の冷静な忠告も虚しく、琴理は物凄いスピードで走り抜け、雪奈に向かって突っ込む。破砕槌──琴理の得物には炎を纏わせている。
凄まじいスピードで急接近しながら振り翳す一撃は、鎧などを着込んだ重戦士や騎士でも当たりどころが悪ければ即死するだろう。
「──はあぁあああ!」
琴理は勢いを殺すことなく、破砕槌を上に振り上げ、自身ごと一回転することで威力を大幅に上げる。破砕槌で勢いよく叩かれた地面は周囲も含めて土煙を巻き上げて大幅に凹む。
二十にも満たない防御力の乏しい魔術師がまともに受ければ、確実に死ぬ。致命傷を与えることが出来る琴理だから出来る芸当を目の当たりにした虚華は、一瞬だけ目を瞑る。
けれど、土煙が晴れても血痕等は一切無い。それどころか、雪奈の姿もない。
「何処行ったっすか!せっちゃんもどき!」
「位置特定。悪いけど、同じ轍は踏まない」
大声で自分の居場所を教えてくれてありがとうと言わんばかりに、雪奈は早口で魔術を詠唱する。
普段の雪奈なら絶対に使わない類の魔術。氷の魔力を破砕槌風に練り上げる。
「──っつ!!」
小さく声を上げながら、雪奈は自身の筋力で振り回せる限界の重さに調整した破砕槌を、琴理の腰付近目掛けて全力で振り抜く。
ホームランバッターよろしく、全力で振り切った結果として琴理の腰を強打する。
破砕槌を杖代わりにしてなんとか堪えようとしたが、そのまま地面に倒れた。
(わぁ……相手のメンタル毎打ち砕いていったなぁ)
何処の世界に相手の得物を模倣した挙句に、その武器で相手にトドメを刺す超絶可愛い魔術師が居るのか。割とすぐ近くに居た。
相手が自分の得物を模倣したことに驚いた隙に、キツイ一撃をお見舞いする手際の良さが光る。
虚華が呆然と一連の流れを見ていると、背後の方で何かが射出される音がした。
「虚!危ない!」
「大丈夫、依音の事はずっと見てたから……“インクリース”」
放たれた魔導弓の矢を、虚華は白と黒の銃に装填したゴム弾で難なく弾く。
虚華が依音の方へ振り向くと、依音の冷静沈着だった顔を酷く歪ませている。
「よくも……。琴理を殺ってくれたわね」
「殺ってないよ。それは誓約に引っかかるし。悪いけど、私は雪を失う訳には行かないんだ。依音達に致命傷を与えることを許さなかった理由がやっと分かったよ。仕返しが怖かったんだね」
「…………………………」
自分達だけ相手を殺すことが出来たのは、相手側に殺された際に自分達を仮説の実証に使われるのを恐れたから。
自分達の仮説を、仮に負けたとしても利用されない為の保険。なるほど、これは間違いなく依音の仕組んだことだろう。
──依音は理知的で、いつも皆を導いてくれていたから。
一体依音に何度助けられたことか。そんな依音に、フィーアの雪奈を甦らせるためには並行世界のその本人が必要で、その人物を殺し、蘇生魔術を掛ければ、この世界の人格がその肉体に入り込み、擬似的な蘇生が出来ると。
だから、雪奈を殺そうとしたんだって言われた時、虚華は何も言い返せなかった。
勿論、雪奈を殺すことには反対したけど、彼女の行いを否定することは出来なかった。
「きっと、依音の誓約が無かったら同じことを試してた。そんな気がする」
「でしょうね。貴方が仲間思いなのは嫌ってほど伝わったわ」
「そっか」
虚華が再度ガチャリと白と黒の銃に弾丸を装填する。勿論中身はゴム弾。
当たれば相当痛いが、それでも死には至らない。
虚華は弾を込め終わると、依音にニコリと微笑む。
「“ラピッドブースト”。また会いに来るから、その時はお友達としてお茶でもしよう?」
「ふふっ、そうね。またいらっしゃい。その時は貴方の友としてお相手するわ」
虚華は“嘘”で火力と速度を強化したゴム弾を、依音目掛けて放つ。
依音は虚華に撃たれた所をおさえ、薄い笑顔を浮かべて地に倒れた。
「次、雪を傷つけようとしたら、今度は容赦しないから」
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依音と琴理の二人との模擬戦は、辛くも虚華達が勝利を収めた。
その後、薺が森の茂みでこちらを見ていることに気づき、一連のやり取りをした後、琴理のアトリエに戻ることにした。
二人が起きて戻ってくるまでの間、虚華はアトリエ内を散策していた。
無骨さが残る鍛冶台から、魔術関係を絡めているのであろう不思議な装置まで色々な物が置かれていた。素人の自分が見ても分からない辺り、きっと高度なものが使われているのだと判断した虚華は、周辺を歩き回りながら、雪奈のイチャつきをなんとかして回避しながら過ごす夜だった。
良い子でも悪い子でも人の腰を鈍器で殴るのは辞めましょうね……。




