【Ⅴ】#2 守る為に、禁を破る
昨晩の約束──パンドラとの契約には条件があった。
一つは虚華とパンドラ以外の同行者を認めないこと。例外としてパンドラの仲間ならOKらしい。
もう一つはパンドラと行動を共にする際は、パンドラの用意した衣服を着用すること。
その二つの条件に特に疑問を抱かなかった虚華は、衣服を手渡された時に全身が固まった。
(パンドラさんみたいな格好だと思ったけど、割と普通だしちょっとかっこいいかも)
パンドラは聖女──シスターが着用しているような黒い修道服を艶やかに改造したものを着ている。
その着こなしはとても聖職者には見えず、部分部分から見える肌色は扇状的と言っても良い。
そんな格好をさせられるものだと覚悟していたが、どうやらそれは違ったらしい。手渡された衣服を広げると、ベースは黒い修道服ではあるが、戦闘用に特化された動きやすさ重視のデザインの物だった。パンドラと同じ拘束着のような部分もあるが、あくまで飾りだけ。足を全て隠すほどの長いスカートも、太股の付け根まで伸びている深いスリットのお陰でそこまで苦にならない。
この格好をして、パンドラと二人で透と対峙する。その準備のために虚華は報告会の席に着く。
(こうなるんだったら、報告するなんて言わなきゃ良かった……“嘘”を使うのは覚悟しなきゃ)
虚華が“嘘”を使う際に一番の障害であった臨は現在行方不明だ。そちらはギルド全体で捜索して貰いたいが、透のことは触れて欲しくない。ましてやギルドに感知されると、パンドラと二人で白雪の森へ行くことすら困難になる。
持っていきたい方向はこうだ。今回の集まりは臨の捜索と、象牙渓谷の探索、その際に不穏な存在が現れる可能性が高いので、数人の精鋭を連れて探索をして欲しい。そういう方向に全体の流れをシフトさせたい。
(今回の集まりの人数は六人。私を除けば五人。この五人相手に永続効果の“嘘”を使うのは厳しい)
だからこそ、パンドラと行動するのもこの会議が終わってから、なるべく早くが良い。そうしなければ、自身が現実を歪めたことがバレて、雪奈に問い詰められる。それは避けたい。その口論から自身の能力が顕になってしまえば問題が起きるかも知れない。
今回の作戦に味方は居ない。雪奈や楓も含めて全員を騙す必要がある。
誰も来ないような場所でひとりでに深呼吸を繰り返し、精神統一など、様々な手段を講じてからこの報告会に臨んでいるのだ。
──全ては皆の為に、臨を救う為に、透を救う為に、皆を傷つけない為に。
その為に虚華は仲間の誰にも相談せずに一人でパンドラと契約を交わした。
彼女が信頼できる友人だと心から信じて。一切の疑いもなく、約束を取り付けた。
(今は目の前のことに集中しなきゃ)
虚華が席に着くと、雪奈が右隣にぽすんと座り、楓が左隣に少し無作法な座り方をする。
雪奈がじろりと楓を睨むと、楓も睨み返している。何故か既に一触触発な状況に虚華は、今すぐにでも帰りたいと心の中で弱音を吐いていた。
そんな中、残り二つの席にイドルとセエレ、朝が弱いせいか眠たげな「エラー」が着席し、六人の席が全て埋まった。
「おまた〜。今回は白雪の森で何かあったんだって?流石に重傷負ってるしのちゃんには聞けないから、他の五人に話聞こうかなって思うわけだけど、良い感じ?」
「別にいいけどさ〜。口調崩し過ぎじゃない?「エラー」ちゃんもそう思わない?」
「彼女の性格的に無理ですから、今更気にしてません。話を進めましょう」
「エラー」の思わぬ反応から、肩を落とすイドルを無視して、「エラー」が話を切り出した。
他の二人は何も言わずに睨み合っているので、今は放っておいて良いだろう。
誰も話さずに互いを見合う時間が少しあったが、その時間が無駄だと感じたのか、セエレが虚華の方を見る。
「ホロウちゃん。簡潔でいいから話、聞かせてくれない?」
「はい、実は……」
この場でもパンドラと同じ様な内容を本当に簡潔だが話した。ただ、今回の目的は白雪の森に自分達以外を近づけさせないことと、臨の捜索にこのメンバーを割かせる事だ。だから臨のことが心配なことを少しだけ強調して話すとセエレが少し涙ぐんでいた。
「ホロウちゃんの心配もマジ分かるわ……大切な仲間が行方不明だとちょー心配だもんね。じゃあホロウちゃんはこれから象牙渓谷にブルームくんを探しに行きたい感じ?その夜桜って子はうちらの方で依頼書出しとこうかなって思うけど、そんな感じでいいんよね?」
何処からか出したハンカチで涙を拭いながら、鼻声でセエレが虚華に聞いてきた。
臨のことは確かに心配だが、虚華自身が探しに行くつもりはなかった。それよりも今は放っておけない人物がいるからだ。そいつを野放しにしていたらきっと自分の仲間が全滅する。
しかもそいつの目的は虚華自身だ。他の者は皆殺しにする気満々だ。きっとギルドの人間も対策できる者以外は即死を免れないだろう。無辜の人無為にを死なせたくはない。
セエレの質問に虚華が俯くと楓が虚華の肩をバンッと叩く。じんじんする肩を見ると、楓が虚華の肩に手を置いたまま、ギラついた目を虚華に向けている。
自虐している所に他者からの攻撃をされた虚華はふええぇと涙を目に浮かべると、楓はそんなに痛かったか?と小声で虚華の耳元で囁く。
「痛いよぉ……なに?楓」
「え、あ、いや……お前はノワールを探しに象牙渓谷に行きたい……のか?」
なんでそんな事を自分に聞いてきたかを虚華はひとりでに考えるが、理由が思いつかない。
普段は物事をはっきりと断言する質の楓にしては随分と言葉の歯切れが悪い。表情もいつもより沈んでいるように見える。そんな楓の顔を見たのは初めてだっただけに、虚華は少しだけ戸惑ってしまう。
どうしてそんな事を聞くんだろうと、裏表のない発言を普段からしている楓の発言から考えると、シンプルな質問なのだろう。でも“嘘”が混じっているかの証明が出来ない今、彼の言葉の真偽が分からない。
──臨が居ないから誰も信じられないんだ。相手を信用することが出来ない。
でも今、この場に臨は居ない。虚華は俯き気味に周囲をちらっと見る。
雪奈は何も言わずに楓の方を睨んでいるし、楓は虚華の方を向いて返事を待っている。
「エラー」は朝が弱く、未だにぼんやりとしているし、セエレは不思議そうな顔で見ている。
自分の答えを捻り出そうとしていた虚華は、何も言わずに俯いていた。そんな虚華の姿に痺れを切らしたのか、楓が答えを催促しようとしていたが、虚華はその前に口を開いた。
「探しに行きたいよ、私も。でも私は先にやらなきゃいけないことがあるの。だから象牙渓谷には楓、「エラー」、クリム、イドルさんの四人で向かって欲しい」
そんな自分だけは別の場所へ行くといった宣言を聞いた四人は、首を虚華の方へと向けた。
未だに目を擦りながらぼんやりとしていた「エラー」は手を上げ、セエレがどうぞと言う。
「私達を象牙渓谷に行かせて、リーダーは何処に行くんですかぁ?」
キリッとした発言ではなく、夢現なのか語尾が伸びている「エラー」に虚華は目を伏せる。
全員の視線が全部こちらに来ていて耐えられないというのもあったが、それ以上に何故か彼女の目を見ることが出来なかった。
「ちょっとね。行く所があってさ。それが終わったら私も合流するから」
「夜桜透のトコ、行くんだよね?」
「え……」
虚華が言い終えると同時に、雪奈が言葉を重ねてくる。きっと答えを聞く前から雪奈の中で答えが出ていたのだろう。実際大正解だ。虚華は一人で白雪の森へと行こうとしていたのだから。
ぎこちない動きで首を雪奈の方へと向けると、先程まで楓を睨んでいたはずの雪奈は、じぃっと虚華の瞳を見つめる。
まるで虚華の考えを見透かそうとしている気がして、虚華は無意識に雪奈を視線から外した。
視線を逸らされた時に見せた雪奈の悲しそうな顔を浮かべるも、虚華は既に俯いていた。
(やっぱり雪奈にはお見通しだよね。私がもっと口が上手ければどうにか出来たのかな)
今までこういう言葉でのやり取りは臨が担当していた。
虚華には任せられないからと言われて。
それをずっと感謝もせずに臨の背中に隠れてただただ黙って見ていた。
リーダーなんて役職を渡されていたのに、自分は何もせずに仲間に守られていただけ。
虚華は目の前の惨状を見直す。仲間からは怪訝な視線を向けられ、報告会の主もどうするか考え込んでいるようだ。
何とか状況説明だけは出来たけど、これではパンドラとの約束が果たせない。
パンドラと二人で勝てる相手とも思っていないが、触れれば即死の歯車を連射する透と戦わせたくはない。
(臨ならきっと言葉で丸め込めたんだろうな。私、本当に何にも出来ないや)
自身の情けなさに呆れを通り越して怒りまで感じてきた虚華は、自分の腰をぽすっと音もなく拳で叩くとポケットに何か入っていることに気づいた。
取り出してみると、効果の発揮しなかった雪奈お手製の大脱出ボタンだった。普段ならいつでもどこでもその場からの離脱+指定の場所へと戻れるのだが、何故かあの時は使えなかったという残念な代物だ。
何の役にも立たないなと、ポケットに戻そうとしたのだが、虚華はふと思いついた。
(これと自分の“嘘”を組み合わせれば、もしかしたら単独行動できるかも)
いつも見ていた臨のようには出来なくとも、自分には自分なりの手段でやってみせる。
そう心に決めた虚華は自分のポケットにあったボタンを握り締めて、前を向く。
雪奈の質問に答えるべく、雪奈の顔を見ると複雑そうな顔をしているけど、もう止まらない。
『いつだって、やるって決めたら止まらないのが虚のいい所だからな』
この場に居ない臨がそう言った気がして、少しだけ気が晴れたような顔をする。
「うん。やっぱクリムにはお見通しだよね、私一人で透の所に行くよ」
「なんでですか!?私だって行きますよ!?非人を殺すのが私の使命だって言ったじゃないですか!忘れてしまったんですか!?リーダー!!」
自身の感情を虚華にぶつけようとしてか「エラー」はバンと机を強く叩き、立ち上がる。
透の数少ない友人の一人であり、学園に居た頃からの知り合いだった“虚華”はこの場で一番彼のことを討伐したがっている討伐推奨派だ。
怒りからか、「エラー」の顔は真っ赤になっている上に息も荒くなっている。時刻が午前中ということもあって、幾分かマシなのだが、それでも彼女の怒りの炎は燃え上がっている。
いつもならばごめんなさいとこちらが折れて終わるのだが、今回の虚華は一切引く気がない。
虚華は椅子に座り直し、怒りで我を忘れつつある「エラー」を冷ややかな目で睥睨する。
「非人を倒すのは好きにしたら良いよ。でも貴方には彼に勝てない。ここに居る全員が束になって掛かっても無理。だからあの場で攻撃されなかった私が交渉してくる。透なら臨の居場所も知ってるかも知れないし。これは私にしか出来ないことなの。賢い「エラー」なら分かってくれるよね?」
「くっ……イドルさん、そうなんですか?私達五人でも歯が立たないんですか?」
怒りを収めて、冷静さを取り戻した「エラー」はイドルにそう聞いたが、イドルは返事はしなかった。いつもニコニコしているイドルではあったが、この場では一切その顔を見せていなかった。
何も言わないイドルに近づき、「エラー」は肩を揺さぶる。ねぇどうなんですか!と狭い一室の中で「エラー」の声だけが響く。
口元を強く噤んでいたイドルは、「エラー」の攻めに屈したのか、ため息を付いて渋々口を開く。
「無理だろうね。彼は自身の身体にヰデルをぶっ刺したんでしょう?その手の非人は自身の身体を異形化させる上にかなり危険な存在になる。普通の人間が心臓にヰデルなんて刺したら普通即死だよ?相当の覚悟があったか、何かしらの確信がないとそんな事絶対しないからね。そんな彼がホロウちゃん以外は出逢えば殺すって言ってるんだから、ホロウちゃんが出張るってのは間違ってない。でもホロウちゃん、一人で行って、逃げる手段はあるの?」
意外にもイドルは虚華が一人で透の元へ向かうことに肯定的だった。イドルは逃げる手段さえあるなら、自分は一人で行かせても何の問題もない──それしか方法がないとも言った。
手元には使い物にならない大脱出ボタンが一つ。“嘘”を付くなら、ここしか無いだろう。
虚華は拳をぐっと握り締め、ポケットから取り出したボタンを皆に見せる。
雪奈は、虚華の取り出したものに見覚えがあるのか、じぃっとボタンを見つめている。
臨がいつもやるような手の動きなどを交えながら、虚華は力を振り絞って、全員の方を向いて真剣そうな表情を作り出す。
『仲間に“嘘”を使うな。その一言がすべてを壊す可能性だってある』
だから、その力を無闇矢鱈に使うなと、臨は昔から虚華に言い聞かせていた。
(ごめん、臨。約束……破っちゃうけど、仲間の為なのは変わらないから……!)
虚華がゆっくり顔を上げると「エラー」が怪訝そうな顔でボタンを取り上げる。
少しだけボタンを検分すると、呆れたと小声で呟いて「エラー」が半目で机の上に置く。
「これ、さっき使えなかった奴じゃないですか。これでどうやって逃げるんですか?……やっぱり私も行きます。リーダー一人にあんな化け物任せてられません」
「さっきは不具合があったけどね、さっき試しに使ったら使えたんだ。だから大丈夫だよ」
「エラー」は机に置いた大脱出ボタンを再び手で掴み、ボタンをカチカチと押すも、特に反応はない。
やっぱりねと言わんばかりに「エラー」によってぽいっと捨てられたボタンを、虚華は拾い、捨てた「エラー」を敢えて可哀想な目で見返す。
「エラー」は非人が絡むと性格が一気に激しいものへと変わる。それは自身を含めた対応などもガラッと変わるのだ。
普段なら涼しい顔で反論してくるのだが、激情中の「エラー」は単調で分かりやすくなる。
だからこそ、彼女が虚華の胸倉を掴んでくることは容易に想像がついた。
ズカズカと大股開いてこちらへと向かってきた「エラー」は虚華の胸ぐらを掴み、地面から足が離れる程度には虚華を持ち上げ、怒りの表情を顕にする。
「なんですかその目は。そんな目で私を見ないで下さいッ!!」
「お、おい「エラー」辞めろって、ホロウを殴ってもどうにもならないだろ」
楓の静止を受けた「エラー」は掴んでいた服の裾を離し、楓の方を向いて展開式槍斧を展開しようとする。
それを止めようとしたセエレ、イドルも近寄って「エラー」をなんとかしようと抑える。
その御蔭で全員が“一つの嘘”の効果範囲に入ってくれた。これなら、虚華が“嘘”を使える。
機を逃すまいと、虚華は「エラー!」と半ば怒りに我を忘れている「エラー」に声を掛け、ボタンを見せつける。
「エラー」だけでなく、その場に居た全員が虚華の持っているボタンに視線を向けた。
好機だと感じた虚華は人差し指を唇に添えて、自身の放つ言葉に現実を捻じ曲げんとする意思を込める。
「我が扱うこの道具は、我以外には扱えぬ物也。故に、皆の者は我が仲間を探す以外に道はなし(このボタンは私が使えば、脱出に使うことが出来る。だから、皆は安心して臨を捜索して)」
虚華の現実改変能力──“嘘”が正常に作用したのか、虚華は立ちくらみのような感覚に襲われる。恐らく代償として支払った魔力が多かった為に、一時的に魔力欠乏の症状に襲われたのだろう。
目の前で槍斧を展開して楓を粛清しようとまでしていた「エラー」はすっかり落ち着きを取り戻し、虚華の言い分を理解したようだった。その他のメンツも特に何も言うことはせずに虚華一人だけで透の元へと向かうことを了承してくれた。
雪奈は特に何も言うことはなかったが、いつも通りにじぃっとこちらを睨んだ後に頭を差し出し、虚華に撫でさせた。
その他の人物達も、虚華が一人で白雪の森へと向かうことが最善だと思い込んで話を進めていく。もうここからは自分が特別何かをしなくても、トントン拍子に話が進んでいくんだろうなと、虚華は窓の外を景色を見ながら、会議の話を流し聞きしていた。
(どうやら上手く行ったみたい。これで作戦の第一段階は完了……かな)
「エラー」の暴走が収まったことから、全員が再度席に戻り、話を再開させる。
結果として、虚華一人で白雪の森へと赴くことを許され、その他のメンツは象牙渓谷に向かうこととなった。
雪奈や楓の提案で他の護衛を連れて行くことを検討されたが、どちらにせよ殺されるのなら自分とパンドラだけでいいと思っていた虚華は丁重にお断りした。
──自分の成すべきことは成した。でもなんでこんなに罪悪感に苛まれているんだろう。
自分の中に既に答えはある。臨の約束を破って雪奈にまで“嘘”を使ったからだ。
でも、それでも、仲間を死なせたくない。あんな化け物と対峙してはきっと全滅する。そう確信していた虚華は此処には居ない臨の身を案じながら、臨に心からの謝罪をしていた。
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会議を終えた後、一人になった虚華は空を見上げる。
空は青く澄み渡っていて、雲は風に流されている。蒸気機関の蒸気で空が曇りやすいこの街で、空が此処まで青く澄んでいるのは、珍しい物だった。
虚華は代償として大量に失った魔力を回復させようと自室に戻り、ベッドへと飛び込んだ。
(絶対に助けてみせる……。でもそのためには透を……)
虚華が意識を闇に落とすまでの数刻の間に考えていたのは透と臨の事だった。