【Ex】#2 痛まぬ筈の傷が
虚華達が柚斗を斃してから暫くしたある日、依音は墓標の管理人、零に呼び出しを受けていた。
あの出来事から既に一月ほど時間が経過しており、今更何用で呼び出したのか、訝しげに思っていた。
断ろうとしていた矢先、虚華から行くように指示を受けた依音は、不機嫌そうな顔で手土産を買って、待ち合わせ場所に向かっていた。
勿論、集合場所は感情を持たない人間達が暮らしている場所、“墓標”である。
沢山の人が暮らしているのに、活気は一切なく、必要最低限の生活音以外が聞こえてくることのないこの街は、かつての地獄──ディストピアと酷似している。
指定された場所を探すべく、練り歩いていたが、約束の場所は思っていたより判りやすかった。
(あそこかしら、随分と場違いな物が立ってるわね)
無機質な空間の中には、とてもこの場には似つかわしくない場違いな優雅なパラソルが立てられていた。依音は顔を顰めて、パラソルの下に居た零に声を掛ける。
「随分派手なパラソルを立てたのね。貴方にこんな重たそうな物を運べる筋力があるとは思えないのだけど」
「うん、御明察だ。わたくしはペンより重たいものは持てないからね。近くの人に“お願い”したんだ」
こんな場所で“お願い”が出来るものか、と依音は周囲をキョロキョロと見回す。
この墓標に感情を持った人間は、管理人である零以外には居ない。他にも墓守と呼ばれているセレスティアルなど、特定の人物が出入りしているが、彼の気配は周囲からは感じられない。
つまり、このパラソルを設置したのが、感情を持たない住人であることは容易に想像がつく。
言いたいことは山程あるが、此度の自分は招かれた客人。主の歓待が気に入らないからといって、癇癪を起こしては、「喪失」としても「七つの罪源」としても面目が立たない。
依音は涼しい顔をして、パラソルの下に置かれた席に座る。
「そう。それじゃあこのお茶とかも、淹れさせた物なのかしら?」
答えなど分かりきっている。愚者を演じることで、話口を柔和にさせる、依音の常套手段だ。
陶磁器のティーカップには、淹れたてと思われる香り高い紅茶が湯気を立てている。
テーブルの上にはアフタヌーンティー用のセットが用意されており、こちらの好みを把握していないのか、様々な種類の茶菓子が美しい配置で置かれている。
テーブルの上をまじまじと眺めていた依音に、零は顔色一つ変えずに、茶菓子を口に運ぶ。
「まさか。それぐらいはわたくしでも出来るよ。此処は基本的には退屈な場所だから、そういった人生を彩る趣味がないと、やってらんないんだ」
「へぇ。あの巨塔の執務室には、お菓子作りの本なんて見なかったけれどね」
依音が執務室の中の本棚を眺めた感想が、人付き合いが非常に苦手な不器用な人という物だった。
大半の本は何処の執務室にもあるような本ばかりだったが、友達の作り方や、人とのコミュニケーションの取り方等といった本が数冊でも紛れていれば、否が応でも察しざるを得ない。
一度見た物を絵として認識し、記憶に落とし込むことが出来る依音は、あの時の光景を想起させるも、お菓子関係の本は一冊もなかった。
しかし、この墓標にお菓子屋など無かったはずだ。そんなものは此処には必要ない物だから。
(なら、このお菓子はどうしたのかしら?まさか、管理人が留守にしていたとか?)
依音が脳内で色々考え込んでいると、ソーサーに視線を向けていた零が、相も変わらぬ無表情のまま、依音に視線を向ける。
顔色じゃ分からないが、恐らく驚いているのだろう、瞬きの回数が普段より多い。
顔に出ない分、身体や仕草に出てくれて本当に助かると、依音は顔にも仕草に出さずに零を見る。
「本当に君は他者の事を良く見てるね。人間観察が趣味なタイプかな?」
「どうかしら。誰よりも知りたがりなだけだと思うけれどね」
零の視線に耐えかねた依音は、独特の香りがする紅茶を一口、口に含む。
依音の好みとは遠く離れてる物だが、残すのは無作法だと思い、少しずつ飲み込む。
(美味しくないわね。それに、話を切り出す様子もない。一体何の用で呼んだのかしら)
呼ばれたからといってホイホイとついてきた依音が言うのもあれだが、零は何故、自分を呼んだのだろうか。
会ったのも、宵紫柚斗が襲撃してきたあれっきりだ。あれから一切音沙汰もなく、セレスティアとも時折出くわしたタイミングで挨拶をした程度のものだ。
それに、普段は「歪曲」の館にいるせいで、どうにも時間の感覚がフィーアの人々とはズレてしまっている。
彼女達にとって数刻前の出来事であっても、依音達にとっては旧友との再会と同じくらい時間が空いてしまっているような感覚に襲われている事が多々ある。
さくさくのスコーンにジャムを塗りたくり、口に運んでいると、零はカップをソーサーに置く。
「あれから暫く経ったけど、傷の具合はどうかな?まだ痛む?」
「いいえ、暫くの間は痛んだけれど、今はもう完治しているわ。心配してくれたのかしら?」
甘い苺のジャムに舌鼓を打ちながら、零の言葉に当たり障りのない返答をすると、零の視線から若干の不穏な気配を感じ取った。
先程まで歪ではあったが、彼女なりの優しさや温かさを感じていたのだが、一気にそれが無くなった。
隠しているつもりだとは思うが、そういった物に敏感な依音にとっては十分すぎる変化だ。
(さて、私は地雷でも踏んでしまったかしらね)
何か返答を間違っただろうか?それともジャムを塗りすぎたか?
あまりこういった茶会の作法を詳しくは知らない依音は、ついいつもの癖で多めにジャムを塗ったが、それが癇に障ったのだろうか。
しかし、此処ですぐに謝るべきではない。より注意深く彼女を観察するべきだ。
腹の探り合いが好きではない依音は今すぐにでも館へと戻りたかったが、なんの手土産もなしに帰るのも癪なので、零の出方を伺う。
零の肩がぷるぷると小刻みに震えている。気温は関係ないハズだ。ならば怒りが原因だろう。
「うん、勿論心配したに決まってる。柚斗の紫電一閃を受け、あれだけの怪我をしたんだ」
「そうね。でもこの通り、完治したわ。傷跡も全く無いわ、我ながら無茶をしたものね」
依音は上着を捲り、柚斗から受けた傷が綺麗サッパリ無くなっているのを零に見せたが、零の周囲に漂う不穏な気配は消える様子がない。
何か引っかかる部分があるのか、零は席を立ち、依音の腰付近に手を添える。
しかし、それは依音が晒した方と逆の脇腹だった、気づいた時には強く脇腹を掴まれていた。
零に触れられた部分から激痛が走り、依音はあまりの痛みに苦悶の表情を浮かべる。
依音の表情を確認した零は、そっと依音から離れ、自分の席に戻る。
「君の言う通り、傷は完治してるみたいだけど、どうやら他の部分が痛むみたい」
「……どうして分かったのかしら。割と隠蔽工作とかは苦手じゃないのに」
「簡単な話だよ、わたくしが此処に居る限り、墓標では隠し事なんで出来ないからね」
「……監視カメラ……ね。じゃあ全部見たのね」
依音が怒りの感情をぶつけるも、零は涼しい顔のまま、茶菓子を口に運ぶ。
恐らくだが、街中にある監視カメラの映像を事件後に確認したのだろう。その場に他の誰かが居ないことを祈りながら、依音は小さく舌打ちをする。
「えぇ。あの時──君が紫電一閃を受けた際に、傷を受けた脇腹と、反対側からもかなり出血しているのを見たの。おかしいと思わない?左手を攻撃したのに、右手を抑えて痛がっているような、貴方のその反応に、わたくしは違和感を覚えたんだ」
「……ただの天邪鬼、という可能性だってあるじゃない?」
我ながらその言い方はないな、と苦笑する。犯人が苦し紛れに言い訳している様な気分になる。
零も、依音の表情を汲み取ったのか、ティーポットに入っていた紅茶を依音のカップに注ぐ。
「君に限ってそれはない。だって、無意味なことが好きじゃないだろう?現に、わたくしとのこのお茶会でも、何か少しでも情報を持って帰ろうとしていたじゃないか」
「……そうね。その結果、私の情報を抜き去ろうとされてるんじゃ、世話無いわね」
注がれた紅茶は、淹れたてのものと同じように湯気が立ち、非常に香ばしい香りがする。
温かいそれを一口、口に含むとなんだかホッとする。味は好みじゃないのに、どうして此処まで気持ちを落ち着かせてくれるのだろうか。
「別にそんなつもりじゃないんだ。単純に心配しただけだから。そちら側の傷は……。触れられたくないのかな?」
「そうね、あまり触れられたくないわね。物理的にも、精神的にも」
弱々しい声でそう言うと、目を伏しながら上着を捲っていた手をそっと離す。
依音が衣服を正して、亜麻色の瞳でカップに入っている紅茶をただぼうっと眺めていると、咳き込む声が聞こえる。
「そう。なら聞かないわ。でも心配している友が居るって事だけは分かっておいてね」
「えぇ、分かったわ。ありがとう」
この後も二人きりのお茶会はつづがなく続いた。
情報を得ることが出来ず、何の成果も得られなかったが、きっと彼女にとってこの時間は悪いものではなかった。




