【XI】#21-Fin 解き解す、因果の糸は
眼の前で崩れ落ちた鎹里乃を、禍津は寸での所で抱き留める。
随分と軽いその身体にどれほどの重圧が掛かっていたのだろうか。知り得ない情報など存在しない禍津にとって、この世の全ての出来事は教科書に載っていた情報程度でしか無い。
彼女の動機や、此処までの事を引き起こせた原因も把握している。事前に本を一冊読み込んだお陰だ。
「キヒ、周りに色んな人が居るけど、その子。どうするの?まさか、置き去る気?」
「捨て置いても問題はないだろう。ただ、此奴に明るい未来は失われるだけだ」
キヒキヒ、と気持ち悪い笑いを放ちながら、里乃の心配をするアラディアを横目に、禍津は周囲を再確認する。
中央広場には、化物の死骸と気絶した葵、琴理を介抱している出灰と残りは我々三人だけだ。
だが、此処を視認できる程度の距離に、ヴァールら三人に、中央管理局の犬が二匹、それ以上に厄介な連中が二体も居る。
禍津は周囲の確認を終えると、改めて俵担ぎで持ち運んでいる里乃を見る。
「全く。随分と場を搔き乱してくれたものだ。一人の少女の執念で此処までするのは大したものだよ、本当にな」
「キヒヒ、素直じゃないねぇ。どうせ、本を読んで同情しちゃったんでしょ。ホロウの時と同じで」
「なっ……そんな事はない。それに、アイツの本は俺の記録には存在しなかった」
「あら、そうなんだ。じゃあ同情しちゃったで賞の一人目なんだね?キヒヒヒ……」
突っ込む気力もなかった禍津は、小さくため息を吐くとその場を後にしようと詠唱を開始する。
既に結界が失われた今、転移魔術を拒むものは居ない。そう思っていた矢先に、禍津の首元目掛けて何かが飛んできた。
見てみれば随分と毒々しい色の特徴的な形をしているナイフのような物だ。
ギリギリの所で躱し、地面に突き刺さったそれに視線を向けると、二発、三発と次弾が飛んでくる。
射線を読ませない狙撃というものは、優秀な狙撃手がよくやる常套手段なのだが、射線を読ませないナイフ投げというのは一体何処に需要があるのだろうか、などと禍津が考えながら魔術を詠唱し、アラディアに指示を出すべく声を荒げる。
「アラディア!保護対象を標的とした奇襲だ。射角は分からないが、恐らくは中央管理局の二人だ。軽くあしらって撤退する」
「キヒヒ……了解。おいで「終末の空」必要な時間はどれぐらい?」
「一分もあれば読了出来る。だが、その代わりに集中する」
「キヒ、まぁそれぐらいなら大丈夫かな。姿現さないの?流石に勝ち目ないんじゃない?」
随分と挑発地味たアラディアの物言いに、先程までは気配すら感じなかった場所からピンク髪の少女が顔を真っ赤にしながら、こちらを睨みつけている。
お前も馬鹿なのか……、と禍津は彼女の言葉も聞かずに一冊の本を何処からか取り出し、読書を開始する。
その間は、俵担ぎしていた里乃を魔術で生成した簡易的な水のベッドに寝かせている。
片側だけに掛かっていた負荷も無くなったことで、禍津の本を読む速度が上昇する。
禍津が凄まじい速度で読み進めている本の表紙にはこんなタイトルが書かれていた。
──「中央管理局職員の撒き方 七罪源編」
何でそんな物があるのか、等といった疑問を抱いている時間は無い。簡易的な結界魔術を自動発動した後は、一切戦局に関わっていない上に、視界にすら入れていない。
それ程までに、彼女の力を信じている。
いつもは気色の悪い笑い方をしている不摂生の権化みたいな服装の体系をしていて、パンドラと一緒にヴァールをヨイショしている気に食わない女ではあるが、こういった時に頼りになる存在なことに違いはないのだ。
ペラペラと読み進めていき、遊びまで目を通した禍津はピシャリと本を閉じる。
「アラディア!一時の方向に閃光矢を、四時の方向に火炎矢を放て!その後、あちら側の反撃があれば、命を奪わずに撃ち落とせ」
「もう解が出たんだ?いいよ、おっけ〜。でも相手を殺すなってのは難しいね。キヒヒ」
禍津に対して了解のハンドサインを示した後にアラディアは「終末の空」に二本の矢を装填し、指示通りに放つ。
すると、ピンク髪の職員はこちらに対して罵声を浴びせながら、大声で誰かを呼ぶ。丁度、自身らから見て四時の方向だ。
その方向から突如として白髮の職員が飛び出したが、完璧なタイミングで火炎矢が飛んできたために、すぐに踵を返した。
白髮の職員には見覚えがあった。確かヴァールのオリジナルに執着している女──確か運び屋兼屍喰のフィルレイスとか言う女だった筈だ。
自由奔放であまり中央管理局の仕事をしないという話だった筈なのだが、何か心変わりでも起きたのだろうか。
(今は鎹を回収することを最優先事項として動こう。帰ってからお説教は受けるだろうが)
魔術の詠唱を終え、禍津はアラディアに向けてハンドサインで指示を出す。
内容は、暗雲に備えよ。そして暗雲を照らし出せと言うものだが、それなりに賢いあの女であれば、自分の言いたいことなど容易に想像がつくだろう。
禍津は指をパチンと鳴らし、里乃を再び担ぎ上げる。
「昏い昏い底へと堕ちていけ。「安寧無き暗鬱」」
「いやあああああああああああああああ!!!!なんで昼間なのに真っ暗なの!?」
中央広場に一気に暗闇が広がり、ピンク髪の少女が悲鳴を上げたタイミングで、アラディアは再び閃光矢をピンク髪の職員目掛けて放つと、先程までとは比にならない程の大声で悲痛な叫び声を上げる。
「きゃあああああああああああ眩しい!急に眩しいんだけど!ねぇ、イドルぅ!何処なの!!」
「あー、もう……深追いは無理……か。帰ったら絶対課長怒るよなぁ……。葵琴理はヴァールちゃんに上げるって言っちゃったし。こりゃあ暫くはスメラたんに絞られて貰わないと……」
未だに錯乱しているスメラの元にイドルは駆け寄って首元に鋭い手刀をお見舞いする。
ようやく静かになった中央広場には、中央管理局が確保できる人間は誰一人としていなかった。
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想像以上に喧しい職員の叫び声のお陰で、転移魔術を使用するだけの時間と詠唱を聞かれることなく禍津達はこの場から去ることが出来た。
禍津達の視界には、見慣れた白黒の景色が広がる。無事に転移魔術が作動したようで何よりだ。
隣には若干疲れた様子のアラディアがヰデルを仕舞ってトボトボと禍津の一歩後ろを歩く。
「アラディア」
「……?何?あぁ、別に歩幅は合わせなくていいよ。私、ゆっくり人の後ろを歩くの好きだし」
誰もそんな事を聞いてはいないのだが、と心で悪態を打ち、言葉を続ける。
「いや、そうじゃない。そこまでして鎹の下着を覗こうとするのは辞めたほうが良いと忠告を」
「そんな事するわけ無いでしょうが!!!キーッッッッ!!」
禍津の忠告を聞いたアラディアは、一歩先を進んでいた禍津の頬を全力で張り倒し、キーッ、と普段聞かせないような金切り声を上げながら、頬をぷくーっと膨らませて何処かへ走り出してしまった。
運動不足でかなり非力とは言え、腐っても大罪人であったアラディアのビンタはそれなりの威力を誇っていた。
赤く腫れてしまった頬を空いていた片手で擦りながら、走り去っていた方向をただぼうっと眺める。
──あんな声も出すんだな。あいつ。と禍津は新たな知見を得た、と少し満足げにパンドラの元へと向かおうとすると、肩に乗せていた里乃がピクリと痙攣した。
そろそろ覚醒する頃合いなのか、と禍津は足早に大広間へと足を進めた。
「おぅ、帰ったか。随分と激しい閉幕の仕方じゃったのぉ」
「見てたのか、そこで全部」
パンドラが放った言葉は、完全にこちらの状況を把握している前提の物言いだった。
足を縛られたままの為、パンドラはふよふよと浮かびながら、気ままに過ごしている。彼女だけはあの拘束技を脱ぐことが出来ず、真の意味での自由は得られていない事をむざむざと見せつけられる。
「まぁ、暇じゃったし、ホロウの許可も出ていたからのぉ。それで?そなたの口から話てみぃ」
「全て見ていたのなら、話すことなど無いが」
「いや、あるじゃろうが」
「……?何が聞きたいんだ」
不思議そうな表情でパンドラを見るも、彼女は信じられないようなものを見る目で禍津を見ている──いや、視線は自分の顔ではなく、自分の肩へと向けられている。
禍津も自分の肩へと視線を向けると、そこで目があった。そうだった、すっかり忘れていた。
「絶対その顔、わたしの事、忘れてたでしょ〜?」
「……………………」
粘ついた視線で自分が連れ帰ってきた里乃は、禍津の顔を見ている。
この表情は時折、ヴァールがパンドラなどに見せる表情で、不快感を顕にしている時に使うことが多いのだが、まさか自分に向ける人がいるとは思っていなかった。
何も言えずに居ると、里乃が身体を揺さぶって返事をしろと催促してくる。
「一番この状況分かってないの、誰だと思う〜?」
「……俺だろ。みなまで言わなくとも分かる」
「「いや(コヤツじゃろ)わたしでしょ」」
禍津はそう言うと、肩と正面からすぐに反論が返っていた。
何も言い返せなかった禍津は、里乃を肩に乗せたまま、一時間以上はパンドラのお説教を受けることになった。
これにて、第十一章である蒼のお話が閉幕いたしました。
……勿論、語りきられていない部分を幕間にて補足いたしますので、もう少しお待ち下さい。
おおよそ十〜十五話程度のそこそこ長い幕間を経て第十二章、赫の烙印編を開始します。
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