【Ⅴ】#5 答えの見つからない自問自答
虚華は、パンドラの約束通り、白雪の森へ二人で向かえるように準備を整えた。
その日の夜に黒い扉を出現させたまま、自室で待っていると黒い扉が開かれて、パンドラは現れた。
随分と機嫌がいいのか、パンドラの表情はにこやかだった。虚華に近づき、顔を覗き込む。
「約束、無事果たせたようじゃな?こちらも二人じゃ心配とホロウが言うから当日に一人呼んでおる」
「その人もパンドラさんの仲間なんですか?」
「勿論だとも、実力は折り紙付きよ」
今呼んでやろうか?とパンドラに冗談めかして言われたが、流石にこんな夜更けに狭い宿の一室に数人が集まるのは避けたかった虚華は丁重にお断りする。
虚華に断られると、ふよふよ浮いていたパンドラは地面に足をつけて両手も地面に付けて悲しみを表現している。最近は退屈なせいでフィーアでの娯楽を一通り嗜んでいるらしい。
(年齢もそうだけど、この人は一体何者なんだろ?)
楓のヰデルヴァイスの事も知っていた。特性や弱点まで把握して、虚華に的確なアドバイスをしていた。
透をどうするかの相談をしたら、「人を寄せ付けない」事を条件に討伐を買ってくれている。
この人に一切の利がないのに、どうして此処までしてくれるんだろうと前から思っていた。
もしかしたら何か裏があるんじゃないかと、その契約の代償に命などを持っていかれるのではないだろうかと。そう思っている虚華は、パンドラのことを尊敬している以上に心の奥底では恐怖心を抱いているのだ。
──臨の嘘を見破る能力がないと、相手を心から信じることも出来ない自分を責めながら。
心の中に黒い渦が巻いている虚華の鼻を、パンドラはちょんちょんとつついてきた。
驚いた虚華がパンドラの方へ視線を向けると、パンドラは頬をむくれさせていた。相変わらず艶やかな衣服を身に纏っているのに、映し出す表情はいつだって同年代と同じものだった。
そんなパンドラだからこそ、尊敬こそすれ、友人のようにも接することが出来るんだろうと、虚華は心の中で納得させていた。
虚華は少しだけ頬をほころばせ、パンドラに近付く。
「どうかしましたか?パンドラさん」
「お主も妾に恐怖心を抱いておるのか?他の者と違って怖くないのではなかったのか?」
寂しそうな表情でそう言ったパンドラの反応を見て、自分の心の中で言っていた言葉がそのまま口に出ていたことを虚華は悟る。
(しまったぁ。全部口に出てた?パンドラさんの事、皆は怖がるらしいけど、そういう意味じゃないんだよなぁ。どうしよう?説明難しいんだけど……)
「それにホロウの命など要らぬわ、妾の友、ひいては仲間になってくれればそれで良い。友に手を貸すことなぞ、造作も無いと前に言ったじゃろうが。忘れたのか?んー?」
「忘れてないですって!ていうか、顔が近い近い!」
コロコロと表情の変わるパンドラに気圧されながらも、虚華はパンドラと楽しい夜を過ごした。
明日からは命を懸けた戦いが始まることを知っていながらも、今日だけは楽しい時間を過ごしたいと思っていた。
雪奈の話だと、白雪の森に貼った結界は未だに破られていないらしい。つまりはあの結界の中で二日は透が閉じ込められたままなのだろう。普通の人間ならば多少なり衰弱するだろう。問題は相手が非人な事だ。
気になった虚華は、パンドラに問いかけた。虚華にベタベタされたパンドラは顔を真っ赤にしながら、虚華の手が届かない高さにまで浮遊してしまっている。パンドラは顔をこっちには向けずにそっぽを向いて答える。
「まぁ、ほぼ無傷じゃろうな。非人は基本的に快楽以外の理由で食事をする必要がない。ただの娯楽に過ぎんからの。それに散々魔物を食い散らかしたのじゃろう?一ヶ月でも二ヶ月でも結界の中で、お主の来訪を待つだろうな。話を聞いているだけだと、結界も容易に腐敗させられるじゃろう」
「食事の必要がない?じゃあ栄養補給とかの必要は?」
パンドラは虚華に「何を言っておるのじゃ」と半目で見る。先程まで真っ赤だった顔も、いつの間にかいつも通りになっている。虚華がパンドラの方を見ると、顔を逸らす辺り、完全にいつも通りという訳では無いようだが。
「非人によってそこら辺はマチマチ、としか言えぬな。大気中の魔力を吸収する輩も居れば、他者との争いでしか養分を得られない者、完全にそういった行為を必要としない者だっておる。人間だってそうじゃろう?食物の好みがあったり、自分勝手なルールで特定の物しか喰らおうとせぬ輩も居よる。それと同じじゃ」
(なら、尚更透をどうにかしなきゃ。このままじゃ、ここも仲間を脅かす場所に……)
心の中では透をどうするかを考えていた虚華だったが、ふとあくびをしてしまう。もう夜も更けており、深夜と言っても相違ない時間帯だった。
パンドラも、虚華の様子を見てか、黒い扉を開放する。
「流石に幼娘をこの時間まで起こしておくのも酷じゃな。明日は討伐の刻。時間は僅かではあるが、英気を養っておくのじゃぞ」
「パンドラさんがメインなんだから、パンドラさんのほうが寝ておくべきなんじゃないの?」
くすっと笑い、虚華が冗談めかしてパンドラに向けて言うと、パンドラはギラついた笑顔でこう返した。
「あんな雑魚一匹の為に、お主との時間を無駄にして堪るか。ではの、ホロウ。明日は衣服と仮面、両方してくるのじゃぞ」
投げキッスを虚華に飛ばしたパンドラは黒い扉を潜り、白黒入り乱れた住処へと戻っていった。
黒い扉から黒い花弁と靄が消える頃には、虚華はベッドの中で意識を闇に落としていた。
寝ておかないと、明日の戦いに支障が出ると虚華は思った。自分では歯が立たない相手でも、少しは役に立てるだろうと思いながら微睡む。
(“出し惜しみ”はしない。相打ちになってでも透を止める)
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夜が明け、それでも日が昇ったばかりの時刻──早朝も早朝に、虚華は身体が揺さぶられる感覚に襲われる。
何事かと飛び起きると見知らぬ黒色が少し混じった銀髪の少女が自分のベッドで眠っており、その少女をベッドから引き剥がそうと躍起になっているパンドラの姿が虚華の寝ぼけ眼に映る。
(何してんの……?というかこの子誰……?)
頭が半分寝ている虚華は、自分の寝床に知らない人間が同衾していた事の意味もはっきり理解しておらずに、目を擦り、ボサボサの髪を櫛で梳かしながら、カーテンを開ける。
未だに眠っている少女をパンドラが何とかベッドから引き剥がし終える頃には、既に虚華は怪しい人達を通報するか悩んでいる所だった。虚華が訝しげな目でパンドラを見ていると、パンドラはあわあわしながら宙に浮く。
未だに状況を理解していないのか、虚華のベッドに忍び込んだ犯人は、霞んでいる目を擦り、身体を伸ばしている。
「この子がパンドラさんの呼んだ味方ですか?」
「そ、そうじゃ」
「何で私のベッドで寝てたんですか?」
「そんなの妾が知りたいわ。勝手に此奴のベッドで寝よって……」
パンドラが歯ぎしりをしながら空中でグルングルン旋回しているのを見ていると、虚華自身のほうが気分が悪くなるので、虚華は思わずパンドラから目を逸らす。
目に毒とは言え、つい逸してしまった虚華の視線は、自ずと見知らぬ少女の方へと向けられる。
パジャマ姿でガッツリと就寝する気満々の少女が、いつの間に同衾していたのかは知らないが、パンドラの仲間なのは間違いない。
正直、寝首を掻かれるという意味では心臓が口から落ちても可笑しくない位の物だったが、何とか喉辺りで収まってくれたので、虚華はほっと一息をつく。
(敵じゃないって知れてるだけマシって思えば良いのかなぁ)
パンドラが空中で旋回しながら言い訳しているのに対して、虚華に名乗りもしない少女は、虚空をぼけーっと眺めている。
大丈夫なのか?と虚華は頭を抱えているが、決行は今日だ。この三人で透をどうにかしなければならない。
色々な感情が入り混じった溜息を虚華が吐くと、少女がおもむろにパジャマを脱ぎだした。
「なっ、なんで脱いでるの?!」
虚華の驚きも無視して、少女が服を脱いだ途端、少女の周りに光が発生する。その光が収まる頃には、少女は衣服を纏っていた。どうやら、少女の魔術らしい。詠唱したようには見えなかったのが疑問だったが、虚華は何も言わずに居た。
放たれた光が収まった頃には、目が明順応しており、虚華は少女の衣服を見て、認識を再確認する。
寝起きでボサボサだった銀髪は綺麗に梳かされ、パンドラと同じ系統の黒い修道服を身に纏っている。パンドラが今も着ている拘束着や修道服にも見える戦闘服は、艶やかに改造されたせいか、扇状的な物だったが、少女のは一言で言えば重厚さが桁外れな印象だ。
胸部や関節部にはプレートのような金属片があしらわれている。顔も目元は赤黒い布で覆われている。肌の露出などは一切なく、パンドラとは対称的に見える。だが虚華が驚いたのはそこではなかった。
先程までは本当に子供──多めに見積もっても十歳がそこらだったのだが、今の彼女の姿は十五歳から十八歳のように見える。
(パンドラさんと同じで姿を変えられるのか。益々パンドラさんの仲間なのが分かる)
目元を隠していることで視界を奪われている筈の元少女は、虚華の方に顔を向ける。
「キヒ……そりゃあ着替えるには脱ぐでしょ……?」
「え!?あぁ……うん、そうですね……」
虚華が若干引き気味に元少女の方を見ていると、隠している目の下に凄まじい隈があることに気づく。それに口調だけではなく、元少女の周囲からも酷い陰鬱なオーラが放たれている。
虚華が助けを求めようと上を見上げると、パンドラが相変わらず旋回しているので、虚華は眉間に青筋を浮かべる。
「パンドラさん、彼女の紹介をお願いしていいですか?」
「ん?おおう、そうじゃな、流石に名乗っても居らぬのは良くない。これ、アラディア。此奴に挨拶せい」
アラディアと呼ばれた元少女──重厚な修道服を纏った女は引き笑いをしながら虚華を視界から外す。
「クヒヒ……、私はアラディア、『虚飾』のアラディア……てか、私やパンドラのこと知らないの?ケヘヘ……そんな奴がこの世界に居るなんて希少種過ぎ……。それにパンドラ見て怖がらないとか、ヤバ」
何故かアラディアから笑いながら罵られた虚華は『虚飾』という単語について思案する。
何処かで聞いたような気がするけど、何処で聞いたか思い出せない。きっと何処かで小耳に挟んだ程度の物だと思った虚華は思い出そうと考え込むが、パンドラが虚華に飛びついてきた。
「ま、まぁ。此奴はかなり変わっておるが、実力は一線級じゃ。信じて良い。して、こちらの幼娘を紹介しよう。こやつは……」
パンドラがぱちんと指を鳴らすと、虚華の周囲に光が放たれる。あまりの眩しさに虚華が目を瞑り、光が収まった頃には虚華の装いが、パンドラ指定のものに加え、アラディアも装着しているような布が目を覆っている。
虚華が自身の格好が変わったことに驚いていると、パンドラが意気揚々と、それでいて宿の一室ということも配慮した声量でアラディアに宣言した。
「此奴はヴァール。妾の直属の部下であり、秘書じゃ」
「部下であり……秘書……?」
虚華がパンドラの言葉を復唱すると、パンドラは虚華と肩を組む。パンドラは小さな声で虚華に耳打ちをする。
「妾の仲間に本名は知らせるべきでない。出来れば姿を晒したくなかったのじゃが、まさか同衾する仲じゃとは思わんかった。次回以降は事前に言うのじゃぞ、良いな?」
(良くなぁ嗚呼あ愛!!)
心の中で誰に対する不満なのかすら分からない叫びを上げた虚華は、穏便にヴァールとして、アラディアと挨拶をした。
意外と友好的なアラディアは、虚華と仲良くする気概はあるらしく、今回の同衾は仲良くなるためのものだったらしい。パンドラもそうだったが、彼女の知り合いも彼女も何かがずれているような気がする。
(それに、『虚飾』の二つ名も引っかかる……でも今は透をどうにかしなきゃ)
アラディアと少しだけ何気ない話をしていると、パンドラが手を叩いて音を鳴らす。
虚華がパンドラの方を向くと、いつにもなくパンドラの表情が真剣そのもののように見えた。
「ゆくぞ。二人共、覚悟は良いな?」
「キヒヒ……パンドラの呼び出しは気に食わなかったけど、ヴァールの為なら力、貸したげる……ケヒ」
「パンドラさん……アラディアさんに何したんですか……」
「良いから行くぞ!折角の本気顔が台無しじゃろうが!!」
ぐだぐだな感じを醸し出している三人は緊張感も一切感じられずに、黒い扉を潜る。
行く先は白雪の森──最奥部。夜桜透の居る場所へと三人は向かった。




