【Ⅳ】#7 How done It?
虚華達はだだっ広い白雪の森を二チームに別れて探索することにした。
戦闘力や直ぐに離脱できるか否か、そして五人のバランスを考えた結果、虚華、「エラー」、楓が一チーム。残る雪奈、イドルが後方支援役としてメインチームとは違った方向へと歩いていった。
こんな危険な場ではあるが、虚華が人員を分けたのは理由があった。単純な話だ。どちらかが危機に陥った際に、もう片方のチームが対応を取ってくれれば、《喪失、獅子喰らう兎の二トライブが全滅》という最悪のケースを避けることができるからだ。
「エラー」を除く三人はいい顔をしなかったが、最終的には雪奈の魔術を当てにするということで納得してくれた。
実際に雪奈に作戦の概要を伝えた時は、「任せて」とだけ呟き、鼻息を少しだけ荒く立てていた。
虚華達三人は、入り口から中心部へ進むルート、雪奈達二人は、生存者や魔物などが居たら各個対応していきながら外周付近を通るルートで別れることにした。
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そうして、楓と「エラー」の二人と共に、白雪の森で何が起きたのかを調べるべく中心部に進んでいるが、匂いだけが濃くなっている。
外周を回るルートを取っている二人は極力安全な筈だが、どちらも安全だと言える根拠を虚華は持ち合わせていない。
ちらりと二人を一瞥すると、楓は不安そうに虚華の近くを歩いている。「エラー」は周囲の変化を見逃さないようにしているのか、周囲をキョロキョロと見回しながら進んでいる。
虚華も、木々の血の塗られ方などを見ながら、この状況の原因を自分なりに纏めようとしていた。
(入り口にあった木みたいに血がべっとり付いている木が増えてきた。血腥さも増してるし、匂いの原因が近い?探知魔術用の簡易魔術紙は数枚あるけど、惜しまない方が良さそう)
簡易魔術紙は、自分が扱えない魔術が必要な時に、虚華が使えるように用意してある魔道具だ。普段は臨が、探知魔術を使用してくれるので、必要のない代物だったが、ここ最近は臨とは別行動の時が増えてきたから持っていることが増えてきた。
その事実に少しだけ寂しさを覚えていると、後ろから服をちょんちょんと引っ張られる。
虚華が振り向くと、「エラー」が口を開く。
「リーダー、あの狼煙の意味、私達は知らないんですけど。どういう意味なんです?」
「私とクリムしか知らないようにしてあるからね。都度変えてるから覚えられないようにしてあるし」
虚華は、雪奈と別行動をする際に、自分の持っている緊急用狼煙を数本渡していた。「エラー」はその狼煙の意味を二人共話していなかったから、気になったのだろう。
例え、命を預ける仲間であったとしても、虚華と雪奈が、狼煙の意味を話さないのはディストピアに居た頃からそうだった。
他の者が狼煙を見て意味を知られる事がどれだけ不味いかを一度、身を持って知ったからだ。
「三色の狼煙……上げる順番とかによって変わるのでしょうか……」
「なァんか、信頼されてない気がして、ヤな気分になるがよォ」
「エラー」は、虚華が雪奈に手渡した、赤、青、緑の三色の狼煙について自分なりに考察しようと、顎に手を置きながら自分の世界へと入り込む。
そのすぐ近くで、匂いに辟易していた楓が口を尖らせている。そんな事をしても話すことはないのに。
「あくまで、緊急用の狼煙であって、魔術とか、自分達だけで何とかなるなら使わずに済むからさ。今は目の前の依頼に集中しよ?」
「……そうですね、考えても埒が明きませんし。それに大分匂いが濃くなってきました。白月くんも無理しないで下さいね?」
「あァ……嫌、大分キツイけど、やることやってとっとと帰るからな」
なんだかんだ協力的な二人に笑顔で「ありがとう」とだけ言って、虚華達は再び歩き出す。
進みだしたのも束の間。はっと、思い出したかのように「エラー」は虚華に声をかける。
「リーダー、進んでいく方向はこっちで良いんですか?」
「んーん、こっちだよ」
「エラー」が先程まで自分達が進んでいた方向とは違う方向を指差す。虚華にはそこまでの方向音痴は無いと自覚していたが、もしかしたらあるのかも知れないと思いながら首を振る。
その質問を今するってことは、「エラー」がそういった類の魔術に疎い事は、虚華でも容易に想像がつく。
虚華に全然違う方向を指差されたせいか、「エラー」は顔を真っ赤にしている。虚華は楓の方をちらっと見るも、楓は肩を竦めるだけで何も言葉を返さなかった。
(二人共探知系の魔術や魔道具持ってないの?これまでどうやってやってきたんだろう……)
心の中で小さなため息を一つだけ吐いた虚華は、考えた素振りを見せて探知魔術用の魔道具を使用する提案をする。
「確認の意味も込めて、探知魔術使ってみようか。人や魔物の反応である程度は状況が分かる筈だし」
「ホロウは探知魔術使えんのか?」
目を輝かせてこちらを見ている楓の方を向き、虚華は少しだけ申し訳無さそうに眉を下げる。
「んーん。使えないよ。探知魔術用の簡易魔術紙を数枚持ってるだけ」
「なァんだ、でも用意が良いな。だからこそ俺に勝てたんだもんな」
虚華が、鞄の中から一枚だけ簡易魔術紙を取り出すと、楓は手を頭の後ろに組んで残念そうな声で悪態をつく。
余程虚華に負けたことが悔しかったのか、魔道具を駆使した結果、ヰデル持ちが、ヰデル未所持に負けたという事実を受け入れがたいのか。
虚華からしてみれば、一度の敗北など恥でも無いと考えるので、いつまでも引き摺っている楓の心情が理解出来ていなかった。
少しだけ顔を赤らめたままの「エラー」が左手を腰の方に置いて、冷静を装って虚華の案に賛成の意を示す。
「使った方が良いでしょうね。そうでなければ、あのお馬鹿さんが先に何か痕跡を見つけてしまうかも知れませんし」
「あはは、分かったよ。発動──「地形把握術式」!!どれどれ〜?」
虚華は、探知魔術用の簡易魔術紙に魔力を注ぎ込んで魔術を発動させる。
あくまで簡易的なもので、臨の様に常時展開しながら別の魔術を発動させたりは出来ないが、短時間でも探知や索敵が出来る分、便利だと感じる。
虚華の華の眼帯近くにスコープのような模様が光りだす。こうなると、自身の視野に周囲の地形と、生体反応などが表示されるようになる。
「今私達が居るのが、此処で……。多分この二つがクリム達でしょ……。中心部……私達が向かってる方向に二人居るね。魔物の反応はゼロではないけど、普段と比較したら相当少ない。この二人が原因かもしれない」
「じゃあその方向に進んでみましょうか」
「二人の反応っつゥのが気になる所だな。ニュービーだったらただじゃ置かねェぞ」
虚華はふぅっと息を吐き、探知魔術を解除する。左目の華の眼帯の周囲にあったスコープ型の拡張視野は消滅した。
この結果で虚華は大まかな今回の状況を把握した。今回の件は異常繁殖や、異常個体でもない。《人災》だ。
ただ、あの二人の人影がニュービーなのか、将又他の人物なのかは定かではない。
もし仮にニュービーだとしたら、彼らは何かしらの理由で森中の魔物を乱獲してまわり、その血を木々に塗りたくり、そのまま放置して闊歩していることになる。
それなら、今の状況に説明が行く。推理小説に付き物の|「who done it?《誰がやったのか》」と「|How done it?《どういう手段で殺したのか?》」が分かったのだから。
それでも最後の動機の部分。「|Why done it?《何故犯行に及んだのか?》」が分からないことには、理解したとは言えないと虚華は考えている。
(どんな凶行にだって、理由がある。それを知らなきゃ私には糾弾出来ない)
この世には、何の理由もなく命を奪う者だって居る。理由があろうとも命を奪うことは許されない。
ましてや、命の危機に瀕しているのが、自分の仲間だ。もし、この反応がニュービーで、臨が殺されたとしても、理由だけは絶対に聞いてやろうと思う。
(例え、どんな理由があろうとも、臨を殺したなら命はないと思え。誰であろうとも)
「リーダー、どうしたんですか?そんな所で突っ立って」
気づかない間に少し前の方に行っていた「エラー」の言葉が、虚華を現実に引き戻す。
どうやら、自分は自分の思考の海に溺れていたらしい。虚華は右手をぐっと握り締めて「エラー」と楓の元に走り出す。
「なんでもないっ!誰だか知らないけど、この状況の犯人を拝んでやんなきゃね!」
こんなにも鬱蒼で、こんなにも血腥い森の中で、虚華は全く似合わない満面の笑みでそう言った。
「危険と判断したら即撤退だかんな」
「分かってるよ。命あってのなんとやらだからね」
「ナタネだっけか?」
「……私は何も言いませんよ」
楓の素っ頓狂な発現には、二人共反応せずに進んでいった。
少しの間真っ白になって固まっていた楓も直ぐに正気に戻って、二人を追いかける。
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虚華が見たという反応は長い時間ではなかったが、その場に留まり続けていた。要するにその場所で話している可能性があった。
だが、それは長く続くものとは限らない。だからこそ、急ぐ必要があったのだ。
そうして、更に中心部へと迫っていく三人の前に広がる風景は、匂いと共に変わっていった。
「何だよこれ……ひッでェな……」
思わず楓が鼻を摘んで目の前の惨状から目を逸らそうとする。
三本に一本程度の割合で木々に塗りたくられていた血は、全ての木々に塗られている。更に一部の木には、何かの生き物の肉─筋組織のような物まで残っている。
木々の根本には、腐敗が進んでいるせいか原型を留めていないゴブリンの死骸や、何か歪な杭のような物で心臓を抉られて死んでいるオークの死骸があちこちに転がっている。
楓が気分を害したのか、比較的清潔そうな木の茂みで嘔吐している間に、虚華と「エラー」は周囲の状況を把握せんとゴブリン達を間近で観察する。
「これ、おかしいよね」
「リーダーもそう思いますか。どう見ても自然にこうなったとは思えません」
「エラー」もこの状況が異常な事には気づいているようだった。この死骸と周囲の状況で、今まで見えていなかったものが見えてくる。
「この気持ちの悪い甘ったるい匂い。なんて表現すれば良いんでしょうか……。腐ったミレゴラのような匂いが強くなって、血腥さは大分減っています。これはこの周辺からですよね」
「うん。これは腐乱死体が発する臭いの一つだね。こんなのはまだいい方だよ。酷い物はもっと嫌な臭いがするから」
「えぇ、分かります。あの臭いは服や体に染み付くと中々取れませんから」
そう言いながらも、「エラー」は心臓を穿たれて死んでいるオークに顔を近づける。まじまじと至近距離で観察している彼女を見ると、どうにも引っかかる部分がある
虚華も、嫌々ではあるが、ゴブリンに近づいて見ると、少しだけ気になる箇所があった。
腐敗しているだけでなく、内臓や筋肉が欠損して、骨が剥き出しになっている部分を凝視すると、一部ではあるが、歯型が残っている。
(誰かが、この死骸を喰らった……って事……!?)
この状況はどう考えても異常だ。自然界で生物の死骸が腐乱化するまでには、最低でも十日、長く見積もっても二週間は時間を要する。
虚華は苦い顔をしながら、独り言を呟くように言葉を紡ぐ。隣りに居る「エラー」も苦虫を潰したような顔で、黙って虚華の顔を見る。
「木々の血や肉は比較的鮮度が高いのに、地面に転がっているのは全部腐敗し切っている。しかも、死骸には歯型と食い千切られた後……」
「「運び屋」の巡回速度も鑑みて、この状況が出来てからそう時間は経っていない。それにこの森は探索者のよく訪れる場所ですから、整備はそれなりに行き届いてる筈です。だから……」
二人の考える事は同じだった。お互いに顔を見合わせた二人は、重い首を一度だけ、縦に振る。
「恐らくですが、この先に居る人物が殺した魔物を腐蝕に類する魔術を使ったんでしょう。でも此処まで死骸が損傷している理由は断定出来ませんね。あまりに残虐的に殺したとしか思えません。無期限依頼目的の乱獲ならば、耳が無くなっていますが、この魔物達の耳は全て残っています」
「歯型があるから喰らったんじゃないかなって思う……」
「エラー」がぎょっとした目で、虚華の見ていたゴブリンを凝視する。
臭いがつくから近づきたくない(意訳)と言っていたのに、平然と顔を近づける「エラー」の事を虚華は、少しだけ恐ろしいと思いながら「エラー」の言葉を待つ。
「人間がわざわざ魔物を喰らって、その後に腐乱化させて放置させる……?私はニュービーの事を少ししか知らないんですが、彼らはそんな残忍性を持っていたのでしょうか……」
「エラー」の顔には悲痛さが浮かんでいた。非人を心の底から憎んでいるような顔をしていた少女が、無残に殺されている魔物に対して、哀れみを感じている。
(自分とは言え、自分じゃない。彼女の事も知りたいな)
「分かんないけど、先に進んでみるしか無いね。楓はまだ吐いてるのかな」
「軟弱な男ですね、彼は。よくそれでリーダーを引き入れようとしましたね全く」
半目で腕を組みながら、森の茂みで先程まで呻き声を上げていた楓を批判する「エラー」を、虚華は心の中で「えぇ……」と思いながらも口だけでは適当に肯定していた。
少しの間、二人は楓のことを待っていると、呻き声を上げていた森の茂みから、げっそりとした表情の楓が戻ってきた。
「わりぃ、大分中身出してきた。うわ、お前らも凄い臭いするぞ」
「消臭系の簡易魔術紙あるから、それで臭い消しするね」
「そこまで用意が良いなら、俺が負けたのも仕方ない気がしてきたなァ……」
虚華は、自分達三人全員に消臭系の魔術を発動させ、消臭効果を付与する。楓は楓で、口から吐瀉物を出した際に残る胃液の臭いがするので、こっそり消臭しておいた。
ついでに周囲にも簡易的にではあるが、消臭効果を撒いておく。そうじゃないとまた楓が森の茂みで一人、勤しむ事になるからだ。
(森の茂みで吐いてたから、戦力にならないのは流石にダサすぎるもんね)
探索者という職種は魔物を斃す事はあっても、ここまで腐乱化した臭いに耐性のある虚華と「エラー」の方が珍しく、むしろ楓の方が普通の反応と言っても良い。
ましてや、自分達はまだ十一歳だ。あんな凄惨な状況を見せられて吐いただけで済んだなら凄い方だと思う。
本来だったら、魔物を討伐しても不死種として復活しないように灰になるまで燃やすか、「運び屋」に任せることが多いから、目にすることも殆ど無いだろう。
(それにしても……)
隣りにいる“虚華”も同じ十一歳。嫌そうな顔は少しだけしていたが、必要とあらば腐乱死骸すらも平然と調べる胆力と度胸。
理由は分からないけど、今の彼女を見るとどうしても違和感を覚えてしまう。
(私の気の所為なのかな……。言葉にするのは難しいけど)
「エラー」は、どうにもこの状況に対する適応力が高すぎるように見えてしまった。
虚華がこの状況に対応できるから、同一人物である彼女も対応が出来る。そう言ってしまえば、そうだ。
だって同一人物だから出来て当たり前。でもそれは違う。
《彼女は銃を扱えないし、虚華は槍斧を振り回すことは出来ない》
この真実が、同一人物だから、同じ事は全て出来て当たり前。と言う仮説を否定してしまっている。
「おーい、ホロウ?おい、大丈夫か?」
「え!?あ、ごめん。私、また意識飛んでた?」
目の前に楓の心配そうな顔が写り込んできて、自分がまた思考の海に溺れていることに気づいた。
どうやら、その場で立ったまま、考え事に耽っていたみたいだ。もはや見慣れてしまっていた「エラー」は、周囲の木々などを少し離れた場所から見つめていた。
今はそんな事をしている場合じゃないというのに。気にはなるけど、命が懸かっている場所に立っている時ぐらい集中しないと、死ぬかも知れない。
「リーダーなんだから、しっかりしろよな」と肩を楓に軽く叩かれて、楓は言葉を続ける。だが、楓の口から出た言葉は、どうにも普段らしからぬ歯切れの悪さを感じる
「あっちから、女の叫び声が聞こえてな。どうにも嫌な予感がする。ホロウ、先導頼む」
「了解っ。別に楓が一番槍でも良いんだよ?」
虚華は返事のついでに少しだけ痛かったから、楓の胸の辺りをぽすっと殴り返す。
いつもだったら、軽く怒られたり、何かしらの反応があるのだが、今回は違った。
楓は少しだけ神妙な顔をして、声のした方向を向く。
「聞き間違えだと信じたいが……、恐らく二人の反応は……」
「楓……?」
いつにもなく神妙な顔で、楓は虚華の方を向く。一瞬だけ格好いいと思ってしまったのは、吊り橋効果なのか。
緩みかけた頬を自制して、虚華は楓の言葉を待つ。
「この先に居る二人が、俺の予想通りだったら、きっと俺の理性が飛ぶ。そん時はホロウ、殴ってでも俺を止めてくれ。冷静になってから後悔しないように」
「分かった。私が楓の事を守るねっ」
楓は少しだけ照れ臭そうに笑ってから、一言だけ独り言を呟いた。
「うるせッ。守るのは俺の方だ。お前もあいつらもな」