【Ⅵ】#6 肩はキメないで欲しい(切実に)
久々に入った小等部の教室、こちらを見ている視線には、疑念と困惑が入り交じる。
それもそうだ、それなりに長い時間、誰にも連絡せずに学校に来なくなったクラスの嫌われ者が、ある日突然登校しているのだから。
あちこちから、疫という単語が飛び交う。こちらを見る視線もあまり良い物ではなかった。
虚華はクラスメイトと視線を合わせずに、俯き気味に硬く拳を握る。
(耐えなきゃ。今の私は、一人じゃないから)
ずっと一人でこの環境を耐えてきた虚華は、もう独りじゃない。
虚華が壇上に上がり、俯き気味に立ち尽くしていると、教師が近寄ってくる。
このクラスの担任である初老の女教師は、虚華を見ると少し表情を曇らせるも、直ぐに笑顔を顔に貼り付けて、クラスメイトの方を向く。
「はーい。今日からまた結代さんがこのクラスに復帰することになりました。それと転校生が二人来てるので紹介しますね〜」
感情を喪失していない筈の担任が気の利かない発言で、虚華が小等部に戻ったことをクラスメイトに知らせる。
急にある日から学校に来なくなった女の子が登校するようになっただけでも、それなりに大きいニュースなのに、帰ってきたのは嫌われ者、それに加えて転校生が二人も急に編入するという今回の事案に、クラスメイトのどよめきは急激に勢いを増す。
虚華は、教室内の話が不快なノイズに聞こえているのか、耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
(けれど、此処で耳を塞ぐのは逃げだ。私はもう逃げない。そう決めたから)
虚華は、喧しい鼓動を抑えるために、壇上で小さく深呼吸をして心を落ち着かせる。
(よし、大分落ち着いてきた。後は皆を直視するだけ。大丈夫、独りじゃないから)
虚華が顔を上げると、想像通りの顔ぶれが想像通りの顔をしていた。
不快感を表している者、困惑そうな表情をしている者、好奇の目で見ている者。
三者三様だが、特に危害を加えようとしている者は居なさそうだった。それを知れただけでも、虚華は肩の荷が下りた気分になった。
教師は何も言わずに、虚華と共に壇上に立っていたが、少し待っていても収まる気配がないからか、数回手を叩く。
「はい、静かに〜。じゃあ結代さんは……あの一番後ろの3つ開いてる窓際の席ね。はい、じゃあ転校生の黒咲くんと緋浦さん、入ってきて〜」
虚華の対応はおざなりに、教師は臨と雪奈を教室に呼び、黒板に名前を書き上げる。
虚華は何も言わずに、着席し、二人が壇上に上がるのを眺めていた。
男にしては少し眺めの黒い髪を棚引かせ、中性的な見た目の少年と、真っ赤な髪に恵まれた容姿を持つ無愛想な少女が壇上に上がると、黄色い声があちこちから聞こえてきた。
教師が「静かに!」と言って、静かにさせると、二人に自己紹介するように促す。
「初めまして、黒咲臨です。こっちにはつい先日引っ越してきたばかりで友達が少ないので、仲良くして下さい。宜しくお願いします」
「緋浦雪奈。あたしも、越したばかり、よろしく」
各々が自己紹介を終えると、虚華が紹介されていた時とは、ベクトルが違うどよめきがクラス中に充満する。
「あの子、格好良くない?」「女の子の方、超かわいいじゃん」「踏まれたい、嫌な顔されて」と言った、全体的に好印象な囁きがあちこちから聞こえてくる。
虚華は、自身の心の中ではなんとも思っていなかったのだが、顔には出ていたらしく、頬を少しだけ膨らませていると、雪奈が薄い笑みを浮かべて虚華に手を振った。
自己紹介の時は終始無表情だった雪奈が、クラスの嫌われ者である虚華に、笑顔で手を振ることで、再度虚華もひそひそ話の話題に織り込まれてしまった。
その空気が宜しく無いと判断したのか、教師が再度手を叩いて、教師の方へとクラス内の視線を誘導させる。
「じゃ、じゃあ、黒咲くんと緋浦さんは空いてる席二つあるから、そこに座ってくださいね。はい、これでSHRを終わります。一時間目の開始のチャイムまでには着席しておいて下さい」
教師が教室から出ていくと、直様臨と雪奈の周りに人が集まる。勿論虚華の席には誰も来ない。
臨の周りには主に女子が、雪奈の周りには主に男子が集まっており、何処から来たの?とか連絡先交換しよう等の転校生が来たらよくするやり取りをしている。
虚華はなるべく空気に徹しようと、ひたすら気配を消そうとすると、臨達の方向からの話し声が聞こえてくる。
「緋浦さんは……疫、結代さんと知り合いなの?」
「ん、友達。臨もそう」
「へ、へー。でもあの子って、色々黒い噂があってさ。二人ともあんまり関わり合いにならない方が良いと思うよ」
雪奈の隣を陣取っていたおさげの女子生徒が、雪奈の回答を聞くと若干引き攣った顔で虚華と関わらない方が良いと警告した。行動が早いにも程がある。出会って二言目で自分と関わるなと言われるなんて、いったい自分が何をしたんだと問い詰めたいくらいだ。
聞かなくて良いような内容を盗み聞きしたせいで、自分の気分を盛り下げてしまった事に若干の後悔を含みながら、虚華は席を立つ。
(私なんかしたのかなぁ。此処まで言われるようなことしてないんだけどなぁ)
虚華はいつも、授業が始まるまでは教室を出て近くにある中庭の寂れた椅子で一人で過ごしていた。居心地が悪い時は大体いつもそこにいるが、今日も例に漏れず気配を消したまま中庭へと出ていった。
虚華の退席を確認した臨は、一つ小さなため息をつく。近くに居た女子生徒が質問したタイミングに被せたせいで、女子生徒が少し苛立った声色で臨に詰め寄る。
「何その溜息、疫の事、何も知らない癖に。私達黒咲くんの事心配して言ってあげたのに何その態度?マジありえないんですけど」
「有り得ないのはお前らだよ。“言ってあげた”だなんて、何様のつもりだ?それに何も知らないのはお前らの方だ。“関わらない方が良いのは間違いないが、邪険にし過ぎるなよ”これは警告だ」
「なっ、どういう意味……」
臨に詰め寄った気の強そうな女子生徒は、臨の言葉に気圧されながら、言葉の真意を問う。
けれど、臨は女子生徒の言葉を無視して虚華を追い掛ける為に教室を出た。
となると、残るは唯一教室に残っている雪奈に焦点が当たるのだが、当の雪奈は先程から男子生徒の質問を一切無視して本を読んでいる。
臨に詰め寄っていた女子生徒が今度は雪奈へと詰め寄る。一言目は見事に無視されたため、雪奈が黙々と読んでいた本を取り上げて無理矢理、雪奈の視線を自分の方向へと向けさせる。
「何?」
「あんたも何か言いなさいよ!黒咲くんは疫を庇ったけど、あんたもアイツを庇うつもり!?さっきからクラスメイトが話し掛けてんでしょ!?本読んで無視すんなよ」
「……?」
雪奈は気の強そうな女子生徒の言葉を一通り聞くと、首を傾げた。きっとその反応が気に食わなかったのだろう。気の強そうな女子生徒は雪奈の服を掴み、椅子から無理矢理立ち上がらせる。
体重の軽い雪奈はあっさりと立ち上がるも、表情は相変わらず無愛想なままだった。それどころか、雪奈の瞳に自分が写っていないことに気づくと、女子生徒は声を荒げる。
「聞いてんのか!?あぁ!?」
「アンタと、話す時間、無駄だから」
雪奈がそれだけ言うと高速詠唱で極々小さな風を巻き起こす。
小さな風は気の強そうな女子生徒の服の一部を斬り裂くとすぐに消えてなくなった。
先程まで雪奈の服を掴んでいた女子生徒は、自身の服が裂けて肌が見えていることに気づき、手を離して自分の体を恥ずかしそうに隠す。
あちこち小さい切れ込みが入った制服を手で抑え、顔を赤くしながらも女子生徒は雪奈に凄む。
「何すんだよ!私の制服に傷つけて、許されると思ってるの!?」
「次は、制服の一部じゃ、済まさない。あの子に関わらないで」
濁り切った雪のような瞳で睨まれた女子生徒は、ひえっと小さい声を出して雪奈から距離を取る。他の生徒から何も言われないことを確認すると、雪奈も虚華を追い掛けるべく教室から出ていった。
転校生二人と、再編入してきた少女の三人が退出した教室は、一限目が始まるまでの間、誰も三人について触れる人間は居なかった。
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(あの後、追い掛けて来た二人と一緒に教室入ったけど、何このお通夜状態。私が出ていった後に何があったの……)
授業が始まり、昼休みには三人で中庭のベンチで食事を摂り、あっという間に放課後になった。
虚華は今日一日、久々の小等部で過ごしたわけだが、今まであったような陰口などは一切無くなっていた。SHRまでは二人の周りに群がっていた筈の生徒達は、二人を避けるように過ごしているお陰で、近くに席がある虚華も被害を受けること無く、一日が終わった。
特に部活などに参加していなかった虚華は、直ぐに帰宅しようとしたが、雪奈に腕を掴まれた。
相変わらずの凄まじい力で、反抗しようものなら腕を一本持っていかれそうな程だ。
虚華はぎこちなく首を雪奈の方へと向けると、雪奈は薄い笑みを浮かべてこちらを見ている。
「部活、行くよ」
「え、えっと、部活とは一体……」
雪奈は、虚華が質問したのを聞くと、少しだけ目を見開く。小さなあくびをひとつした雪奈は直ぐにいつもの表情に戻し、眠そうな顔で扉の方を向く。
雪奈が凄まじい力で引っ張るせいで、虚華は為す術もなく教室の外へと連れて行かれそうになる。
「行けば、分かる。多分」
「ひええぇ……」
逃げられないことを悟った虚華は、引きずられている最中にちらりと周囲を見る。虚華に対する不快感を抱いているものは以前より圧倒的に少なく見られる。それよりも今は──。
(雪奈への恐怖心?まぁ、確かに。こんな細い身体の何処にこんな力があるんだろうね……)
雪奈は虚華の反抗心が無くなったのを確認すると、優しく手を握って、教室を出ようとする。
その時だった。開けようとした扉がいきなり力強く開けられた。開けた主は、光の当たり方で蒼色にも見える茶髪をオシャレに纏め上げた少女だった。
虚華はこの少女に見覚えはなく、このクラスの人間ではない事は間違いなかった。このクラスの人間に用がある他クラスの人間だろうと判断した虚華は、そのまま、雪奈に連れられるがまま、教室を出ようとする。
教室を出ようとした際に、左手を雪奈に掴まれ、連れられていた虚華の右手が誰かに掴まれた。
虚華が首を右手の方に向けると、茶髪の少女が虚華の手を掴んでいた。顔が下を向いているせいで、表情が見えず、どうしたら良いのか困った虚華は、久方振りに見知らぬ人に話しかける。
「えっと、わ、私に何か……?」
「アンタっすよね」
「へぇっ?」
茶髪の少女が快闊そうな声で、虚華のことをアンタと呼ぶ。想定外の解答が返ってきた時の虚華は、蚯蚓よりも弱いと自負している。その蚯蚓以下の虚華は、思わず変な声を出してしまった。
虚華にとって、知らない人に話し掛けられる事は、学校内ではとても珍しい事だ。
それに、相手は自分の事を知っている素振りを見せている。学校内で関わると碌な事にならないという事から「疫」と呼ばれている虚華を。
そんな虚華の腕を掴んでいる事自体が、学校に通っている者からしたら信じられないことだった。
周囲のどよめきが強くなる。皆がこちらを注目しているし、雪奈は何も考えていないのか、茶髪の少女が腕を引っ張っているのにも関わらず、未だに教室の外へと連れて行こうとしている。
(ち、ちぎれる……)
「アンタが、疫って呼ばれてる結代先輩っすよね?」
「そ、そうだけど、それが……?」
体躯の差から、恐らくは年下であろう少女は腕を掴んだまま、虚華の顔を見つめる。
焦茶色の瞳が光の当たり方で蒼色にも見えて、とてもキラキラしている。虚華がそんな瞳に見とれていると、快闊そうな少女は言葉を続けた。
「アンタに興味があるんっす。ちょっとお話しませんか?」
「駄目。この子は、これから部活」
「じゃあ、うちもお供するっす。何部っすか?」
「ナイショ」
「私には教えてよぉ……そう言えば、あ、貴方の名前は……?」
虚華が否定しようとする前に、ようやく今の状況を把握した雪奈が、虚華と腕を組みだす。
動揺したせいで、虚華が答えようとする前に雪奈が答え、やり取りが勝手に進んでいってしまった。
未だに何の部活を何処でするのかすら聞かされていない虚華は、なんとか茶髪の少女の名前だけでも知ろうと、名を聞いた。
茶髪の少女ははっと目を見開き、虚華に頭を下げた。
「名乗るのを忘れてたっす!うちは葵琴理。結代さんの一個下っす!貴方の名前も教えて欲しいっす」
「結代……虚華だよ。こっちは緋浦雪奈。宜しくね」
「ん……」
どうせ自己紹介等しないだろうと思った虚華は、雪奈の分も名前を教えると、雪奈が虚華の腕を組んだまま、肩をキメだした。強烈な激痛が虚華の肩を襲う。
「ちょ、痛い痛い!な、何するの!緋浦さん!」
「お仕置き、行くよ。虚華さん」
「だから!何処に!痛い痛い!チョット待って、キメ方で返事しないで!痛いってば!」
虚華の顔が苦痛に歪む。離してと言っても雪奈は離そうともせずに、そのまま教室を出ていってしまった。
「待って欲しいっす!うちは結代さんに話があるんすよー!!」
置いていかれた琴理は、急いで二人を追い掛けるべく、教室を飛び出す。
残されたのは、状況を何も理解出来ていないクラスメイト達だった。
「なるべく友好的に、それでいて関わらないようにしない?」
「そうしないと、鬨坂さんみたいに制服裂かれそうだもんね」
「うるさいわね!あたしだってあんな魔術に秀でてるって知ってたら手出ししなかったわよ……」
この日から、虚華達三人には極力干渉せず、何か対応が必要な際は、なるべく友好的に接する条約「触れぬが華条約」が虚華達のクラス間で締結された。その事を虚華達は知る由もなかった。




