【Ⅴ】#4 臨との約束Ⅱ
──虚華が両親の死を知ったのは、臨達に連れ去られてから数日後のことだった。
あの日、虚華の家から虚華を連れ去った臨達は虚華を、同じ境遇にある子供用の家に住まわせることにした。
人と話すことが苦手な虚華をいきなり見知らぬ人間だらけの場所には放り込まず、臨や雪奈と同じ家に住まわせている。そうすれば、毎日顔を合わせるし、食事だって共にすることもある。
今の今までまともに同世代の子供と話すことが出来なかった虚華であったが、臨や雪奈だけは何も言わずに一緒に居てくれる上に会話だってしてくれた。こちらに笑顔だって向けるし、怒った顔だってしてくれる。
そんな臨達に虚華が返してやれるのは、此処数日で作ったぎこちない笑顔だけだったのに。
当たり前の反応、当たり前の態度が虚華にとってはとても嬉しいものだった。一人で居るときに頬をだらしなく緩ませるほどには虚華は二人に感謝していた。
(私なんかに構ってくれて、嬉しい。今まで誰にも笑ってもらったことなんて)
だから、虚華は両親の死に関しては何も思わないことにした。
元々、虚華の言葉にも定型文を返すだけの機械だった親だ。失っても辛いだけで済む。
泣いても仕方ない。怒ってもどうにもならない。この歳で虚華は既に分かっていたのだ。
──自分がどうこうした所で定められた運命を変えることなんて出来ないのだと。
泣きたくない、怒りを覚えたくない。そう思っていても虚華は所詮、一桁の年端も行かない少女。
臨や雪奈の前ではぎこちない笑顔を浮かべることが出来ても、一人自室に戻れば、声を殺して啜り泣く日々が何日も続いた。
普通ならば、五歳やそこらの子供には両親の死はぼかして伝えるのが普通だろう。例えば、何処か遠くに行って暫く会えない、とか、仕事が忙しくなって転勤してしまった、とか。
けれど、此処はディストピア。徹底管理された世界では転勤はおろか、不要な外出すらしない。
そのことを理解している虚華を騙せる言い訳など、存在しなかった。
感情を奪ってしまえば、反論も反抗もない。ただただ従順な木偶人形が自分達のためだけに働く。
そんな木偶人形を一体や二体殺した所で誰も騒がないし、文句も言わない。感情が残っている子供が一人や二人騒いだ所で管理局は感知せずに放置しておけばいいだけの話だ。
(何で、私のお父さんとお母さんが殺されなきゃならなかったの?)
運命を変えることは出来なくとも、せめて原因だけは知りたいと思った虚華は、次の日から涙を流すのを止めた。
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原因を探ろうにも、虚華は臨達に連れ去られた家と子供達が暮らしている寮、その周辺の敷地から出ることは原則禁じられていた。
虚華と雪奈、臨は三人で同じ家に暮らしているが、基本的に虚華のように連れ去られた子供は近くに聳え立つ寮で暮らしている。虚華が関われる人間も多くはない。雪奈と臨の他は、時々外で遊んでいるような子供が数人と食事を運んでくれる青年(と思われる、年齢不詳)位のものだ。
雪奈と臨には率直に聞いてみたけど、何も答えてくれなかった。雪奈は何も答えずに首を振るだけ。臨に至っては二度と聞かないでと釘を差してきた。
(となると、後は外の子達か、お兄さんのどっちかだけど……)
消極的な性格をしている虚華は外に出て、遊んでいる子供達に声を掛けて、自分の要件を話すなんてことは出来ない。同じ境遇の子が事情を知っているとは思えないと自分の心に言い訳し、食事を運んでくれる青年に標的を絞った。
ひとりでにうんうんと頷いた虚華は満足げな表情を浮かべ、昼間に半分残していたおやつを、もっもっと小さな口で黙々と食べ始めた。
何やら考え事をしたと思えば、目を輝かせやる気に満ち溢れた表情をしている挙動不審の虚華を、臨は少し離れた場所から横目で見ていた。最終的には何処からか取り出してきた食べ物を啄むように食べだしたのを確認すると顔を背ける。
紅茶を嗜みながら本を読んでいた雪奈に、臨はちょんちょんと肩を叩く。雪奈は本を読んだまま、臨の方に耳だけ向ける。
雪奈の少しだけ不機嫌そうな声色が聞こえてくると、自分の声を掛けるタイミングが間違っていたことを臨は悟る。
「なに?」
「虚……いや、結代か。結代が何かを企んでいる顔をしているんだけど」
臨が顎に手を置き、真剣そうな表情でそう雪奈に言うと、雪奈はぱんと本を閉じ、臨の方を向く。
臨の顔を見た雪奈は半目で臨を睨む。臨はしまったと思ったが、既に遅かった。
「読書、邪魔して話した内容が、それ?」
「う……済まない。邪魔して悪かったよ」
頭をポリポリと掻いた臨が謝罪したのを聞き届けた雪奈はふんと鼻息を鳴らすと、再び本の世界へと戻った。
嵐が去ったとホッとしていた臨に、雪奈が居る方向から声がした。
「気になるなら、自分で。別に知られたって良いでしょ?」
「まぁ……駄目ではないが……。悪用されると困るだろ?」
少し不貞腐れ気味の声を聞いた雪奈は本を読み進める手を止めぬまま、口を開く。
雪奈の淡々と話している口調からは、とても虚華のことなど興味は無さそうだ。
「あの子、さっき外を見てた。誰かと接触する気?」
「外?あぁ、親の感情喪失が原因で育児放棄されて保護された奴らか。あいつらに興味でもあるのか?」
「さぁ。あたしは虚以外、興味無い」
「……そうか。まぁ、しっかり守ってあげなよ。あのお姫様」
「ん」
臨の方は一切見ないが、虚華のことを一瞥した雪奈は力強く頷く。
その間も本をしっかり読み進めてる雪奈に臨はツッコミを入れずに、一人でうんうんと頷いている虚華の方を見る。
普段の虚華はオドオドとして、なんだか頼りない感じだが、何かを覚悟した虚華は“いつも”あんな顔をしている。
その顔を間近で見ることが出来ない臨は、悔しそうな表情で奥歯を噛み締める。
「どうして……ボクが居ながら……」
隣りにいる雪奈にすら聞こえないような小さな声で、臨は自らを責め、嘆き悲しんだ。
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覚悟を決めた虚華は時を待った。一度、臨達が居る時に給仕の青年に話し掛けようとしたら、あまりに話すのが下手で臨に話を遮られてしまったのだ。
雪奈は何も言わずに読書をしていたから放置していても問題はないが、問題は黒咲臨だ。何の理由があるのかは知らないが、何度も虚華の行く手を阻んでくる。
(私が知るとなにか不味いのかな。毎回毎回話を遮られちゃうと、何で私が此処に閉じ込められているのか分からないのに)
それから少しの時が流れた時だった。毎回給仕の際に青年に話し掛けても、臨に邪魔される。
それならばと、虚華は給仕の青年に手紙を一筆認めた。内容は夕方の五時──数少ない臨が家から出ている時間帯だ。この時間におやつを持ってきて欲しいからという嘘をついた。
極力怪しまれない内容を考えた結果、虚華にはこれくらいしか思いつかなかった。
(来てくれると良いけど。ついでにおやつがあると尚ぐっど)
夕方になり、臨はいつものように家を出て行った。雪奈は相変わらず退屈そうに読書をしている。こちらのことを一切見ずにただ読書をしていて楽しいのかなと思うこともあったが、やはり声を掛ける勇気はない。
給仕の青年が来るかで気が気でなかった虚華は傍目から見てもソワソワしていた。椅子に座っていれば貧乏ゆすり、窓の外を見たと思えば、直ぐに家の中をうろちょろとしている。
「ねぇ」
「ひゃ、ひゃい!?」
その虚華の態度が気になったのか、普段なら虚華のことを意にも介さずに読書をしている雪奈が声を掛けてきた。急に声を掛けられた虚華は毅然とした態度で返事をしようとしたが、どうしても声が裏返る。
機械人形のようにぎこちない動きで声の方を向くと、雪奈は本を閉じてこちらをじっと見ている。
「な、なんでしょうか」
「キミ、何か企んでる」
雪奈にいきなり核心を突かれたと思った虚華は、全身から冷や汗が吹き出す感覚に襲われる。顔は真っ青になり、奥歯がガチガチと音を鳴らしている。
ただそれでも“真実”を知りたかった虚華は、一つ深呼吸をして心を落ち着かせ、雪奈を見る。
「そ、それが何か?」
「……別に。あたしはキミが何しても、本を読んでる。逃げたいなら、止めない」
「え……」
自分の言いたいことを言い終えたのか、再度雪奈は本の世界へと意識を集中させていた。
雪奈の言葉の意味を考え込んでいると、扉を叩く音が聞こえる。虚華が扉の方へと向かい、扉を開くとそこには給仕の青年が来ていた。
虚華の手紙を読んだ青年は、どうやら約束通りおやつを持ってきてくれたようだった。
「やぁ虚華ちゃん。本当は駄目なんだよ?おやつなんて食べてちゃ、せっかくの可愛い顔が丸くなっちゃう。黒咲くんには内緒だよ?」
「あ、ありがとう……あ、あの!聞きたいことがあるんですけど」
「ん?なんだい?このおやつ見たことなかった?」
虚華の為に持ってきたお菓子の説明を求めているのだと誤解していた青年は、おやつの説明をしようとしたが、虚華は首を横に振ったのを見て、口を閉ざす。
虚華の反応を見た青年は少し顔を曇らせ、首を傾げた。じゃあ何を聞きたいのかと言いたいのだろう。
拳をぐっと握り、虚華は覚悟を決めた顔で青年の顔を見る。青年の顔にはこちらを疑う様子はない。
(そくせんそっけつ、しなきゃ。いつ彼が帰ってくるかわからない)
「あの、私ってなんで此処に連れてこられたんですか?」
「え?あはは、それはちょっと答えられないかな」
青年の声が露骨に上擦る。視線も泳いでいる上に暑くもないのに汗をかき出した。
誰が見ても彼が何かを隠していることが分かる。勿論、虚華も彼が嘘を言ったことを分かっている。
彼から情報を得ることしか考えていない虚華は、普段とは大違いの冷静さで青年に言葉を繰り返す。
──自身の言葉に願い、魔力を込めて言葉にすることがどういう事かを知らずに。
「真なる言を述べよ《何で此処に連れてこられたか教えて下さい》」
虚華がそう言葉にした途端、青年の様子がおかしくなった。瞳の色が変わり、先程まで顔に貼り付けていた焦燥感は消え去り、表情が消え去った。まるで感情を失った大人達のようになった青年から、虚華は少しだけ距離を置く。
何が起きたのか分からない虚華は、じっと青年の方を見る。抜け殻のようになった青年は虚華を瞳に映すと、口を開く。
(え……どういう事?)
青年の口から語られたことは、虚華にはにわかに信じられない内容だった。
自身の言葉に現実を歪める力があること、その力を中央管理局が狙っていること、その力を保護するために澄んでいる家から連れ出したこと、その結果が両親の死というもの。
全ての話を青年の口から聞き終えた虚華は、声を出さずに大粒の涙が流れ落ちた。
膝から崩れ落ちた虚華のことなど意に介さずに青年は家から離れていき、家の中には雪奈と虚華の二人きりだった。
玄関付近で泣いている虚華を、雪奈は何も言わずに抱き締めた。普段の虚華なら、拒否反応を示すところだが、何も言わずに人肌の温もりを享受しながら盛大に泣いた。
(私のせいで、お父さんとお母さんが死んだ?現実を歪める力が私に?)
頭を撫で、ただただ泣いている虚華の傍に居た雪奈は、虚華の事をじっと見つめている。
二人は、臨が帰ってきてブチ切れるまでずっとこのままだった。その時ばかりは悠久の時があるのなら、今この時を切り取って欲しいと虚華は願っていた程、安らぎを感じていた。
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この後、臨からすべての事情を話され、最後に「仲間に“嘘”を使うな」と釘を差された。
臨からの初めての約束は、「自分や仲間に嘘を使うな、自分や仲間のために嘘を使え」だった。いつかはこうなる日が来るものだと思っていたが後にも早いとは思っていなかったらしく、この歳で既に苦労人のようになっている臨のことが少しだけ面白いと思った虚華は、微笑程度であったが、笑顔を浮かべた。
雪奈もお説教を受けていたが、全く気にする素振りもなく、お説教中も読書をしていたせいで、虚華そっちのけで大喧嘩をしていた二人であった。
虚華は若干顔を引き攣らせていたが、この二人なら信頼しても良いのかもしれないと思い始めた。