【XI】#3 哀れ哀れ、そんなものは理由にならない
「とまぁ、こんな所かな〜?にしても突然押し掛けといてなんでわたしの話を?」
「ただの興味……って訳じゃないけど、久方振りの再会には昔話が付きものでしょ?」
里乃は、あっそうとあっけらかんな返事をすると、テーブル上に置かれているティーカップに紅茶を注ぐ。
此処は里乃が個人的に使用している一室──蒼の区域にある自宅だ。普段は人を呼ぶことなど無いのだが、眼の前に居るこの人物は特別だ。
里乃はひとしきり話し終えると、自嘲じみた笑みで部屋に置かれていた刀を手に取る。
この刀はあの日から一度も刀身を鞘から抜いていない。吸った血は母親で最期だ。
今の今まで黙って話を聞いていた対談者を視界に移すと、里乃は自分の肩を鞘でこんこんと叩く。
「それで〜?なぁんでわたしにそんな話しをさせたの?屍喰ちゃん〜?」
「何度も言うけど、ボクをその渾名で呼ばないでくれるかい?君とは争いたくないんだ」
里乃が屍喰と呼んだ少女は、自身と同じく中央管理局に勤めているイドル・B・フィルレイスだ。
白髮セミロングでファッションに無頓着なのか、中央管理局の制服の上に探索者が良く着ているマントを着込んでいる。
長い年月を共にしたマントはかなりボロボロで端から見ればかなり見窄らしいが、見る者が見れば、数多の修羅場を潜り抜けてきたことが伺える。
イドルと会ったのは久方ぶりだが、また彼女の衣服や身体に傷が増えている。どうせ、知らない所でややこしい問題に首でも突っ込んだのだろう。
呆れ半分、嬉しさ半分で里乃はニヤニヤと笑顔を浮かべる。
「うわっ、何その笑顔……ボクが暫く戻らなかった間にキモくなったね……」
「ひっど〜い!わたしは屍喰ちゃんとお話したかったから家に招いたのに〜」
屍喰と呼ぶ度に一々反応するイドルが可愛らしくて、そう呼ぶのを辞められない。
昔からの悪い癖だと分かっていても、里乃は邪悪な表情を崩すこと無く刀の鞘を抜く。
「……なに?ボクを殺そうとしてる訳?まさか、レーヴァにボクを飛ばしたのも……」
「レーヴァ?何の話〜?わたしはただ、刀の血の跡を見て欲しかっただけだよ?」
里乃が抜いた刀は血で濡れた部分が既に錆び切っている。かつての名刀と呼ばれていた物も使い物にはならないだろう。
イドルは不思議そうに里乃と刀を交互に見ている。暗に何が言いたいの?と言っているのだろう。
「どれだけの業物を打とうと、使い手が腐れば、刀も腐り落ちる。勿論、鍛冶師も同じ」
「……あぁ。鎹家の刀鍛冶は君の御父上が末代だったね」
里乃が語った思い出話以外にも地獄のような経験は多々あった。基本的に各色域の支部長や区域長は血族によって継がれる世襲制だった。
そんな中、里乃は麗奈の死後、支部長に任命されるまで二年掛かった。いいや、厳密には二年で襲名されるように手を回しに回した。
何もしなければ、自身が生きている間は宵紫柚斗や宵紫一族が支部長の座を支配していた筈だ。
そんな事は到底許せない。許せる筈がない。許す訳には行かない。そうでしょう?
温かい紅茶を口に含み、身体が温まるのを感じていたイドルは何かに気づいた顔をする。
「……だからわざわざ白の区域に居た葵琴理をボクに拉致させたの?」
「何かまずい?わたしが直接ジアに乗り込んでた方がヤバいでしょ〜」
「まずい部分がそこじゃないことぐらい、聡明な同期殿なら分かってるのでは?」
「はてはて〜?わたしは職務に忠実なだけだよ〜?」
イドルに同期殿、と呼ばれ里乃は少し寒気がした。確かに彼女とは歳が同じで入ったタイミングも殆ど同じだが、同期と呼ばれて一括りにされるのはいい気分がしない。
こんな異端者と同じにされて堪るものか。此処まで歪みきってしまった奴と一緒にされては困る。|
《・》 実際問題、葵琴理が全国的に指名手配されていることに気づいたのは、柚斗や蜜柑が死んでからだ。
それまでは彼女の情報など、視界にすら入っていなかった。それだけ必死だった。
母の守っていたものを取り戻すために、里乃は形振り構わずにひたすら走った。
その結果、蒼の区域支部支部長の宵紫柚斗は討たれ、妹の蜜柑も死亡してくれた。
──彼らの死に、歓喜の笛の音と惨憺たる嘆きの詩を捧げたいと思う。
そんな言葉を聞いた時、里乃は心底喜んだ。清々しい気持ちで胸が一杯だった。
「まぁ確かに、葵琴理の捕縛は凄いことだと思うけどね?結局は復讐がしたかったの?」
「ん〜。どうだろ?別に鍛冶師の家系だったけど、才能があった訳じゃないしね〜わたし」
里乃は父親から鍛冶師の勉学や実技を学んではいたが、実を結ぶことはなかった。
ある程度の武具であれば、素材さえあれば作成することは出来たが、父親のような名刀や妖刀の類を生み出すことだけはどうしても出来なかったのだ。
多忙だった里乃が、文字通り血の滲むような努力をする時間がなかったからという言い訳も出来るが、それ以上に里乃には母親の側に居たいという気持ちが強く、どうしても身が入らなかったというのが正直な理由だ。
「だから中央管理局に?」
「母さんが居たからってのが大きいのは間違いないかもね〜。……って、別に今日は感傷に浸りたいわけでも、屍喰ちゃんと雑談したいわけでもないんだって!」
母親が大好きだった里乃は、母親を殺した全てを憎んでいた。その過程の中で、母親の愛する父親が殺されたことに憎悪していたが、決して持って父親を大切には思っていなかった。
つい、昔の話をされると感傷に浸りそうになるが、今日はそんな事をしている時間はあまりない。
里乃は持ってきていた鞄の中からある物を取り出す。イドルは里乃の手の動きを目で追っている。そんなに警戒しなくとも、殺したりしないのに。
「おやおや、それは……」
「やっぱり知ってるんだ〜?流石情報屋を名乗ってるだけあるよね〜。これってなぁに?」
里乃が取り出したのは、腕に取り付けるタイプの装備ではあるが、防具ではなさそうな装備品。
琴理の持ち物の中に入っていたのだが、この装備品だけは異彩を放っていたので押収した。
琴理自身、この装備品を押収されるのにかなり抵抗していたが、隣りにいた出灰依音が黙らせていたのも、里乃に違和感を覚えさせるのには十分な要素だった。
この装備品が何かは里乃には分からないが、かなりの情報屋でもあるイドルであれば分かるだろうと、呼び出したのが今回の密会の事の発端だ。
「すんごい見覚えのある形の武器だなぁ、ちょっと触らせて貰っても良いかい?」
「壊すないでよ〜?あと、食べないでよね〜?」
「……じゃあもう返すよ、壊しちゃいそうだし、食べるかも知れないからね」
「冗談だってばぁ〜、そんな怒んないでよ〜も〜」
里乃が冗談交じりに謝罪するが、こいつならやりかねんといった懸念点は拭えていない。
イドルの一挙手一投足に注目しながら、彼女と謎の装備品──装身具を眺める。
あらかた触り終えたのか、テーブルに装備品を置いたイドルは大きく息を吐く。
「うん、多分疑似ヰデルだね、これ。メンバーの一人にあげるために完成させたけど、渡す間もなく捕まったって感じかな」
「しかばねちゃんのその言い方だと、この装身具が手配の理由じゃないってこと?」
しかばねちゃん、と里乃が呼んだ瞬間にイドルの居る方向から冷たい敵意が流れ込んでくる。
可愛らしい顔とは裏腹に、今の彼女の視線は人を殺せるほどに鋭くなっている。そろそろ渾名で虐めるのは辞めておこう。
里乃がテーブルの上に置かれた装身具に手を嵌めると、装身具から電気が流れてくる。思わず「きゃっ」と声を出して、急いで装身具を腕から取り外す。
「な、なにこれ……まるで武器が意思を持って拒んでるみたいじゃん……」
「恐らくは特定の使用者以外は使えないようにしてるんだろうね。ちょっと貸してみ〜」
イドルは装身具を自身の腕にはめ込むと、じぃっと装身具を見つめる。最初は彼女の意志と関係のない動きをして暴れていた装身具だったが、次第に動きは弱くなり、最終的にはキュルキュルと駆動音を鳴らしながら、淡い光を放ち始めた。
「よし、これでもう大丈夫かな。多分、キミでも使えるよ。試してみて」
「えぇ……?怖いんだけど……」
「大丈夫、この武器はキミが扱うにふさわしい武器だから」
「……ん〜?そこまで言うなら」
乗り気ではない里乃は、渋々と言った様子で装身具を腕に嵌めると、脳内に見慣れない文字が流れ込む。この世界の文字ではないそれらは、どうしても読めないはずなのに意味が理解できる。
──貴方は力を欲するの?何の為に?
そんなもの、お前に問われなくても答えは決まっているんだ、と言わんばかりに拳を握った。
眼の前に浮かび上がるその文字に、里乃は薄く笑った顔で答える。
「奪われたものを奪い返す為に。手にするはずだった物を手に取る為に」
里乃の決意を聞いた装身具がピカピカと明滅する。思わず目を瞑ると、装身具から声が聞こえる。
──貴方は……想定していた主ではないようだけれど、簒奪者なの?
「うーん。普段は奪われた側なんだけど、今回に限ってはそうかもね?」
──そんな貴方に力を貸すとでも?
「こういう時、ヒールやヴィランなら力づくでっ!って言う所なんだろうけど、わたしって弱いんだ。だから貴方に無理強いはしないよ〜。それに、貴方が望む人をわたしはしらないからね、流石にその人を真似することだって出来ないし」
脳内に響き渡っていた声が、一度鳴り止む。少し考え込んでるのだろうか、と里乃が思案していると、再びピカピカと明滅し始める。
──貴方、面白いね。名前は?
「里乃、鎹里乃だよ。貴方は?」
──私の名前、無い。リノが付けてくれる?
「えーわたしがぁ?センス無いんだけどなぁ。うーん、アナトとかは?」
アナト、アナトと何度か脳内に響く声は、少しだけ俗世的な声へと変わる。
気に入ったのかまでは分からないが、どうやら否定や拒絶はされていないようだ。
ピカピカと明滅する装身具はやがて、感情も落ち着いたのか、ゆっくりと柔らかい光で里乃を包み込む。
──良いね、私はアナト。私の扱い、間違えないでね。
「自信はないけど、頑張るね〜」
いつの間にかその場から去っていたイドルのことなど歯牙にも掛けず、里乃はアナトと暫しの間、歓談していた。
この装身具がどんなものかを、今の里乃は知る由もなかった。




