【Ⅳ】#5 もっもっ(虚華のおやつを盗み食いする音)
象牙峡谷を自身の“糸”で作り変えた戦闘靴で駆け抜ける臨は、奇妙な違和感を感じていた。
確かに、自分は自分の魔術で、生体反応のあった方角へと向かっていたはずだった。
ただ、峡谷という物は、深く切り立った細長い谷や谷間のことを指す。それらは大体が川などの侵食によって出来たものなので、中心部には、必ずと言ってもいい程、川があるはずだった。
現に、少し前までは臨が走っている付近には、大きな川が流れていた。その川の流れに沿って、少し硬度の高い場所を走っていたことだって覚えている。
(その筈なんだけど、ボクは今一体何処に居るんだ?)
臨がふとして辺りを見回した頃には、象牙の一本も見当たらず、ただただ鬱蒼な森だけが周囲に広がっていた。
踏みしめていたはずの地面も、象牙渓谷のような乾いた土質ではない。腐葉土のようなふかふかとした土質に加え、雨が降っていたかのように少しだけ湿っている。
匂いだってそうだ。元々は水の匂いが強かった渓谷だったが、此処はどうにも鬱蒼とした木の香りに加えて何やら血腥い。
「この匂いは嗅ぎ覚えがある。まぁ、そういう事だろうね。それに……」
臨は荷物袋に入れていた「大脱出ボタン」を取り出して、起動させる。しかし、ボタンは何の反応もなく、起動する気配もない。
雪奈お手製の魔道具が、水や炎に晒された程度で使えなくなることがないのは、ディストピアで逃亡生活を送っていた時代から知っている。
つまりは、他に原因がある。臨自身か、或いはこの場に問題があるのかだ。
「索敵魔術と探知魔術は一応使えるけど、ここが何処かは不明。まるで峡谷から無理矢理誰かに誘い込まれたかのようだ。生体反応は相変わらず動いていない。罠の可能性もあるけど、仕方ない。進むしかないみたい」
臨は魔術は得意としていないせいで、使えるのは最低限の各属性の初級魔術と探知や索敵といった、攻撃以外の物が大多数を占めていた。
そういう攻撃系は全て雪奈が担当だったせいだ。別に覚える気もなかったから良いのだけどと臨は柔らかい腐葉土を踏みしめながら先に進む。
_____________
進んでいくにつれ、なんとなく此処が何処だかの見当が付いて来た。
見覚えのある鬱蒼とした森と、ふかふかの腐葉土。方角が見失うほどの高さの木が此処まで多いとなると恐らくは森。そしてそびえている木は殆どが広葉樹。それだけのヒントで臨は一つの答えを編み出した。
何かしらの罠が張り巡らされていることを危惧しているせいで、物そのものに直接は触れられていないが、“糸”で手を守りながら木を触る。
「触っても崩壊しない。随分現実味のある木だ。じゃあ此処は夢でもない。抓ったほっぺは痛いし」
臨は独り言をブツクサと言いながら、生体反応のある方面へゆっくりと歩いていく。
“糸”を木々に括り付けて迷わないように先に進む。こうすれば、自分が此処を通った証が生まれる。
そうでもしなきゃ、来たことのない場所で迷うことは必然だと臨は考えていた。
「詳細な地形までは頭に入れてないけど、見た目や雰囲気は白雪の森に近い。でも何なんだろ。この異様なまでの血腥さは……吐きそう……」
進めば進む程、吐き気を催す程の悪臭が、臨の足取りを重くしてゆく。
まるで自分を追い詰める為にこの場所を用意してるのではないかと錯覚する程だった。
ディストピアではそれなりに血腥い場所に居た時期もあったが、此処はその比じゃない。言葉にするならば……
「此処には死が蔓延している。とでも言いたそうじゃなぁ?」
「え……うわぁ!?」
臨の後ろには先程までは居なかった人物が、ふわふわと宙を浮いていた。振り返って尻もちを付いた臨の姿を見て、声の人物はカカカと笑っている。
「あ、貴方は……?」
「ふむ。そなたは妾を恐れるのじゃな。ならば名乗る必要はあるまいて」
無意識のうちに臨は、恐怖心からか歯をガチガチと鳴らしていた。その姿を見て、臨に話しかけた少女は顔に貼り付けていた笑顔を削ぎ落とした。
臨の目の前に現れたのは、白をベースとした髪に、ところどころ混じっている黒い髪。瞳は白と黒のオッドアイ。
聖女が着るような修道服を艶やかに改造したものを着込んでいた、口調が少し古めかしい同世代に見える少女だった。
拘束服にも修道服にも見えるその漆黒の装束を身に纏いながら、表情を貼り付けたり、削ぎ落としたりするその異様な様は、臨が畏怖を抱くにはさぞ十分だっただろう。
「うーむ。なにゆえ、斯様な場所に童が、とも思ったが。自分で入ってきた訳でも無さそうじゃな」
「此処が何処だか……分かるんですか?」
顎を触りながら悩んでいた素振りをしていた白黒の少女は無表情のまま、臨の方を見る。
その少女の顔を見た臨は、ゴクリと息を呑む。見られただけでも怖いのだ。死刑宣告を受け、明日にでも殺されるのではないかと錯覚してしまうほどに。
「無論分かるとも。そなたを此処に迷い込ませた人物までは知らぬがな」
「迷い……こませた?」
少女は首を傾げる。顔にも不思議そうな表情が浮かんでいる辺り、自分の発現になにか良くないものでもあったのだろうかと、臨は冷や汗を額に浮かべる。
「うーむ。なにゆえ、そこまで妾の言葉を鵜呑みに出来る?妾を恐怖の対象として見ておる割には、随分と素直な奴じゃな」
「……………」
「だんまりか。まぁ良い。知らんで良いことまで教える義理はない。疾く失せるが良い」
「ま、待ってください!」
背を向けて、何処かへ行こうとしていた少女を、臨は普段より1割増し多い目の声で呼び止める。
鬱陶しそうな表情を見せる少女は、何故か機嫌が悪そうになっていて、逃げたくなる。それでも、臨は逃げるわけには行かない。
「なんじゃ。妾はそなたに構ってやる程、暇ではないのじゃぞ」
「あ、貴方が誰かは聞きません。此処が何処かも聞きません。ただ、ボクを元の場所へと帰して貰えませんか?ボクは帰らなきゃいけないんです。でも、ボク一人の力だけじゃ帰れそうにない……。」
「ふむ」
目の前の少女は、臨の声が震えながらもきちんと全部話した事を確認すると、一言だけ発し、考え込む。
この短い間の時間でも、臨は周囲に立ち込める血腥さでどんどん気分が悪くなってゆく。吐き気もギリギリ抑え込めているが、そう遠くない内に限界を迎えるだろう。
吐いていないのも、目の前の少女に対する恐怖心と、人前で吐けないという臨のプライドのせいだ。誰も居なかったら、吐いていてもおかしくはない。
「良い」
「……え?」
「そなたの願い、仕方ないから飲んでやろう。“妾の知らぬそなたの願いじゃ。”此処から追い出してやろうぞ」
(嘘が混じった……?“妾の知らぬそなたの願い”が……?)
臨が、少女の言葉の意味に引っかかっていると、少女が臨から少し距離を開けんとふわりと浮遊して離れる。
少女が、地面をカツン!と甲高いヒールで硬い地面を勢いよく踏みつけたような音を立てる。すると、少女の周囲と、臨の周囲に黒い薔薇の花びらと、黒い靄が立ち込める。
その黒い靄からは出れず、同じく黒い薔薇の花弁を撒き散らしている少女は、ふわふわと宙を浮きながら臨から離れていく。
「一体、な、何が……」
「ではな。“名も知らぬ童よ”二度と相見えぬことを祈っておるぞ。…………」
臨の意識はその一言を聞き終える頃には、既に手放してしまっていた。
消え失せていく意識の片割れで、聞こえていたのは機械音だった。
_______________________
ギルド「薄氷」の酒場で、年端も行かない四人の少年少女───虚華、雪奈、“虚華”、楓の四人は、数日前から三人の探索者が失踪している事を、セエレから聞かされる。
「ええっ!?ブルームとニュービー二人が行方不明!?なにそれ聞いてないんだけど!?」
「大声出すなようっせぇなァ。俺の鼓膜破壊する気かァ?」
「それは困りましたね。数日の間、私達は顔を見ていませんもんね」
「もっもっ(虚華のおやつを盗み食いする音)」
虚華だけはかなり驚いているが、「エラー」や楓はこういうのは日常茶飯事だぞといった態度で、三時のおやつをのほほんと楽しんでいる。
雪奈に至ってはコメントも無しで虚華が臨の事を心配している隙に、おやつを奪取している。
虚華の心配の仕方に少し同情したのか、「エラー」が楓の方を向いて質問をする。
「どうします?男の子ですから、反抗期かも知れませんよ?白月くんはどう思います?」
「そうなの?やっぱり男の子って、そういう物なの!?ねぇ!!どうなの!!!!」
「待って、ホロウ……。首、首絞まってるから、し、死ぬ……」
「もっもっ(虚華のおやつを盗み食いする音)」
半ば必死に楓に意見を聞こうとしている虚華が、楓の胸ぐらを掴み上げて捲し立てている。
楓は白目になっており、意識が落ちる寸前で、虚華の肩を叩いてギブアップを連呼する。
そんな虚華を見て「エラー」は、笑いを堪えながらテーブルを拳で叩き、雪奈は今が好機と、虚華のおやつを全部平らげてしまった。
満足そうにおやつを堪能した雪奈が、虚華の近くで上目遣いと首を傾げるような仕草で、虚華を見た。
「そんなに、ブルーム、心配?」
おやつとして用意していたシュークリームのクリームをほっぺに付けたまま、雪奈は虚華の目を見る。
おっとりとした目でそう聞かれた虚華は、楓と「エラー」に言われた内容を反復してから、自分の意見を練り上げて自分の言葉で話す。
「う、うん。楓や「エラー」はあぁ言ってるけど、反抗期だったとしても数日帰ってないのは心配だよ。それにニュービー二人って、「エラー」の同期でしょ?心配じゃないの?」
向かい側の正面に座っていた“虚華”──「エラー」は、先程まで抱腹絶倒していたせいで乱れていた呼吸を整えてから、ちょっと呆れたような顔をしながら口を開く。
「ブルームくんは、まぁ……ほんのちょっぴり心配かもですけど、「同期」の二人……確か、デイジーとキリアンでしたっけ?関わりもほぼ無いですし、「全魔」と「魔弾」と同じトライブに所属した上に、二人と同じ依頼に行ってるなんて、みたいな僻みっぽい事も言われたので、特にそういった感情は沸かないですね」
「あるあるだな。指導役が外れだった時の悲しさったらありゃしねェよなァ」
「そんな事言わないの。楓、そんなんだとブルームと仲良くなれないよ?」
「けっ、仲良くなる気なんてねーよ……うわ危なッ」
(「エラー」の話を聞く限りだと、ニュービーが臨の指導に不満を感じて何かをした可能性があるってこと?)
再び虚華の凶腕に掴まれることを危惧した楓はひらっと、体を捻って躱す。
少しだけ舌打ちをした虚華は、再度臨の心配をする慈悲溢れた顔に戻って涙をポロッと零す。
そんな、虚華の頭をぽふっと雪奈が叩く。その顔はいつもどおりの無表情だったが、「エラー」と楓を見る目が少しだけ怖かった気もする。
「ホロウ、泣かないで。泣かしたヤツ、全員ぶっ飛ばすから」
「待って下さいクリムさん!私達は悪くないですよ!?」
「そ、そうだ俺たちは悪く…「いいえ、悪いのは白月くんだけです」えぇ!?」
「楓……」
ゆらりと目の中に黒い炎が燃え上がっている雪奈を止める者は誰も居らず、楓はそのまま黒焦げにされた。
三人の女子達は、黒焦げになった楓(だった物)を席に置いて、どうするかを話し合うことになった。
「それで?ホロウさんはどうするつもりです?何処に行ったかも分からないブルームさんとニュービーを探すつもりですか?」
「うん。三人は依頼を受けて、それから行方を晦ましたんだよね?なら、その依頼の行き先を探せば良いんじゃないの?」
「ん……。ホロウ、ブルームが受けた依頼の仕事先は「象牙渓谷」、昨日「運び屋」が捜索したけど、誰も見つからなかった」
「なら!自分達で探せば……」
自分でも理解している。自分は冷静さを欠いている。それでも、仲間を簡単に、もうコレ以上失いたくなかった虚華は、雪奈と「エラー」に問い続ける。
お互いを見合った雪奈と「エラー」は直ぐに虚華の方を向き、困った顔を浮かべる。
「えっとですね、「運び屋」が見つけることが出来なかったという事は、その場には間違いなく居ないんですよ。《生死問わずに、象牙渓谷にはブルームさんも、ニュービーも》」
「……どういう事?」
「エラー」の説明の意味が理解出来なかった虚華は、首を傾げていると、背後から抱き着かれるような感覚がした。
でも、目の前には雪奈と“虚華”が居るし、楓は黒焦げだ。じゃあ誰が……?そう思っていると、耳元で抱きついた本人が囁くような口調で、口を開く。
「僕の仕事振りに不満かい〜?ホロウちゃん〜?」
「イ、イドルさん。なんで此処に……それに、今の言葉はどういう……?」
虚華の首元に抱き着いていたのは、イドル・デドルフィア。フィーアが誇る「運び屋」の一員だった。
イドルは、勢いよく振り向いた虚華の視線に合わせて、笑顔を返す。
虚を突かれて、若干困惑気味の虚華の質問に、イドルは申し訳無さそうな顔で答える。
「ブルーム・ノワール、並びにデイジー・グレイウィル、キリアン・プレアラリは、僕が責任持って「象牙渓谷」を捜索したけど、見つけることが出来なかった。死体もなかったから、死亡判定も出せていないって状況だよ。つまり、行方不明中って事。トライブのリーダーとしては心配だよね。ごめんね」
「そんな……じゃあ私が探しても……」
悲しそうな顔で俯く虚華を見て、伏し目がちにイドルは言葉を続ける。
「少なくとも「象牙渓谷」を探しても居ないだろうね。他に心当たりがあるのなら、僕も付いていきたいんだけどね。闇雲に動くのは、止められているんだ。《何か痕跡や情報があれば、僕も動けるんだけど》」
「じゃあ、私が打てる手は……」
虚華は涙をポロポロと零しながら、イドルの方を見る。普段はヘラヘラしているイドルも、この時だけは、ふざけた表情ではなく、年上の女性の態度と表情で虚華の言葉を聞いている。
「少なくとも、今は依頼をこなしつつ、各地で何かしらの痕跡を探すしか無いと思う。「象牙渓谷」に行くなら僕も付き合うよ。見つけられなかったのは僕の咎でもあるし」
「意外でした。イドルさんもそういった感情を持ち合わせているんですね」
「僕の事を一体何だと思っていたのかな?「エラー」ちゃん?」
虚華を慰めるような言葉を投げかけたイドルに、今度は「エラー」がまるで信じられない物を見るような顔をする。
「エラー」の反応に対して青筋を立てながら、イドルは「エラー」ににじりにじりと近寄る。
そんなイドルの方を見て、虚華を自分の背中に隠し、眩しいほどの笑顔を浮かべて「エラー」は口を開く。
「言っちゃって良いんですか?」
「いや、やっぱり聞かないでおくよ……」
イドルが肩を落としてガックシと落ち込み、それを見た「エラー」がご満悦な表情を浮かべていると、カウンターの方から、こちらへと走ってくるような足音が聞こえた。
どうやら、受付嬢のリオンのようだ。こちらへと駆けつけてきたと思えば、自分達のテーブルの前で立ち止まった。彼女の用事は自分達宛のようだ。
現実を目の当たりにして、半分絶望していた虚華は、トライブのリーダーとしての態度で、リオンの方を向く。
「私達になにか御用ですか?」
「いやぁ。何故かホロウちゃん宛に依頼が来ててね〜。ちょっと見てみない?」




