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【XI】#2 嗤う嗤う、己が人生を振り返れば


 わたしこと、鎹里乃は思い返せば、常にうまく行かない人生を歩んでいた気がする。いつでも選択肢を誤り、まともな道を歩もうとすれば、何かしらが妨害してきて、思い通りに行かない事が多かった。

 どんな事があったかと聞かれたのならば、話すこともやぶさかではない。

 羅列しようと思えば、幾らでも思いつくが、自分語りは後に……いや、一つだけ話しておこう。


 (この過去は、わたしが、わたしになってしまった出来事の一つ)

 

 時は二年前、里乃が十七の時だった。先代の蒼の区域支部の支部長──鎹麗奈(かすがいれな)が殺害された為、新しい支部長を選ぶ必要があった。


 『がふっ……、そこ、いるのは……里乃……?里乃、良く聞いて……』

 『母さん……!わたしだよ……、母さん、死なないで……!まだわたしは、一緒に……』

 

 鎹麗奈は里乃の母親だった。里乃を産み落としてからの十七年間、ずっと中央管理局の支部長として外からも内からも支えていくような理想的な上司であった。

 当時は一般職員レベルであった里乃も、麗奈の部下として様々な問題を解決していた。


 『お帰りなさい、里乃。ご飯、もう出来てるよ〜』

 『なぁ〜んで、母さんの方が早く帰ってるわけ〜?……ま、母さんのご飯美味しいし、いっか』

 

 完璧な上司であった麗奈は、鎹の家ではキチンと母親をしていた。

 里乃が朝早く起きれば、既に朝ご飯を用意して中央管理局の制服にエプロンをしており、里乃が帰宅した際には、既に夕食が用意されており、鍛冶師をしていた父親と談笑していた。


 『里乃は鍛冶師に興味があるみたいだけど、あなた(父さん)はどう考えてる?』

 『したいようにさせればいい。ただ、大切な一人娘でも、容赦はしないがな?』

 

 鍛冶師の父親に、中央管理局の上層部に近しい母親。見掛けだけなら、里乃は間違いなく恵まれていた。あくまで端から見れば、そう見えただけで、実際の里乃はそうも思っていなかったのだが。


 (鍛冶師の勉学を受けながら、職員として過ごす日々は本当にあっという間だった)

 

 麗奈は言ってしまえば、公私共に非の打ち所のない人間だった。部下からも愛され、上層部の人間──中央管理局の本部がある中央区の職員からも高評価を受けていた。

 後数年もすれば、栄転という言葉が用いられる程に、皆が羨ましがる中央区への異動の可能性もあるかもしれないと、当時はまことしやかに噂されていた。

 彼女の活躍は顕著だった。悪事を働いていた巨大レギオンの制圧、裏金で私腹を肥やしていた同支部の職員の摘発、街の外に蔓延る不死種や、亜人族の討伐など──快挙を羅列しようと思えば、この回顧録のページ数は数倍に膨れ上がるだろう。

 麗奈の影でコツコツと努力する里乃を認める人間は、支部内に誰一人としていなかった。


 『相変わらず、母さんは凄いなぁ……』

 『いい気になってんじゃねぇぞ、鎹。凄いのはお前じゃなくて母親だけなんだからな!』

 

 『はははははは!』

 『…………』


 偉大な母親の影に隠れ、里乃は優れた功績を上げることは出来なかった。

 ()、麗奈という色眼鏡がなければ、彼女もまた、十二分に優秀な人材だった。麗奈ほどの功績はなくとも、忠実に働き、その傍らで鍛冶師としての才もメキメキと上げていた。

 それらを踏まえて尚、里乃の事が気に入らない連中はごまんと居り、彼女に八つ当たりの名目で虐めを行う職員は後を絶たなかった。


 『わたしは、わたしなんだ……。母さんの子供だけど、母さんの子供ってだけじゃないんだ』

 『里乃……』

 

 それでも、里乃は挫ける事はなかった。むしろ、母親に負けないぐらいの功績を上げてやろうとがむしゃらに生きていた。

 中には、影ながら応援する者も居たが、いじめの燃料になると考え、見守るだけに留まっていた。

 良い歳した大人がいじめなど、情けないと。どんな被害が受けていても、里乃は母親の前ではずっと笑っていた。必死に、懸命に。その裏では陰湿で凄惨な虐めが横行していたというのに。

 時には母親の勘なのか、麗奈に勘ぐられ、食事の時に変な空気になったこともあったけれど、今思い返してみれば、それもまた母親の愛だったと思う。

 そして、時は仕事中のある日に巻き戻る。この日が里乃の人生の分岐点だった。

 

 

 『あれ?かあ……支部長、居ないのかなぁ?珍しいなぁ〜』

 

 ある日、里乃が仕事の用事で麗奈が主に駐屯している支部長室のドアをノックする。普段であれば、『どうぞ』といった声が部屋の中から聞こえて来る筈なのだが、その日は聞こえてこなかった。

 不思議に思った里乃はドアノブを回すと、鍵は開いている。不在時は鍵がかかっている筈なので、施錠されていないということは、麗奈は支部長室に居る筈なのだ。

 麗奈のスケジュールの大半は、朝ご飯を共にする際にある程度は聞いているので、麗奈の不在時に里乃が尋ねるということは非常に少ない。

 考えられるとすれば、御手洗などの短期的な不在でタイミング悪く席を外している、位なものだ。

 こういう時は逆にチャンスだ。部屋の中で隠れて、少し驚かせてやろう、と里乃は書類を片手に悪戯心で扉を開く。平然を装い、麗奈が不在なことを周囲に悟られないような、臭い演技を織り交ぜながら、部屋の中へと入ると、里乃は目を疑った。


 『失礼します。かあ……んんっ、鎹支部長……え……?』


 里乃は絶句した。手に持っていた書類を宙に放り投げて走り出す。里乃の視界に映っていたのは、腹部に異物が突き刺さって、ぐったりと倒れている麗奈の姿だった。

 

 (どうして……?まずい、泣きそう。今は堪えなきゃ……)

 

 冷静さを欠きながらも、まずは麗奈の呼吸と脈を確認する。幸い、脈は相当弱ってはいるが、まだ死んではいないらしい。

 里乃はほっと胸を撫で下ろすが、すぐさま思考を切り替える。死んでいないのならば、やらなければならないことが山程あるのだ。


 (周囲に敵意も気配もない。でも……今は母さんを見なきゃ)

 

 麗奈の顔を覗き込むと、麗奈の口元には吐血していたのか、べっとりと濃くて粘っこい血液がこびり着いている。随分と浅いが、まだ呼吸はしている。

 浅くとも、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながらの呼吸を繰り返しているのを見ると、里乃の胸は張り裂けそうになる。嬉しさと悲しさが複雑に織り混ざるとおかしくなりそうになるのだと、この時に初めて知った。

 それと同時に里乃は悟った。自分に出来ることがあまりに少ない。


 (こんな事なら、救急医学の勉強もしておくんだった……!)

 

 サボり散らかしていた学生時代の教師の顔が思い浮かんだが、首を勢いよく振って掻き消す。

 そんな事をしている場合ではないのだ。予断は許さない。里乃は精一杯の声量で声を掛ける。


 『っ……!かあさん!かあさん!目を開けて!かあさん!』

 『……ぅ』

 

 今、微かにだが、呻き声が聞こえてきた。意識がある可能性も高い。瞼を広げ、瞳孔を確認したが、目は虚ろになりながらも、しっかりとこちらを捉えている。焦点が定まっているなら十分だ。

 意識が確認できた次は、一番の問題であろう、目に見えている麗奈を苦しめ続けている凶器をどうするかだ。

 腹部に深々と突き刺さっているのは、鎹家が得意としている鍛造物──刀と呼ばれている薄い刀身にすることで斬る事に特化している物だ。

 里乃は、床に倒れている麗奈の身体を起こすと、大分全身の血の気が引いている。顔も真っ青で、唇からは血の気を感じられないほどに変色していた。

 腹部に突き刺さっているそれは、麗奈の背中を優に貫通しており、真っ白な制服には赤黒い花びらのような血模様が浮かび上がらせている。

 里乃が抱き抱えていると、麗奈は薄く目を開け、里乃を視界に移す。

 

  『がふっ……、そこ、いるのは……里乃……?里乃、良く聞いて……』

  『母さん……!わたしだよ……、母さん、死なないで……!まだわたしは、一緒に……』


 泣きながら震える里乃に、隠し事が出来ない事を悟ったのか、麗奈は咳き込みながら里乃の服を強く掴む。その姿はかつての強かった母親の姿とはどうしても重なることはなかった。

 母親の咳によって、どんどんと中央管理局の真っ白な制服が真紅に染まる。でも、そんなことはどうでもよかった。

 とくん、とくんと、麗奈の心音が聞こえるぐらいに静かだったその場ですら、母親の身体から発せられる心臓の鼓動があまりに弱々しいのだ。


 『……母さん…………』

 

 徐々に弱くなっていく命の鼓動が、残された時間があと僅かだと、言葉なくして語ってくる。

 致死量とも言われる血を、体外に排出してしまった彼女が生きていられる時間は、もう殆ど無い。

 こひゅう、こひゅうと喘息のような呼吸をしている麗奈は、残った力を振り絞って里乃の衣服を引く。


 『母さん……?』


 涙でもうぐしゃぐしゃになった顔で、胸に抱いている母の顔を見る。

 最期に見る顔がこんなのでいいのだろうか、最期に見せる顔がこんなので許されるのだろうか。

 焼き切れそうな程に高回転させている里乃は、ただただ麗奈の顔を涙で濡らしながら、見つめる。

 もう口を開くことも辛そうな母の姿に、何も話して欲しくない感情と、声を聞きたいという感情がせめぎ合う。

 

 『ごめ……んね。こんなかあ……さん……で』

 『母さん!母さん!行かないで!かあさん!ねえってば!!』

 

 力を振り絞って発されたたった十二文字が、この生涯で一生忘れられない言葉になった。

 腕の中で涼しい顔で眠る母親の亡骸を見て、里乃は声を殺して泣き叫んだ。


 ──誰が殺した?一体、何処のどいつだ。


 母親の躯を抱き抱え、里乃の心の奥底にぼたり、ぼたりと重い液体が滴り落ちる錯覚に陥る。

 きっと、麗奈は自分にこの感情を抱かせないために、最期の力を振り絞って謝ったのだろう。

 でもそれが却って逆効果だった。どす黒い感情が、今まで白かったキャンバスを黒く塗り潰していく。

 正当な努力も、泥臭い成果も、清廉なイメージも、実直な行動力も、全部全部間違いだった。


 与えられた時間はそう多くない。里乃は、徐ろに麗奈の身体に突き刺さっている刀を勢いよく引き抜く。

 里乃は死んだような顔でで刀を眺める、刀身の三分の一程度は、赤黒い血液がべっとりとこびり着いていたが、この刀には見覚えがある。

 

 『父さんの刀……か』


 鎹の刀鍛冶は、葵家とは異なって、一本一本が業物ではあるが、本数は非常に少ない。

 すぐに出所が分かるだろう。帰って父さんに聞けば、すぐにでも犯人が分かることだろう。

 母親の亡骸を丁重に弔い、やるべきことを済ませた里乃は、家に戻る。

 すっかり日が暮れてしまったが、この時間であれば、父親は家に居る筈だ。母親は死んでしまったせいで、夕食は無いだろうが、そういう時は自分で作ることのできる自慢の父親。

 母親の訃報をどう話そうか、悩みながら里乃はドアの扉を開く。

 

 『父さん!……え?』


 そこに居たのは、全身に自身が鍛錬した刀を、複数本身体に突き刺されて絶命していた父親だった。

 里乃は父親に見せようとしていた刀を地面に落とし、無意識に膝から崩れ落ち、項垂れる。


 『そんな……どうして……?』


 鎹里乃は、一夜にして両親を失った。彼女に与えられた真実はそれだけだった。

 






 


 

 

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