【Ⅳ】#2 死神の鎌を握る彼女は、私だった
彼女、“虚華”からの手紙は午前零時の中央広場に、虚華一人で来るように書かれていた。
待ち合わせ場所に指定されているジアの中央広場は、各方面へ向かう際にも通る事になる大通り。中央広場の中心には、この街を象徴する絢爛で大きな噴水がある。
いつもなら露店や屋台等で活気に溢れている筈の広場が、どうにも真夜中だったとしても人気がない。
噴水から噴出している水の音と、自分の呼吸音しか聞こえない程には、この中央広場は静寂に包まれている。
昼間の顔と夜間の顔が此処まで違うとなんだか不気味だなぁと、虚華は防寒を兼ね備えたコートを着込み“虚華”が来るのを待つ。
しかし、待ち合わせの時間になっても、“虚華”は来ない。虚華は、何か嫌な予感がするも噴水の縁に座って空を眺める。
「寒いなぁ、此処に来てからもう半年。長かったようであっという間だった」
虚華が独り言を空に向かって放つ。名前も知らない星がキラキラと輝く真っ暗な空に。
返事は帰ってこない。誰かに宛てた言葉でもない、誰も居ない筈のこの場所なら当然だ。
だから今度は、上じゃなく左を向いて淋しげな表情を見せる。
「この街はいい街だよね。だって命を狙ってくる奴も居ないし、自分を利用しようとする奴も居ない」
誰も居ない少し先が真っ暗な左を向いて虚華はぼそりと呟く。
虚華が口を閉ざすと聞こえるのはやはり水の流れる音と、自身の呼吸音だけ。一息だけため息を付くと、今度は右を向いて口を開く。
「だから、驚いた。そうじゃないかなとは思ってた。そんな気はしてた」
右を向いても誰も居ない。誰も反応しない。何かが変わる気配もなく、相変わらずの静寂がこの空間を支配している。
虚華の寂しげな表情が薄れ、どんどん表情が変わっていく。喜怒哀楽のどれでもない、複雑そうな笑みを浮かべて振り向く。
「話があるなら聞くからさ。まずはその周囲に撒き散らしてる殺気を解いてよ。息を殺してそんな得物を振りかざそうとしても、殺気でバレバレだよ?」
「……………………………………………………」
虚華が座っていた噴水の縁の反対側、水が流れていて見えない部分に立っていた“虚華”は虚華の前に立つ。
小さい頃の虚華の様な漆黒の長い髪に、エメラルドブルーの綺麗な両目、健康的な肌色は、真っ白な肌の色をしている虚華とは対称的だ。
ジアの中で見掛けた時は綺麗に着こなした制服に、一本に長髪を纏めた優等生スタイルだった。だが、虚華の前に立っている“虚華”は、項辺りで髪を短く纏めて、服装も如何にも動きやすい格好といった様子だ。持っているものがアレでなければ。
左手には“虚華”愛用の槍斧。自身の身長と相違のない得物を、片手で持っている彼女に正直、虚華は勝てる気がしていない。
「なんで気づいたんですか。これでも、殺気は抑えた方なんですよ。気づかれずに始末した方が楽だったので」
「命の危険に常に晒されていた時期があったから、それのせいかも知れないや」
何もせずに立ち尽くしている“虚華”が動かないことを良いことに、虚華が“虚華”を観察していると“虚華”が急に口を開いた。
“虚華”の疑問に、虚華は口から適当にでまかせを言って誤魔化す。此処に真実味を含ませる必要もないので“嘘”も使わない。
手の内を明かす必要もなければ、これから戦うかも知れない相手の為に手札は温存しておきたい。
「それで?なんで私を呼び出して殺そうとしてるの?私何かしたかな。そんな殺す気満々の槍斧見ちゃったらそうとしか思えないんだけど……」
「直ぐに殺そうとは思ってません。貴方と話がしたいのは本当ですから。この格好は、もし貴方が私に襲いかかったとしても対応出来る装備を付けているだけです。貴方が私に攻撃しない確証なんてありませんから」
“虚華”は淡々と虚華の質問に答える。同じ顔、同じ声、声色も同じだが、表情が違うだけで別人のように見えてしまう。それでも彼女はこの世界、フィーアに存在している“私”だ。
髪色やその他色々違う部分は多いが、人間として同一人物と思われてもおかしくない程に容姿は酷似している。左目には白い花を模した眼帯、右目には仲間と刻んだ「喪失」の烙印が押されている。
(だから、私は彼女と同じ。だけど、私は彼女とは違う)
どんなに似ていても、私は私。彼女は彼女でしか無い。だからこそ、“虚華”に干渉するつもりは本当に無かった。
目の前に同一人物が居るのに虚華も、“虚華”も慌てる様子もなく、状況を静観している。
「それで、話って?」
「貴方達は一体何者なんですか?貴方もそうですし、貴方の近くに居た二人の仲間。黒咲くんと、緋浦さんに酷似した彼らの事です。あの二人は今、ジアに居るわけがないんです」
そう言えば、確かに虚華はこの世界での“雪奈”と“臨”には会えていない。“雪奈”が“透”の手によって始末されている事は知っているが、“臨”が何処で何しているかの情報は持っていなかった。
「酷似してるだけで、同一人物じゃない。私の仲間は、貴方の知人じゃない」
「擬態魔術……鏡の中の私は一度でも本人の姿を自身の目で見なければ発動することが出来ない……。つまりは貴方の仲間は黒咲くんや緋浦さんと直接会った事がある」
(その魔術についての知識が無い私には反論の余地は無い……黙って聞くしか無いか)
「何が言いたいの?」
「確か言ってましたよね?此処に来たのは半年前だって。でもそれなら緋浦さんには会ったことがない筈」
「そうね、実際に彼女には会ったことはない。それはクリムも同じ」
「でも緋浦さんが殺されたのは一年前なんです!!貴方の言い分は通りません!」
(あぁ、私の証言が自分の真実と相反してるから否定してるんだ)
彼女の槍斧を握る手に力が入る。彼女の性格を詳細に分かってはいないが、自分ならば面倒になれば実力行使に出る可能性がある。
顔をちらっと見ると“虚華”の瞳に、一際強い怒りの炎が燃え上がっている。唇を噛み締めたせいで口から血が垂れる。
このまま誤魔化しても埒が明かないから、本心を話そうか虚華は悩む。このまま戦っても勝てる自信もない。
(しょうがない。イチかバチかで本当の事を話すしか無いか)
「「鏡の中の私」の事はちょっとよく分からないけど、実は私達は此処じゃない別の世界から来たんだ」
「……はい?寝言は寝てから言って欲しいのですが?」
“虚華”の目から憎悪の闇が溢れ出そうとしている。今にもその手に持っている槍斧が自分に振り下ろされる気がして、気が気でない気分にさせられる。
「そうじゃなきゃ、死んだ筈の雪奈が君の目の前に現れるわけもない。酷似してる私だって、別世界の貴方なら、双方の辻褄が合うと思わない?」
「……何か根拠があるんですか?貴方が別世界の人間、ましてや私だって言う根拠が!無いですよね!?どうせ非人の戯言でしょうから!」
虚華の首元に既に槍斧の槍の先端を突き付け、“虚華”は声を荒げる。その顔は完全に憎悪に染まっており、最早人間がしていい顔ではなかった。
呼吸も荒く、肩で息をしているせいで、少しずつ首元に槍先が食い込んで、血が垂れる。
虚華は痛みに耐えながらも、この状況を打破する方法を思案する。
何があったのかまでは分からないが、きっと“虚華”は非人に何かされたのだろう。彼女の顔はそんな奴と同じ顔をしている。
自分がこの世界の人間ではないこと。目の前の“虚華”に說明できるだけの根拠について考えるも、この場だけで說明できるだけの根拠がないことに気づいた。
自分達が潜ってきたディストピアへと通じる小屋まで行くまでの猶予はない。
此処から移動すれば、根拠なしと見做されてこのまま首が飛んでいく。
「悪魔の証明……、私の知識不足……。まさか、別世界の私に殺されるなんて思ってなかったなぁ」
「何言ってるのか分かりませんけど、根拠が無いってことは、反論は無いんですね。やはり、私は間違ってなかった!」
“虚華”は、虚華が黙りこくって俯いてるのを見ると、破顔する。その顔には、年相応な笑顔は貼り付いていない。
この世の全てを憎んでいるような顔で笑っていた“虚華”は、ひとしきり笑った後、表情が顔から抜け落ちる。
ゆっくりと首を動かし、虚華を見る。虚華も“虚華”を見るが、そこからは何も感情を汲み取れずに居た。
(雪奈が此処に居れば、「鏡の中の私」についての説明も付くんだろうけど、今は居ない……)
「………………」
「じゃあ、さようなら。私を騙った事がお前の一番の罪でしたね」
首元にあったはずの槍斧はいつの間にか、“虚華”が頭上に振り上げている。
きっと、もうまもなく虚華の頭を槍斧が断ち割ることだろう。
虚華は何も言わずに俯き、自身の死を覚悟する。打つ手は無かった。強いて言うなら一人で来たことが間違いだった。
キャハハと高い声で笑いながら、“虚華”が槍斧を振り下ろそうとしているのを見て、虚華は目を瞑る。
(ごめん、私、此処までだったみたい。自分に殺されるなんてなんて間抜けな人生なんだろう)
目を瞑ってから五秒、十秒と立っても虚華の頭には槍斧が振り下ろされていない。
目を開けたら、その瞬間に振り下ろそうとかそういう魂胆か、と思い虚華は“虚華”の方を見る。
「大丈夫?ホロウ。助けに来た」
「ほら見ろ!だから一人で行くなって言ったんだ!」
「あ、貴方達は……ホロウ・ブランシュの仲間の……」
虚華の目に写ったのは、魔術で“虚華”の振るった槍斧を空中で止めている雪奈と、首元や体中の傷を治療薬で回復させている臨─仲間の姿だった。




