【XI】#10 奪い去る、覚悟も大事だったものも
楓は、天然物の喧しいアラームになりつつある「エラー」の頭に優しく触れる。
非常に朝に弱い上にしのまで行方不明になってしまった楓の機嫌は、相当に悪いが、それでも自分まで腐ってしまってはもう終わりだ。それぐらいの自覚はある。
それに、彼女は腐っても上級国民のような扱いを受けていた筈──そんな人間が窮地に陥れば何をしでかすか分からない。実例はもう数えるのに飽いてしまう程にある。
「あ……あぁ……」
「おゥ、どうした。何があった?慌てるな、まず深呼吸しろ」
楓の言葉に促され、「エラー」は深呼吸をすると、目に見えて落ち着きを取り戻す。あまりに見てられない位取り乱していたせいで、つい普段とは違う行動を取ってしまった。
楓は「エラー」の瞳を覗き込み、何かしらの魔術の影響を受けていないかを確認する。仄かに赤い瞳はホロウとは対照的だが、綺麗な虹彩だった。
「あ、あの……白月さん?」
「ん……すまん、ちと考え事をしてた。特に魔術の影響を受けてる訳じゃなさそうだ。で、何があった?」
つい見惚れてしまった、だなんて口が避けても言えないなァと考えつつ、楓は周囲にも気を配る。
前々から楓は、自分の中での考えなどを「探索者の心得」として一冊の本に纏めていたのだが、臨やホロウら「喪失」と共に行動する間に、楓は探索者としての心得を幾つか更新していた。
そのうちの一つがこれだ。「周囲にも警戒を怠るな。特に状況が不明な場合は他者の干渉も視野に入れろ」
「は、はい……実は少し前……二時間ほど前でしょうか、紫野裂さんがふらっと出ていかれるのを見ていたのですが……なんて言えば良いんでしょう……様子がおかしかったんです」
「具体的には?」
「虚ろな目で何かに手繰り寄せられるような感じでふらりとドアを開けて出ていったんです。その時はまるでかつての紫野裂さんのように、軽やかな足取りで歩かれていたので……」
「追い掛けたのか?……いや一人で外に出るのも、追い掛けるのも気が引ける……か」
あまり良い話ではないのだが、あの事件以来、ジアの治安は一気に悪化している。
勿論復興は進んでいるが、災害の爪痕こそ根深く残っている。
「終わらない英雄譚」は悪ではあったが、その悪によって抑止されていた者達が今、一気に解き放たれているのだ。
そんな連中の一つに精神操作や洗脳技術によって奴隷や探索者などを人身売買している輩が居るという話を、ここ最近各所で聞いていた。名前は確か……「愛された死」とか名乗っていただろうか、正直詳しくは覚えていない。
「いえ……流石に緊急事態だと判断したので、展開式槍斧を持って外へ出たのですが……」
いつになくしおらしい彼女は、そこはかとなくホロウと同じ雰囲気を漂わせる。
楓は全力で首を横に振り、抱いてはいけない部類の煩悩を気合で振り払う。
(こいつはまじでやばい性格破綻者。こいつにキュンと来たらまじで終わりだ)
「大丈夫ですか?……まさか、白月さんまで?」
「だ、大丈夫だ。お前は気にせず報告を続けてくれェ。外に出た後、何を見た?」
若干怪しむ様子は見せていたが、「エラー」はおずおずとした態度で話し始めた。
報告死なれていない彼女の話が非常に冗長でややこしかったので、自身の中で簡単に纏めるが、要するに「エラー」はそこの連中に拉致されたんじゃないかと、考えていたらしい。
彼らに操られていたから、脚を悪くしていたのにも関わらず、軽やかに歩いていたんじゃないのかと。
(「愛された死」なァ。名前だけでも十分胡散臭い連中だが、あんなのを抑止してたのがなぁ)
実際には見たことも遭遇したこともないのだが、最近のトレンドとして、もっぱらその名前ばかりが挙げられている。
失踪する人が多い中で、そういう組織が現れてしまえば、そうなるのは自明の理ではあるのだが。
チラリと楓が「エラー」を見ると、瞳や雰囲気からも怯えているような様子が伺える。
(よっぽどの怖いものを見たのか?あの勧善殺悪みたいな奴がなァ)
「しのさんが……独りでに溶ける様子が……いえ、溶けるというよりかは、腐り落ちる……といえば良いんでしょうか?ジアを抜けて、白雪の森の方角の門を抜けたすぐそこで……、急に居なくなったんです……」
「……そうか」
「……っ!!」
「なんだ、流石に苦しい、離してくれ」
楓が驚いた様子もなく、ただただ黙って頷くと、「エラー」は先程までの怯えが嘘のように消え去り、全身から怒りを表しながら、楓の胸ぐらを掴み上げる。
成人男性の胸ぐらを簡単に掴み上げられる膂力の凄さはひとまず置いておいて、楓は対「エラー」としての対応が間違っていたことを痛感する。
(この様子だと、本当に覚えていないのか、それとも知らなかったのか)
呆れ半分、苦しさ半分で楓は「エラー」の掴み上げる手をぽんぽんと二度叩く。これ以上締め上げられていても言葉を発せないどころか、意識まで失いかねない。
とっとと降参の意を示すと、「エラー」は般若の面のような顔のまま、地面に座り込んだ楓の前で仁王立ちする。
「どうして驚かないんですか?どうして、何も言わないんですか?」
「……」
お前が首根っこ掴んでいたせいで喋ることが出来ないんだよ、なんて言ってしまえばまた面倒事になるのは目に見えている。
なので、楓は黙って喉の回復を待ちながら、「エラー」の様子を窺っていると、「エラー」は突然崩れ落ちる。
「紫野裂さんが、突然腐り落ちて、身体ごと何処かに行ってしまったんです。消えた場所を探してみても、何も残っていないんです。ただただ腐敗臭が周囲に立ち込めていただけなんです。ねぇ、どうしてなんですか!!!紫野裂さんは、何処に行ったんですか!?白月さんは何か知っているんでしょう!?」
「お前は……スパクトロ・ギアという代物を……」
楓がふと視線を向けると、「エラー」はポロポロと涙を流し、目を真っ赤にしながらも擦り続けている。
思えば、何も知らないのを前提として、知人が腐り落ちる姿を見てしまえば、ショックも大きいだろうことを失念していた。
(こういう時のメンタルケアはしのや緋浦に任せてたし、説明とか、これからどうするかの作戦会議や、方針をどうするかとか、そんな煩雑なのはホロウやノワールに任せてたから、俺自身が一人でこいつに向き合うのって初めて……なんだな)
今までは誰か、自分以外の誰かが助けてくれたから何とかなってきた。けれど、今は二人しか居ない。この場で「エラー」に手を差し伸べられるのは自分だけしか居ない。
(俺もお前も何かから逃げ続けてきたんだ、我儘言ってられねェなァ)
「一旦落ち着け、まずは顔洗ってこい。話はそっからだ」
「……グスン、いえ。別に良いです……お構い無く」
構うのはこっちだろうが!テメーにめちゃくちゃにされた髪も直したいし、その間に色々飲み物の準備とか、話し合いの場所の雰囲気作りとかしなきゃいけないのが分からないのか……と言ってやりたいところだったが、自分も正直分かっていない。
「飲みモン用意するから待ってろ、何が良い?」
「じゃあ……ミルクセーキで」
「…………買ってくるわ」
「あ、なら私も行きます。一人よりも二人の方が安全でしょう?」
珈琲やココアなら用意があったんだけどなぁと、楓は少ししょんぼりながら扉を開いた。
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しのは鈍い頭痛に苛まれながら、重たくなったまぶたを開く。
辺りを見渡すも、自身の居る場所に覚えがない。ここに来るまでの経緯も覚えていない。
未だに襲いかかってくる頭痛に頭を悩ませながら、持っている情報を掛け合わせて、状況を分析しようと試みる。
(うちはふかふかのベッドに寝かされていた。身体に異変はない。どういう事?)
さっぱり分からなかった。最後の記憶も、楓と一緒に居た所までしか覚えていない。
お陰で自分が拉致されたことは確実なのだが、ここが何処なのか、皆目見当がつかない。
(身体は……うん、動く。此処から出れたりしないかな)
随分と重たくなってしまった身体を引きずりながら、部屋の中を散策する。窓には格子が嵌め込まれており、扉はしっかり施錠されていた。
しのが扱えるのは極々簡単な四属性の初級魔術のみ。流石にそんな弱い魔術では扉や壁をぶち破ることも出来ずに居る。
地面にへたり込んで、しのは天井を見上げる。これは所謂詰みの状況だろう。
「騒々しいと思えば、起きていたのか」
扉が空いたと思えば、紫の長髪をたなびかせた大きな男が低い声でそう言っていた。
首元には龍の魔術刻印が刻まれており、目元も随分と鋭い印象を抱いた。
見覚えはないはずなのに、何処か見覚えのあるその姿に、しのは首を傾げる。その姿が不快に思ったのか、紫髪の男は顔を顰める。
「何だその顔は。俺を呼んでおいて」
「えっ……?」
しのの驚いたような声を聞いた紫髪の男も、訝しげな表情を見せる。
幸い、彼に争う意思はないようだ。しのはふぅっと大きく息を吐くとベッドに腰掛ける。
「ちょっと話さない?“ディルク”さん」
「……あぁ?」
つい咄嗟に出てしまったその言葉を聞いた紫髪の男は、しのが今まで出会ってきた中で一番怖い顔をしていた気がする。
ずもももと紫髪の男は周囲に黒いオーラを発しながらこちらを睨んでいるが、行動を起こそうとはしていない。
つまり、こちらに危害を加えるつもりはないらしい。それなりに離れた場所で腕を組み、こちらを睨んでいる彼は確かに自分の知るディルクとは大きくかけ離れている。
それでもどうしてだろうか。彼とディルクが重なって見えるのだ。
お久しぶりです、のるんゆないるです。
先月は非常に多忙だったとはいえ、2話しか更新できず申し訳ございませんでした。
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