【XII】#4 滾る激情に凍える虚妄
夜も更けていた事もあり、ホロウはソラの家で夜を明かす事にした。
人の体を借りていることもあり、自身がどれだけの睡眠時間を要するかも把握できていない中での夜更かしは、かなりリスキーだ。ちなみにホロウはたっぷり八時間寝ないと身体がまともに動かない。
お陰で、絶望郷に居た頃は、ずっと寝不足で辛かったくらいだ。
それでも時間は有限ということもあり、夜の間にできることはある程度出来たと思っている。
そのうちの一つが、この身体──海棠氷空の身体能力の確認だ。
(はっきり言っちゃえば私より大分運動神経が悪い……というか身体がすんごい重たい)
恐らくは探索者のような傭兵稼業も、命を懸けた逃亡劇も経験していないのだろう。
身体が危機感を持っていない。それに、魔術も殆ど使えないみたいだ。
炎属性の初級魔術が数個と、閃光が扱える程度で、他は単体で使えるものはない。
当たり前だが、現実改変は出来ない上に、自身の血液を用いても闇属性も呪属性も使えない。
今までの自分もそれなりに弱いと思っていたのだが、自分以上に弱い人の身体を借りると、自分はまだマシだったんだなと思ってしまう程には、この身体にとってはレーヴァは危険な場所だ。
家の中にあった、ソラの身体でも不自由にならない軽装甲よりも軽い、強化繊維で出来た防刃服を纏うと、少し眠そうな声で返事をするソラを鞄に押し込んで、家の扉を開く。
(まずはお買い物をしなきゃね。幸いお金はそれなりにあるみたいだし)
昨晩の間に、ソラからこの世界の規則をある程度聞き出しておいた。
この物語で残された時間はあと五日。五日後に『赫の悲劇』は必ず起こる。
これは避けられない真実であり、躱すことは出来ないらしい。
更に、自身の行動にもそれなりの制限があるとのこと。例えば、雪奈に接触して何処かに匿ったり、主犯格の臨に接触して説得するなどは、禁則事項として厳重に禁じられているとの事だ。
(規則を破った時点で先に進めないなら、自由行動なんてさせなきゃ良いのにね)
ソラから聞いた禁則事項を自分で簡単に纏めると以下になる。
・猶予は五日間。その間に緋浦雪奈、黒咲臨の両名への接触。
・レーヴァの外に出る事、また自身の正体を明かすこと。
・海棠氷空が起こし得ない行動をすること。
・過度な攻撃、殺戮、その他著しい行動。
簡単に言えば、単独行動をしながら情報収集をする分には何も問題はない。
要するに歴史が変わるような行いはするな、とこの物語の作者は言いたいのだろう。
しかしながら、ソラによると、時折『 』と戦闘する羽目になって、そのまま殺されてしまい、そこから先の話を閲覧することが出来なかったケースも存在するらしいことから、ただただ無防備にその辺を歩いていれば良い訳でもないらしい。
とんでもない物語の追体験をする羽目になってしまったと、昨夜は独りでに悩み果てたが、それでも逃げ出すという選択肢はそもそもホロウには無かった。
前々から「赫の悲劇」については知りたいと思っていた。
しかし、誰しもが口を噤み、真実を語ろうとしない「禁忌」とまで呼ばれていていた殺戮事件──そんな惨劇を自分の肌で感じ取る事が出来るのなら、逃げるなんて選択肢はホロウの中にはなかった。
道先案内人であるソラを鞄に押し込んで家を飛び出したホロウは、真っ先に魔導具店に入る。
立地こそ悪いが、取り扱っているものはピカイチだと、ソラが太鼓判を押していた店だ。
扉を開くと、むわっと古臭い匂いが部屋中に充満している辺り、あまり繁盛はしていないのだろうが、ホロウは気にも留めることなく、店の中の商品を物色する。
目当ての物を見繕えば、すぐにでも次の目的地へと向かわねばならない。時間に余裕のないホロウは、一日のスケジュールをある程度決めて動いている。
簡易魔術紙を手に取ると、簡易魔術紙特有であるインクの匂いが、鼻腔の中から離れてくれそうにない。
ホロウが店に入って暫くしてから、奥の方から店主らしき老人がのそのそとこちらへ歩いてくる。
「……らっしゃい。若い嬢ちゃんがこんな店に来るなんて珍しいの」
「ちょっと探し物をしていてね。短時間の『透明化』と、『液状化』に、『付与魔術』、『縮地』、後、初級四属性の魔術が使える簡易魔術紙はある?」
ホロウの言葉を聞いた老人は、瞬時に目の色が変わる。先程までは冷やかしに来た子どもを甘やかす店主だったが、一瞬で空気まで凍てつかせる。
チラリと伸び切ったせいで瞳まで隠れてしまう程に、長い眉毛から垣間見えた瞳からは、ホロウへの警戒心が顕になっている。
「……そんなモノ、未成年の嬢ちゃんが何に使うつもりじゃ」
「『透明化』は魔物の生息地付近に生えている薬草を摘む為に。『液状化』は仮に魔物が襲ってきた際に足止めして逃げる為に。『付与魔術』と『縮地』は危ない時に逃げる用だけど、売ってくれないの?」
我ながらよくもまぁ此処まで嘘八百を並べれるな、と自己嫌悪に陥りそうになる。
昔はこういう交渉事は臨が全部やってくれていたのになぁ、と今は隣りに居ない仲間を思い出す。
同姓同名、世界が異なるだけの同一人物がこれから大罪を犯すというのだ。自分のやろうとしていることなど、些事に過ぎない。
ホロウがあまりにも饒舌に理由を述べたせいなのか、店主は訝しげな目線をホロウに向ける。
「お主は……探索者か?ただの薬草摘みだけなら割に合わぬじゃろう。どんな依頼を受けておる?」
「うーん、探索者が一般人に依頼内容を明かすのは基本的に禁忌とされているから……教えられないの、ごめんなさい」
ホロウの言葉を聞いた店主は、最後まで納得のいっている様子ではなかったが、ホロウの言った簡易魔術紙を店の奥の棚から取り出し、対価と交換で手渡してくれた。
手渡された簡易魔術紙の中身を確認し、本物であることを確認したホロウは、鞄に丁寧に仕舞、店主にお礼を述べると、外に出る。
簡易魔術紙と一緒に押し込められていたソラが慌てて鞄から飛び出すと、本の角でホロウの肩をバシバシと叩いてくる。
どうやらご立腹のご様子だ。一体自分が何をしたというのだ、そんな態度でソラの方へ向く。
「どうしたの?そんな狭い鞄の中で押し込まれてたのに、更に物を詰め込まれたせいで、死にそうになったみたいな感じで出てきたみたいだけど」
「もう怒る気も失せましたわ……あまりにもぞんざいな扱いに泣きそうになったんですの……。私様がこの物語の道先案内人になってから初めてですわよ。こんな仕打ちを受けたのは」
怒る気も失せましたわ、と言う割には、ふよふよ浮かんでいるソラは怒りでわなわなと震えているように見える。
だが、その事を突っ込むと火に油を注いているようなものだよなぁと思い、ぐっと堪える。
「それにしても、やっぱり五年後とは大分違うね。明るい内からもかなり活気があるみたいだし」
「……そうですわね。これでも客足は遠のいたものですけれど……。まだこの時は他区域への移動を規制されていませんでしたから」
そのせいで、ホロウの知らない食べ物や装飾品があちこちにあるのか、と納得する。
赫へと移動するにあたって、赫の特産品や、地形や地質等、多岐にわたってイズと学んだ事もあって、見知らぬ物が沢山並んでいる現状に違和感を覚えていた。
それらが他区域から齎されているのであれば、合点がいく。
この世界においての歴史も少しは齧っている程度ではあるが、この「赫の悲劇」以来、他区域へと移動したがる者自体が激減した、と禍津から拝借した本に記載があった。
だからこそ、中央管理局は他区域への移動と様々な情報を全体的に規制したのだろう。
(そうすれば、多少なりとも民草の恐怖心は緩和されるだろうしね)
ソラの声色からも分かる通り、規制されたせいで故郷へと帰ることが困難になった者も少なくはない上に、区域間の魔物討伐や、希少な植物を取る機会も激減したせいで、一部区域の探索者もかなり減少傾向にある。
だからこそ、現在のフィーアでは規制緩和を望む声が、蒼の一部でも聞こえていたのだが、赫ではそれが無いようにも感じた。
(っと……今度は雪奈とアティスを探しておかなきゃ……)
接触は禁じられているが、どんな行動をしているのかを把握することは禁則事項ではない事は確認済みだ。
それに、ある程度何処に居るかくらいはソラが教えてくれるので、随分とスムーズに彼女らを探すことが出来た。
現在は昼下がりのティータイムと言った所だが、雪奈とアティスは緋浦邸の大きな庭で優雅なアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「やっぱり知り合いだったんだ……まぁ雪奈お嬢って呼んでたし、当然か」
「貴方は……あの方を知っているんですの?」
ソラはパタパタと飛んだまま、ホロウにそう尋ねる。
顔色は伺えないが、声色を鑑みるに、ソラはアティスの事を存じているのだろう。
「うん、名前は知らないけどね。面識はあるよ。ソラは?」
「ありますわ。彼女は「戎矢ゆかな」緋浦雪奈の付き人ですわ。まぁ、この物語にとってはエキストラでしかありませんから、忘れてしまっても構いませんわ」
アティス改め、戎矢ゆかなは見た目こそほぼ変わりないが、髪色がぜんぜん違う事に気づく。光の加減によっては毒々しい紫に見えるのだが、殆どが綺麗な赤よりも紫だ。
髪の毛の纏め方も、今でこそ乱雑に括っただけの事が多いが、今の彼女はいつ舞踏会に呼ばれても問題がない程に、美しく着飾られている。
「戎矢ゆかな……ね。不老不死の神の名を冠しているのは何か意味があったりするのかな」
「……?何を言っていますの?それにもう大分暗くなってきましたわ。そろそろ帰りませんこと?」
「そうだね、もう少しだけ観察したら帰るよ」
「分かりましたわ……というか私様、何も言いませんでしたけど、何さらっと木に登ってますの!?はしたないですわぁ!」
ソラの癇癪など意にも介さず、ホロウは彼女の動向もやはり探る必要があるな、と遠視の魔導具を用いながら、二人が部屋に入って見えなくなるまで微笑ましいアフタヌーンティーパーティーを遠くから見つめていた。
一日の行動を終え、家に変えるとへそ等無い癖にへそを曲げまくったソラの為に、本の手入れ道具をこっそりと道すがらで買っておいてよかったなぁとホロウは、布団に入り眠りについた。
赫の悲劇が起きるまで、残り四日。




