【Ⅰ】#4 鈍色に嫌悪感を、白色に愛を
虚華が、この不思議な場所で初めて出会った人間は、数時間前に死んだはずだった透だった。
衣服や、装備は生前着ていたものと全然違う。けれど、鈍色のマッシュに少しだけ疲れたような顔つきは間違いなく透だった。
それに、目の前の少年は、自分の事を虚華だと知っている。ならば、彼は間違いなく夜桜透だろう。
あまりに驚いたせいで虚華は尻餅をついていたが、そんな虚華に透は近づいてきて手を差し伸べている。
少しだけ眉を下げて、はははと笑う透は奇妙な違和感を抱かせるが、その違和感が何なのかは分からない。
「なんでこんな場所に一人でいるんだい?此処は魔物が居て危険だ。まぁ……君なら問題ないとは思うけどさ?もし一人だったら僕が送るよ」
死んだはずの透が、笑顔で虚華に手を差し伸べる。触れる事自体が怖かった虚華は手を借りずに自分で立ち上がる。
先程までの虚華の感情の大部分を占めていた好奇心や楽しい気持ち等は全て掻き消えた。
此処が危険な場所かもしれないといった警戒心と、死んだ少年が目の前に現れた恐怖心。
この二つが虚華の表情から、身体の動きまでも支配してしまっている。
(一体どういう事……?一体此処は何処なの……?)
撃ち抜かれたはずの心臓部分は革製の防具で守られており、臨に砕かれたはずの頭部は何事も無かったかのように、虚華に笑顔を見せている。
同じ顔に同じ声、同じ背丈で同じ呼び方で虚華に、心配そうに声を掛ける彼の姿は、虚華からすれば死者があの世へと手招きしているようにしか見えないだろう。
透の文言に何も言わずに立ち尽くしている虚華を怪訝に思った透は、虚華の肩に触れようとする。
「大丈夫?もしかして誰かに撃たれたとか?でも怪我はないし……。ねぇ……」
「……!?触らないでっ」
冷静さを欠いた虚華は、透が触ろうとした瞬間にバックステップで距離を取る。
『もし、自分に危険が迫っていたと【本能】で感じたら直ぐに逃げなさい』
そんな事を虚華に言い残した仲間が過去に居た。その仲間は【本能】に従い、死んでしまったけれど。
(どうせ死者が蘇って、私の前に現れるのなら、あの子の方が良かったのに)
虚華は、昔死んでしまった仲間のことを偲ぶと、少しだけ顔に悲しさを滲ませたが、直ぐに警戒心を引き上げる。
距離を離した虚華は、警戒心を顕にした顔を透に見せていたせいか、透は眉を下げて困り顔を見せる。
「あはは、酷いなぁ。僕、何か悪いことをしたのかなぁ?」
「ご、ご、ごめん。透は悪くないよ。そんな事よりも、君はどうして此処に?」
「ん?あぁ……ちょっと野暮用でね。それよりも一人かい?普段なら黒咲と居るのに珍しいね?」
普段の透から感じる後味の悪い甘い話し方は幾分か薄れ、さらっとした話し口で透は虚華と話す。
さり気なく虚華の質問も躱されたが、普段の透なら割と正直に話していたから、そこが少し引っかかる。
どうにも頭に話が入ってこない。彼が何を言っているのかは、聞こえてくるのに、理解するのに膨大な時間がかかる。
(こんなにも怖いんだ。自分の理解の及ばない状況に直面することが)
虚華の全身の毛は逆立ち、頭の中では逃げろという単語が延々と鳴り響いている。
でも足が竦んで動けない。立っているだけで精一杯だった。虚華がちらりと透の顔を見ると、透は虚華の目を見て笑い返す。
(あれ?私の知ってる透と違う場所が何個かある)
虚華は、一瞬だけ見た透の顔を見た際に、気になった部分が一つだけ見つかった。
地獄──私達の知る死んだ透の瞳の色はギラついた灰色だったが、目の前の透は黒色だった。
それに、身振り手振りが妙に多い気もする。あんまり視界に入れてなかったから、生前がどうだったかの自信はあんまりないけれど。
虚華達が逃げ続けていた場所、絶望の地獄、名前がないのは不便だからディストピアと呼称しよう。
その世界の人間は一部例外を除いて《感情を奪われている》せいで、先程のような笑顔や悲しそうな表情などは一切顔に出すことはない。
生前の透の感情が徐々に薄れていっていることを会う度に痛感していて、虚華は透の顔を見るのも辛かった。
けれど、目の前の透は、まるでそんな気配がない。笑っている顔も、悲しそうな顔も、自然に作れている。
考えれば考える程に、虚華の知っている透とは違って見える場所が増えてくる。
(此処に居る透は、本来奪われた筈の物を全て持っている。そんな感じなのかな?)
脳内の警鐘を無視して、虚華は首を傾げてこちらを見ている透に恐る恐る声を掛ける。
「ね、ねぇ透?」
「わぁ……僕の事を透って呼んでくれたのは初めてじゃない?普段なら、夜桜さん呼びなのに。なになにどうしたの?僕が出来ることなら何でもするよ!?」
「透のその目……それは裸眼……なの?」
虚華が透のことを名前呼びしたせいか、透は目を輝かせながらグイグイと近寄って虚華の質問に耳を傾けたが、想定していた質問と違ったのか、肩を落として露骨に落ち込む。
その後、透は少しだけ虚華のことを怪しむように見つめるも、目の前の虚華が自分のよく知る普段の虚華だと判断したのだろう、直ぐに笑顔に戻して応える。
「身体に何か施した記憶はないし、昔から黒だったはずだけど。それがどうしたの?」
やっぱり此処はディストピアとは何かが違う。そもそも目の前にいる透が居る時点でおかしいのだが。
透は自分の目が昔から黒い瞳だったと言っているが、虚華は違った答えしか知らない。
それに嘘をついているようにも見えない。怪訝そうな表情でこちらを見ているが、それは仕方ない。
虚華が知っている透は、透の瞳は……《数年前から徐々に黒色から灰色へと変色している》のだから。
(一回引き上げて、二人と相談しなきゃ。私一人じゃもう頭が爆発しそう)
理解できないことを理解しようとすることは脳に膨大な負担が掛かる。
今虚華がやるべきことは、この場からの脱出と、ディストピアへの帰還だ。
まずは目の前の透をどうにかしなきゃならない。この際、やむを得ない。
(“嘘”使わなきゃいけないかもなぁ。まぁ……私の知る透は死んでるし、大丈夫でしょ)
心の中で、一人覚悟を決めた虚華は、右手を固く握る。よしっと意気込んでいると、透が虚華の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?なんか様子が変だけど。なんで僕の目を気にしたの?」
「え!?あぁ、大丈夫だよ!えっとね、透の目が綺麗だなぁって思っちゃって、つい聞いちゃった」
「やっと黒咲から僕に乗り換えてくれるんだね!?嬉しいよ!」
目が綺麗だと褒めたらどうしてそうなるんだろうと虚華は思いながら、半目で透を見る。
それに、臨から乗り換えるという言葉が出たということは、この透は自分が臨と付き合っているのだと思っているらしい。
意味の分からない事を呟きながら、独りでにトリップしている透を無視して虚華は自己暗示を掛ける。
落ち着け私、落ち着かなきゃこの空気に呑まれる。冷静に、冷静にならなきゃ。
彼は、私のことを知っている。だからこの時点で彼は、透であることを何者にも否定されない。
彼は、臨のことを知っている。だからこの時点で彼は、彼の中に住まう私達と知り合いである。
動揺を飲み込み、警鐘を響かせる心を殺して考えた虚華は、一つの結論を導き出す。
常識的に考えれば、彼は透と同じ顔で、一定の共通した記憶を持っているだけの別人。
(それなら辻褄は合う。答えがどうであれ、私の知っている透は既に死んでいる)
その事実を指し示す証拠品は、虚華の手の中で秒針を刻んでいる。
ある程度のトリップが終わったのか、息を荒くした透が、虚華の方へと一歩近寄る。
「それで虚華ちゃんはこれからどうするの?良かったら一緒にジアまで戻ってご飯でも行かない?最近いいお店見つけたんだよね」
「えっ?あー……ちょっと用事があるし、また今度ね?」
グイグイとくる透を再度トリップさせるために、虚華は昔何処かの本で読んだ、男を落とす仕草の欄に書いてあった上目遣いでウインクをしてみると透はフリーズした。
完全に止まられると逆に心配になってしまった虚華は、透の目の前で手を数回振ってみたが、反応がない。
(もしかして死んだ?落とすってまさか意識を落とす術だったのかな……)
恋愛などに大変疎かった虚華は、透がフリーズしているのが、自分のした行為が意識を落とす術だと勘違いした。
けれど、別に死んでないことを確認すると、ふぅっと息を吐く。
無力化出来たのならば、今のうちに逃げようと自分の来た方へ向くと、背後から抱き着かれる。
振り向くと目がハートマークになっている透が抱き着いており、虚華はきゃああと声を出してしまう。
「そんな事をされたら男はもう黙ってられないよ」
透は完全に暴走しており、荒くなった吐息と共に、甘い言葉を虚華の耳元で囁き出した。
何がなんだか分からない虚華は、先程までは躊躇っていた“嘘”も一切躊躇わずに左手を口元に添えて、奥の手を使わんと口を開く。
「汝、我に近づくこと能わず!!!《私から離れろこの変態!!!》」
「え、何……うわぁああああ!」
虚華が言葉に魔力を込めて、無理矢理引っ付いていた透を、思いっきり力を込めて吹き飛ばす。
木に頭を思い切りぶつけた透は何が起きたのか理解できなかったのか「なんで……」とだけ言い残して、意識を手放した。
ふーっふーっと威嚇する猫のようになっていた虚華は、透が意識を手放しているのを見て、自分がやりすぎたことに気づいて、透の元に駆け寄る。
「意識を失ってるだけみたい……。後は私とあった事を忘れてもらわなきゃ……えーと」
虚華は再度右手を唇へと添えて、そっと透に耳打ちをする。
「汝、我との邂逅を思い出すこと能わず。並びに身の傷などは泡沫に消える《記憶は改竄され、怪我は綺麗に治る》」
虚華がそう言葉にした瞬間には、魘されるように気を失っていた透は、安らかに眠ったような顔になり、頭を打った際に出来たたんこぶは綺麗サッパリ消えていた。
(これでよし。ちょっとふらつくけど大丈夫でしょ。帰らなきゃ)
透の方を見て、虚華はあっかんべーをしてから、直ぐに振り向いて歩きだした。
虚華は自身の発動した奇跡の代償で少しふらつきながらも、先程通った獣道を戻っていく。
目指す先は、自分が気づいたら居た場所──ログハウスだ。
虚華は先程まで楽しんでいた金木犀の香りなどを一身に受けながら、ログハウスへと駆け抜けていった。
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今のが虚華にしか使えない奥の手──“嘘”だ。詳しいことは自分でもあまり分かっていないけど、虚華の言葉は魔力を込めて、口元に人差し指を添えて放つと、自身の言った言葉が現実に干渉して歪めることが出来る。
虚華の放つ“嘘”からは一人を除いて誰も逃れることは出来ない。それは生物であろうと、無機物であろうとも。
例えば、虚華の持つ愛銃に、「放つ弾丸、心の臓外すこと能わず《撃った弾丸は心臓に必ず当たる》」と言えば、実際に虚華がどの方向で撃とうとも、必ず相手の心臓に弾丸が食い込む。
その代償として、相手を傷つけた場合は、虚華にもその痛みが降り注ぐ。そういった物がない場合は、自身の消費した魔力だけだったり、歪めた現実の度合いによって何かしらの影響を受けることがある。
この奥の手は安易には使えない。代償が重い場合は命を落とす可能性だってあるからだ。
それでも使う必要がある場合は、効果の内容や、持続時間、範囲などを極力狭めて、現実を捻じ曲げる範囲を小さくする。そうすれば、支払う代償も少なくなる。
(そうでもしないと、身が持たない。さっきの“嘘”も、頭を打った衝撃が私にも来てるし)
虚華は、この力を中央管理局に注目され、数年もの間、追い回されていた。きっと自分の現実改変の力を悪用することで都合の良い世界を作るつもりなのだろう。
(そんなの、ゴメンだよ)
失った仲間のためにも、虚華は自身とこの現実改変能力を手放すわけには行かなかった。
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強烈な頭痛が虚華を襲うが、それでも鬱蒼な森を息を切らしながら進んでいくと、何とかログハウスまで辿り着くことが出来た。
日頃の運動不足が祟ったのか、口の中から鉄の味がする。
(体力も、もっと付けなきゃ駄目かも……)
色々なことがありすぎて、言葉に出来るか自信はないが、今は帰ることが最優先。
黒い靄の漂っている扉は相変わらず、質素な佇まいのログハウスと相性が悪い。
「この扉から帰れますように……、そして、もう一度此処に来れますように」
意を決した虚華は、扉を開けようとしたが、黒い扉の前に置いてあった模擬刀に足を引っ掛けて頭をぶつける。
「っつぅ……」と声にならない声を出した虚華は目尻に涙を貯めるも、起き上がる。
頭にできたたんこぶを擦りながら、扉のノブに手をかけると青い花弁が吹き荒れ、扉を開けた虚華を包み込んだ。
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ルビ振りがうまく行かない理由をどなたか教えていただけると幸いです。
暫くはこの感じで“嘘”を表現していこうかなと思っています。




