【Ⅲ】#3 彷徨う少女、支配人との邂逅
「あれ、ここ……何処だろ?」
虚華が重い瞼を擦り、寝ていたはずの寝床から起き上がる。身体を伸ばしながら、辺りを見回す。
未だに視界がはっきりとしない不明瞭な景色をぼんやりと見ていると、徐々に視界がクリアになっていく。
虚華はこの自分がいる空間を、豪華な屋敷の一室だと推測した。家具や、壁紙、広さなどがどう考えても虚華達が取った宿とは大きく違う。眠気などはまだあるが、こんな場所で二度寝する精神力もないため、部屋の中を軽く探索する。
色々見て回った虚華の感想は、黒と白が奇妙なバランスで組み合わさっている豪華に見える一室だった。
黒を基調とした部屋に白を組み合わせたり、白を基調とした部屋に黒を組み合わせるのは理解できるが、この部屋はそうではなかった。
(なんだか、混ざってる。混ざってるのに、灰色じゃない。どっちも際立っている……?)
黒色の豪華な壁に、白色の塗料で引っ掻いたような模様があちこちに点在している。
折角の絢爛さが際立つ白のシャンデリアを黒の塗料であちこちを汚されている。
場所によっては手に塗料を塗って握った跡まで見える。
どうにもこの部屋の主のセンスには賛同しかねるなぁ、と虚華は思った。
扉の鍵は掛かっているし、鍵は手持ちにはない。内鍵ではなく、外鍵な時点で、此処が監獄か何かの可能性も邪推する。だが、監獄にしてはどうにも豪勢だし、そもそも投獄される理由だって虚華には心当たりも無い。
(それに、閉じ込める部屋にしてはベッドの布団が寝心地が良すぎる……)
腰掛けたベッドの掛け布団に虚華ははしたなくジャンプして着地する。黒の掛け布団に、白いシーツの敷布団。キングサイズのベッドはとても大きくて、虚華の身体全部を埋めても、数人は入りそうだ。
シャンデリアは黒を基調としているのに、どうにも白いなぁと感じさせる気味悪さを抱かせる。
中に詰められている何かの生き物の素材が保温性能を高めており、とても暖かい。さらにはその外側の生地はつるつるで触り心地も最高だ。
(こんな寝床で閉じ込めたら、私は一生この寝床から出れなくなっちゃう……)
はっと、何かに気づいた虚華は急いでベッドから飛び降りる。この寝床に自分の意志で閉じ込めさせる気なんだと、そう思い込んだ虚華は近くにあった、上等な椅子を見つける。白を基調としているはずなのに、何故か軸の部分が黒色の塗料で引っ掻いたような跡が残っている、これまた上質な椅子に腰掛ける。
(この椅子も、めっちゃいい椅子だぁ……この座る部分がふかふかだぁ……)
椅子にも魅了され掛かる虚華だったが、再度はっとなり、椅子からも慌てて腰を上げる。
「一体、この部屋は何なんだろ?私は確か宿で寝ていたはずだけど……、もしかして、夢?」
「おお、御明察じゃ。よく分かったのぉ」
虚華は首を傾げながら、昨日の記憶を遡らんと。目を瞑って、昨日何が会ったのかを思い返そうとした。
うーんと、唸りながら虚華は独り言を言っていたはずなのに、その独り言に返事と拍手が返ってきた。
挙句の果てには称賛までされている。虚華が目を見開いて声がした方を向く。
そこに居たのは、この部屋のように白い髪の毛に、所々黒い髪が混じっている髪。瞳は片方が黑、もう片方が白とオッドアイ。
黒い聖女のような修道服を艶やかに改造された物を着込んでいた、自分と歳がそう変わらない様な見た目をしている少女だった。
拘束服にも修道服にも見えるその漆黒の装束を身に纏いながら笑う彼女に、何故か虚華は畏怖の感情を抱き、冷や汗をかく。
満面の笑みを浮かべながら、こちらを「天晴」と称賛するその少女の喋り方は少し古い気もするが、虚華は気にせずに眼を見張る。
「貴方は一体……?ここは何処なの!?何で私は此処に居るの!?」
「だから、そなたが先程自分で「此処が夢である」と言ったではないか。それが全てじゃ」
夢ならば此処にそなたを招待しても何らおかしくはないだろう?と幼い顔つきにしては、随分と色香を含んだ笑みを少女は見せる。
半ばヒステリックになりかけた虚華は深呼吸をして、精神を落ち着かせる。目の前の少女は言った。此処が夢なのは正解だと。自分が夢の中に居ることを認識することが出来る状態を、前に雪奈から聞いた気がするけど、何だったか思い出せない。
「落ち着いたか?全く……。久方ぶりの客人が来たと思えば、斯様な童じゃし。お主は何者じゃ?」
「いや……、私も来たくてきた訳じゃ……」
「ほう?ならば、誰かに連れてこられたと?」
「どうなんでしょう?私は寝ていたはずなんですが、起きたら此処に居て」
「ふむ」
虚華の言葉を、吟味するように少女は腕を組み、考え出す。暫くの間、少女が動かなかったので、虚華は再度色々部屋の中を見て回る。
夢だと分かっていても、虚華の五感がどう考えても本物じゃないかと訴えかけてくる。ベッドや椅子の触り心地は触覚が。部屋の香水の匂いは嗅覚が。目の前の異様な光景を視覚が。少女の声を聴覚が。部屋にある果実を食べると味覚が。五感が此処が夢じゃないと訴える。
「やっぱり此処って夢じゃないんじゃないですか?」
「まぁ、厳密にはなぁ。意識だけが此処に居るって形じゃ。だから五感が作用しておる」
うんうん唸りながら考え込んでいた少女はいつの間にか、虚華の前で椅子に腰掛けていた。
何故かは分からないが、少女の乱雑な座り方がどうにもこの部屋と合っている気がしてならないと、虚華がふと感じた。
ほれ、早く名乗らないかと、言わんばかりの視線を虚華は少女から感じた。勿論当の本人は何も言っていないし、そう思ってないかも知れないけど、彼女は何も言わずにこっちも吟味するように見ている。
(こういう時はまず年下の子が名乗るべきだと思うんだけどなぁ)
「私はホロウ。ホロウ・ブランシュです。貴方は?」
ため息混じりにそう自己紹介すると、少女は虚華の名前を聞くと、少し顔を顰めた。
「妾の名前を知らんのか?この姿だから知らないのか?ならこれならどうじゃ?」
その場で宙に浮き、くるんと前転をする。すると、先程までの幼い見た目の少女は、二十手前ほどの美女に成長した。
服などはそのままだったので、その修道服と拘束服の両方の性質を兼ね備えた服を着ている少女が更に艶やかに見えてくる。
「どうじゃ、この姿なら知っておるのではないか?」
「……ごめんなさい。世間知らずなので分からないです」
目の前の美女は、美女なりにセクシーポーズを決めたつもりなのだろうが、虚華の言葉を聞いて、肩を落としてガクッと落ち込んだ様な仕草で膝をつく。
「なんと……妾を知らない人間が居たとは……道理で妾の姿を見て恐れを抱かない訳じゃ……」
「えと、なんかごめんなさい」
(恐れを抱かない?彼女は恐れられる対象なの?見た目はかなり可愛いと思うけど)
やるせないきもちになったのか、美女は床に三角座りで部屋の隅で一人、落ち込んでいた。
虚華は別に悪いことをしたつもりはないが、申し訳無さを感じだして、美女に頭を下げて謝る。
(魔物か、それとも驚かれたい人なのかな)
「良い良い。知らぬのなら名乗ろう。妾はパンドラじゃ。宜しゅうの、ホロウ」
「はい、よろしくおねがいします。パンドラさん」
半ば投げやりに自己紹介をするパンドラを虚華は一瞥する。いじけたように部屋の隅でパンドラが三角座りで落ち込んでいるのを見ると虚華は妙な罪悪感を抱いてしまう。
少しの間、二人の間に沈黙の時間が流れる。虚華自体は別にこの何もない時間が嫌いではなかったが、どうにもパンドラは好きでは無いようで、虚華の方をちらちらと三角座りのまま見てくる。
(パンドラさん、可愛いから人気者だと思うけどなぁ)
「して、ホロウは妾を尋ねてきた訳でも無いし、妾を知りもしないと?」
「そうなりますね、パンドラさんが私を呼んだのではないなら。私はさしずめ、迷子ですね」
顔を上げたパンドラは再度、顔を俯き気味に下を向く。ずーんと、周囲に暗い雰囲気を漂わせてくる。
下手に嘘つくのも何だか違う気がするし、目の前のパンドラをどうにかしたいと思っていた虚華だったが、そもそもどうやってここから帰ればいいかも考えなきゃいけないことに気づいた。
(わぁ、どうしよう。困ったな。やること考えることが沢山だ)
「パンドラさんはどうして此処に?」
「此処は妾の屋敷の一室じゃ。まぁ此処は夢のような場所じゃが」
鍵がかかって出られないこの部屋以外にもどうやら本来のこの部屋がある屋敷は、パンドラの所有物のようだ。虚華は実体ではなく、意識だけを移動させているからこの部屋から出られないというカラクリらしい。
「パンドラさんは私が客人だったら何をしたいですか?」
「別に何も望まぬ。強いて言うなら話し相手、かのう。ホロウが何を出来るか次第じゃ」
《交渉する際は、まず相手の要望を聞く。自分の意見要件は二の次だ。実現は最後》
この言葉も、見知らぬ誰かが遺した諺だ。その教えに則って、虚華はパンドラと対話する。
虚華が望むのは、この部屋からの脱出と、パンドラとの和解、もしくは友好関係を築くこと。
(彼女が望むことは、話し相手?それなら私でも出来るけど……)
虚華は冷静に目の前の少女と会話を続ける。探り探りで彼女が何者なのかも、探りながら。
「私で良ければ、話し相手になりますよ」
「妾なんかと、話してもつまらないじゃろ」
「それは話してみないと分からないですね」
半ば不貞腐れながら、床に寝っ転がりだすパンドラに合わせて虚華も柔らかい微笑を顔に貼り付けて隣に寝転がる。本来なら、ゲストハウスのオーナーと寝転がるのは客人のして良いことではないが、虚華は敢えてそういう動きをする。
「ホロウ……お主は妾が怖くはないのか?」
「えぇ。だって、私は貴方のことを何も知りませんから。だからこうして話しているんです。貴方を知る為に」
寝転がっているパンドラがこちらを向いて、寂しそうな目線を虚華に投げつける。それに答えるが如く、虚華はパンドラの方を向いて手を握る。
ほろうぅ……と涙目になりながら、パンドラは虚華の手を握り返す。少しの間、手を握ったまま、感極まったのか、パンドラは何も言わずにただ手を握っていた。
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「良い。妾はそなたが気に入った。また此処に来てくれるか?」
「それは構いませんけど、此処への行き方が分かりませんよ?」
すっかり涙も引いたパンドラは満足気に豪華な丸テーブルを囲み、紅茶を御馳走になる。見たこともないような豪華な茶器に、良い香りのする茶葉を煮出した紅茶は、虚華にはとても美味しく感じた。
対面で座っている虚華に黒い鍵を手渡す。虚華は受け取って良いものかと、少し悩んだが、此処で拒むのは悪手だと思い、笑顔で受け取った。
「その鍵を使えば、何時でも何処でも妾の、この部屋に繋がる。だからまた気が向いたら、話し相手にでもなってくれ。まぁ相談相手にでも、妾で良ければなろう」
「わぁ、綺麗。大切にしますね!私なんかで良ければちょくちょく伺います」
パンドラは照れくさそうに、左足のヒールで地面をカツンと音を立てて蹴る。すると黒い靄を発し、黒い花弁を撒き散らしながら黒い扉を部屋の隅に発生させる。
見覚えのある光景に、虚華は一瞬だけ顔を強張らせる。それでもパンドラの気分を害さないように、悟られないようにすぐに驚きの表情にすり替える。
「その扉を潜れば、自室に戻れる……のは現実の話か。今回は夢だから、覚めるだけじゃ。では、またの。ホロウ。そなたとの時間悪いものではなかった」
「はい、また来ます。パンドラさん」
「あ、そうじゃ言い忘れておった。妾との邂逅は、他言無用で頼む。お互いのためにな」
「……えぇ、分かりました。私とパンドラさんだけの内緒ですね」
くすくすと薄い笑みを虚華は浮かべ、パンドラはそれに合わせ、満面の笑みで白い歯を見せる。
手を振りながら笑顔で虚華を見送るパンドラに、虚華も笑顔で手を振り返し、パンドラが生成した扉を潜る。
(また厄介な縁を結んじゃった気がするなぁ……。まぁ……知り合いが増えるのは良いことかな)




