【XI】#9 願い淀む、腐の連鎖からは逃げられない
臨と雪奈がジアを去った直後の時系列に戻ります。
結白虚華こと、「エラー」は書き残された手紙を読んで憤慨している。
朝目が覚めて、隣の部屋に居たはずの雪奈が居なくなっていたので、探してみれば、臨の部屋に一枚の手紙が置かれていた。内容は至ってシンプル、今のこの場にいる三人──「エラー」、楓、しのは足手纏だから置いていく。ジアの復興に尽力して欲しいとの事だった。
「どうしてノワールと緋浦さんは私達を置いていったのです!!」
「ンナもん、書いてある通りだろ。足手纏だから置いていった。シンプルなもんだ」
同じく臨達に置いていかれた一人である「獅子喰らう兎」のリーダー、現在は「喪失」との合同レギオンを組んでいる白月楓は、あっけらかんとそう言った。
彼は探索者としては珍しい現代の鍛冶師では作成することが困難な武具──ヰデルヴァイスを所持している所有者だ。その武具──|Crime&Punishment《罪と罰》を操る彼は探索者の中でも指折りの実力者だ。
そんな彼をも足手纏だと置いていった黒咲臨の考えを、「エラー」は理解することが出来なかった。
自身を蝕む矛盾のロジックに、目を逸らしながら「エラー」は声を荒げる。
「貴方は納得するんですか!?私達に何の相談もなかったんですよ?」
「そりゃ、無いだろうなァ。話の通じないお前との会話が一番のストレスだしなァ、ノワールにとっても、ホロウにとっても」
「な、何を言ってるんですか!?」
「鏡でも見てみろォ、なんでお前は俺に斧振り下ろそうとしてんだよ」
「エラー」はふと、部屋の中にある鏡に視線を移す。そこに居た狂気じみた化け物が、自分だと気づくのにどれほどの時間が掛かっただろうか。
目を疑った。それと同時に合点がいった。何度もこういった場面はあった。
自分が正しいと信じたことを、正義を振りかざして、何度も何度も友人や仲間を失っていった。
今回もそうだと言うのか。眼の前の現実が、自分が言うまでもなく事実だと訴えかける。
(なんで酷い顔……まるで悪は非人や罪人ではなく……)
「エラー」そのものじゃないか。無辜の仲間を手に掛けようとしている自身の姿を見てしまった「エラー」は愛用している展開式槍斧から手を離す。
随分と重たい展開式槍斧は、凄まじい音を立てて地面に叩きつけられる。
(私が……悪?ずっと……ずっと?じゃあ、ホロウが居なくなったのも……?)
段々と彼らの声が遠くなっていく。現実味を失っていく。
確かにあの時の手紙は、自分に向けて当てられていた部分もあったかも知れない。でも、自分だけが悪いなんて微塵も思っていなかった、否、自分が悪いなんて思っていなかった。
ノワールのせいだと思っていた。勝手に自分を殺し、他人の人格を芽生えさせたクリムが悪いと思っていた。自分が悪いはずがないと思っていた。
それがなんだ、全部自分が悪かったと言っている。鏡に映る自分に視線を移す。
『なによ、その目。私に何か言いたいことでも?』
『どうして貴方はそんなに恐ろしい顔をしているのですか……?』
『何言ってるのよ。これが私達の本性じゃない。悪鬼羅刹、気に入らない者を斬り殺すために、己も悪鬼羅刹の面を被る。今までずっとそうだったじゃない。もしかして、自覚なかったのかしら?』
『そんな……だって、今まで斬ってきたのは全部が悪……死んで当然だった者達ばかりじゃないですか!?』
鏡に映る「エラー」は高らかに笑い声を上げる。目尻に涙を浮かべながら腹を抱えて笑う己の虚像は、まるで自分を嘲笑っているかのように見える。
冷や汗をダラダラと流す「エラー」は、鏡に映る「エラー」に心を掻き乱される。
『あはは!貴方って本当に愚かなのね?貴方が悪だと断じて、誰がそれを信じるのよ。貴方が正しいと思い基準って一体何?生きとし生けるものの生殺与奪の権利を、どうして貴方風情が握っているの?神にでもなったつもり?』
『だ、だって……、あれ……?』
よくよく考えてみればそうだ。どうして今まで自分は非人を殺してきたのだろう?
非人を見るなり、自慢の槍斧を振るい、一刀両断にしてきた。そんな自分を誇りにまで思っていたが、何を誇っていたのだろう?殺した数?種類?強さ?
考えれば考える程、坩堝に嵌っている感覚に陥る。今までは自身の正義感の強さ故に、人間ではない存在が許せないのだと思っていた。人間ではないのに、人の言葉を話し、惑わせる。
そんな存在が許せないのだと思っていた。だが、それがどうした?別に自分は何の被害も受けていないのだ。それどころか自身の周りにも、非人から何かされた記憶が存在しない。
『少しは理解出来た?今までアンタが、私がして来た事が』
『え、あっ……あぁ……』
今まで自分がしてきた行いが、頭の中で走馬灯のように走り抜ける。
沢山の非人を殺して周り、挙句の果てには、白の区域に居た人間以外の人種を全て他区域へと迫害してしまった。
その時の父の顔が浮かび上がってくる。今の「エラー」には分かる。自分の父──白の区域長がどれほどの苦渋の決断を迫られていたのかを、むざむざと見せつけてくる。
『嫌だ……認めたくない。信じたくない……じゃあ、今まで私がしてきたことは……』
『そうだ、お前が今までしてきた行いは、全部悪であり、罪である』
『あぁ……あぁあああああああ!!!!!』
髪の毛を掻き毟り、錯乱していた「エラー」は、終いには泡を吹いて、その場で倒れ込んだ。
鏡に映る「エラー」は泡を吹いて倒れた「エラー」を見るや否や、満足そうな表情で鏡の中から消え去る。
その場で二人のやり取りを見ていた楓としのは、地面に顔を付けている「エラー」を、複雑そうな表情で見ると、楓は乱雑にソファーへと放り投げる。
ぐえっと蛙が潰れたような鳴き声が聞こえたが、楓は気にすることもなく、しのから淹れて貰ったココアを一口、口に含む。
未だに意識の戻らない「エラー」を心配そうに見ていたしのは、眉を逆ハの字にしながら、「もうっ」と楓を嗜める。
「だ、大丈夫?「エラー」ちゃん怪我してない?ちょっと楓……、言い過ぎだし、やり過ぎ……だよ?」
「あァ?こいつをずっと甘やかしてきたから、化け物になってんだろ?いい加減現実見ねェと、こいつにとっても、こいつの周りにとっても悪影響でしかねェ。なら、正してやんのが筋だろ」
「で、でもぉ……」
「それに、俺等がどうこうした訳じゃねェ。現実を……真実を見たのはアイツ自身だ。鏡の中の自分に頼ったとは言えなァ」
何度も申し訳無さそうな表情で、しのは「エラー」を見ているが、その実、楓達は「エラー」に何かをしたわけではない。
あくまで彼女は、自分自身と向き合ったことで、真実を知った。その過程で脳が情報を処理しきれずに落ちてしまったに過ぎない。
楓はふぅっと一息つくと、右手で持っていた符を手の中で遊ばせる。これは非常に便利なものだなぁと、つくづく感じる。楓が持っているのは、簡易魔術紙。使用済みになったこれは、小さい符になっているが、元々はそこそこ長い巻物のような形をしていた。
魔力を簡易魔術紙に流すことで、普段は使用できない魔術を、誰でも使用することが出来る使い捨ての物だ。
「「鏡の中の私」……か。そう言えばうちらが最初にホロウちゃんを見た時も、一瞬だけこの魔術のことを過ったよね。」
「あァ、ま、簡単に使えるわけのない高等魔術だ。ある訳無い、精々他人の空似だろ程度に思ってはいたがなァ……。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもんだ」
自身とそっくりな鏡像を生み出したり、自身を他者の姿に変貌させる魔術「鏡の中の私」はそこらの魔術師がおいそれと使えるものではない。無論、しのも楓も使用できない。
周りの人間で扱うことが出来るのが、クリムとホロウだが、今はそのどちらも居ない。だからこそ、「エラー」は先程の一連のやり取りが、自身の頭の中での出来事だと処理したのだろう。
だが、問題はここからだ。実際問題、楓達は置き去りにされた側の人間であることは間違いない。しかも、超絶問題人物も一緒に置いて行かれたのだ。
彼女は白の区域ではそれなりの立ち位置にいたが、それも「終わらない英雄譚」とのやり取りで瓦解しつつあった。
そんな彼女を置いていった黒咲の事もある程度は理解できる。恐らくだが、黒咲は拐われた葵を助けに蒼の区域へと向かったのだろう。
そんな場所に、「エラー」を連れて行ってしまえば、問題が起きるのはもう既に経験済みだ。
(要するにお留守番って訳だ。あんまり性に合わねェが、致し方ねェなァ)
実際問題、楓もしのを置いて蒼の区域へと向かう気力はない。
かなり衰弱しているしのは、もはや戦えないと言っても過言ではない。
未だに夜桜透に奪われたヰデル──スパクトロ・ギアの影響を受けているしのは、時折ではあるが、副作用に苦しんでいる。
そんな彼女を、近いとは言えども他区域まで歩かせるのは酷だ。それにお供があの「エラー」では尚更だ。道中の魔物一つとっても苦戦は免れないだろう。
楓は、己の腰に納められているヰデルに視線を向ける。罪と罰の名を冠する二振りの剣は、かつては血に飢えていたのか、時折殺戮衝動を楓に植え付けてくるが、此処最近はそれがめっきり無いのだ。
(こいつのことも詳しく調べなきゃならない。俺は俺でやれることをやるしか無いか)
楓は、飲み干したココアのマグカップをテーブルに置くと、部屋に備え付けられていたベッドに身体を放り投げる。
「鏡の中の私」に用いた魔力が些か多かったせいで、かなりの疲労感を覚えてしまっている。
横になった楓は次第に、睡魔が襲いかかってきてしまい、瞼を閉ざしてしまった。微睡みの最中に、呼び鈴が鳴る音がした気がしたが、きっとしのがうまくやってくれるだろう。
気づかなかった、気づけなかった。
楓が目を覚ましてから、しのの姿が見えなくなってしまったことに。
しのが居なくなったことにに気づいたのは、「エラー」が目覚め、悲鳴を上げた時だった。




