【XI】#1 怒り猛る、許されざる慟哭
「私のお陰……ですか」
随分と目の前の少女は冷静な面構えで、そう自分に聞き返してきた。あまりにも想像と違い過ぎて、どうにも調子が狂う。
てっきり、髪の毛を掻き毟りながら、錯乱でもしてくれるものだと思っていたのだ。
しかし、現状はどうだ。刹那的に、信じられないものを見るような顔をしていたが、今では非常に落ち着いた表情で、淡々とした口調でこちらを見つめている。
イドルの知るホロウ・ブランシュは仲間思いで、例え、世界が違えども、彼女が仲間だと認めた者が窮地に立たされれば、形振り構わずに助けに行くような人間だと思っていた。
(なんなんだろ、この余裕は)
彼女が並行世界線上の虚華であることは既に察しが付いている。イドルが愛してやまない虚華と、様々な部分が一致し過ぎるのだ。
育ちが違えば、異なってくる部分は多々あるが、その本人を本人たらしめる部分──口調や、怒る時の仕草、本能的に同じ動きをしている時が沢山あった。それに加え、骨格や身体の使い方も一致する箇所が何個もあった。
それらを踏まえて、イドルはホロウと虚華が並行世界線上の同一人物であると確信している。
でも、今日の彼女は鋭い観察眼を持っているイドルを持ってしても、違和感を覚えさせる。
(何かあったのかなぁ。何か、彼女の思考を一気に歪めるほどの何かが……)
暫くの間、沈黙の刻が流れたが、その沈黙を破ったのはイドルだった。
「どうだろうね、守れなかった事だけは真実だけど」
飄々とした態度で、イドルは挑発する。わざと怒らせれば彼女のお里が知れる。
この程度で怒るのか、彼女は一体何処まで暴言を許すのか。それらの情報を全てアップデートする必要がある。
イドルは注意深く、ホロウの様子を窺っていると、ホロウはクスリと小声で笑う。
「そうかもですねっ。でも別に良いんです。助けに行きますから」
「もし……ボクが行かせないって行ったら?」
イドルがそう言った途端、急に空気が底冷えする感覚に襲われる。発生源は勿論ホロウだ。
にこやかな笑顔でこちらを見ているはずなのに、恐ろしくて堪らない。気丈に振る舞うが、足元が竦む。
「障害は全部取り除くだけです。邪魔、されるんですか?」
「い、いや。そうは言ってないけど、例えだよ。例えばの話っ」
なんなんだろうか。今までのホロウからは感じ取れなかったものを複数感じる。
全身に纏わりつく悪寒もそうだ。彼女からすれば、好意的に接してくれている筈なのに、自分からすればとてもそうは感じれない。
まるで断頭台に上げられた死刑囚になった気分だ。一刻もこの場から離れたい。
先程までは圧倒的なまでの優勢だと思っていたのに、いつの間にか逆転していたらしい。
「イドルさんは、私の邪魔……しないですよね?」
「う、うん。しないよっ!むしろ応援してるからさっ」
イドルは乾いた笑みでホロウの言葉にそう返す。けれど、ホロウの顔色は一切変わらない。悲しそうな表情でこちらを見ている。
以前、彼女は言っていた。一番怖いのは相手のことを理解出来ないこと。正しく現状だそうだ。
現にイドルは、ホロウの行動原理が一切理解できない。彼女の動きから、次の一手が読めないせいで、安易に動くことも出来ない。
ジリジリと何かが削られていくような錯覚に陥り始めているイドルの呼吸は、次第に荒くなる。
「そうですか……。これからイドルさんは、どうされるんですか?」
静かな敵意がホロウの視線から感じる。イドルの全身に浴びせられるそれらは、完全に威嚇や、恫喝と言ったそれらと同じものだ。
彼女の問にを誤った回答をした瞬間に、命がなくなってもおかしくはない。イドルはそんな錯覚に陥っている。
必死に脳をフル回転させても、ホロウを満足させる解答が思いつかない。
暫くの間、イドルが無言で立ち尽くしているのを見兼ねたのか、ホロウが顔を近づける。
「……イドルさん?」
「ひっ……」
つい、らしくない声を上げてしまった。もはや悲鳴ではないか。それに、仰け反ってしまったせいで、
イドルはホロウの顔をおずおずとした態度で見つめるが、彼女の顔には、相変わらずの悲しそうな表情が貼り付けられていた。
そのわざとらしい表情に、何もツッコミを入れずにホロウは手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?らしくないですね、イドルさんが尻餅付くなんて」
「あはは、そう……かなぁ?ちょっと疲れてるのかも?」
「そう言えば、レーヴァ?に飛ばされてたんですよね?ならあまり無理されずに中央管理局に戻られては?」
少しだけ、彼女と談笑したが、先程迄の恐怖を覚えるような敵意はすっかり鳴りを潜め、イドルが思っていたようなほんわかさが会話の中からも感じられる。
やっと元に戻ってくれた。これでさっきみたいな恐怖を煽られるようなこともなくなるだろう。
イドルは心の中でほっと深いため息を吐くと、自然な笑顔を顔に貼り付ける。
「う、うん。そうするね。ちなみにホロウちゃんはこれからどうするの?」
「私ですか?うーん……。折角イドルさんが知らせてくれたことですし……」
少し考え込むような仕草を見せたホロウは、可愛らしい笑みを浮かべ、その場でくるんと回る。
きっと、自分が彼氏や関係の深い友人だったら微笑ましいだろう。けれど違うのだ。
イドルには、彼女の行いの全てが恐怖への糸口にしかならない。あちこちに火薬直結の導火線ばかりで、心が休まる時がない。
「蒼の区域支部に乗り込んじゃおうかなー、なんてね。まぁすぐじゃないですけど」
手を後ろに組み、先程迄の怒りや憎悪をひた隠しにしたホロウは優しい顔を見せる。
自分の知らない彼女の一面を見る度に、胸が締め付けられる。どくんどくんと、心臓の音が煩い程に聞こえてくる。耳を塞いでも聞こえてくるそれらに耐えながら、イドルは歪んだ笑みで対応する。
「確か、あの鐘の音が鳴っても、すぐには処刑されないんですよね?」
「う、うん。あくまで処刑対象が捕縛されたのを知らせるだけだからね。この後に市中引き回しをしたり、磔にされたりとか、捕まる人によって変わるから、葵ちゃんがどんな扱いを受けるかまでは……」
「本当に分からないんですか?」
「……うん。ごめんね、ちょっと分からないや」
イドルは実際に葵琴理がどういった扱いを受けるのかまでは分からない。
彼女の罪は沢山あるが、一番の理由は恐らく、鎹里乃の私怨が一番色濃いのだろうから。
どちらにせよ、死刑は免れられない。断頭台に上げられてしまえば、死からは逃れられない。
「そうですか……分かりました。わざわざ知らせて頂いてありがとうございました」
「い、いやいや。気にしないで。これも色々お世話になっているお礼だから!」
何を心にもないことを言っているんだろうか。自分の心にも嘘をついている現状に嫌になりながら、イドルは手を振って、ホロウと別れた。
姿が見えなくなってから、ようやくイドルは胸を撫で下ろした。
なんなんだろうか、この感情は。率直に言えば怖かった。今までこうだと思っていた事象が、違っていたことに、並々ならぬ恐怖心を抱いてしまった。
未だに心拍数が跳ね上がったまま、イドルは近くにあった木にもたれ掛かる。
「教えるんじゃなかったかな。でも気づいてただろうなぁ」
ホロウは会話上でさらっと自分でも口に出していないことを言っていた。
『確か、あの鐘の音が鳴っても、すぐには処刑されないんですよね?』
あの言い方は既に知っている言い方だった。もしかして、自分よりも先に情報を得ていた可能性が……?
自分が聞いた話では、葵琴理と出灰依音をジアで拉致したのが一週間ほど前だった筈。
それから意識がない二人を馬車で大急ぎで走らせても四日か五日は掛かる。
(連れ去られたことを知っていたとしたら、何処で、いつ知ったんだろ?)
分からないことは沢山あるが、今は自分の役割を果たすまでだ。
処刑の宣告は終わった。ならば次の仕事に取り掛からなければならない。
「にしても、スメラたん遅いなぁ……」
寒空の下、一人で綺麗な夜空を見たって何の感動も生まれない。
こういうのは、仲の良い──それでいていじり甲斐のある友人と見るのが楽しいのだ。
すっかり白くなった吐息を眺めながら、イドルは一人で夜空を眺めていた。




