【Ex】#7 偽られた漆頁目
イズは「歪曲」の館にある食堂で「七つの罪源」の新入り──No.Ⅸ「零楼」のノインこと、鎹里乃と食事を共にしていた。
イズが頼んだのはいつもの焼き魚定食、対する里乃はベジタブルスムージーに、緑黄色野菜のサラダ、豆腐ハンバーグに、肝心のお米も麦飯というなんとも力が出るのか出ないのか判然としない食事内容だ。
少しずつゆっくりと食事をしているイズに対し、里乃はとても丁寧とは言えない食べ方でそそくさと胃に食べ物を入れていく。
量もイズの二倍近くはあった筈なのに、あっという間に平らげてしまった里乃は、食器を片付けながら、にやにやとこちらを見てくる。
「なに?さっきから私のことをニヤニヤ見てきて。気持ち悪いわよ、貴方」
「え〜酷い謂れよう〜。悲しいなぁ〜しくしく……」
里乃は露骨に分かりやすい嘘泣きを披露しながら、慣れた手つきで食器を積み上げて片付け終えると、今度はデザートまで持ってきた。どんだけ食うんだこの女は。
イズがようやく食べ終わった頃には、空いた容器が三つほど重なっていた。
呆れ半分で里乃の方を見ると、満足げな表情でお腹を数度叩いていた。
「いやぁ〜。此処のご飯は美味しいなぁ〜。中央管理局の所よりレベル高いよ」
「……そう。で?なんで貴方は私に付き纏う訳?暇なの?」
そうなのだ。彼女は此処数日、ホロウにくっついているのかと思いきや、何故かイズに付いてくるのだ。それも食事だけではなく、魔術の鍛錬や、日課の読書にまで付いてくるものだから鬱陶しくて堪らない。
理由は概ね察しが付いている。ホロウが数日前からやけに元気がないのだ。
彼女のメンタルが死んだ時は非常に分かりやすい。食事は取らないし、露骨に元気がない。
笑わなくなるし、ちょっかいや冗談を言っても反応が非常に薄くなる。
「別に超絶暇って訳じゃないんだけどさ〜。魔弾ちゃん、元気ないじゃん?どうしようかなって」
「……どうとは?」
イズが怪訝そうな表情で首を傾げると、里乃はオーバーに驚いて見せる。
「え〜!?妹ちゃんは何もしてあげないの〜?あの子落ち込んでるんだよ〜?」
「そんな事は分かってる……けど……」
イズには彼女が落ち込んでいる理由が分かっていないのだ。琴理が死んだ件については、禍津に預けているので問題はない。
臨や雪奈達は無事なので、その件でも無い。詰まる所、思い当たる節がない。
何の事情も知らないでいるのに、ただただ励まされることを嫌うホロウを、ただ誂うのは避けたほうが良い。
昔の話にはなるが、臨以外の仲間──当時の初等部の先生だった不言月朔夜という男や、当時イズの同級生だった止々呂美司という男の子が、落ち込んだ虚華に手を差し伸べた所、思いっきり噛みつかれて怪我をしたという話があった。
それ以降、臨が自身の異能を使って誘導尋問地味た原因究明をしてから、その問題を解決させることで、虚華の問題を解決させてきたのだ。
「妹ちゃんじゃ、何も出来ないとか思ってたりする?」
「……えぇ。私には何も出来ないわ。傍に居ようにも、閉じこもられちゃあね」
イズはふと他の仲間達のことも思い出す。こういった時はだいたい臨がどうにかしてきた。
人間の嘘を見抜くことが出来る。そんな荒業は黒咲臨──ブルームがいてこその所業であって、イズにはとても出来るものではない。
そうでなくとも、かつてのイズは、元気そうだった虚華とは仲良く出来ても、そうでない時は基本的に静観していた。とどのつまり、こういった時の対応策を知らないのだ。
今日読んでいた本も、禍津から貰った「落ち込んだ時の仲間の励まし方」というものだったのだが、今ひとつ釈然としない。
「でも、どうにかしてあげたいな〜とは考えてるんでしょ。その本だってそうじゃん」
「こ、これはっ……むぅ……」
どうやら肌見放さず持っていた本の表紙をしっかり見られていたらしい。
誂うのが好きなのか、赤面しているイズに追い打ちを掛けるように里乃は顔を覗き込む。
「肝心なのは気持ちだよ〜?その眼鏡の奥に隠された思いを解き放っちゃえ!」
「な……何を勝手な……でもそうね……」
里乃に背中を押された事自体はいい気分にはならない。
けれど、この一押しがなければ、きっとイズは何も行動を起こせずに居た筈。
元々中央管理局に所属していた彼女を心の底から憎むことを辞めようと、少しだけ思った。
途中で言葉に詰まっていたイズが、感謝の意を伝えようと里乃を見ると……。
「な、何よ」
「べーつに?拗らせてるなぁって」
「拗らせてないわよ、別に。姉が困っている時に支えようってだけなんだから」
「え〜?でも血は繋がってないんだよね?」
里乃がいたずらっぽく尋ねると、イズは心底不思議そうな顔で首を傾げる。
「……?ちょっと何言ってるのか良く分からないけれど。でも感謝するわ」
「そ〜。まさか妹ちゃんから感謝される日が来るなんてねぇ〜」
未だにからかってくる里乃を適当にあしらいながら、テーブルの上に置かれたゴミを片して、イズはその場を後にする。
残された里乃は、三杯目のジュースを飲み干して、ふぅっと息を吐く。
「本当に手の焼ける先輩方だなぁ〜。でも……」
里乃は先程まで纏っていた巫山戯ていた空気を脱ぎ捨てて、真剣な面持ちになる。
基本的に魔弾のことを把握している筈のイズが事情が分からないという事に、違和感を覚えている。
あの様子だとパンドラや他の面々にも相談はしている可能性が高い。更には、禍津からの本を借りているのなら尚更「どうして彼女に何があったのか」等といった題名の本を借りていないのかが気掛かりだ。
以上の状況を踏まえるに、此度の件は恐らく、「七つの罪源」の面々には感知できず、その上、禍津の「万物記録」も使用できない。
つまりは彼女の故郷がネックになっているのだろう。
別世界から誰かが干渉でもしているのか?だとすれば少し不味い事になる。
──彼女は此処に居た方が良い。世辞を抜きにしたとしても。
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「お姉ちゃん、開けるわよ」
部屋の中から返事はなかったが、イズは問答無用で扉を開く。
基本的に彼女が居ても居なくとも、鍵は掛けられているので、今回は合鍵を用いて無理矢理こじ開ける。
人の気配などを魔術無しに感じ取れないイズにとっては彼女が居ても居なくとも問題はなかったのだが、どうやら部屋の中に目的の人物は居た。
布団を頭に被ってベッドの上で蹲る。典型的な引き籠もり方に苦笑いしながら、言葉を掛ける。
「どうしたの。お姉ちゃんらしくないじゃない」
「…………」
ベッドの上にいる少女──ホロウは何も言わずに、こちらを見ている。
いつものエメラルドグリーンの瞳には昏い昏い闇が孕んでいるように見える。やはり何かあったらしい。
臨のように、彼女の口から真実を割り出すことも、雪奈のように、彼女の心に侵食することも、イズには出来ないが、自分が出来ることをやるまでだ。
メガネの位置を調節して、再度虚ろな表情でこちらを見ているホロウに焦点を合わせる。
「本来なら、黒咲くんや緋浦さんの仕事だと思うのだけれど、どちらも居ないから私が来たの。らしくないことをしている自覚もあるし、正直向いていないとも思ってるわ。その上で貴方を連れ戻しに来たの」
「…………」
ホロウは何も言わない。イズがどれほど動きを見せても、何も反応しない。
言葉じゃ何も彼女の心を動かすことが出来ないことを悟ったイズは、何も言わずにそっと寄り添う。
暫くの間、ホロウに寄り添ったイズは無言の空間を共有し続けた。
勿論、この状況も予測していたイズは何十冊かの本を持ってきていた。
さぁ、ここからは持久戦になる。虚ろな目でこっちを見ない少女との張り合いだ。
「負けないわよ。意地の張り合いなら私にも多少の心得があるもの」
「(何の話をしているんだろう……早くこの部屋から出てくれないかな)」
どうやら心を通わせるのには暫くの時間を要するようだ。
心を閉ざしつつある彼女の心を解くには、彼女一人じゃ厳しいことに気づけずに。




