【X】#22-Fin 愚者の系譜
「以上が、今回の事の顛末です。宵紫柚斗、蜜柑共に死亡。蒼の区域支部支部長が倒れた今、ブラゥ支部は大混乱を招いていると思います」
「ふむ、そうか。何ともまぁ、随分と派手な事をしてくれよったのぉ」
少し前に起きた墓標での出来事を、久方振りに顔を合わせたパンドラに報告する最中、急遽、パンドラが自分の言う通りにチェスを指して欲しいというので、疑問に思いながらも、言う通りにチェス盤にコマを並べた。
初手、F2からF3にポーンを動かした虚華は、うむうむと首を縦に振るパンドラを節目に、不思議そうな表情でチェス盤を眺める。
時折、マガツやアラディア達が、パンドラとチェスという娯楽を楽しんでいるのを知ってはいたが、実際にプレイするのは初めてだった。
ルールは前に聞いたことがあったので、何も聞かずに対局しても良かったのだが、何故かパンドラは良いから良いから、と虚華の意見も聞かずに始めてしまった。
(これ、何の意味があるんだろう?)
パンドラは、心から楽しそうにE7からE5にポーンを動かす。
ポーンは確か、前方に一マスしか動けない筈なのに、自信満々に動かしているのを虚華は、何も言えずに、会話をしながら次の指示を待つ。
「不可抗力ですよ、あんなの。ブラゥの墓標があることも知りませんでしたし。しかも、管理人と話していたら、急に支部長……まさかの、宵紫蜜柑のお兄さんが来るなんて……」
「宵紫柚斗、か。奴は名うての剣士だった筈じゃが、まさか中央管理局の犬になっていたとはのぉ。世の中の流れは、早すぎて叶わぬ」
G2のポーンをG4まで動かすように言われたので、黙って動かすが、どうしてポーンが二歩も進めるのだろう。
もしかすると、パンドラは何か特別なルールでチェスを指しているのかもしれない。
虚華は、虚華の知らない動きをしているチェス盤を興味津々に眺めていたが、パンドラは子どものような笑みを崩さぬまま、キングをH4に動かすと、これで終わりじゃ、楽しげに言う。
虚華は盤面をよくよく見てみると、確かに詰んでいることが分かる。
キングの逃げ先も、防ぐ手段もない。非常に分かり易い詰まされた方だった。
「……いや、なんですかこれ。もう終わっちゃったじゃないですか」
「うむ。終わったの」
チェスボードをテーブルの端に寄せて、パンドラは何処からか茶菓子を取り出すと、テーブルの上に置く。
虚華は未だに不思議そうな顔をしたまま、端に寄せられたチェスボードに視線を向けたまま、口を開く。
「私の初めてが、見るも無惨に終わってしまったんですけど」
「言い方に悪意が凄いのぉ。これはな、フールズ・メイトと言うんじゃ」
フールズ・メイト?と頭上に疑問符を沢山浮かべていると、パンドラは何処からかホワイトボードを取り出す。
一体何処からそれを取り出しているんだろうと、虚華が訝しげにパンドラを見ていると、パンドラは蒼を赤らめながら、ホワイトボードを指示棒でカンカンと叩く。
「熱烈な視線は嬉しいが……。んんっ。良いか?フールズ・メイトは、相手が非常に愚かな動きをしない限りは出来ないゲームの終わらせ方を意味する。つまりは……」
「相手が負けるつもりで、動いていた……。そういうゲームって事ですか」
パンドラは首を縦に振る。先程の動きをホワイトボードに事細かに書き出し、ついでに分かりやすくルールを追記してくれている。
どうやら、最初のターンだけはポーンを二歩動かせるらしい。それを知らなかった虚華は、むざむざと騙されていた、という形を表したかったようだ。
「うむうむ、そういう事じゃ。この譜面は相手の協力無くしては出来ないものじゃ。つまりは、負けるべくして敗北している。当の本人にそのつもりが無くともな」
「それだけ……愛していたのでしょうか?」
虚華の言葉に、パンドラは頬張っていた大好物のフィナンシェを飲み込むと、ケラケラと笑いだす。
どうやら、自分は的外れな事を言ってしまったらしい。段々と恥ずかしくなってきて、終いにはそっぽを向き、自分もフィナンシェを一つ口に放り込む。
暫しの間、部屋の中にはフィナンシェを頬張る音と、少し下品な笑い声だけが響き渡っていたが、食べ終える頃には満足したのか、パンドラは目を擦り、涙を拭う。
「あー、笑った笑った。別にホロウの言葉に笑った訳ではないんじゃぞ?ホロウが「愛」などと口にするからついおかしくなってしもうた」
「……何がおかしいんですか、私だって愛を語ったって良いじゃないですか」
不貞腐れる虚華に、パンドラはふよふよと飛びながら、背後を取る。
そのまま勢い良く、虚華の背中を襲撃すると「うわっ!」と声がした直後には、二人共フカフカのソファに体を埋めながら、視線が合う。
白と黒のオッドアイに、綺麗で長いまつ毛、年齢は分からないが、自分と同年代に見える程に若いその肌に、虚華は不覚ながらも胸の高鳴りを感じた。
そのドキドキを悟られたのか、至近距離で瞬きするパンドラは、虚華にとびっきりの笑顔を見せる。
「お主は、愛を知っているのか?なんなら妾が教えてやっても良いのだぞ?」
耳元でそう囁かれたせいか、耳がゾワゾワする。くすぐったいのに、悪くないこの感覚が……?
先程から、どんどんと距離を詰められているが、ソファの上のせいで逃げ場が無い。
いつもなら簡単に逃げ出すことが出来るのに、今日はパンドラの腕が身体に絡みついて離れる気配がない。
気恥ずかしさで逸らした顔を、無理矢理パンドラの顔の近くまで戻される。
あまりにも綺麗な顔が、眼の前にあると人間は此処まで恥ずかしくなるのかと、望んでない学びを得ながら、虚華は己の理性と必死に闘う。
どうしてかは分からないが、此処で負けたら良くない気がするのだ。
(なんとか、この気持ちを鎮めなきゃ……あ、こういう時は)
前に「カサンドラ」から誘惑された時の対処法を聞いていた。
夢魔である「カサンドラ」はその体質上、誘惑されることも、誘惑することも多いのだが、そういった時に、衝動を抑える方法があると、一緒に行動している時に教えて貰っていたのだ。
『そういう時はぁ〜、全力で筋トレしている禍津をぉ〜脳内にぃ〜、飼えば良いんだよぉ〜』
『……そうすればどうなるんですか?』
『「辟易」、全部が馬鹿馬鹿しくなる。だから君も実行してみると良い』
『……もしかしてルウィードさんに切り替わるタイミングって……』
あの時の「カサンドラ」は食欲を抑えることなく、食事を吸い込んではいたが、あのアドバイスは的を射ていたと、虚華も心の中で思っていた。
眼の前のパンドラを前に、虚華は全力で筋トレをしている禍津を想像した。
するとどうだろう、どんどんとムキムキになっていく、細身だった筈の禍津の成長を感じて、パンドラの誘惑など、どうでも良くなってきた。
(……凄い、本当に効果あるんだ)
次第に、落ち着いてきた虚華を見てパンドラが狼狽え始めるが、既に脳内禍津が興奮を抑えてくれた為、いつもの冷静さを取り戻していた。
先程までの空気は既に失われており、ただただ女子二人が広いソファで寝転がっているだけになってしまったが、そのままの体勢でパンドラは話を続ける。
「愛を……、教えてやっても良いのだぞ?」
「遠慮しておきます。足、離して貰えますか?」
「急にホロウが冷たい……一体何が起きたのじゃあ……」
パンドラがポロポロと涙を流している中、答えが脳内で禍津が邪魔していたから、などとは口が裂けても言えないだろう。
ソファを涙で濡らしているパンドラを横目に、乱れてしまった衣服を整え、チェス盤を片付ける。
「そう言えば、今日はイズを見掛けませんね。何処かに出掛けているのでしょうか?」
「あぁ、イズなら恐らくは墓標に行っておるんじゃろ。最近、よく顔を出してるそうじゃし」
パンドラの言葉に、虚華は底冷えする程の冷笑を浴びせる。
へぇ、とだけ言った虚華の周囲には、明らかに先程よりも周囲の空気の冷たくなっている。
身震いするパンドラを無視して、虚華は外出用の外套をハンガーから外し、身に纏う。
「のぅ、まさかじゃが、イズの所へ行くつもりか?」
「はい。何か問題でも?」
きっぱりとそう言った虚華の顔には、自分が正しい事をしていると言わんばかりの表情だ。
何故だか、顔が引き攣っているパンドラの態度に、虚華は首を傾げて、自身の疑問をぶつける。
「そっとしておいてやらんか……こっちの世界で初めて出来た友人なんじゃろ……?」
「ええ、ですから、私が見守っておかないと。イズは可愛いですからね。襲われる可能性だってあるでしょう?」
「いや、それは無いじゃろ!墓標の管理人は女じゃろうが!?」
「でもさっきのパンドラさん、私を襲おうとしましたよね?」
ぐうの音も出なかったのか、パンドラは再び、ソファに顔を埋めて声にならない叫び声を上げる。
その様子を見守っていても、暫く立ち直る様子がなかったので、虚華はそっと部屋の扉から外に出る。
「愛……ねぇ。確かになんなんだろう、愛って」
ディストピアでも、フィーアでも、浮ついた話は、一切経験してこなかった。
それこそ、「愛」とは何か分からないまま、柚斗が愛故に死んだのかと、確かに言った。
きっと、そこをパンドラに咎められたのだろう、仕方のないことだ。
(まだ少しだけど、時間は残されている。この間にブラゥを見て回らないと)
愛について分からないままでは、何時か困る時が来るのだろうか。
良く分からない感情を、胸に抱いたまま、琴理の処刑の時を待つ。
次回、イドルスメラの雑談会、依音零のお茶会、臨の苦難回、琴理の小話等数話を挟んでから、第十一章を開幕します。
十一章は鋭意制作中なので、更新頻度はかなり落ちますが、ゆっくりお待ちくださいませ。




