【Ⅵ】#1 【蝗害】
赤黒い髪の女──透の仲間らしき人物から警告を受けた虚華は、急いで黒い拘束着を脱ぎ捨てる。
彼女の言葉を聞いた途端、雪奈や臨の顔が浮かんできたのだ。半ば裏切ってしまった仲間の顔が。
パンドラが付き従えと指示したアラディアも連れて、虚華は、黒い扉を潜る。
虚華の視界に写った光景は、建物が燃え、黒い煙が立ち込めるジアだった。
「ケヒヒ……おっと、この喋り方は良くないか。兎も角、凄い光景だね……」
「アラディアさん……。服と喋り方変えるともはや別人ですね」
黒い拘束着のような修道服を脱いだアラディアはメイクで雰囲気まで変えているのか、先程までのアラディアとは大きく見違えていた。
目の下の大きな隈もさっぱり消えており、ジアを歩き回っても、誰一人として彼女のことを『虚飾』のアラディアだとは気づけないだろう。
それどころか、もともと良かったスタイルに、アラディアの猫背気味の姿勢も矯正されているせいで、控えめな性格の美人な姉のようになっていて、虚華はアラディアの変貌に驚いている。
そんな彼女を見て、つい本音を漏らした虚華は、滑った口を咄嗟に手で塞ぐ。
普段のアラディアなら陰鬱なことを言うのに、今は何も言ってこない。
虚華は、ちらっとアラディアの方を見ると、少しだけ困ったような顔をしている。
「否定はしないけど、酷いね。えーと表で使ってる名前はなんだっけ?」
「あぁ、ホロウです。本名かどうかはナイショですけど」
少しだけ気恥ずかしそうに頬を掻いていると、アラディアは虚華の頭をぽすんと触る。
「ケ……んん!そっか、私は……そうだな、君ならいっか。葵薺。名前の通り、蒼の区域出身のしがない魔術師だよ。改めてよろしくね。ホロウちゃん」
「葵……薺さん……」
虚華がアラディアの名前を繰り返すと、アラディアは少し険しい顔で、虚華を見る。
「ホロウちゃん。話は後。今はジアの状況を確認しなきゃ。私の話は後でいくらでもしてあげるから……キヒ」
「確かに……あの女の言ったことも気になりますし……。まずは……」
虚華が何処へ向かうか、思案した途端に北の方角から爆発音が聞こえる。
黒い扉から出た場所は、白雪の森から帰還した際に通る正門付近。此処から北は……。
「もしかして、ギルド……?」
「なんだか嫌な予感がするね。行ってみよう、ホロウちゃん」
足取りが重そうな虚華の手を取って、アラディアは虚華の指し示す方角へと足を進める。
ジアの正門付近ですら、人の気配は少ない。周りも火が付いている建物は少ないが、既に鎮火させられているものを含めれば、被害は甚大だ。
何が原因でこうなっているのか分からない今、虚華達は情報収集をする必要がある。
仲間たちの無事を祈りながら、虚華は手を引かれて奥部へと向かっていく。
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二人は周囲の状況を確認しながら目的地に設定したギルドの方向へと走りながら向かう。
奥に進めば進むほど、火の気が強くなっていく。そう思っていた虚華は面食らった。
どうにもこの火の上がり方は普通じゃない。
本来なら、火災が発生した場合は延焼するのを防ぐために周囲の建造物を破壊することがあるのだが、それをしていないのにも関わらず、特定の建物以外は燃え上がっていない。
虚華は、一体どんな建物が燃えているのかを確かめるべく、目を凝らして少し離れた場所を見る。
「武具屋に、道具屋、鍛冶処……他にも探索者が足繁く通う可能性のある場所ばかり……しかも、燃えている所の近くには変な旗?みたいのが立ってる……何あれ……」
「ケ……、んん。魔道具店とかも被害にあってるね。反魔術勢力とか、反探索者勢力の仕業かなって思ってたけど、その二つは魔道具店を襲う理由がない。どっちの勢力も通う場所だからね。んで、あの旗は……あぁ、そういう事。ホロウちゃん、犯人がわかったよ」
懸命に考えを振り絞っていた虚華を節目に、アラディアはこの少ない情報だけで犯人が誰か概ねの検討がついたようだった。
悲しい顔をするアラディアが、普段の彼女からは掛け離れている気がしながら、虚華は尋ねた。
「一体、ジアをこんなにしたのは誰なんですか!?」
「罪源信奉団体……アバドンって呼ばれてる集団だと思う……」
罪源という単語は自分や、アラディアを含めた『七つの罪源』の事を指すだろう。
その罪源を信奉する集団がいることなどは一切知らなかった。勿論、ジアに居ることすら。
そして、どうしてアラディアがそんな顔をしているのかも理解した。
──自分の所属する団体を信仰している過激派が暴れている光景を見るのは辛い。
心当たりのある虚華は、彼女を攻めること無く、背中をポスっと叩く。
目を見開いて驚くアラディアに、虚華は薄い笑みを顔に貼り付けて笑う。
「話は後です。まずは詳しい状況を把握しましょう!」
「っ、そうだね!ケヒヒ…やっぱりホロウちゃん、やる時はやるね」
二人が互いの顔を見て、笑ったのもつかの間、二人の前に人影が現れる。
ジアに入ってから、誰一人としてみることがなかった人間の姿が。
「!?ホロウ?無事だったのか!?ジアの何処にも居ないし、皆は何処に行ったのかわからないって言うから、本気で心配したんだぞ!」
黒髪の可愛らしい服を着た少女が、虚華の姿を見るや否や、飛びついてきた。
虚華は引き剥がそうとするも、思った以上に力が強くて抵抗されてしまった。
ただ、可愛らしい服装の黒髪の少女だったが、声はどう考えても男のものだった。
男なのに、女の格好をしている類の知り合いは一人しか居ない。少し前から姿が見えなかった彼。
「もしかして……ブルーム……なの?」
「あぁ。ホロウも無事で本当に良かった。ってそちらの方は?見ない顔だけど」
臨は、自分の格好などは一切気にせずに、虚華の近くに居たアラディアの方を見る。
若干怪訝な顔で見ているが、それはアラディア側も同じだった。何で男の声がするのに、女の子の格好をしているのこいつ。という顔で虚華の方を見ている。そんな顔は自分だってしたい。
三者が別々の人物を眺めている時間が幾許か過ぎる頃、虚華が口火を切った。
「この人は……やっぱり自分でしてもらえます?私がやるの、良くない気がして」
「んま、それもそうかもしれないね」
普段から全開で放っている気持ちの悪い笑いは完全に鳴りを潜めている。
それどころか、完全に余所行きの人格を纏っているのか、先程よりも隙がない。
アラディアは、怪訝な顔を隠しもしない臨の方を向いて、自身の胸に手を当てて挨拶をする。
「初めまして、私は葵薺。彼女とは……ちょっとだけ意味深な関係なの」
アラディアはウインクをして、臨にそう言うと、臨は開口したままポカーンとする。臨があの顔でフリーズするということは、目の前の現実が受け入れられなくて、脳が思考を放棄した時の反応だ。
すかさず虚華は、アラディアの肩辺りを手の甲で小突く。少しだけ真剣な顔で耳打ちする。
「なんですか!?意味深って!ただのお友達でしょうが!」
「ええー。あんなことだってしたのに……」
「してませんよ!!!」
アラディアと虚華が仲良さそうに自分そっちのけで内緒話をしているのを、思考放棄しながら見ていた臨は、全身を真っ白にしながら、虚ろな目で空を見ていた。
周囲は燃え上がる建物があるのに、そんな事関係ないと言わんばかりに、黒い煤ですっかり汚れている空を見ていると、虚華が慌てて臨の方へと走る。
「私は今さっきジアに戻ってきたの。状況を教えて。この惨状は何?ブルーム、君だけが頼りなの、お願い」
虚華がそうやって目元に涙を浮かべて、臨にお願いをすると、ぎこちない動きで虚華の方を見ようとしていた臨は消え去る。
臨の全身はすぐさま色を取り戻し、自信満々げに可愛らしいドレスのスカートを翻しながら状況を喜々として話しだした。
臨の無事を心の中で安堵している虚華だが、それ以上に臨のことを心配にも思っている。
(こんなにチョロいと、将来悪い人に騙されないか心配だなぁ)
現在進行系で悪い人物と行動を共にしている自分の事を棚に上げている始末である。
「そんな感じで、【蝗害】が暴れている。ギルドの皆は住人を一旦レルラリアに避難させているから、ジアには殆ど人は居ないはずだ。けど気をつけて、まだ奴らはこの辺に沢山居るはずだ。探索者に関係ない施設はノータッチだけど、探索者を見るとすぐに殺しにかかってくるからな。気をつけて」
「分かった。私達は一応、クリムと「エラー」も探してるけど、そっちの情報はある?」
臨は複雑そうな顔で、首を横に振る。聞けば、楓やしの達とも会えていないらしい。
これから臨は、探索者の先輩とともに救助活動に勤しむらしく、虚華達と行動を共にすることも出来ないらしく、直ぐにこの場から立ち去ってしまった。
臨の安否は確認できた。ならば、このジアで他の仲間を探さねばならないと考えた虚華は、探索者刈りをしている【蝗害】を掻い潜りながらこの街を探索することを心に決めた。