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【Ex】#10-Fin 奪われた拾頁目


 ある夜更けに、結代虚華こと、ホロウ・ブランシュは夜の街を散歩していた。

 理由なんて何も無い。ただ、どうしても眠れない夜だって時には訪れるものだ。

 場所はすっかり人気のなくなった蒼の区域の首都ブラゥの中央広場の近くの外れ。

 此処最近気づいたのだが、この辺りは夜になると殆ど人が通らず、魔物も現れないので、一人で散歩をするのに最適であると言える。

 「歪曲」の館の周辺にある森では、どれだけ歩いても時間は経過しないのでこういう時間を過ごすのには不適。少し歩けば体力も消耗して眠れるだろうと踏んだホロウは、ちょくちょく蒼の区域に出ては、散歩という名の徘徊をしていた。

 蒼の区域で鎹里乃が起こした騒動から約一ヶ月ほど経った今日この頃。

 今日も今日とて眠れない夜を過ごしていたホロウは、ブラゥに降り立ち、いつものコースをまったりと散策していると、普段は誰も居ない筈のベンチに、三十代半ば──おじさんに片足を突っ込んだややくたびれた用に見える男が、ぽかーんと空を眺めていた。


 (珍しい。夜遅くのこんな場所に人が居るなんて……でも困ったな)


 いつものホロウは、今おじさんが座っているベンチで少しだけ空を眺めてから帰るのが、ルーティンと化していたのだが、先客が居てはそれを達成することは叶わない。

 人が居ては気休めも出来ないホロウは、渋々別のベンチを探すべく、来た道を帰ろうとすると、ベンチの方から声がする。


 「おぉい、嬢ちゃん。なんで踵を返して戻ろうとするんだ?」

 「…………」


 ホロウはその場で立ち止まったのも刹那、脱兎の如く走り出した。

 正直言って怖すぎる。こんな夜更けに、しかもそれなりに離れていた筈のホロウに声を掛けてくるおじさん(三十代半ば)なんて逃げてしまうのは何らおかしいことはない。

 今までにも怖い経験はそれなりにしてきたつもりだったが、今回のおじさん声掛け事変は、ホロウの中でも上位に食い込むほどの恐怖体験だった。

 ブラゥの市街地付近まで、休み無しで走り抜け、流石にもうおじさんの声がしないだろうと思ったホロウは、荒くなった息を整え、水を飲んで一息ついていた。

 

 「嬢ちゃん……なんで逃げるんだよ……、おじさんは話がしたかっただけなのによぉ」

 「ひゃあああああああああああ!?!?!?」


 背後から急に声がした事に気づいたホロウは叫んだ。此処最近で一番の悲鳴だった。

 この部分だけ切り取ってしまえば、きっと崖から落とされた被害者とタメを張るだろう。 

 幸い、人気がない事には変わりないので、民家から誰かが出てくることはなかったのだが、取り乱したホロウは咄嗟に距離を取って、声の発生源に向かって銃口を向ける。

 涙目で顔を赤らめ、肩で息をしながら自身が銃口を向けた男を改めて見ると、気弱そうで見るからに体育会系ではないなよっとした風体の中年男性だった。


 (……あれ?)

 

 しかし、彼の様子を見て、ホロウはおかしいと思った。

 自分で言うのは何だが、ホロウはそれなりの速度で長時間走ったのだ。それもかなり怖かったせいで、普段のトレーニングの比じゃない速度だった。

 それなのに、彼は息を切らすこともなく、ただヘラヘラとした様子で笑っているだけだ。

 服装は……と、ホロウは目を凝らして男のことをよく見ようとしていると、夜目が効いてきて、彼の服装にまで目が行って気づいた。彼は中央管理局の職員と同じ格好をしている。

 白を基調とした軍服のような制服は、イドルやスメラが着ていたそれと同じだった。腕に巻いている腕章から見るに、蒼の区域所属の人物ではないようだが、所属は何処なのだろうか。

 どうしてこんな夜更けに、中央管理局の職員が、自分を追い掛けてきたのだろうか?

 謎は解けないままだが、未だになよっと笑っている男に害がないことを確認すると、すぐに銃口を下ろす。

 ただ、すぐに発砲できるようにはしておく。あくまで警戒心は最大限引き上げておく。


 「落ち着いたか?ったく、最近の若い子は血の気が多くて困ったもんだな」

 「……貴方は誰ですか?私に何の用ですか?」


 あの事件以来、里乃とイズはホロウの近くで所有権を争って日中はぎゃあぎゃあと騒いでおり、夜寝ようとすると時折「クォーツ」に強制的に拉致され、昼夜問わずに一人の時間を得ることが出来なかった。

 そんなホロウからすると、この散策の時間は、貴重な一人になれる時間だったのにも関わらず、こうして知らない男に絡まれる。

 これが不幸でなければ何なのだ。どんよりと重い気持ちで、眼の前の男を警戒していると、男は中央管理局の職員が持っている身分証明書をホロウの前で開いて見せる。


 「俺はオルテア・ランディル。蒼の区域の臨時的な区域長を任されている男だ。お嬢ちゃん、ちょっと話を聞きたいから、時間をくれるか?」

 「…………それって強制ですよね?」


 ホロウが心底嫌そうな表情でそう尋ねると、オルテアと名乗る男は、こくりと首を縦に振る。

 申し訳無さそうな表情をしているが、本当に申し訳ないと思っているなら解放して頂きたい。

 どうやら本職の管理局員だったらしい上に、逃げることは叶わないらしいので、黙って近くのベンチに座って話をすることにした。

 すぐにでも逃げる算段は付けておきたい。なにせ、中央管理局の人間と絡んで良いことなど一つもなかったからだ。

 ディストピアでも、フィーアでも。


 _______________


 「ほらよ、時間を貰った詫びだと思ってくれ」

 「……ありがとうございます」


 オルテアと名乗った男は、ホロウに甘味料が入った飲み物を手渡す。

 すぐ近くの夜店で買ったらしく、ホロウもそれなりに愛飲している物の上に、先程まで走りっぱなしだったので、有り難く頂戴することにした。

 封を切り、ぐいっと喉に流し込むと、シュワシュワっと炭酸が喉に絡みついて、先程までの疲れとともに、洗い流してくれる。


 「っはぁ……美味しい……。それで?私に話ってなんですか?まさか、補導ですか?」

 「んな面倒臭いこと、俺がするわけ無いだろ。仕事はサボるためにあんだよ」


 何なんだこの男は?とホロウは首を傾げる。てっきり職務質問か、補導の類だと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 此処最近は物騒な事件だってあったばかりだし、未成年に間違えられたのかと判断していたのだが、彼の言い分だとどうやらそうじゃないらしい。


 「じゃあなんで私を捕まえたんです?ただ散歩してただけですよ?」

 「あぁ、だろうな。この近辺は人も殆ど通らないしな。だからこの辺をよく歩いてたんだろ?」


 一気にオルテアに対する警戒度合いが引き上がる。

 彼は自分に会うために、この時間帯に待ち伏せしていたと言わんばかりの言動だ。 

 ただ、此処で逃げるわけには行かない。恐らく素性もバレていると見て良い筈。

 何が目的か、聞き出すのが先決だろう。一気に相手を敵として判断したホロウの顔つきが変わったことに気づいたのか、オルテアがにへら、と下手くそな笑みを浮かべながら飲み物を煽る。


 「あー。勘違いしてるのかも知れねぇが、俺はお前をどうこうするつもりはねぇよ」

 「その言い方は、私が何者なのか、ある程度把握している前提の話ですよね?」


 飲み物を頂いた恩程度は返すつもりだが、こんな場所でお縄に付くつもりは更々無い。

 ホロウの問いに、オルテアは頭皮をガシガシと掻き、ぶっきらぼうに言ってのける。


 「あぁ、知ってるとも。お前さん……ブランシュは「七罪源捜索課」って知ってるか?」

 「……?いいえ、存じ上げませんけど。文字通りの事をしているってことですよね?」


 「あぁ、そうだ。俺もそこの課長も兼任しているんだが、そこにはフィルレイスやイジェルクトも所属している。その二人の事は流石に覚えてるよな?」

 「……なるほど。概ねの事は理解しました。では私からもお聞きしますが、貴方達は私の事をどう認識していますか?」


 質問を質問で返すことを、無礼だと分かっていても、ホロウは質問を優先した。

 この質問の返答次第では、問答無用で逃げるつもりだからだ。

 ただ、逃げることは出来ないだろうとも思っている。彼の身体能力も適性も何も知らない。

 情報の持ち得ていない相手を相手するのは非常に不得手だ。

 未知は最大の恐怖。既知にしないと行けない。そういう点で、ホロウは相当不利だと言える。

 脳内で、次に起こすアクションのシミュレーションを何度も繰り返しながら、オルテアの様子を窺う。

 随分と余裕そうな風体に、ぱっと見は丸腰に見える。とても戦闘慣れしていないその様子からはとても、余裕には見えないのだが、逆に警戒心を高めさせるような。そんな不思議な男をじぃっと見つめる。

 

 「そんなじっと見られると照れちまうな。んで、お前さんの質問の答えだが、ジアを拠点に活動している中堅探索者トライブ「喪失」の“元”リーダーで現在は蒼の区域の要注意団体の【蝗害(アバドン)】の夜桜透や、玄緋兄弟と仲良くしている。って位だな。うちのピンク髪の同僚が上げた報告書に、お前さんの話もあってな。少し興味があってコンタクトを取ったわけだ」

 「……スメラさんは私のことをよくご存知なんですね。私は以前初めてお会いしましたけど」


 聖骸布を纏い、顔を見せていなかったせいで、変態のおっさん扱いされたのを地味に根に持っていたホロウは、スメラの事をよく覚えている。

 ピンク髪でツインテールで髪を纏めていた随分気の強そうな女性だ。彼女が暗闇からの閃光に非常に弱かったお陰で、ホロウ達は難なく脱走することが出来た。認識で言えばその程度だ。

 逆に、ホロウの顔を一切見ていなかったのに、自分のことを一目で「虚妄」のヴァールだと判別したイドルの方が危険度が高いと、当時の自分は思っていた。

 ホロウがスメラの話をすると、オルテアはにんまりと笑い、何処からかヘルメットを取り出す。

 

 「あー。そりゃ墓穴だな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ブランシュ。お前さんじゃない。ま、聞かなかったことにしてやるから安心しな。勤務時間外に罪人しょっぴくとかだるいからよ。ましてや世界を揺るがす程の大罪人だったとしたら尚更な」

 「……そりゃあ、私としては助かりますけど。良いんですか?見る人が見れば、世の咎と区域長代理の密会に見えますよ?」


 ホロウがドスの利いた声でそう言うと、オルテアは快活そうな声を出して笑う。


 「別に構わねぇよ。プライベートで誰と関わろうが、俺の勝手だ。違うか?」

 「違いませんけど……限度があるのでは?」


 違いないな、とオルテアは小さく呟くと、飲み物を煽り、愉快そうに笑う。

 竹を割ったようなさっぱりとした話し口もあって、その後もオルテアとは様々な話をした。

 勿論、こちら側の情報を一切引き出させずに、あちら側の雑談をなんとか切り抜ける。

 それでもなんだか、久方ぶりにまともな会話ができたのかも知れない。

 気苦労が一切ないかと言われれば嘘になるが、それでも普段のように話してて疲れるようなことはなかった。

 季節が冬ということもあり、日が昇るのも早く、気づけば夜が明けそうになっていた。

 流石に眠気が襲ってきて、ホロウがあくびを一つすると、オルテアは懐中時計を見て、驚いた仕草を見せる。


 「おっと、もうこんな時間か。お前さんも夜更しし過ぎだ。解散すっか」

 「そうしましょうか。流石にちょっと眠いですし」


 「じゃあまたな。次は恐らく赫に行くんだろうが、あそこは治安のチの字も無い場所だ。スメラの報告書からも凄惨さが伺えたから、気をつけるんだぞ」

 「えぇ。お気遣いありがとうございます。また何処か出会えたらお茶しましょう」


 ホロウが丁寧にお辞儀をすると、手をヒラヒラとさせながら、いつの間にか消え去っていった。

 なんだかスッキリした気分に帰路についた時に気づいた。

 次の目的地が赫の区域などと、自分は言ったつもりがなかったのだ。

 言動には最新の注意を払っていたので、ある程度は中身も覚えている。


 (いいおじさんだと思っていたけど、その実、食えない中年だったって訳ね)


 美味しいものには毒がある。良薬は口に苦し。

 そんなことわざをこういった形で噛み締めることになるとは思っていなかったホロウは、「歪曲」の館に戻り、久方ぶりに誰にも邪魔されずに眠りにつくことが出来たのであった。


 

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