【Ex】#8 侮られた捌頁目
「よぉ、呼び出しちまってわりぃなァ。ホロウぅ?」
「……今度はキミなんだ。どうせ私が何言っても意味ないだろうし、もう良い。それで?」
どうにも懐かしい、その口調にホロウは苦笑いが隠せなかった。
「あ〜。なんだ、うまく言葉に出来ねェな。別にこれといった用事はだな……」
「そう。じゃあ帰って良いってことだよね。私は用事ないし」
随分と冷たい態度でこの場から立ち去ろうとしているホロウを、焦りを隠さずに引き止める少年の姿が、あまりにも自分の記憶の中に居た彼と似ていたものだから、なんとも言えない感情に襲われる。
結代虚華──ホロウ・ブランシュは眼の前の異常な光景にもう慣れてしまっていた。
今目の前にいるのは姿形や口調だけを見れば、かつての友人──獅子喰らう兎に所属していた白月楓なのだが、彼は楓ではない。
あちこちがぐちゃぐちゃに掻き乱されているのにも関わらず、自分と楓を模した人物がいる場所──此処だけはきちんと形を保っている。
この状況を鑑みると、此処は「多次元異常空域」と呼ばれ、眼の前の少年は「ゴースト・クォーツ」通称「クォーツ」と呼ばれているディストピアの人間である可能性が高い。
否、確実に彼が彼である筈がない。彼はただの人間だ。
既に人の身を捨て、普通の人の生活を諦めた自分が関わって良い人間ではない。
それにしても「クォーツ」は、此処最近、いろんな過去の知人の姿を借りて、度々ホロウを呼び出しているが、今ひとつ要領を得ない。
(一体何が目的なんだろう)
眼の前の「彼」は、ホロウの記憶の通り、やや乱雑にお菓子をボリボリと食べている。
前回は薺、そして今回の楓と何を基準に姿を選んでいるのかは分からないが、場所が場所であれば本人と見間違えるほどのクオリティで擬態してくるのがまた質が悪い。
ホロウはいつもの通り、好物であるミルクティとフィナンシェを頬張りながら、「彼」が話を始めるのを待つ。
しかし、待てど待てども、お菓子は減らず、「彼」が言葉を切り出す様子もない。
ついに痺れを切らしたホロウは、ミルクティをずいっと飲み干して、話を切り出す。
「今日の話は何?最初は顔合わせ、前回は近況の報告。じゃあ今回は?」
「あァ、その件なんだがなァ」
自分の記憶にも残っている気怠げなその物言いに懐かしさを覚えながら、楓の言葉の続きを待つ。
彼が自分の知っている彼じゃないと、頭では分かっていても、どうしても記憶の中の彼と重なってしまう。
食べ方も、口調も、気の使い方から焦った時の反応まで全く一緒なのだ。
それは前々回の自身もそうだったし、前回の薺だってそうだった。
際限の無い再現性が、ずっとホロウの心をじわじわと蝕んでいる。
「お前は一体何のために、此処に逃げ込んだのかを聞きたくてな」
「どうしてそれを貴方に教えなきゃいけないの。勘違いしないで欲しいけど、私は私の意志で此処に来てる訳じゃない。「クォーツ」、貴方の仕業なのかは分からないけど」
冷たい態度で彼の問に答えると、周囲の空気がすぅっと冷えていく。
「クォーツ」は顔色一つ変えずに、ホロウを直視する。その表情を見て、心底安心した。
やっぱり彼は彼じゃない。あんな冷酷な表情を狙ってできる男じゃない。
──それに今は彼に情報を与えたくはない。
どうして逃げたのか。その問いに対する解答一つでこの世界への入口を見つけられる可能性だってある。
彼が現れたせいで、ディストピアが現在どうなっているかを確認することすら出来ないのだ。
言葉の真偽すら判断できないシュレディンガーの猫箱状態に陥れられたホロウは、最大限の抵抗の意味を込めて、彼に情報を落とすことを意図的に拒んでいる。
黙秘をし、相手の様子を窺っていると、「クォーツ」はぷっと息を吐き出し、まるで笑いを堪えきれなかったかのように笑い出す。
その反応を見たホロウは苛立ちを顔に浮かべながら、食って掛かる。
「なに。楓の顔でそんな反応して欲しくないんだけど」
「あぁ、ワリィ。この身体の持ち主とは半絶縁状態だって話だが、随分とお優しいジャねぇか」
ケラケラと笑いながら、「クォーツ」は楓の身体の隅々まで見回す。
気づかぬ間に、「クォーツ」は、彼のヰデルである『Crime&Punishment』まで取り出していた。
彼の腰に帯刀されていた灰色の片手剣は、瞬く間に黒と白の一対の小刀へと変貌する。
臨と楓が模擬戦をしていた時に使用していた物と寸分の違いのないそれは、武装を一切持っていないホロウにとっては非常に危険なものだ。
いきなり周囲に張り詰めた緊張感が、二人の間に広がる。まさしく一触即発と言った感じだ。
「丸腰の少女を慰み者にするつもり?」
「あァ?んなまさか。……あー。お前は知らねぇのかもしれねェが……俺、……いいや「クォーツ」は共有した身体の記憶を垣間見ることが出来る。言いたいことは……分かるよなァ?」
まるで何か自分に理解させようとしていることは分かるのだが、その事実が何なのか、分からない。
どうにも人の身を捨ててから、人の感情に疎くなったのかもしれない。
暫くの間、考え込んだが答えが出てこなかったホロウは、訝しげな表情で「クォーツ」を見る。
「……何が言いたいの?」
「お前……俺が言うのも何だが、罪作りな女なんだな……。少しこの男に同情するわ」
半ば呆れた表情でこちらを見ていた「クォーツ」はヰデルを納めて、小さく息を吐く。
「別にこの武器でお前を斬って落とすつもりは更々ねェ。ただ……、知っておくべきだと思ってな」
「さっき言ってた、記憶の話?本当だったら、キミの所属していたトライブと、その構成員を教えてよ」
それを答えられたのなら、ひとまずは信じよう。仮に彼に読心術や他の手段で情報を引き出せたとしても、それはそれで、話を続ける価値があるものだ。
世界の外から干渉しているのなら、他の手段だって取りづらい筈だ。
ホロウの問に、「クォーツ」は迷う素振りすら見せずに、口を開いた。
「獅子喰らう兎……、メンバーは、紫野裂しの、夜桜透。お前の聞きたい答はそれだろォ?」
「それがもし仮に、対象の記憶を覗き見た結果だったなら、何度も色んな人の身体を借りれば、私なんて居なくとも情報収集は終わるんじゃないの?」
「クォーツ」はホロウの言葉を聞いて、眉を少し上に上げ、嬉しそうな表情を見せる。
まるで、その質問を待っていました、かと言わんばかりの顔を見ると、なんだか無性に腹立つ。
「何度でも言うがなァ、俺ァ、お前と話がしたくて此処に顔を出している。確かにお前の言う通り、情報だけは時間を掛ければ一人で収集できるかも知れねェが……俺はお前の旅路の話もしたいのさァ。どんなことを識り、何を見てきたのかをなァ」
「クォーツ」はだからよぉ、と呼吸を一つ置いて言葉を続ける。
「だから別に急ぐ必要はねェ。俺もお前が何十年そこで何かを成してくれても構わねェ。ま、そん時にくたばってねェ自信もねェけどなァ?」
「流石に何十年も逃げ続ける気は更々無いけど。まぁ気長に見てなよ。いつか煉獄に帰ってみせるから」
ホロウがいつにもなく、強めに啖呵を切ると「クォーツ」は呵々と笑い声を上げる。
「まァ、期待せずに待ってるぜェ。じゃ、俺は先に行く。菓子と飲み物も食いきれねェなら持って帰るなりなんなり、好きにしろォ」
「うん。分かった。ありがとう「クォーツ」」
ホロウが首を小さく動かすと、「クォーツ」は手をひらひらと振った後に、いつの間にか消えていった。
用事を終えたホロウも、小さく息を吐き、その場を後にする。
もうまもなく、赫の区域へと足を運ばねばならない為、準備を急いでいるのだ。
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ざぁざぁと振り続ける雨は、鋼鉄の大地に染み渡ることなく、水溜りとして形を残している。
すっかり人の減ってしまった居住区を一瞥できる特別棟にて、仮想空間にダイブしていた者はヘッドギアを取り外して、疲れた表情を見せる。
「ふぅ。流石に長時間居すぎたか。でも今回は少しばかり有意義な話が出来たかな」
「おかえりなさいませ、「 」様。……此度は些か、長過ぎたのでは?」
「クォーツ」はホロウ・ブランシュと会話するために使用していたベッドから起き上がり、窓の外の光景を眺める。
空は分厚い曇天に覆われており、ジメッとした空気と一緒に、生暖かい雨が昼夜問わずに降り注がれている。
「あぁ、済まない。私もつい興が乗ってしまってね。こちらの方ではどれぐらい?」
「はい、おおよそ一時間程です。未だに街頭ヴィジョンでは黒咲夢葉の演説の記録が何度も投影されています。
静々と「クォーツ」の質問に答えているのは、この世界では珍しく着物を纏っており、髪の毛は薄緑の髪を肩辺りまで伸ばしている十代半ばの少女だ。
黒と白を基調としており、所々に銀の刺繍が織り交ぜられているそれは、見る人が見れば芸術作品だ。
「「 」様の方は如何でしたか。何か得るものはありましたか?」
「上々ではあるが、やはり警戒心は凄まじいね。あそこまでの仕打ちを受けた上に、私も中央管理局の管轄下に入らないかと提案したんだ。時間は相当掛かっても仕方ないだろうね」
「クォーツ」はすっかり汗でベタついていた衣服を雑に脱ぎ捨てて、新しい服を身に纏う。
顔をしかめながら薄緑髪の少女は、無表情ながら、ちっと小さく舌打ちをする。
「「 」様……。脱いだ服は洗濯かごに入れてください。その場に脱ぎ捨てられると困ります」
「おや、済まない。オデット。どうにも私にはそういう生活感が欠けていてね」
どうにもオデットは無表情に見えるのに、こちら側からすれば非常に不機嫌にも見える。
服を片付けながら、感情の起伏が些か薄くなっている「クォーツ」にとっては非常に新鮮だ。
「私が全部やっているからでしょう……もう少し反省なさってください」
「……善処しよう」
此処はホロウ──結代虚華がディストピアと呼んでいた場所だ。中央管理局がこの国中の人間の感情を喪失させ、一括管理することで食料や資源などを、無駄にすることなく活用することが出来るようになった世界。
そのせいで一部の子供たちからは凄まじい顰蹙を買っていたのだが、それも世界の存続のためと思えば、「クォーツ」にとっては苦ではなかった。
──世界を終わらせるわけにはいかない。
「クォーツ」を名乗る人物に行動原理はそれだけだった。
他の人物が執行していた“疫”捕縛作戦、並びに「笑顔の顔無」の処刑、処分などの一連の作戦は、ひとまずは凍結させることが出来た。
結代虚華は失踪し、死亡した。これが中央管理局内での見識になっている。
他にも、彼女らと最期まで一緒に行動していた黒咲臨に、緋浦雪奈の両名も行方不明。
残る彼女らの仲間だった出灰依音、葵琴理、止々呂美司、止々呂美樹、不言月朔夜の五名は既にこちらの世界で死亡が確認されている。
しかし、出灰依音だけは数ヶ月前に一度だけ出現した結代虚華達の手によって蘇生され、連れ去られているのを確認されているが、当然、中央管理局には情報は流出していない。
その際の報告書も、こちらで確保しているので、この事案が起きたことすら殆どの職員は知らないが。
衣服を片付け、「クォーツ」のベッドに一緒に座るオデットが急に立ち上がると同タイミングで、部屋のドアが蹴破られる。
「此処に居たのか!!「 」、死刑囚オデット!」
「おや。どうして此処が分かったのかね?」
「さて、皆目検討もつきませぬ。ですが、彼らは感情も残っており、武装もしている。処分対象ですか?」
オデットが非常に物騒な発言をする中、「クォーツ」は静かに、近くの椅子に腰掛ける。
洗練されたその立ち振舞に、部屋に押しかけてきた数名の職員らしき戦闘員達は、苛立ちを全面に出し、銃口を「クォーツ」に向ける。
「お前達には国家反逆罪の容疑が掛けられている。大人しくお縄に付いて貰おうか?」
「悪いがそれは叶わない。そうだろう?オデット」
「クォーツ」が目配せをしたその刹那、部屋に押し入った面々はすぐさま地面に斃れていく。
どうやら、オデットが既に彼らの身体に仕込みを終えていたようだった。
瞬く間に身体が変色していき、終いには衣服や武装を残して、身体は消失していた。
口笛を吹き、恐れ半分頼もしさ半分でオデットを見ると、オデットは綺麗なお辞儀を見せる。
「口程にもありませんね。私を相手するのにも関わらず、耐毒装備も用意してないなんて」
「いや多分してたよ……?結構重装甲だったし、防毒マスクだってしてたじゃないか……」
オデットはちょっと何言ってるのか良くわからないと言った表情で、淡々と襲撃者の武装を回収しながら、この場所を後にするべき、移動の準備をしていた。
対する「クォーツ」は、窓の外の光景をただぼうっと眺めていた。
「この世界が終わるまで、もうそこまで永くない。はてさて、間に合うのかな。彼女は」
さっさと荷物をまとめ終えたオデットがその部屋を後にするまで、「クォーツ」は空を眺めていた。




