【XII】#10 拒む戎に降り注がれる荊
「なるほど……な。これは随分と厄介な話になった」
「じゃあ、やっぱり……あの子……ホロウは」
毒々しい髪を掻き毟り、七つの罪源の一人であるアティスは頭を悩ませる。
事の発端はつい先程、ホロウ・ブランシュが居なくなったとブランシュ妹が騒ぎ出し、付近を創作していた所、一冊の本が雪奈の墓の近くに置かれているのを鎹里乃が発見したことだ。
(しかし、どうしてこんな所に禁書が置かれている?……何だか嫌な予感がするが……)
その本は魔導具の一種で、本を開いた特定の人物を本の中に閉じ込める物である。禁書とも呼ばれる代物が何故こんな場所に置かれているのかも謎ではある。脱出する手段も不明なものが多く、一度入ってしまえば出る可能性は非常に低い、危険過ぎる代物なのだ。
そんな恐ろしい書物を何も考えずに開けた里乃に、イズが重めの拳骨を振り下ろし、説教をしている中、アティスは中身をパラパラと読み進める。
幸いにも既に誰かを閉じ込めているらしく、魔導具は現在、効果を発揮できていない状態だ。
この状況下で行方不明になっている人物は、レーヴァでも一人しか居ないのは既に確認済みである。
アティス本人はただただかつての友人の墓参りに来ただけなのだが、どうしてこうも面倒なトラブルに巻き込まれるんだ、と内心複雑な感情に襲われていた。
さっさと帰るためにも、この場を解決する必要がある。あらかた読み終えたアティスは本を閉じ、息を吐く。
「この本が此処に置かれていることと、ブランシュが行方不明になっているという二つの事実。あまり考えたくはないが……」
「十中八九、魔導具に閉じ込められてるのは魔弾ちゃんだろうね〜。大方、表紙に惹かれて開けちゃった感じかなぁ?」
一人だけ随分とお気楽な態度で、近くの出店で売っていた温泉饅頭を頬張っていた里乃の手を、イズは強めに叩く。
食べかけの饅頭が地面に落ち、中の餡が溢れるのを見ていた里乃は、あーあ、と少し残念そうにしていると、イズは続けて里乃の服の襟を掴み、目をひん剥いて里乃に食って掛かる。
「どうしてこんな状況下でそんな気楽で居られるの!?お姉ちゃんが本に閉じ込められているのよ!?」
「ん〜。良くも悪くも他人事だし〜?それに魔弾ちゃんならどうにでもするでしょ〜?」
里乃の言葉に、イズは更にヒステリック気味に詰め寄る。
普段であれば姦しいものだな、とアティスも一笑に付して終わるのだが、場所も場所であり、状況も状況である。静粛であるべき友人の墓前で痴話喧嘩をされても、アティスとしても困るのだ。
こういった時に、ブランシュが居ないことの面倒さを覚えながら、アティスが咳き込む。
「今我々が行うべきは口論に非ず。この本からどうやってブランシュを連れ戻すか、ではないか?」
「……ですが、ノインが……」
ブランシュ妹の言い方は、子供の戯言でしかない。この状況下で他者を気にしている余裕があるのなら、姉を助けるために行動を起こすべきだ。
どこ吹く風で観光気分のままのノインに違和感を覚え、怒りを覚えるのはご尤もではあるが。
「ノインを責めれば、お主の姉は帰ってくるのか?違うだろう。ならば無駄を排し、最善の行動を取るのが、最愛の姉を取り戻す妹のするべきことではないか?」
「……そうですね。アティス様の仰るとおりです。ではどうされますか?」
未だに不安が表情から抜け落ちないブランシュ妹は置いておいて、問題は鎹里乃──ノインだ。
新規加入して間もないせいで、殆ど素性も知らないが、話によると元中央管理局局員だと言うではないか。自身の知らない間に託児所になりつつあるのは、今ひとつ賛同しかねているのだが。
ブランシュ姉妹、アラディア以外とはそれなりの距離感で過ごしていることから、かなりの場馴れと世慣れをしているのは間違いないが、その分、関わりも少ないことから情報が今ひとつ判然としない。
アラディア曰く、「彼女はもう生に執着していない。ただの快楽主義者だから扱いには気をつけて」と言われている。
確かに言われてみれば、そのケの片鱗はあちこちで見られた。花を買おうとした時も、亜人相手に喧嘩を売るし、道中に襲いかかってきた非人の命まで奪ったのは彼女だけだった。
(そういう意味では大罪人って訳か。人一人殺す為に盛大にやらかしたらしいしな)
刀や短剣を主軸に創造魔術、中級までの四属性を自在に使いこなし、得意属性なのか、火系統は上級以上も扱えている上、身のこなしもかなりのもの。
かつての母が元区域長だったのを鑑みずとも、彼女が区域長に指名されるのも頷ける。
だが、アティスには理解出来なかった。そんな才能を持った者が、どうしてただ武具を作れただけの女に嫉妬し、殺そうとしていたのかを。
別に殺したいのなら、さっさと殺せば良かった。あれだけの腕前を持っているのなら、闇討ちでも決闘でもまぁ負けることは早々ないだろう。
だが、彼女はそれをしなかった。公然と彼女の殺害宣言をし、最後には様々な人の手で阻止された。
そうして区域長の座を追われ、指名手配されたノインはこうして大罪人の集いである此処に流れ着いた、というのが彼女の出自だ。
アティスはかつての彼女を知らないが、眼の前にいる彼女は死を恐れていない。
今、楽しければそれでいい、そう思われてもおかしくはない立ち振舞をしている。
「わたしはどうしよっかなぁ。レーヴァの焼き鳥とか気になるなぁ〜。あれ美味しそうなんだよね」
「お前は……何処まで……」
現に、今も彼女はブランシュ妹を煽りに煽っている。現にブランシュ妹は肩を震わし、怒りを精一杯抑えている。
恐らく彼女の真意は、自分にはどうすることも出来ない上に、ブランシュ姉なら自力でどうにかするだろうから。と言いたいのだろうが、随分と伝え方が下手だなと心の中で苦笑している。
「残念だが、私もこの状況を打破する手段を持ち合わせていない。ノインの言うように、ブランシュ姉に委ねるしか無いだろう。一応、パンドラに報告はしてあるが……、折角の機会だ。貴公らはレーヴァ観光をしながら帰りを待つのが良かろう」
「……っ!ですが」
アティスの言葉に食って掛かろうとするブランシュ妹の言葉に、アティスは表情を変えずに、踵を返す。
元々低い声色は、冷たく鋭くなっていくのを、自分でも感じながら、きっぱり言い放つ。
「ブランシュ姉の異能を消し去る、もしくは奪う手段をお前は持ち合わせているのか?」
「……っ、いいえ」
「そもそも未知の魔導具など、基本的にどうにか出来ると思わない方が良い。私に出来ることなど、精々物を腐敗や腐蝕させることくらいなのだから」
「そっか〜。じゃあ「汚染」ちゃんは帰る感じなんだね〜?」
ノインの言葉にアティスはこめかみに青筋を浮かべるも、怒りを顕にせずに首を縦に振る。
「あぁ。私の用事は済んだからな。もう少しこの街を見て回った後に館へ帰るさ」
「もうアティスちゃんが居なくてもわたし達も此処に行き来できるし、全然おっけー」
里乃はにこやかに手を大きく振り回し、イズは小さくお辞儀をするという対極な新人を見送って、アティスはその場を後にする。
先程まで手にしていた魔導具に記されていた内容を思い浮かべながら、街を見て回ることにした。
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荒れ果てた街を巡りながら、アティスは魔導具に記されていた内容を想起する。
あの魔導具には赫の悲劇が起きるまでの出来事が事細かに描かれていた。主人公はどうやら「海棠氷空」当時のレーヴァに居たご令嬢との事だが、アティスはこの少女のことを知らなかった。
しかし、この魔導具には「戎矢ゆかな」──つまりはアティスの本名と雪奈との関係性が記載されていた。
つまり、この魔導具──「血塗れの日記」を作成した人物は、アティスの事を詳しく知っている人物である、と言える。
更に気になったのが、記されている内容に「黒咲臨」が登場していることだ。
断言しておくが、アティスの知る「赫の悲劇」に「黒咲臨」は登場していない。「血塗れの日記」には「海棠氷空」が導く誰かしらが、「黒咲臨」と争った末に破れ、そのまま緋浦一家を惨殺して終わる、という話の流れなのだが、事実とは大きく異なる結末で締めくくられている。
本の中身を現実に重ねながら、レーヴァを歩き、目的地に辿り着く。作中に度々描写されていた海棠氷空の住んでいる家がある場所だ。
勿論、日記に描かれていたのは非現実小説。同じ場所に「海棠氷空」の痕跡が残されているはずなど無い。そう思っていたのだが、現実にはちゃんと残されていた。
「海棠氷空」が住んでいた場所には、彼女の名が刻まれた墓が一つ、建っていた。




