【Ex】#5 口は災いの元
「ん……?今日は珍しい奴連れてきてんだな?」
「まぁな、あたしもこいつと一緒に来るとは思ってなかったわ」
臨が雪奈に連れてこられたのは、臨がたまに来る喫茶店だった。
それなりに人気店ではあるが、穴場であり、人もそこまで多くはないこのお店は、臨の大のお気に入りのお店だった。
時刻で言えば午前の早い時間ではあるが、自分達以外にも常連と呼ばれる高齢の夫婦が一組だけ、淹れたてであろう珈琲を飲みながら、優雅なモーニングを楽しんでいる。
日が昇ってから暫く経ったが、確かにこの喫茶店は朝早い時間から営業していたのを思い出す。雪奈は慣れた手つきで重厚な扉を開けると、臨の分の席を確保すると、カウンターで髭面のマスターと気さくに会話を始める。
「マスター、あたしはファルシアンマウンテン。こいつにも同じのを」
「あいよ。お前さんもそれでいいか?」
臨は首を縦に振ると、髭を一撫でしたマスターは豆をお手製のミルで潰し始める。
どうやら、彼女は此処のマスターと顔見知りのようだ。
こちらに戻ってからも時折通っていたが、まさか雪奈がこの場所を知っているとは思わなかった。
此処に座れ、と雪奈に言われて座った席は、奇しくも臨がいつも座っている席だった。
マスターはこちらのことも知っているようだったが、敢えて何も言わずに雪奈の言葉に曖昧な相槌を打っている。
(どう考えても喫茶店に居るようなガラじゃないだろうに)
臨は、マスターと雪奈が話し込んでいる間、差し出されたお冷をじぃっと眺める。
フィーアに存在する自分──影は随分と焦った表情をしているように見えた。
いきなり矢文で呼び出しておいて、こちらの命を奪おうとしていたのだ。目的は不明、呼び出した理由すらも語られずに襲いかかってきた。
もし仮に自分が彼の状況だったらどうするのか。そんな事を考えてはいるが、彼の状況が分からないのに考えてもしょうがない。
何やら、自分の預かり知れぬ所で何かが起きているような気がしてならない臨は、水面に映った自分の顔を見つめる。
「なぁに自分の顔見て黄昏れてんだよ。お前、まさかナルシストか?」
「メイクしてるから、それなりに見れる顔なんだよ。そこらの女の子よりは」
臨のボソリと言ったその一言を聞いた雪奈は露骨に嫌そうな顔をする。
自分だって、別にメイクをしたくてしている訳じゃない。こうして綺麗で居ないと、今も腕に絡みついている糸の射出機構が動いてくれない。
他の面々が鎧を着込んだり、剣の鋭さを維持するのと同じように、臨も、女性と比較しても負けないほどの綺麗さを維持する必要があるだけなのだ。
今更理解して貰おうとは思わないが、臨はこういった問答が非常に嫌いである。
知らない人間に嫉妬され、詰られ、文句を付けられるのは、力の代償だと割り切っている。
しかし、仲間や友人からそういった事を言われると、多少なり傷ついてしまう。
「……確かにお前は綺麗だもんな。……なぁ、ノワール」
「ん?」
自嘲気味に呟いたせいか、やけに雪奈はしおらしい。
普段はかなり勝ち気で、依音や琴理、「エラー」達と仲良くしているのをよく見かけるが、こういった表情を見せることはなかった。
珍しい顔をする雪奈に、少しだけ興味を惹かれた臨は、雪奈に視線を向ける。
「お前は……一体、あたしをどう思っているんだ?」
深刻そうな顔で、雪奈にそう言われた。
臨の頭上に疑問符がいくつも浮かび上がるが、答えは一向に出てくる気配がない。
一体こいつは何を言っているんだ?としか言いようがないこの状況下で、その言葉を彼女に言う事は出来そうにない。
この喫茶店は朝早くから営業していることもあって、自分達以外にも客は居る。
なんだなんだと、こちらへと視線が集まる中、臨は未だに状況を理解していなかった。
(どうしよう、この状況。全く理解できないんだけど)
ついこの間までかなり険悪な仲だった筈の相手から、どう思っているのかを聞かれた際に無難な返事をするマニュアルがあれば、是非とも買いたい。
ひとまず、この沈黙を破るべく、臨はあー、と困ったような声を出すと、雪奈は申し訳無さそうな顔をする。
「いや、やっぱり何でもない。忘れてくれ」
「何でもないわけ無いだろ。言いにくい事でもはっきり言ってくれ。その方が助かる」
席を立ち上がり、何処かへ行ってしまいそうになっている雪奈の手を臨はそっと掴む。
後腐れするぐらいならさっさと吐き出して貰ってから、対処した方が早い。後出しでどんどんと腐っていくくらいなら、新鮮な状態で捌き切ったほうが絶対に良い筈だ。
今まで血腥い場所で銃撃戦だけしてきた少年には、こういった事例に対応した経験など無い。
しかし、それは逃げて良い理由にはならない。一度味方になった人間に不誠実な対応をするつもりは一切ない。
「ボクが何かしたのか?分からないんだ、さっきの質問の意図が」
「……もう良いって言ってんだろ」
雪奈は臨が掴んだ手を振り払おうとするも、臨は毅然とした態度でその手を強く握る。
絶対に離さないと言わんばかりの態度の臨を見た雪奈は、臨から目を逸らす。
「良くない。緋浦が良くても、ボクが良くないんだ」
「あたしが良いって言ってんだから退けよ!」
手を離さなかった臨は、雪奈の怒声を聞いても手を離さずに、じっと雪奈の顔を見たまま真剣な表情を崩さない。
なんなんだよ、とボヤく雪奈の声など意にも介さず、雪奈の手を引いて顔を近づける。
「君がどうして怒っているのか分からない。公衆の面前で悪いとは思うけど、教えてくれないかい?」
「けっ。相変わらず誰にでもいい顔をしやがって……」
雪奈が気になることを呟いたことを聞き逃さずに居ると、扉が勢いよく開かれる。
誰だと思って、臨が意識をそちらに向けると、その隙に雪奈も無理やり手を引き剥がす。
「ノワール!居るかしら!」
「なんなんだ……朝っぱらから騒がしいな」
喫茶店の扉を開き、こちらへ向かってきたのは「喪失」所属、フィーアの出灰依音だった。
マスターが鬱陶しそうな顔で立ち上がるのを見て、臨も慌ててマスターを宥める。
「ごめん、マスター。彼女はボクの連れなんだ。この場はボクの顔に免じて許してくれない?」
「ちっ、糸坊のダチかよ。お前はなよっとしてるのに、知り合いの女は随分と血の気多いんだな」
「一言余計だよ。何度も言うけど、ボクは着たくて着てるんじゃないんだ」
「冗談だよ。ディアナ御夫婦。悪いね、今日はちょっと騒がしくて」
常連である高齢の夫婦はゆっくりと首を縦に振ると、マスターが両手を合わせて感謝の意を示す。
その後、突然の来客である依音にお冷を出し、カウンターに座らせる。
「あとは若いもん同士で仲良くやんな。俺ァ、ディアナ夫婦と話し込んでくるからよ」
マスターは自分用の珈琲を一杯淹れると、そそくさと奥の席へと引っ込んで行った。
臨も、マスターに感謝しながら焦り顔の依音の方を見ると、普段の彼女からは見られないような姿をしていた。
衣服やその様子から見ると、誰かしらと戦闘をしたようだ。致命傷や重症は負っていないが、あちこち傷だらけだ。
それに、疲弊の仕方から恐らくは夜中から自分達を探していたと思われる。
「それで?どうした?随分と手酷くやられたみたいだけど」
「……琴理が拐われた」
想像はついていた。彼女の悔しそうな顔や、傷だらけの身体を見るに相当抵抗はしたのだろう。
臨は彼女を叱ること無く、温かい珈琲を口に含む。苦い珈琲は思考をクリアにしてくれる。
怒りを洗い流し、冷静さを取り戻してくれる。
(先手は取られた。でも、このままやられっぱなしにされる訳には行かない)
「そうか。実行犯、或いは首謀者の目星は付いているか?」
「格好は中央管理局の制服だったわね……ご丁寧に白の腕章をしてたけど、きっとあれは偽装ね」
依音は傷が痛むのか、右腕を抑えながら、言葉を紡ぐ。彼女の口ぶりから何かしらの根拠は掴んでいるのだろう。
臨はやはりそうか、と思いながら話の続きを促す。
「どうしてそう思う?」
「簡単な話よ、彼奴等の言葉の中に「鎹様」って単語が聞こえてきてね。ここら一帯でその名前を関しているのは彼奴ぐらいなものよ」
鎹……確か材木を繋ぎ合わせる金具のようなものを指すのだが、そんな苗字の人間を臨は知らなかった。
「その口ぶりからすると、その「鎹様」を知っているみたいだけど、有名人なのか?」
「……まぁ。蒼出身ならって感じかしらね。なかなかキワモノよ」
「なぁ、依音、ちなみになんだが、「エラー」とどっちがキワモノなんだ?」
「緋浦さん……、今回は聞かなかったことにするわ。ノワール、一度現場に場所を変えても良いかしら?」
非常に美しい笑顔だったが、これ以上は喋らないほうが良いという圧を感じた臨と雪奈は、黙りこくった。
かなり消耗しており、風が吹けば飛んでいきそうな儚さがあり、美しさも兼ね備えている。
そんな彼女を怒らせるとヤバいのは、ディストピアの頃からそうだったのだ。
依音の先導のもと、琴理が拐われた場所──自分達が滞在していた宿屋へと足を運ぶ。
後数話で第十一章へと入ります。
十一章と間話の最終回までは少しお時間いただきますが、ご了承くださいませ。




