【Ⅳ】#6 血に塗れた金木犀
虚華宛に届いた依頼書の差出人の欄は空白だった。
報酬金が封筒にきっちり入っていたせいで、下手に断ることも出来ず、お金を返す住所も分からなかった。
そんな肝心の依頼内容は、白雪の森で見掛けた不審な影を追って欲しいという物。
他にも白雪の森に何か依頼がないかと、リオンに確認した所、白雪の森に異常繁殖や、異常個体等が起きていないかの確認の依頼もあった。
どうせ、同じ場所に向かうのならと、それも受注して白雪の森へと向かう。
向かうメンバーは、虚華、雪奈、“虚華”、楓、イドルの五人。当時臨達と一緒に居たとされるディルクも、誘おうとしたが、滞在先の宿にもギルドにも姿はなかった。
(時々、居ないんだけど、その時は何処に居るんだろう?ディルクさん)
黒い龍の魔術刻印を刻んだ男──ディルクは、三人の行方不明中の探索者の指導役として依頼に同席はしていたが、自分一人だけで戻ってきた。
戻ったディルクに、セエレから三人をどうしたのかと問われた際には、「自分が迷った間に戻ったと判断した。『象牙渓谷には、反応がなくなってしまっていた』から」と言っていたらしい。
彼の言葉を信じるならば、ディルクが一人になった間に三人は何処か別の場所に行ったのだろう。ただし、ディルクに悟られること無くだ。
(そんな事が可能なのかな……。興味がなかったから放っておいた可能性もあるよね)
「しっかし、ホロウもお人好しだよなァ。わざわざ厄介事に首を突っ込むなんてよォ」
「それ……どういう事?」
白雪の森へと向かう道中で、自分の頭の中で考えを纏めていた虚華の前方を歩いていた楓が、振り向いて虚華に話し掛けてきた。
楓の言葉の意味が理解出来なかった虚華は、少しだけ声に怒りを孕ませて聞き返した。
「こういう誰かが攫われた場合は、大抵が厄介事に巻き込まれてやがる。生死問わずになァ。もし、この依頼で見た人影が黒咲を攫った犯人なら、自分より上の探索者に依頼するなりして、救助して貰うのが定石だ」
「何それ……じゃあブルームやニュービー二人を見殺しにしろって言うの!?」
「ん。ホロウ、落ち着いて」
さらっと自分達は動かずに、上の探索者に任せて自分達は待っておくべきだった。そう言った楓の胸倉を、虚華は怒りを顕にして掴み上げる。
そんな怒り心頭な虚華を雪奈は、虚華と楓の間に立って、虚華の方を向き、両手を広げて楓を庇うような仕草を取った。
「なんで、楓を庇うの!ブルームを見殺しにしろって言ってるんだよ!?そうだよね!?」
「リーダー、落ち着いて下さい。怒る気持ちは分かりますが、私達は探索者です。当然、命の危険がある仕事だってあります。そんな自分の仲間が行方不明になった際は、上の探索者に任せた方が安全なんです。原因不明、何があったかも不明な今回のケースは尚更です」
「ん。「エラー」の言う通り。心配な気持ち、あたしもある」
虚華は、楓との間に立っている雪奈を横目で見て、楓を睨みつける。楓自体は自分が何かおかしいことを言ったのだろうかと、不思議そうな顔と自分の怒りを目の当たりにして困惑気味なのが半々といった表情をしている。
雪奈の静止が効果なしだと判断してか「エラー」が、自分なりの言葉で、楓の言った言葉の説明をしたお陰で、虚華の表情が元に戻った。
「リーダーが、ブルームさんを心配する気持ちは分かります。だからこそ、白月さんはリーダーが自分で助けに行くよりも堅実な選択肢を取ったほうが良かったのでは?と言いたかったんですよ。ね?そうですよね?」
「お、おおゥ。そうだな……そう言いたかったんだが、言葉足らずだった。すまねェ」
「ほら頭も下げてっ!」
「おわッ」
「エラー」が楓の言葉を代弁した後に、楓と目配せをして、無理矢理楓の頭を下げさせた。
雪奈にも、「許してあげたら?」と言われる。確かにこれ以上自分の怒りで、我を見失う訳にも行かなかった。
「……私もごめんなさい。感情的になったかもしれない。白雪の森に居るとも限らないのにね」
「はいっ、仲直りは終わったかな?もうそろそろ白雪の森に着くよ〜!」
「「「「………………」」」」
「え、何?僕なにかした?」
虚華と楓がお互いに謝って仲直りをした直後に、その時に何もせずに少し離れた場所で見ていただけのイドルが、急に中央に飛び出し、手をパンっと叩いて笑顔で音頭を取る。
そのイドルを見て、全員が半目になって何も言わずにイドルの方を見る。さながら一人だけ騒いでる馬鹿を見るような視線がイドルを突き刺す。
イドルは何も分かっていないのか、疑問符を頭に浮かべてキョロキョロしている。
「……行こっか。異常繁殖や、異常個体が起きてるとしたら危険だもんね。此処から気を引き締めていこっ」
「ん……」
「んだな。いざとなれば、俺のヰデルで真っ二つだ」
シーンと静かになった場を、虚華が声を上げて雪奈と楓も白雪の森へと入っていく。
三人が入った後、残された「エラー」とイドルはお互いの方を見る。
「僕、何かやっちゃった?」
「多分無自覚なのが駄目なんですよ。死んで詫びましょう」
「辣が過ぎるよ“虚華”ちゃぁん……」
「今の私は「エラー」ですよ。お馬鹿さん」
ガックシと両手を地面につけて落ち込むイドルを、放っておいて「エラー」も三人の後を追って、白雪の森へと侵入していく。
本当だったら、イドルの味方をしてあげたいとは思ったけれど、今回ばっかりはイドルが十割悪いのだから。たまにはお灸を据えるのも良いだろうと。
_____________
先に白雪の森へと進んでいった虚華は、自分が今居る場所が本当に「白雪の森」なのかの自信を失いつつあった。
普段の白雪の森の入口部分は、林檎の木や金木犀の木が沢山生えており、鼻があまり利かない虚華でもいい匂いがしていて、フィーアの中で好きな場所の一つだった。
それが今日は何だ。林檎の木に成っている筈の林檎は所々変色しており、腐敗している。いつもいい匂いを放っている金木犀の木の香りは一切しない。
どうも、奥の方から香ってくる血腥さが強烈でその匂いが、森の中を支配しているようだった。
虚華が唖然として今にも腐り落ちそうな林檎を眺めていると、入口の方から声がする。「エラー」の声だった。
「ごめんなさい、あの馬鹿運び屋を叱っていたら少し遅くなっちゃっ……臭っ……なんですか此処。こんなにまで臭うなんて……イドルさん!!」
「怒鳴らないでよ……白雪の森は僕の担当範囲じゃないし……。まぁそれにしても酷い匂いだね。数日空いてはいるかも知れないけど、ちゃんと「運び屋」が仕事をしていればこうはならないよ。依頼主の見た怪しい影のせいかもね」
イドルが真面目そうな顔をして、周囲の木々を見て回る。彼女も大規模レギオンの一つ「運び屋」に属している身だ。この状況を見るだけで、何かしらの情報を得られる可能性もある。
そう思い、色々見ているイドルの言葉を虚華達は待ちながら、自分達も周囲を見て回ってみる。
よく見てみれば、木々に何かが付着しているのを虚華は見つけるも、どうにも嫌な予感しかしない。
「イドルさん。これは……」
「うーん。僕、あんまり此処に来ないから断言は出来ないけど。この辺の木とかは満遍なく血が撒き散らされている。これって魔物の狩り過ぎた上で処理を怠った場所ではこんな感じにはなるんだよね。この血腥さは多分、血だけじゃないけどさ」
イドルは自分に質問してきた虚華の方を見て、言葉を続ける。先程までの笑顔とは違い、イドルの顔は真剣なものだった。
「此処最近死んだ「運び屋」の話は聞いてない。そしてホロウちゃん達の反応を見るに、この状況はこの森の平常ではない。ホロウちゃんには酷かもしれないけど、この状況を報告する為に退くって選択肢、考えておいた方が良いかもね」
イドルの真剣な顔でのその説明は、虚華だけでなく、他の者まで沈黙させた。
この中で、位が一番高いのは戊種であるイドルだ。他の虚華達は辛種以下だ。そんな上の人間に、逃げた方が良いかも知れないと言われて虚華は言葉を紡ぐことが出来なかった。
そんな一時の沈黙を破ったのは、「エラー」だった。
「とにかく進んでみて、何が原因となってこうなったかを確認したら撤退しましょうか。異常にも種類がありますし。異常繁殖や、異常個体、一体ど何が起きてこうなったかを把握する必要もあるでしょう。報告するなら質の良い報告がしたいですもんね、リーダー」
こんな時に何も言えなかった自分を立ててくれる“虚華”はよっぽど自分なんかよりリーダーシップが取れていると、心の中では複雑な感情を渦巻かせる。
そんな醜い感情を心の中で抑えつつ、虚華は「エラー」と一緒に皆の方へ向き、口を開く。
「一応、前金としてお金を貰っている分、最低限の報告はしなきゃならない。でも、安全第一で、危険が迫っていると思えば即撤退。此処で集められる情報だけで十分なら直ぐに撤退して上の探索者にお願いしましょう。ただ……」
虚華の言葉が少し淀む。ここから先の言葉を言うことに抵抗があるのだろう。そんな事を察してか、雪奈が虚華の手を握る。そして、感情を失った雪奈が薄く笑ったような気がした。
「大丈夫、皆、仲間だから」
「……!ブルームの手がかりが此処にあるかも知れない。危険を承知ですが、協力して下さい!!」
虚華は深く頭を下げる。雪奈も手を繋いだまま、何も言わずに虚華の隣で頭を下げる。
他の三人──「エラー」、楓、イドルは三人でお互いを見てから、虚華達の肩を叩く。
二人が顔を上げると、三人とも少しだけ清々しい程に優しい笑顔を浮かべていた。
「言われなくてもやってやんよォ。勿論死なない程度になァ」
「そうですよ、私だって「喪失」なんですから」
「僕は違うけど、こんな状況を「運び屋」が放っていたと知れたら、大問題だからね。手伝うよ」
そんな温かい言葉を「喪失」の人間以外に掛けられたのが初めてだった虚華は、涙を流す。
虚華の涙を見た楓は急にオロオロしだすが、その姿が滑稽で皆で笑い出した。
傍から見れば、さぞ異端だっただろう。血腥い鬱蒼とした森の入口で溌剌とした笑い声が木霊しているのだから。
もし、犯人がその姿を目の当たりにしていたのなら、八つ裂きにしていてもおかしくはないかも知れないのに。




