【Ⅵ】#3 『愛しいキミ』じゃない。いや、君でもないから
虚華は目の前の光景を受け入れるのに、時間をそう掛けなかった。
所々に魔術の痕跡が残りつつも燃え上がるまでは至っていない探索者ギルド、その周辺は魔術の影響を受けたのか、轟々と燃え上がる建物が並び立ち、此処が地獄ではないのかと錯覚させる。
焼けた空気が肺まで侵食しないように気をつけて進んでいた虚華だったが、ギルドの前で倒れている雪奈を見て、冷静さを欠いてしまった。
少し離れた所に、腕や足には火傷の痕、虚華が選んだフィーアでの普段服は刃物でボロボロに切り刻まれ、髪は毛先のほうが焼けてしまい、あちこちから燃えた匂いのする大切な仲間が倒れ込んでいる。
──雪奈はこの世界に来る前から虚華の仲間だ。
こんな世界にまで付いてきてくれた、どんどんと仲間が減っていくのに要領良く虚華を守り、自身では魔術の研究をしながら自分に簡単な魔術を教えてくれた雪奈。どんな相手だろうと大怪我を負わずに上手く撤退して、何度も死地を潜り抜けて、最後の最後には感情を喪失しながらも笑顔を向けてくれていた雪奈。
虚華の中で“絶対に自分の前から居なくならない”と思っていた雪奈が、満身創痍で倒れ込んでいる眼の前の現実を受け入れられない虚華は、走れば呼吸すら怪しいこの環境で、雪奈の元へと駆け寄ろうとする。
「クリムっ!」
「待って、ホロウちゃん。少し落ち着いて。罠かもしれない」
感情的になったせいか、咳をしながらも反論しようとした虚華は怒りの感情を込めながら、薺の顔を見る。
過去、ディストピアで虚華を引き留める者は、大抵が虚華の現実改変能力を失うことが怖いから、という理由が殆どだった。そういった人間は自分の目的を達する為、目先の利益を追い求める為だけに声を掛ける。だから、そういった手合の者達の顔には、いつだってとても醜い笑顔が貼り付けられていた。
けれど、薺の顔には偽りの笑顔なんて、貼り付けられていなかった。
「キミの仲間はこんな場所で簡単に野垂れ死ぬような奴なの?」
「違う……けど……、あそこに私の大切な仲間が……」
罠だ。そう言われても目の前で仲間が倒れていることに変わりはない。此処で動かなきゃ後悔するかも知れない。過去に後悔したことがあるから、虚華は薺の説得を聞いた上で、雪奈の元へと全力で走る。
仲間の元へと向かう虚華を見た薺はどうするか悩んだ。このまま虚華を見殺しにして良いのかと。
きっとパンドラは自分を許さないだろう。「不老不死に感けて我が友であり、共を失うとは何事じゃ」そう言いながら自分を叱咤し、不老不死を解き、自身の生を崩壊させるだろう。
それだけは避けねばならない。一つため息を付き、口元をきつく噤みながら、薺も虚華を追いかける。
「クリムっ……!?」
雪奈の元へと辿り着いた虚華は、雪奈の顔を見ようとするが、付近に人の気配を感じた。
こんなに焼け爛れた地で、此処まで濃厚な殺意が込められた視線を向けられては、鈍感な虚華でも誰かがこちらを狙っていること位は容易に想像がつく。
恐らくは雪奈の近くで、誰かが隠れている。それに気づいた虚華は少し雪奈から距離を離して口を開く。
「誰かそこに居るんですか?」
「ありゃ、バレてもうたか。アホの子やと思ってたのに凄いやんけ、われぇ」
虚華が虚空に話しかけると、赤黒い髪の男が、雪奈を足蹴にしながら、虚華のことを馬鹿にしながら姿を表す。
背中をグリグリと踏みつけられている雪奈からは苦悶の声が聞こえてくる。
虚華は雪奈の苦悶の声を聞くと、全力で男を睨みつける。此処からじゃ怒声を浴びせても効果は薄いだろう。ただ、これ以上動いて雪奈の身に何かあればと思うと身体を動かすことは出来ない。
「その汚い足を退けろ!クリムに触れるな!」
「おっと、せやな。流石にお仲間の前でも虐めちゃ可哀想やもんなぁ?ほらよっ」
赤黒い髪の男は、雪奈の脇腹を思いっきり蹴飛ばし、虚華の居る方向に吹っ飛ばした。
「クリムっ!大丈夫!?」
「………………………………」
虚華の目前まで飛ばされた雪奈の元へ虚華が駆け寄ると、雪奈は喘息のように苦しみながらも、息をしていた。虚華が声を掛けても雪奈はこちらを認識していない。意識が朦朧としているのか、虚華にすら気づけない程に雪奈は衰弱しているようだ。
虚華は怒りを顔に顕にしながらも、心の何処かでホッとしている事に気づいた。
(良かった死んでない。けど、満身創痍なのは間違いない)
そんな自分に自己嫌悪しながら、赤黒い髪の男の方を見る。
何処かで見た記憶があるような顔だ。線の細い体躯で毛先が黒で中央が赤の特徴的な髪色、何よりも何処かで聞き覚えのある訛りのある喋り、独特のテンポが何処と無く耳障りだ。
顔には余裕の笑みが浮かんでおり、何処かこちらを見下しているようにも見える。
(そうだ思い出した、透の近くに居た二人組の男の方だ……でも、あそこから此処まで来るのに時間がかなり掛かるはずなのに、どうして転移してきた私達と同じタイミングで此処に居るのだろう?)
虚華と薺はパンドラの黒い扉で白雪の森から『七つの罪源』のアジトを経由してジアまで転移している。それから多少なり捜索する時間もあったが、遭遇したのも【蝗害】の連中だけ。白雪の森から、ジアの探索者ギルドまではどう見積もっても普通の手段では半日は掛かる。
雪奈を蹴飛ばした赤黒い髪の男は頭を掻きながら、わざとらしい態度で切れ長の目を更に細める。
「にしても変な話やなぁ。まともにあっこからこっちまで来よう思たら結構時間掛かんで?こっち側はともかく、『愛しい君』やっけ?われ、どうやって此処まで来たんや」
「そんな事、貴方に教えるわけないじゃないですか」
「ありゃまぁ、嫌われてしもうたなぁ。ワイは何もしてないのに。どう思うよ、綿罪」
赤黒い髪の男が綿罪と名前を呼ぶと、何処からか靄が発生し、靄が消える頃には赤黒い髪の女が姿を表していた。
男と違って目がパッチリしており、可愛い系の見た目をしている。出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる。明るそうな見た目と相まって喋り方は男と同じ訛り、髪の毛も同じ特徴があることから、兄弟か、血縁関係のある人物であろうことは容易に想像がつく。
綿罪と呼ばれた少女は、呆れ顔で男の方を見る。心底失望したような表情は、虚華とは関係無い筈なのに、何故か虚華まで萎縮してしまう。そんな恐ろしさを抱かせる。
「知らんわそんなん。どうせ疚罪が悪い事したからやろ?あ、さっきの『愛しい君』ちゃんやん、やっほ〜。XX味の飴ちゃんあげよか?」
「え、遠慮しときます……」
「そ?美味しいのに、勿体ないなぁ。ならうちが食べちゃお」
疚罪に見せた表情とは打って変わって、綿罪は、にこやかな笑顔で虚華にエグい味の飴を渡そうとしてきた。虚華が丁重にお断りすると、美味しいのになぁとだけ言って、飴の包装を解いて自分の口に放り込む。
困惑気味の表情を浮かべている虚華に、追いついた薺が虚華の肩をぽんと叩く。
「気を許しちゃダメ。相手はキミの仲間を傷つけ、ギルドを焼き討ちにしようとした奴らだよ。油断しないで」
「……分かってます。私は彼らを許すつもりはないですから」
「ケヒ、なら良いケド」
虚華は血が昇りそうな程の怒りをどうにか抑えながら、相手のことを訝しげな表情で睨む。
ニヤニヤとこちらを見ていた赤黒い髪の男は手を叩いて、虚華を褒め称える。
「なぁ綿罪、『愛しい君』はワイだけやのうて、お前も許せないんだとさ。ええ観察眼しとんなぁ?」
「えー。うちはキミとは仲良くやりたいんやけどなぁ。リーダー関係なしに」
仲良くしたい人物の仲間を傷つけ、半殺しにしているのに、どうして彼らが笑っているのか、虚華には理解出来なかった。
困った顔をしている綿罪に至っては、どうして虚華が怒っているのかすら分かっていないようだった。
こんな二人を相手にしている時にも、周囲の炎は強くなり、近くに居る雪奈は苦しそうに横たわっている。疚罪に蹴られた脇腹を無意識に抑えている辺り、相当のダメージが来ているのだろう。
(いまはこんなのに構っている暇はない。早く雪を安全な場所に……)
虚華が雪奈を自分の後ろに隠し、疚罪と綿罪を睨んでいると、隣りにいた薺が前に出る。
「キミらのその髪を見て思い出したんだけど、キミら、玄緋の一族の者だね?」
「ほーう?ただの『愛しい君』ちゃんの付き人って訳や無さそうやな。見た目の割に変わった趣味しとんなぁ、名前名乗ってくれてもええんやで?」
疚罪が目を細めて、薄く笑うと、薺はその姿を見て鼻で笑う。薺の反応を見た疚罪は、余裕そうな笑みを浮かべていたが、薺に怒りの孕んだ目を向ける。
「名乗る時はまず自分からって知らないの?もしかして、常識無しの一族だったりする?」
「おもろいこと言うなぁ。それもそうか。ならこっちから名乗らせて貰おか」
ニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべて、疚罪は左手を胸に当てて、丁寧なお辞儀をする。綿罪もそれにならって、ジアでは一般的なスカートの裾を掴んで一礼をする。
「罪源信奉団体【蝗害】が【禁忌】の一柱、玄緋疚罪や。『愛しい君』と青い嬢ちゃん、よろしゅうな」
「罪源信奉団体【蝗害】が【忘我】の一柱、玄緋綿罪や。『愛しいキミ』ちゃんとは仲良ぅしたいんやけどなぁ。うちまで邪険にせんでもええやん?まぁよろしゅうね〜」
二人の挨拶が終わると、次はそっちの番やろ?と疚罪が顎をしゃくらせる。
虚華は端から挨拶などする気はなかったが、いつまでも自分のことを『愛しい君』呼ばわりされるのはゴメンだったので、仕方なく従うことにした。
「私は葵薺。ただのしがない魔術師よ。罪源を信奉する上に玄緋の一族と仲良くする気なんてないけど」
「私は探索者トライブ「喪失」のリーダー、ホロウ・ブランシュ。そこに寝かされてるクリムは私の仲間。仲間を傷つけられて黙ってることなんて、出来ないんだけど。それ相応の覚悟は出来てるよね?」
虚華は玄緋二人を睨んでいるが、疚罪は肩を竦める。綿罪にも戦闘の意思は感じられない。
虚華が愛銃を取り出しても、二人共自身の得物を出そうともしない。本当に戦う意志はないようだ。
ヰデルならば、どうだろうと薺が終末の空を取り出し構えるも、「あんたら二人と争う気は今はないんよ。もし殺る気なら相手したるけど、今はその子を助けてやりぃや」と綿罪に正論を言われ、二人は武器を収める。
「もうワイらは目的も達したし、此処に居る理由もないんよな。ましてやブランシュを攻撃する意味もないんやわ。無駄な消耗したら、リーダーに怒られるし。それにブランシュが死んだらどうなることやら」
「というわけでうちらは撤退するね。またどっかで会ったらお話しようよ。そっちの魔術師もどきはごめんやけど!」
おー怖い怖いと半笑いで寒そうなジェスチャーをする疚罪はどう見てもこちらを馬鹿にしているが、今の虚華達には雪奈が居る。彼女を放置してまで彼らと戦うのは確かに得策じゃない……。
そう思い、ふと目線を雪奈に向け、すぐに彼らの居る場所に戻すと、二人の姿は掻き消えていた。
目前の敵が消え去ったのならと、虚華は直ぐに後ろで寝ている雪奈を抱き上げ、声を掛ける。
「クリムっ!!大丈夫なの!?ねぇ、返事してよ、クリム!!」
「……ホロウ、無事だったんだ。良かった」
全身ボロボロの雪奈から出た第一声は虚華を心配する言葉だった。自分のほうが満身創痍なのに、雪奈はいつだって虚華の心配ばかりする。今回に関しては命に関わる状況かもしれないのに、雪奈の反応はいつだってこうだ。
虚華は涙を零しながら雪奈に謝る。雪奈は虚華の頭を震える手でぽんと叩く。
「此処から移動しよ。ここに居ちゃホロウが、危ない」
「!そうだね。薺さん。扉開けますか?」
虚華が振り返ると、薺は少し苦い顔をしていた。虚華が首を傾げると薺は口を開く。
「まぁ今回は特別だよ。キミが開けたほうが面倒事だし、ほら入って」
虚華と薺は雪奈に肩を貸しながら、薺の開いた蒼黒い扉を潜る。行き先が何処なのかを聞くことを怠った虚華は、何処に行くのかすら一切考えずに、ただ雪奈を助けることだけを考えていた。
(今度は私が守らなきゃ。今までさんざん助けてもらったんだから)
扉を潜る際に感じる倦怠感に若干影響されながら、虚華は決意を新たにする。
今は、雪奈の怪我を治さねば。平穏の一時が奪われる前に。




