【Ex】#3 苦悩が人の形に
黒き聖女──ヴァールと、かつての仲間であった依音に敗れた「喪失」の面々は、白の区域の主要都市ジアまで戻ってきていた。
かつての惨劇の爪痕が残されているジアではあったが、それでもジアに住む人々はそこに強く根付いていた。
なんとか建物を再建し、必要とされている物から徐々に復興しているようだった。
それは、臨達が滞在していた宿屋や、探索者ギルドも例に漏れず、どちらも殆ど元通りにまで直っていた。
お陰様で臨達は前と同じように暮らすことが出来ている事に、感謝してもしきれない。
もうこれ以上、寒い大地に体温を奪われずに済むのだから。
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ジアに戻ってから、数日経った夜。
昼間は「喪失」の面々で復興の手伝いをしたり、依頼をこなしたりと精力的に活動していたが、夜の時間はリーダーである臨の指示で各自、自由行動を取ることにしている。
他の面々はゆっくり身体を休めたり、鍛錬をしたりしているらしいが、臨は違った。基本的には、自室に籠もって姿を一切表さない。
何をしているかと言われれば、日にもよるが今日は、「エラー」の起こした問題行動に対しての始末書を書き上げていた。
非人に対して非常に攻撃的になる性格の持ち主であるこの世界の虚華は、正直言って集団行動が向いていないのではないかと考えてしまう程に、性格が破綻している。
そんな彼女は、昼間に雪華近郊で商人である亜人を斬り殺してしまった。
幸か不幸か、この世界では、そういった事故が多発しているらしく、自身の身を守れなかった側にも非があるという随分と破綻した制度があるせいで、「エラー」はお咎め無しらしい。
しかし、それでも無為な殺しをするべきだと考えていない臨は「エラー」に対してお説教をしたのだ。そうでもしないと、この世界が彼女を肯定しているような気がしてならなかったのだ。
(彼女は本当に、虚と同一存在なのかと、何度疑ったことだろうか)
北に進めば、非人を見つけ出し、依頼とは無関係な殺しを平然と試み。
南に進めば、敵を見つけたと宣い、仲間を無視して自分のしたいことだけを優先して行う。
毎度毎度問題を起こしている彼女の何が問題かと言われると、彼女は心から良いことをしていると思いこんでいる所にある。
もはや洗脳の領域にまで達しているその思考をどうにかしないと、臨の気がおかしくなってしまいそうになる。
悪意のない悪行は、他者が裁くのが最も難しい物の一つだ。
人ひとりの考えを改めさせることが、如何に難しいかは、あの地獄に居た人間なら誰だって理解できる。
臨は一度、叱ったっきり、彼女を説得することは既に諦めている。
きっと、彼女は変わらない。変えることが出来る人が誰かすら分からない。
(彼女が問題を起こす度に、僕が頭を下げて回る。僕の心が擦り減る音が日に日に強くなっている)
自分だけならともかく、「エラー」といっしょに行動することの多い依音や琴理ですら、「エラー」の対応に疲弊していることが多いと聞く。
そんな話を聞く度に、ホロウの事を思い出す。彼女も問題を招くことは多かったが、それらは世界がこちらを敵視していたから引き起こされたものであって、決して自分達が巻き起こしていたものではなかった。
臨はホロウ達と別れてからの日課である一日の活動を記録し終え、宿屋の窓から外の景色を眺める。
ジアは未だに【蝗害】と「終わらない英雄譚」の破壊工作による爪痕が各地に残されている。
あれから数ヶ月、大半は復興が完了しているが、やはりどうしても優先されている物以外は、放置されている。
あれだけ豪華な出で立ちだった月魄教の教会も、瓦礫の山のままだ。
臨はマグカップに入れた温かいスープを一口、含むとほうっと白い息を吐く。
「あの一件から、ジアの中で宣教師らしき者も、神父も見なくなった。必要とされなくなった物は須らく排除されていく。ちょっとだけ寂しいものだけど、それが世の摂理なんだよな。……ん?」
つい癖づいてしまった自虐じみた独り言を呟いていると、何処からか勢いよく矢が飛んでくる。
間一髪、気づけたから良かったものの、射出された角度から鑑みるに、完全に自分を射抜くつもりで打たれている。
矢を見ると、何か紙が括り付けられている。随分と古典的な呼び出し方だ。
臨がディストピアに居た頃には、既に廃れていた矢文を目にすることになるとは。
「へぇ。連絡手段に困ることのない此処で、わざわざ矢文をね……」
目を輝かせながら、矢から手紙を解いて、開くと予想通りの内容が書かれていた。
既に寝る準備を終えていた臨は、クローゼットの中に仕舞われていた勝負服に袖を通すと、いつの間にか、両腕には「糸」の射出機構も装着されていた。
相変わらず、普段はやる気を出さないのに、女装したときにだけ現れる気まぐれ屋なこの得物には、苦笑いせざるを得ない。
苦笑しながらも、射出機構を軽くメンテナンスし終えた臨は、寝静まった宿屋をあとにする。
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臨が指定された場所に足を運び終えると、そこには見覚えのある姿が、臨を待っていた。
その影は、臨の姿を視認するやいなや、優雅な男性用の礼儀作法を踏襲したお辞儀を披露する。
短い黒髪に、闇色と言っていいほどに闇を感じるその瞳には、自分が映っているのかすら怪しい。
こちらを視認した際には、随分と悪意が孕んでいる笑顔を臨に向けてくる。
「こんばんは。招待に応じてくれてどうもありがとう」
「実在する事を頭で理解していても、やはりどうしても受け入れ難いものだね」
影を忌々しそうに眺めている臨は、警戒心を最大限に引き上げて対峙する。
呼び出された場所も場所だ。白雪の森の中でも、特に開けたこの場所は以前にニュービーが失踪した事件が起こった場所からも程近い。
そのせいでここら一帯は人が寄り付かないことで有名なスポットになりつつある。
分かって呼んでいるのだ、眼の前の男は。今の所、敵意は無いが、それも信用ならない。
「僕に一体何の用?今までは裏で糸引いてる程度だったのに、干渉してくるなんて」
「あはは、何の話だろう?僕は何もしていないよ」
当たり前のように嘯く影に眉を引くつかせながら、臨は話を続ける。
影は影らしく、暗闇に溶け込むように姿を隠してはいるが、自分と声や喋り方が全く同じだった。
眼の前の影、そして矢文を送りつけた人物は間違いなくフィーアでの臨本人だ。
自分と同じ顔で、そこまで不快な笑顔がよくも出来るな、と臨は悪態をつく。
「……それで、僕に一体何の用だ。僕はお前に構ってられる程、隙じゃないんだ」
「またまた御冗談を。愛しいお姫様に逃げられ、愚かな仲間の後処理を終えて、今は手持ち無沙汰だろう?僕の話に付き合うぐらいの時間はあるはずだけど?」
なんて言うか、我ながら非常に腹立たしい。殴り飛ばせるのなら、殴り飛ばしている所だ。
人を挑発するような話口、きちんと調べた情報で事実を裏付けるようなやり口。
自分ではないと分かっていながらも、あちこちから自分がやったと言われそうな彼のやり方は、正しく自分がいつもやるような常套手段だ。
自分の中ではこんな下卑た表情をしているつもりはなかったが、もしかするとこんな顔をしているのかもしれない。
全く同じ顔つきをしている彼の顔を虚しい表情で見つめていると、フィーアの臨──影は心底不快そうな表情で距離を詰めてくる。
「なんだい、その顔は。どうして僕を憐れむような顔で見てくる?」
「憐れまれている理由を分からずに、僕に聞いてくるから……かな」
どうやら影の堪忍袋が切れたのか、影は臨の胸倉を掴み、お互いの顔が至近距離まで近づける。
これ程までに不快な拷問があるだろうか。見たくもない自分の顔が目と鼻の先にある。
そんな自分と同じ顔は、心底怒りを覚えているらしく、謂れのない怒りをぶつけられているのだ。
心の奥底が底冷えしていく感覚に襲われながらも、臨は影の言葉に耳を傾ける。
「聞いているのか!?」
「聞いていなかったから、もう一回言ってくれるかい?」
どうやら自分の言葉が火に油を注ぐ行為だったらしい。
影は臨を投げ飛ばし、懐から短剣を取り出す。どうやら生きてる世界が違えど、得物自体は変わっていないらしい。
どこぞのお姫様は銃を扱ったり、様々な武器を扱ったりとバリエーションに富んでいるというのに。
自分のつまらなさを助長させているような気がして、やるせない気持ちになる。
「お前のその格好は僕を馬鹿にしていると言っているんだ!」
「どうしてそう思うんだい?僕がどんな格好をしようと、僕の勝手だろう?」
今にも襲いかかろうとしている影を前に、臨は静かに射出機構を起動させる。
争うつもりはなかったのだが、どうやら争いは避けられないようだ。
「もう良い、目障りだ。どうせお前を殺せば、僕の目的は自動的に達成できる」
火傷する程に燃え盛っている憎悪の焔が、影の周囲を囲むように立ち込める。
あまりに激しい敵意に、臨はひゅうっと息を呑む。どうやら自分とは違う部分も多少はあるようだ。
それと同時に、彼の放った独り言で、彼の目的からしたかったことまで全てを臨は理解した。
「なんだ、僕と入れ替わりたかったんだ?そんなに僕が羨ましいのか?僕の事を裏で散々に誹謗中傷している割には、随分と未熟で幼いんだね」
臨が呆れ顔で影を貶し終えた頃には、臨の視界から影は消え去っていた。
影が纏っていたマントを投げ飛ばしている間に、影は一気に距離を詰め直して、逆手持ちの短剣を臨の首元目掛けて薙ぎ払った。
臨は咄嗟にバックステップでその一撃を躱すが、影はすぐに二撃目をお見舞いするべく距離を詰め、顎目掛けて短剣を拳ごと勢いよく振り上げる。
臨は地面を蹴って、方向転換することで難なく二撃目も回避する。
ファサリ、と音を立てずに影の纏っていたマントが地面に着地する。目眩ましで投げ飛ばしたマントが落ちる間の数秒間で、これらの攻防が繰り広げられている。
しかし、それだけで影の攻撃は収まらない。憎悪で瞳を曇らせた男は、息を切らすこと無く再度距離を詰めて、短剣で喉元を刺突しようとする。
(確実に殺そうとしているからこその攻撃法だけど、考えが浅すぎる)
こんな部分で、自分との違いを感じるとは思わなかったが、少しだけ臨は安心する。
短剣を見るに、鋭さに重きを置いた正攻法を得意としている戦い方を好んでいるのだろう。
しかし、臨は違う。殺すと決めた敵に、毒の1つも用意しないなど、舐めているとしか言えない。
キュルキュルと糸が軋む音が、臨を急かす。私を使いなさいよ、と射出機構が訴えかけている。
「分かった、分かったから、焦らないで」
「誰と話しているんだっ、よそ見している隙など無いだろっ」
影が攻撃すると同時に、臨がヒラヒラとスカートを翻しながらステップを踏む。
速度は自身と同等か、それ以上のものだが、急所を確実に狙っている影の動きは、なんとか目で追えるので、躱すことも難しくはない。
まるで踊るかのように臨が影の攻撃を躱していく中、一瞬ではあったが、影が攻撃を振った後に、疲労の形跡が見られた。
その一瞬を臨は見逃さずに、影の手首を男性が履くには適していないヒールで回し蹴りをお見舞いする。
思わぬ一撃に、影は短剣を地面に放り出して、苦悶の表情を浮かべる。
「ちっ……」
「ここらで引いたらどうだ。僕にお前を害する気は一切ない」
臨の言葉も虚しく、影は再び短剣を握り締め、剣先を臨に向ける。
痛手を受けても尚、影の瞳には深い怒りと憎悪が織り交ぜられている。
一気に距離を詰め、地面を蹴って切っ先を顔目掛けて振り抜いていくが、臨はクビを捩って回避すると、影はすかさず第二撃をぶつけようと空中で姿勢を変えて、短剣を振り下ろす。
それも躱された影は舌打ちをすると、冷たい敵意を臨に浴びせる。
「一度、白を抜けた貴様が、どうしてジアに戻ってきた」
どういう意味だ?と聞き返そうとしたが、臨は思い出した。
どうやらこの世界の区域間というものは生半可なものでは渡ることは出来ないらしく、気軽に行き来するものでは無いらしいということだ。
「喪失」内の現地民勢も、確かに最初は狼狽えてはいたが、確か商人や探索者が区域間を移動するのはそこまで珍しいことでも無かった筈。
あくまで、これは想像だが、影は自分達が探索者であることは知っている。ならば、何処まで知っていてのこの発言なのだろうか。
臨が考えこくっている間にも、影は攻撃を仕掛けているが、なんとか攻撃を躱す。
「何か問題があるのか?それにもし仮にあったとして、それがお前に何か関係でも?」
「……ちっ」
すべての攻撃を捌かれた影は、舌打ちをすると闇夜に紛れ込みながら、その場を去った。
そろそろ日が昇る頃合いだ。夜に紛れて動く彼にとってはそろそろタイムリミットだったのだろう。
「何だったんだ……全く」
臨が乱れた衣服を正して、白雪の森を後にしようとすると、足音が聞こえる。
誰かがこの森に足を踏み入れているようだった。この魔物すら居なくなった森に。
探知魔術を発動すると、その反応は真っ直ぐこちらを捉えている。どうやら、自分がここに居ることをわかって、向かってきているらしい。
「よぉ。どうやら黒咲と接敵したらしいな?」
「……どうして君が此処に?」
臨が声のする方を向くと、そこに立っていたのは、真っ赤な髪を動きやすいように纏め上げた雪奈──クリム・メラーが手放した身体を間借りしている緋浦雪奈。
「朝から災難だったな。ほら、これやるよ」
「おわっ……と。これはタオル?……というか質問に答えてくれる?」
臨が怪訝そうな表情をすると、雪奈はハハハと声を上げて明るく笑う。
かつての雪奈が絶対にしない笑い方だ。複雑な感情を抱きながらも、臨は額の汗をタオルで拭った。
「まぁ、ちょっと話がしたくてな。お前を探してたら、部屋に果たし場みたいなのを見つけてな。急いで此処まで来たんだ」
「話?別にいいけど、此処でその話をするのか?」
「別に此処でも良いけど、流石に疲れたろ?朝飯、食いに行こうぜ」
「あ、あぁ。分かった」
ついこの間まで冷戦状態まで冷え込んでいた仲だと思っていたのだが、随分と態度が軟化している。
なにか良い事でもあったのだろうか?彼女の機嫌がいい理由が分からずに、怪訝に思いながらも、ジアに戻り、二人は朝食を取ることにした。




