【XI】#14 咽び佇む、もう間もなく……滞りなく
「墓標」の管理人である零は、その仕事柄、「墓標」から出ることが出来ない。
感情を失われた者達には、彼らを導く行きた道標が必要だからだ。そんな役割を中央管理局から押し付けられた零は、感情喪失させる実験が始まってからの数年間、地上に上がることは一度もなかった。
「ぜぇ……ぜぇ。随分と空気が悪いね。わたくしが暮らしていた「墓標」のほうが余っ程マシだ」
「かも知れませんね。なにせ、眼の前であんな事が起きているんですから」
零と隣りに居たホロウの眼前で繰り広げられているのは、化け物と対峙している琴理、依音、里乃の三人の構図だった。厳密には化け物と「喪失」陣営の二人、里乃の三つ巴なのだが、端から見れば人間対化け物に見えてもおかしくはない。
叫び声を上げながら、化け物は無作為に自身の身体から生やした槍や剣を撒き散らしているが、その武器に触れたものは凄まじい速度で腐敗して行っている。
それなりに離れている三人を目を凝らしてみているホロウはぶつぶつと独り言を言いながら、分析を始める。
「あれは……もしかして透……?確かに容姿は似ているけど……」
「随分な物言いだね?「美しい君」?僕をあんな化け物と一緒にして欲しくないんだけど?」
ホロウがぎょっとした顔で、声のした方を見るとそこには【蝗害】の三人──夜桜透、玄緋疚罪、玄緋綿罪に、出灰依音──イズ・ブランシュが半目でこちらを見ていた。
「急ににゅっって現れないでよ。心臓なくなっちゃう」
「それは困る。その心臓を撃ち抜かないと、君を僕の物に出来ないからね」
さりげなく近寄ってきた透は、ホロウの顎を自身の人差し指でツーっとなぞるが、ホロウはすぐに指を払い除けて、不快感を露わにした表情を見せる。
「透のモノになんてならないから。で、ちゃんとブルーム達には帰って貰ったんだよね?」
「勿論やで。移動の足を奪い、セーフルームを用意してジア行きの扉を用意する。全部ホロウ妹の指示通りにしといたで」
「ホロウ妹……?」
「ホロウは気にしないで。彼が言いたいのは恙無く事は進んでいるって事よ」
ホロウが疚罪の言葉に疑問をぶつけようとする前に、何故かイズが補足説明をする。妙に連携が取れている二人の事を訝しみながらも、ホロウは言葉を続ける。
「そ、了解。で、透。あれは何?貴方じゃないならあの腐蝕性を兼ね備えた化け物は一体何なの?」
「さてね。可能性があるとすれば……前の所有者だったし……紫野裂さんとかじゃないかな?」
透は自身の体内からスパクトロ・ギアを取り出し、弦の部分を指で弾く。
紫野裂しのから奪ったそれを我が物顔で扱う透に思う所はありながらも、ホロウは透の言葉を反芻する。
確かに可能性としてはしのの可能性が高いだろう。
あの風体は間違いなくスパクトロ・ギアの影響を確実に受けている。
しかし、しのから透がヰデルを奪ってからスパクトロ・ギアはずっと透の体内に納められている。ならば、あの変貌者は誰なのかと尋ねられれば、事情を知る者は皆が皆、しのだと言うだろう。
「十中八九そうだったとして、どうしてあの子……えーと……」
「犠牲者でええやろ。紫野裂って子とは限らんやろうしな」
「了解。想定外の状況だけど、私達のやることは変わらない。おっけー?」
「「「「勿論だとも(勿論や)(そうね)(勿論やで)」」」」
零以外の四人の言葉が重なったことを、少しだけ面白いなと感じながら、ホロウは言葉を続ける。
「じゃ、まず今の六人を三、三に別けます。組み合わせは……」
「ちょっと待って。わたくしも頭数に入ってるのかな?言っちゃ何だけど、戦えないよ?」
額に冷や汗をかき、ホロウの作戦説明に口を挟んだ零は、真剣な表情で訴え掛ける。
あの結界内に入りたくない。絶対死ぬから、と。そんな事言われなくとも、あんな死地に賓客を招くつもりは端から無い。
しかし、それを当たり前だと言わんばかりの態度で言うのも良くないと考えたホロウは眉を下げ、困り顔の表情を顔に貼り付ける。
「大丈夫です。零さんはここから離れた場所で実行役の補佐に就いて貰うだけです。それに……」
「……それに?」
ホロウの言葉に、零はゴクリと生唾を飲み、言葉を聞き返す。
緊張感が周囲をピリつかせ、少しでも火花が散ろうものなら引火すること間違いなしと言った状況で、ホロウは真剣な眼差しで零を射抜く。
「あの場所は危ない。きっと……鎹は零さんを抹殺するために兵を送り込むでしょうから」
「貴方がそうしろって言ったんだろう!?その責任は取ってくれるんだろうね?」
淡々と語られる内容に、零は苦虫を噛み潰したような表情でホロウに食って掛かる。
顔を至近距離まで詰められ、凄まじい剣幕で捲し立てられていたが、ホロウの心には一切響かないそれは、まるで見掛け倒しの投影機のようだった。
妖艶な笑みを浮かべたホロウは、人差し指に口を添え、言葉に魔力を込める。
「勿論ですよ、零さん。“貴方が約束を守る限り、私も貴方の約束を守りますから”」
「……そう。話の腰を折って悪かったね、話を続けて貰おうかな」
こういった遅効性の現実改変──“嘘”はホロウの好みではないが、やむを得ない。
きっと、こうでもしなければ、眼の前の頑固者は話を進めることすら許さなかっただろう。
突如として起きたハプニングを消化し、ホロウの話は振り出しへと戻される。
「まず、この六人を半々に別けます。組み合わせは、私、透、玄緋妹とイズ、玄緋兄、零さん。前者は実働部隊、後者は支援部隊です。前者は読んで文字の如く、あの結界内に侵入します。後者は簡易魔術紙や、魔術による支援や、状況判断、前線へと指示など、裏方に徹して貰います。此処までで何か質問はありますか?」
ホロウの説明に異を唱える者は居ない。ホロウは、全員の顔へと一度ずつ視線を向け、異論がないのを再確認すると、話を続ける。
「私は前線に出るので、後方支援の方にはある程度の指示出しを今しておきます。イズ、後方の指揮と全体的な状況判断全般をお願い。当たり前だけど、皆の安全を最優先で。撤退指示は早めに、いざとなったら零さん連れてすぐに逃げて」
「……分かったわ。貴方も無為に命を捨てるような真似はしないで」
ホロウとイズのやり取りを見た零達は、彼女達から真剣さを感じ取ったらしく、先程までの少し緩んだ雰囲気が一気に引き締まる。
普段なら茶化してくる【蝗害】の面々も、普段なら絶対に見せないような顔つきでホロウの言葉を待つ。
「玄緋兄、貴方はイズと零さんを守って。流石に危険に陥る可能性は低いとは思うけど、、命の危機を感じたら私が渡した簡易魔術紙で三人で逃げてもいいから」
「了解やで、ホロウはん。あんたも死ぬなや」
疚罪の言葉に、当たり前でしょと少し強がった言葉で返事すると、今度は零の方を向く。
「墓標」に居たときとは違い、借りてきた猫のようになっている零は最優先で守らないといけない。
先程までと打って変わって柔和な雰囲気と口調で、零に話しかける。
「零さんは、この状況を生き抜くことだけを考えてください。零さんにも転移魔術が込められている簡易魔術紙を渡しておきます。行き先はレルラリアか……ジア辺りになると思います。そこには私の仲間が居ますから、私の名前を出してください。最大限の便宜を図ってくれる筈です」
「うん、あいわかった……。けど、どうしてそんな死に行く戦士のような顔で、そこまで優しい言葉をわたくしに掛けるんだい?」
ふと疑問に思ったことを、零は口走ってしまったのだろう。
ホロウは少し考え込んだ後、頬を掻き、照れくさそうな顔で少し笑う。
「私は、かつての故郷では仲間や友人を失いながら、生き永らえてきたんです。でも、ここでは誰も死なせたくない。私と一緒に生きて、後悔なんてさせたくないんです」
「……そうかい、ならばわたくしも生き延びてやろうじゃないか。自分の為にね」
零の言葉で、零とホロウの二人は薄く笑い合う。少し離れた結界の中では、三つ巴の戦いが繰り広げられているが、未だに膠着状態なのか、状況が進展する気配がない。
情報によれば、琴理と依音は装備を剥がされていたはずだが、なんとか魔術で凌いでいるらしい。
だが、それも永くは保たないんだろう。ホロウは一抹の名残惜しさを感じながら、前線に立つ二人の方を向く。
「透、綿罪は結界内へ向かいながら話す。場合によっては里乃の殺害、ならびにあの化け物を始末する可能性があるけど、構わないよね?」
「あんまりコロコロうちらの区域長には変わって欲しくは無いんやけど、まぁしゃあないわな」
「けど、「愛しい君」……僕らの目的が何か。忘れてないだろうね?」
透が釘を刺すが、そんな事は言われなくても理解している。
【蝗害】の現状の目的は、中央管理局に葵琴理の疑似ヰデルヴァイス作成能力と、その技術を渡さないこと。葵琴理の疑似ヰデルヴァイス作成能力の喪失の二つになる。
前者も後者も、一番簡単な方法は「葵琴理の暗殺」だ。極端な話、敗れた結界の外側から琴理を殺してしまえば、【蝗害】の目的は達成される。
そんな中、随分と面倒くさいホロウの作戦に一枚噛んでいるのは、きっと過去の出来事の精算も含まれているのだろう。
(そんな甘さに漬け込んでいる私はなんてサイテーなんだろ。……でも琴理を助けたい)
琴理を救いたいのも、かつての地獄を共に渡り歩いた仲間に会いたいから。
自分のせいで死んでしまった命を取り戻すために、自分を含めた沢山の命を天秤にかけている。
天秤の対岸に、命をベットしているのは、鎹里乃。彼女に唆された宵紫柚斗と蜜柑は退けたが、その結果が今の状況だ。
一度は負けたが、今度は負けるつもりはない。
(でも……あの言葉は一体何だったんだろう?)
『断頭台に彼女達が上がって死んだ後なら、わたしを殺してもいいから』
彼女は生に固執していない。親を殺され、仲間に裏切られ、それでも生き永らえていたのは、琴理が自身の復讐劇の標的だからだ。
もう祝福の鐘は三度、鳴り響いた。彼女を殺すまでのタイムリミットは鐘の音が後二回鳴るまで。
二回、鐘の音が鳴り響けば、琴理の命はないと里乃はホロウに言っていた。
状況が状況なだけに、今もその言葉を守り切ることが出来るかは分からないが。
「分かってるよ。私は必ず琴理を生かして殺す。でも最悪の場合は身体だけ残ってれば良い」
「なっ……。聞き捨てならないな、ブランシュ姉。葵琴理は君の仲間じゃないのかい?」
ブランシュ姉……、未だにイズの言葉を信じていることに、苦笑するが、顔には出さない。
後ろから聞こえてきた不快感の強い野次に、ホロウは満面の笑みで振り返り、口を開く。
「仲間じゃないですよ。ただの人質です。なので彼女達の生死は問いません」
「なんて事を……。君は、一体どうして彼女達を救うことに命を賭けるんだい?」
深く失望したのか、零の声色は非常に低く暗いものへと変質しているが、ホロウはそんなものはお構い無しで、ケロッとした表情で二丁の愛銃をホルスターから取り出し、空砲を二発、空へと放った。
「仲間を取り戻す為に、失ったものを取り返す為に」
その言葉を皮切りに、ホロウは銃をホルスターに納め、ナイフで右手をそれなりに厚く切る。
ボタボタと滴り落ちる血に魔力を込めて、詠唱を開始する。すぐさまホロウの血は凝固し、小さな正方体をいくつも成形する。
「“血壁”。透、綿罪、行くよ。付いて来て」
「「了解」」
ホロウ達は結界へと空中を走り出す。作戦は開始された。
その場に立ち尽くしていた零は、前線部隊の三人が見えなくなるまで、呆然と眺めていた。
お世話になっております。のるんゆないるです。
先日の投稿に誤字指摘をして頂きました。拙作は非常に誤字脱字が多いので、こういった報告は非常に助かります。
また、他にもあれば是非とも報告をよろしくお願いいたします。




