【Ⅵ】#4 ちょっとヤバみの深い姉妹喧嘩
蒼黒い扉を潜った虚華は、自分の浅はかさを呪った。
確かに、虚華は少し、いや。かなり冷静さを欠いていた。仲間とは言え、何も聞かずに薺──『七つの罪源』の一柱、『虚飾』のアラディアの生成した扉を潜ってしまった。
背中には、息絶え絶えになりながらも自分を守ろうとしてくれた雪奈が、眠っている。
死んでこそいないが、あんなあちこちで火が燃え上がっている場所に、雪奈の体を休める場所などはない。だから、薺の生成した扉を何も言わずに潜ってしまった。その行動がどれだけの代償を支払うかも知らずに。
意識を失っている雪奈を背負う虚華と、薺は扉を潜った先に居た二人に声を掛けられた。
どうやら、あちら側は虚華達を知っていたようで、激昂され、刃を向けられている。
激昂された理由を聞いても、答えてこない二人を不審げに見ていると、二人は口を再度開く。
「で?お前らは何者で、何の用でここに来たっすか?返答次第じゃぶっ殺っすよ?」
「まぁまぁ。そこの奇抜な格好をしてるゴミだけ始末したら良いじゃない」
「……でも、うちのお姉の紛い者と、ぶっ殺野郎と、死んだ筈の友人の三人が一同に期してるんすよ?そんな胡散臭い奴ら、始末したほうが良いっすよ」
「うーん。まぁ確かに、貴方の言うことも一理あるけれど……」
(一理も何も無いよぉ……。でも、私達の話聞く無さそうだもんなぁ……)
虚華は背中に背負った雪奈を心配しながら、目の前で殺気を放っている二人を見据える。
どちらも標的が違えど、濃厚な殺意をこちらに向けている。話せば分かるの領域など、既に過ぎている。
隣りに居るアラディア──葵薺を名乗る非人を目の敵にしているのは、群青色の髪を肩辺りで縛っている快活そうな少女。
完全に戦闘態勢に入っているのか、手元には得物であろう、装飾からも見て取れる殺傷性の高い棍棒だ。長さもそれなりに長く、あんな物を脳天にぶつけられたら赤い柘榴の果汁があちこちに飛び散るのは自明の理だ。
服装は完全に鍛冶師の格好だが、薺に向けている殺意だけは、甲種の探索者にも引けを取らないと虚華は考えている。
もう一人の殺意は完全にこちら──虚華に向けられている。聞き覚えのある可愛らしい声で虚華の事をゴミ呼ばわりした際には、虚華の心の中では大雨洪水警報が発令する程には虚華の心を抉っていた。
昏い灰色の髪を綺麗に纏め上げ、三編みを更に編み込んでいる少女は丁寧な口調の裏に凄まじい虚華への殺意を孕ませている。
こちらも武力行為を辞さないつもりなのか、弦の無い弓のような物を構えている。恐らくは魔術で編み出した矢を射出する魔導弓だ。白の区域には存在しない代物だが、此処にあってもおかしくはない。
だって彼女らは──。
虚華は、ゴクリと唾を飲み、再度言葉での説得を試みる。
「わ、私達は争いに来た訳じゃないの!ジアの探索者の施設が焼き討ちにあって……」
「へー。じゃあどうやって此処まで落ち延びてきたんすか?ジアって確か、白の区域の主要都市っすよね?背中にはボロボロの緋う……いや、そんな訳無いっすね。知人のそっくりさんを抱えて雪華を突き抜けて、こっちまで来るなんて嘘が苦し過ぎっすよ」
「そ、そうだけど……」
虚華は言い返せなかった。確かに群青の髪の少女の言う通りだ。
本来、ジアから今虚華達のいる場所まで辿り着くには、セッカという都市を経由する必要がある。ジアから東に進めばある都市だが、近くに雪原があるせいか、一年中吹雪く様な都市だ。あまり人は訪れることがない場所だが、雪奈を療養するだけの設備はあるし、彼女の言う通り、セッカを突き抜けて怪我人を此処まで運んでくる事が最善には見えない。
ただ、それでも『七つの罪源』であることの根拠にも等しい扉での移動を、おいそれと他人に明かすことは出来ない。
薺も、雪奈が気絶していなかったら無理やり気絶させて転移させるか、そのまま自分達の足で移動するつもりだったらしい。
虚華は言葉に詰まり、薺は脂汗をかきながら、顔を引き攣らせている。
徐々に追い詰められていく二人を見ながら、灰色の髪の少女はふぅと溜息を吐くと、虚華を見る。
「一つ、聞かせて。返答次第じゃ容赦しない。……けれど、貴方の背中で眠ってる彼女、かなり衰弱してるし、刻一刻を争うわ。だからこれだけ」
灰色の髪の少女は、虚華に厳しい顔で問いかける。虚華の喉元を灰色の髪の少女の魔導弓がいつでも貫けるように矢を構えている。下手な答えを出そうものなら、一撃で命を奪われる。
虚華が、ちらりと群青の髪の少女の方を見ると、不機嫌そうな声で、灰色の髪の少女が「余所見している場合?」と虚華を罵る。そういう趣味はないはずだが、不意にドキッとした虚華は、吊り橋効果を思い出しながら、灰色の髪の少女の言葉を待つ。
「背中のその子、貴方確かクリムって呼んでたわね。その子の本名は緋浦雪奈──三年前に殺された私の友人……じゃないのかしら?そして貴方もホロウと名乗っていたけど、結白さんじゃないの?私達の知っている彼女らとはかなり掛け離れてるけれど……」
最初の方は眼光鋭く睨むように話していた灰色の髪の少女は、最後の方には涙を浮かべながら、虚華達にそう聞いた。
きっと、彼女達も雪奈を失ったせいで、虚華達の存在を目の敵にしているのだろう。
そう思った虚華は、返答に悩んだ。なるべく表情に出さず、相手にヒントを出さないように、それだけを気をつけ、灰色の髪の少女の問に答えず、沈黙した。
「沈黙は肯定」という言葉は、何処の世界にも存在する。そのせいか、虚華の沈黙を確認した灰色の髪の少女は、目尻に浮かべた涙を服の裾で乱雑に拭き取る。
「また何も応えてくれないのね……、あの時だって……。どうして……どうしてなの……」
怒りと悲しみの複合した感情で、灰色の髪の少女は虚華の襟元を掴み上げた。
近づいてきた彼女の顔からは、それ相応の事を彼女がしたことは容易に想像がつく。
ただそれでも、彼女は彼女、虚華は虚華だ。彼女の問題を自分が答えるのは良くない。
何も答えることが出来ず、ただ絞められていく虚華を見かねたのか、おぶっていた雪奈が虚華の背中を離れて、立ち上がる。
虚華は目を見開いて驚くが、雪奈の致命傷とも見て取れた全身の火傷は七割が回復しており、雪奈は既に歩ける状態まで回復しているようだった。
涙を流していた筈の灰色の髪の少女は、複雑そうな顔で群青の髪の少女を見る。
(何で……?普通あそこまでの怪我をしたらそう簡単に治らない……じゃあ……)
虚華だけが、状況が飲み込めないでいると、薺と対峙していた群青の髪の少女が、自身の髪を掻き毟りながら半狂乱気味に怒声を上げた。
「うちが全力で殺しにかかってんのに、軽く往なした挙げ句にせっちゃんもどきを回復させる魔術まで……てめー、やっぱりお姉だろ!?見た目だけ魔術で変えてる質の変質者かとは思ったけど違うっすね!舐めんのも大概にしやがれっ!」
「仮にも姉の私に対して殺傷性バッチシのメイス振り回してくる琴理も大概だと思うけどなぁ、ケヒ」
群青の髪の少女──葵琴理が姉の薺に対して全力でメイスを振りかざし、脳天をかち割らんとしているのを、薺は体術だけでサラリと避けながらも、雪奈の身体の火傷を少しずつ回復させていたという。
薺自身は息を切らすこともなくいつもの不敵な笑みを浮かべているのが、琴理の琴線に触れたのだろう。怒りの炎がどんどん膨れ上がり、収まるところを知らないようだ。
琴理は半ば理性を失いながらも、的確に攻撃している筈なのに、一発も当たらないことから、余計に心の炎を滾らせながら、薺を集中攻撃している。
そんな命を狙われている薺は、嬉々として攻撃を交わしながら、時々琴理のお尻をぺちっと叩いたり、攻撃と攻撃の隙間でデコピンなどをして、ケラケラと笑っている。
それが火に油なのを理解しているのかは、虚華達には分からなかったが。
(随分激しい姉妹喧嘩……なのかな?)
虚華と灰色の髪の少女は、激しすぎる姉妹喧嘩を口を開けてみるしか無かった。
先程まで、重傷の火傷で苦しんでいた雪奈が、虚華と灰色の髪の少女を無表情で見据える。
「ホロウ、あたしは大丈夫。それよりも、逢いたかったんじゃないの?出灰と葵に」
「え。まぁ、そうだけど……」
こんな状況下で、自分達の出で立ちを話せそうにないことを、雪奈は理解していないようだ。
虚華が返答に困っていると、雪奈は不思議そうな顔で首を傾げる。
虚華と、雪奈のやり取りを見た灰色の髪の少女──出灰依音は、魔導弓を収め、未だに激昂している琴理の方を向いて、大きな声で呼びかける。
「貴方達、やはりただの別人って訳では無さそうね。私の名前も知っているみたいだし。ちょっと顔を貸して貰える?そこの緋浦さんもどきも治療するから。琴理!貴方のアトリエで治療するわよ」
「あぁ!?なんでっすか!あのクソお姉を今シバかずにいつシバくんすか!!」
虚華は目をパチクリさせながら、ガオーといった擬音が聞こえてくるかのような怒り方をしている琴理を眺める。
頭に血が上りながらも、依音の言葉には耳を傾ける琴理に、依音は容赦なくげんこつをお見舞いする。
琴理は殴られた場所を擦りながら、姉への攻撃を止める。姉を睨むことは止めないが、マジっすか!?とは言いながらも薺以外の二人を自身のアトリエへと招待することを承諾した。
雪奈と琴理、依音がアトリエのある方向へと歩き出す中、虚華は薺の肩を叩く。
「どうしたの?ホロウちゃん」
「この件は、後でパンドラさんに報告しますからね」
「え、待って。どの件?私なんかしたぁ!?」
それ以降、虚華は何も言わずに琴理達の案内に従って進んで行く。
先程まで余裕綽々だった薺は、真っ白になりながらも、虚華の後ろにトボトボ付いていった。
何で虚華が怒っているんだろうとは思いながら、それを聞ける雰囲気ではなかったために、この出来事がただの茶番なことに薺が知ったのは、一週間以上先の話だった。




