【Ex】#6 破られた陸頁目
虚華──ホロウ・ブランシュがふと目を開けると、そこには見知らぬ空間が広がっていた。
もうこれで何度目だろうか。
時には最悪な結末を見せたり、目も当てられないような妄想の具現化を表したりといい思い出がない。
今度の舞台は随分と捻れて歪んでいる。まるで幾つもの世界が一つに統一されたみたいな空間だ。
「何のヒントも無しでこんな所に飛ばしておいて……一体今度はどんな悪夢を見せるのか……」
ホロウは大きなため息を付くも、渋々と足を動かす。
幸い、道のりは一本だけだ。ずっと真っすぐ歩けば目的地に着くだろう。
あちこちが捻れているせいで、ただ歩けば良いという訳でも無さそうだが、それでも何故だか歩き方が分かってしまう。そんな自分の分からない部分への奇妙な違和感を覚えながら、ホロウは進んでいく。
「そう言えば……今の私は何年の何月の何処にいるんだろう?」
いつも、何処かしこに時系列の解説や判断する材料などがあった筈。
例えば、ジアを焼き討ちにあった際に見た時は、寒かった薄暗かった等……状況判断する材料は腐るほどあった。自分が「喪失」の面々を鏖にした時は鬱蒼な森の中、薄暮れの時、季節は当時と同じ……みたいな感じで何かしらの情報の断片などで判断できたものなのだが……。
ホロウはあちこちをキョロキョロと見渡しながら、うーむと唸りながら進む。
暫くの間、簡単なギミックを避けたり、壊したり進みながら気づく。
(此処には時間も季節も温度感すら無いみたい。気温だって夏でも冬でもあり得る程度だし)
風景も見たことがない物が続いている。あちこちにある建物はどう見てもディストピアにあった近未来的な建物が多く散見されている。
その中にも、ジアにあったようなスチームパンク風の建物や、雪華にあった藁葺き屋根の古めかしいものなどがぐちゃぐちゃにされて一つの建物にされている。
寒くもないはずなのに、寒気を覚えながらホロウは両腕を擦る。どうにもこの空間は嫌な感じがする。
「本当にヤな感じ……目的も見せたい物も分からないし……」
でも一つだけ分かった。此処と似ている場所をホロウは一つだけ知っていた。
「歪曲」の館──パンドラが生成していたあの奇妙な白と黒が入り混じっていた屋敷とその周辺の環境と状況が非常に良く似ている。
確かにあの場所は気温も此処とそこまで変わらず、季節も時間も判断がつかない。
ならば、この場所を生み出しているのはパンドラなのだろうか?だとしたら自分に何も言わずに放り込んだ挙げ句に、迷宮じみた空間を進ませるのもおかしな話だ。
普段とは違う異常に、嫌な感じが拭えないまま、ホロウはてくてくと歩く。
「歩いても歩いても目的地が分からない……脱出する手立てもない。なんなら武装もない」
ホロウの格好は、かつてジアで探索者として行動していた時に着ていた軽装甲に、探索者が標準的に着ていることが多いシンプルな茶色のマント。軽装甲の下には一般的、かつ少しだけおしゃれなスチームパンク調の女性服。
いつも脇に装着していたホルスターも愛銃も無い。他にも短剣の一本も持っていない。いつもあちこちに隠していた魔導具の一つもない。
これでは襲撃者が居た際に、魔術を用いるか、“嘘”を使わないといけないということだ。
ホロウは勝手に漏れる溜息を寸での所で抑えて、懐かしい格好で歩きながら物思いに耽る。
こんな格好をしていたのは大体一年くらい前だろうか。つまり「喪失」と袂を分ってからもう一年が経ったことになる。
時間が流れるのは本当に早いものだ。逃げ惑い、生き延びる事に必須だったあの時も、今も。
彼ら──臨や雪奈が無事で、今も活動していることは知っている。本当は彼女らと仲間を探す旅を続けたい、なんて思った事は何度もある。
ただ、ホロウは知ってしまったのだ。この世界とあの世界は何かが大きく違っている。
それに、同姓同名だったとしても、フィーアの仲間とディストピアの仲間は決定的に違っている。
(だからといって、雪奈達を見捨てていい理由になんてならないんだけど)
他者に咎められないのなら、自傷してしまう性なのかも知れないなぁとホロウは苦笑しながら、物思いに耽る。
あっという間に十七になったホロウはかつての地獄で逃げ惑い、殺されそうになっていた時と比べたら本当に変わったなぁと思う。
大切だった筈の臨と別れ、雪奈は自身の身を捧げて、フィーアの雪奈を蘇生して、死んだ筈の依音がイズって名前で妹として接してくる。
琴理はちゃんと綺麗に殺して、パンドラが回収してくれている。心苦しさはあるが、自身の事情を抜きにしても彼女を生かしておくことは出来なかった。
残りの二人は未だに音沙汰もないが、この世界は広い。旅を続ければきっと会えるだろう。
「あ、そう言えば……」
魔力が勿体ないからと、魔術を使わずに居たのだが、索敵くらいはしておくべきだと今更気づく。
手短に詠唱し、自身の瞳に魔術を使用する。遠視や透視などを複合的に出来る物を発動して、周囲を確認するが、どうにも付近に反応はない。
だが、終点はそう遠くないらしい。他に道もない事から、どうやらこの良く分からない時間はそろそろ終わるらしい。
そろそろ足が疲れてくる頃合いだと思っていたのだが、どうにも疲労感はない。
「歪曲」の館では蓄積された疲労や負傷はキチンと反映されていたので、違和感を覚える。
「一体、この意味の分からない場所と招待主はなんなんだか……」
どれくらい歩いたか、今ひとつ釈然としないが、歩きに歩いてようやく終点に辿り着く。
そこには一人の女が立っていた。見た目は黒髪で十代後半ぐらいの麗しい女性に見える。
武装の気配もない、争う意思がないのか、立ち姿もすぐに戦闘に移行できる構えでもない。
服装も、蒼でも白でも見ないフォーマル寄りのドレスを身に纏っていた。何も知らなければ、これから何処かでパーティにでも赴くのだろうか、と思うくらいにはキマっている。
顔が見れる程近づいたホロウは訝しげな視線を向ける。黒髪の女性の顔は奇しくも自分と同じだった。
「…………貴方は?」
「あら、驚かないの?」
「もう慣れちゃった……とは言わないけど。自分と同じ顔の人間とはそれなりに」
「そっかぁ。じゃあ失敗したかも。けど別に良いんだ。キミと会いたかったから呼んだだけだし」
彼女の言葉の裏には、自身の素性を晒したくはない。という意志を感じる。
同じ顔の女性は、指をパチンと鳴らすと、何もなかった終点にテーブルと椅子が現れた。
どうやら、何か話があるらしい。ホロウは腹を括って用意された椅子に腰を下ろす。
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いつの間にか用意されていたティーセットに、ホロウの好きなミルクティが注がれていた。
アフタヌーンなのか、モーニングなのかは知らないが、テーブルには様々なお菓子が置かれている。
おずおずとした表情でそれを見ていると、同じ顔の女性が先にお菓子を一つ口に含み、笑顔を見せる。
分かりやすく、毒はないことを証明したのだろう。それに習ってホロウも茶菓子を食べる。
「歪曲」の館で出されたのと同じくらいの美味しさに頬を綻ばせていると、縦肘をついた女性はにこやな表情でこちらを見る。
「それで?何か聞きたいことはある?呼び出したのは私だけど、先に貴方の聞きたい事を消化してから話をしたいんだ」
「……まず、貴方は誰?そしてここは何処?」
「定番の質問だね。重ねて、本当に状況を理解してない事を分かりやすく言ってくれてる」
「…………」
自分と同じ顔でコロコロと表情を変えられると、なんだか複雑な気分になる。
基本的には笑顔だし、柔和な態度なのだが、どうにも時折見せる冷酷な表情がグサリと心に突き刺さるのだ。
小さい口で少しずつお菓子を食べていた彼女の喉が、咀嚼を終えたことを知らせ、満面の笑みで口を開く。
「まず最初に此処は「 」、そして私は「 」」だよ
「……?確かに口は動いているはずなのに、貴方の言っている言葉を認識できない?」
ホロウが首を傾げていると、彼女は眉をハの字にして困ったような表情を見せる。
「あぁ、ごめんね。流石に本名はダメらしい。そうだね……「ゴースト・クォーツ」略して「クォーツ」とでも呼んでくれれば良いよ。勿論、キミの好きなように。それで、場所の名前だったっけ。うーん……「 」が駄目なら……「多次元異常空域」……そう呼んでくれれば良い。別に「クォーツ」の住処でも構わない」
「「クォーツ」に「多次元異常空域」……ね。じゃあ「クォーツ」。私に話があるみたいだけど、一体何の話?」
もはや認識できない文字列に拘る必要はない。理解できないことに恐怖は覚えるが、考えても分からないことに無意味に時間をかける必要なんて無いのだ。
「ゴースト・クォーツ」と名乗る彼女の瞳は確かに少しだけ自分よりも仄かに昏い気がした。
「話……うーん、そうだね。そんな要件がーって言うよりかはキミと雑談がしたかったんだ」
「雑談……?見ず知らずの人と話せるほど、私は口が上手くないんだけど……」
ホロウが困った表情でそう言うと、「クォーツ」はニコヤカな表情で笑う。
「そうだね。キミが口下手なのは知っている。だから質問ベースで話をしようと思うんだ」
「……そう、分かった。答えられる範囲でいいなら答えるから。それが終わったら解放してね?」
勿論だよ、と呟いた「クォーツ」はテーブルの上に一枚の紙を出現させる。
それを見るように促されたホロウは、紙の端を掴んで、自身の視界に入れると、目を開いて驚く。
すぐに、その紙をテーブルに置いて、苦虫を噛み潰したような表情で「クォーツ」を睨む。
「只者じゃないと思っていたけれど、貴方が誰だか、見当が付いたかも知れない」
「別に言わなくてもいいよ。仮初の顔に、仮初の口調。今、キミが見ているものに私の本名や存在に結びつくものは一切ない。じゃあその紙も見たことだし、再度質問するね」
「クォーツ」の顔から感情がすっと抜け落ち、人形のような顔つきへと変化する。
自分と同じ顔のはずなのに。此処まで印象が変わるのか、と内心おっかなびっくりしながら、言葉を待つ。
「仲間を探すために中央管理局に来ないかい?あぁ、無論。キミの言うディストピアの方のね」
「……やはり貴方は……いや、お前は……」
ホロウは怒り半分、恐れ半分で椅子から力強く立ち上がる。テーブルを叩く音はかなり強く激しい。
それでも随分と冷静な「クォーツ」は、涼しい顔で怒号を発したホロウを見る。
「あぁ、そう怒らないで。私はキミのことを「疫」と蔑んだ奴らも、キミの仲間の仇だとされる者達は全て粛清したんだ。別に信じてもらいたいとは思わない。安心して」
「何も安心できない!!あの世界が……あの世界の人々がどれだけ狂っているか!……ディストピアという単語を知っている貴方はどっちの世界の人間なの、答えて」
「無論、キミと出身は同じだよ。これでいいかい?」
「……そう。ならどうして私を此処に呼べたの?」
静かに怒りを孕んだまま、椅子に座り直すも、ホロウの表情は怒りに打ち震えたままだ。
もはや、彼女が何者であっても良い。彼女の目的が何であろうと、彼女は敵だ。
「企業秘密。でも安心して欲しい。私達はそちらへと侵入することは出来ないから。もし、話を聞こうという気になれば、ディストピアに赴いて、中央管理局の職員に私の名前を伝えると良い。そうしたら私の元へ案内するように手筈を整えよう」
「ふん、そんな時は絶対に訪れないよ。私はもうあの地獄につもりはない」
もう話は終わりだ、と言わんばかりにテーブルのお菓子を食べ終えると、ホロウは立ち上がる。
早く私を元の場所へと帰してくれと、「クォーツ」に言うと、やれやれと言った仕草で鍵を投げ渡す。
「それは此処、「多次元異常空域」へとアクセス出来る合鍵だよ。キミがここに侵入したらなるべく顔を出すようにするから、また何かあればおいでね。お菓子だけでも、話がしたいだけでも良いから」
「二度と来ない!!」
鍵を用いて、その場を脱したホロウはどっと疲れた表情で「歪曲」の館へと戻っていった。




