【XII】#3 焚書されるべき禁書
まず、ここは何処だろうか。先程までは赫の区域──レーヴァに居た筈だったのだが。
辺りを見回しても、先程まであったはずの慰霊碑がない。ただ……一つ気づいたことがある。
「地形は同じみたい……だよね。見た感じ、此処が街の外れみたいだし。……けど」
綺麗過ぎる。アティスに案内された場所と同じとはとても思えない。
それに、ホロウの手元には何故か喋る本が一冊、持ったままになっている。
視線を向けると、その本は視線を感じたのか、表紙から嫌そうな声がする。
「何こっちを見てるんですの。邪な視線のせいで孕みそうになりそうですわ」
「孕むわけ無いでしょうが……。そもそも私は女だし……」
なんで本相手にツッコミ入れているんだろう、と自分の行いに疑問を抱きながら、周囲を見る。
今までのケースとは訳が違う。パンドラ然り、「クォーツ」然り、毎度毎度意味の分からない場所に飛ばされる場合は、風景も背景もぐちゃぐちゃに捻じ曲げられていた。
しかし、今回は違う。建物も、風景も、空だって綺麗な物だ。その観点から見ると、今回の出来事は人の道を外れた外道達の仕業ではないことは理解した。
それにこの本は一体何だ?喋る本というのは魔導具でも聞いたことがない。しかも、こちらを認識して会話をする辺り、高度な知能を持っている事は容易に想像がつく。
何度も理由の分からない状況に放り込まれたホロウは、歪な方向で成長している事を自覚しながら、改めて本に向き合う。
「ねぇ。ちょっと良い?」
「良くねーですわよ。……なんですの?」
どっちなんだよ、というツッコミをぐっと抑えながら、ホロウは薄い笑みを顔に貼り付ける。
固く握りしめた拳を背中で隠して、歪な本を掴む手を少し強める。
「ちょ、ちょっと痛い、痛いですわよ」
「ごめんなさい、強く触り過ぎちゃった。それで、キミを開いた瞬間此処に飛ばされたみたいだけど。キミは何か知ってる?」
有無を言わさない言い方を意図的に避けたホロウの言葉を聞いた本は、表紙の色を少し赤くすると、少しだけ本体を熱くさせる。
「ふんっ、私様は何も知りませんわ。貴方が勝手に私様を開いただけでしょう?なら、私様に言えることは何もありませんわっ」
「ふーん……、そう。じゃあ私、日が落ちて寒くなってきたし、燃やす物もないから、この本を燃やして暖を取ろっかな」
瞳のハイライトを消して、ホロウは空いた方の手に炎を生み出して、本に近づける。
すると、先程とは打って変わって、本は急に青くなり、ひんやりと冷たくなっている。
どうにも自分以上に分かりやすいようだ。非常に助かるなぁ、とホロウは笑う。
「私様が悪かったわよ!状況を話すから、だから、燃やすのだけは辞めなさい!」
「最初から教えてくれれば良かったのに。最初からゆっくり話してね?」
ホロウは優しく接していたつもりだったのだが、どうやら本には一切そういう風には映らなかったらしく、邪悪な笑みで笑う魔女のように見えていたらしい。
ホロウ自身が魔女であることは、あながち間違いではないのが、また面白い所である。
近くにあったベンチに座り、本を隣に置くと、表紙をパタパタとさせながら、色々なことを話してくれた。
一頻り話し終えると、本は少し疲れたのか、少しだけぐったりしているように見えた。
内容がないようなだけあって、全てを信じることは出来ないが、彼女の話が真実なら、合点がいく部分も非常に多かった。
「じゃあ此処は、キミに記された記録上の世界……って認識で良いの?」
「その認識で間違いないですわ。重ねてにはなりますが、気づいておりますの?」
「何に?」
「どうやら貴方は、当時この世界には存在していなかったみたいですわね。両手をご覧なまし」
本の言葉のままに、ホロウが両手を見ると、何処か違和感を覚える。
よくよく考えればそうだ、この両手は自分のものじゃない。じゃあこれは誰の手だ?
それに、彼女の言っている言葉が妙に引っ掛かる。この世界のシステムをまだ理解できていない。
この場所を出る条件なども分からないのだから、協力関係を気づいていく必要があるのに、だ。
「どうやら確かに、私の手じゃないみたい。じゃあこの身体は誰の?」
「えぇ、私様のモノですわ。厳密に言えば、過去の私様の実体に憑依した形になりますわね」
鏡などは無いから、付近の水に反射している自身の姿を確認すると、どうやら現在のホロウは十代後半の、臙脂色の髪を持つ少女になっているようだ。
(これがこの本の過去の実体……?ますます謎が深まってきた……)
「赤色……うーん、臙脂色っていうのかな?の髪って事は赫出身の人ってこと?」
「えぇ、そうですわ。当時は人間種でしたし、そういう点では貴方と同じかも知れませんわね」
姿形だけでは人間種と変わりないホロウのことを元人間種という時点で、自身の秘密もある程度知られていることを危惧する必要がある。
ただ、最優先事項はこの場からの脱出だ。少なくとも自分一人ではここから脱するのは厳しい。
このまま情報を引き出して、行動の糧にしていこうと判断したホロウは質問を重ねる。
「改めての確認になるけど、此処は五年前のレーヴァ──赫の悲劇が起こる五日前。もうまもなく惨劇が始まる頃……って認識で間違いは無いよね?」
「えぇ、間違いありませんわ」
「そして、この身体は貴方の肉体に私の精神が憑依している形だって言ってたけど、貴方の名前を聞いても良い?流石に不便過ぎるし」
「そう言えば、確かに名乗ってませんでしたわね。私様は海棠氷空。ソラって呼んでくれればいいですわ。周りの者も姓名のどちらかでしか呼びませんから、分かりやすい筈ですわ」
海棠氷空を名乗る彼女の名前には聞き覚えがない。赫の悲劇の犠牲者リストに一度、目を通したことはあるが、そこに彼女の名前はなかった。
この区域の人間種は絶滅したとは聞いているが、こうして本に精神を憑依させている元人間種が居たっておかしくは無い。
ホロウの記憶によれば、赫の悲劇が始まったのは黒咲臨が緋浦雪奈とその両親を殺したことが切っ掛けで始まった惨劇だ。
ならば、この五日で何を成せば良いのだろうか。仮に雪奈に接触できたとしても、彼女を助けてしまっても良いのだろうか?
“|Butterfly Effect《既存事象の改変による因果律変更》”だって起こり得る可能性がある。
「ねぇ、ソラ。この五日間で私は何をすれば良い?赫の悲劇に私が介在する余地はあるのかな」
「ありませんわ。それに、結末が変わるような行動は出来ません。あくまで既に起きた事象を追体験出来る、程度のモノだと思ってくださいまし」
「じゃあ例えばで聞くんだけど、この場で私が自殺したとしたら、このお話はどうなるの?」
「……初手で自分の命を捨てる選択肢を出すなんて、どんな神経してますの……?でもそうですわね、何度でも申し上げますが、この物語は『赫の悲劇の真相』を垣間見る為の舞台装置。それを不可能にする選択肢はそもそも取ることが出来なくなっていますの。なので、ある程度私様の身体が制限する行動は出来なくなりますの」
まぁそれもそうか、とホロウはソラの話を聞いて、ひとりでに頷く。
この場から脱することも重要だが、資料上でしか知り得なかった『赫の悲劇』の内情をこの目で見ることが出来るのなら、それを無碍にする為に自殺する確かに必要など無い。
自分以外の三人がこの本を視認していたのかは流石に分からないが、あんなに分かり易い場所に置かれていたのに、誰も話題に出していなかったのを鑑みると、恐らくは見えていなかったのだろう。
「って事は平穏に暮らすために蒼や黄に移動することは……」
「出来ませんわね。というか貴方、赫の悲劇をその目で見たいんじゃありませんの……?」
本の状態のソラからは、顔などの情報の判断材料が一切ないのに、声色だけでドン引きしているのが目に浮かぶ。
ホロウはあまり気にしていないが、話し方や、ソラの言葉遣いを鑑みるに、それなりに身分の高い生まれ育ちをしているのだろう。
そんな彼女の身体を借りている以上、無駄に負傷などはさせたくはない。
此度の出来事はあくまで観劇とでも思っておこう。自分ではどうにも出来ないと明言されているのだ。
少し、申し訳無さを覚えていたホロウは、こめかみをポリポリと人差し指で掻きながら、ソラに謝罪する。
「……そうだね、抜け道を探すのは私の悪い癖みたいなものだから気にしないで。それで?ナビゲーター役のソラちゃん。私はこれからどうしたら良い?見た感じ、大分真っ暗だけど」
「このまま、今晩は私様の家で夜を明かしましょうか。案内しますわ、こっちですの」
本状態のソラがふわふわとホロウの前に浮かび、先導してくれたお陰で迷うことはなかった。
暗い中でも、街の活気は自身が見てきたものの比ではないし、貧困街らしきものも見当たらなかった。
きっと、赫の悲劇によって、今のレーヴァが出来たと言っても過言ではない。
(知らなきゃならないことではないにしても、臨と雪奈が絡んでるなら……)
この世界で何が起きたのか。知ることで何か変わるのだろうか。
赫の悲劇が起きるまで、残り五日。




