【X】#20 紫電一閃、向けられた刃に
虚華は、亜麻色の髪の男──宵紫柚斗と接敵していたが、苦戦していた。
一度、虚華が銃で実弾を放てば、柚斗は簡単に斬り伏せ、魔術を発動しようと詠唱を開始すれば、距離を一気に詰められ、回避に専念させられる。
前々から前衛職の人間との一対一は非常に不得手だと感じていたが、こうもワンサイドゲームになるとは思っていなかった。
じりじりと体力を削られ、魔力を消費しながら、なんとか逃げ回っているが、勝ち筋があまりにも薄い。
息を切らしながら、虚華は二人の様子を見る。
透はどうやら既に柚斗を一人倒したらしく、依音をからかいながらも、手助けしているようだった。
お陰で依音は善戦しており、この調子で行けば、依音が負けることもないだろう。
(良かった……じゃあ残るは私だけって事よね……っ!)
虚華がふぅと小さく息を吐いたのも束の間、虚華は急いでその場から、飛び退く。
柚斗が放つ紫の刀筋が、虚華の肉眼で目視出来る頃には、その部分には雷の一太刀が振り下ろされている。
「……あっぶな……。どんな反則技を使えば、そんな早い斬撃が放てるのよ……」
原理は理解出来ないが、彼の太刀筋は音や、光を優に追い越してしまっている。
一発でも当たれば、致命傷。虚華の命など、一瞬で消え去ってしまうのは間違いない。
対する虚華も、柚斗の攻撃を躱す為に、相手の急所や、躱しにくい場所を目掛けて狙撃してはいるが、全て、彼の一太刀によって切り捨てられてしまっている。
余りの実力差に、額から冷や汗が滴り落ちる。焦りが如実に現れては確実に素っ首落とされる。
(どうすれば勝てる?このまま逃げ続けることしか出来ないのか?)
いや、逃げ続けていても勝てるとは思えない。きっと、透は自分を助けることはないし、依音は自分の事で精一杯だろう。
それに、此処は墓標、助っ人も期待出来ない。自分一人でこの男を下さねばならない。
皆の前で、あれだけの啖呵を切ったのだ。無様に負ける訳には行かない。
虚華は寸での所で、なんとか柚斗の一太刀を凌いでいると、柚斗は徐ろに顔を曇らせる。
「………………………逃げる、だけか?」
「まさか、機を伺っているんだよ。その首、繋がっている今を味わっていなよ」
嘘である。本当はどうこの局面を切り抜けるかを全力で思案しているのだ。
切り札である現実改変能力“嘘”を用いようにも、何処をどう歪めるのか、皆目検討もつかない。
それに、多少の小細工程度ならば、彼の技量で何とかして来そうなのが、尚の事怖い。
現実改変を起こす際に支払う代償は、決して安くないのだ。
(彼の動きを一秒止めるだけで多分、私の魔力は全損するだろうし……)
神業を幾度となく敵にお見舞いする男の動きを、一秒だけ止める。
剣士と剣士の一騎打ちであれば、その隙に必殺の一撃も放てるだろうが、生憎、虚華に一秒で相手を葬れる技なんて、持ち合わせていない。
精々、自傷した傷を相手に擦り付ける戦術が、一番相手を効果的に責める方法である。
そんな姑息な手段しか持ち合わせていない女に、剣士の真似事など、到底出来っ子無いのだ。
「……ふっ!」
「あわわっ、危ないっ……全然技の速度に衰えがない……バケモンでしょ」
元々そこまで多くはない虚華の体力は、度重なる神速の一撃を躱すことでどんどんと失われていく。
舌戦で回復を図ろうにも、相手は言葉を交わすことなどしない。正直お手上げだ。
ギリギリの所で柚斗の一撃を躱した虚華は、バックステップを数度挟み、弾丸をリロードする。
(正直、リロードすることでさえ、精一杯なんだけど……)
透の居る前で罪纏になるのは正直避けたい。でも、このままで勝てる未来も見えない。
黒き愛銃「虚偽」の銃口を、柚斗目掛け、数少ない高速詠唱を適用できる魔術を口早に詠唱し、銃身に纏わせる。
「惑弾!」
虚華が放った一発を五発に分裂させ、軌道を全く読めない方向へと捻じ曲げる。
それら全ては柚斗の周囲をぐるぐると巡り、最も効果的とされるタイミングで、柚斗の身体へと目掛けて飛んでいく。
最初は目で追っていた柚斗も、途中から目を閉ざし、柄と鞘を握り締め、即座に抜刀できる構えで動きを止める。
地面を踏み締め、弾丸を切り捨てることに全集中している柚斗は、先程までの嫌な印象を全て拭い去る程、綺麗だった。
あまりの美しさに思わず、虚華も息を呑む。
(見惚れてる場合じゃない。この時間差の射撃が活路になる可能性を絞り出せ!)
少し離れた場所からは、穢れた歯車が軋む音が聞こえるが、虚華達の周辺では音が消え去る。
惑弾の対処に、柚斗が集中している間にも、数発追撃を放ってみるも、全て居合斬りで往なされる。
弾丸を斬ると、直様納刀し、再度集中し直す。余裕があれば、そのまま斬撃で生じた衝撃波を虚華目掛けて飛ばしてくる。
目を閉じているとは思えない程、高精度なその一撃は、虚華にとっては躱す事すら難しい。
時には、地面にダイビングするような仕草で避けないと当たるような物もある。
「しっ……!」
「っ……!」
虚華は柚斗の刀の動きを読み取り、急いで身体を捩り、柚斗の刀の軌道から何とか逃れられたお陰で、髪の一部だけがスパッと斬り落とされる。
一瞬でも回避が遅れていたら、髪の毛だけでは済まなかった。
柚斗が納刀している隙に、「虚偽」に弾丸を再装填し、ホルスターから白き銃「欺瞞」も取り出す。
かつては扱い方も分からなかったこの銃も、ある程度は扱い方を理解出来た。
弾丸を装填する必要のない「欺瞞」と「虚偽」の二丁を対象に照準を合わせ、同時に引き金を引く。
「……偽弾」
実弾の直ぐ後ろに魔術で作られた実体の無い弾丸を隠して、柚斗の元へと放つ。
「虚偽」は片手で使用しても問題ないように作られているが、「欺瞞」は両手で使用する設計で作られている為、虚華の身体は反動に耐えきれずに、後ろに仰け反る。
柚斗は先程と同じ様に、閉眼したまま実弾を切り捨てるも、偽弾までは斬ることが出来ずに、右胸付近に直撃する。
少し目を見開き、柚斗は撃たれた場所に手で触れる。
己の左手に血液がこびり着いているのを確認すると、乱雑に衣服で血を拭う。
「………………………へぇ、実弾の裏に、隠したのか」
「やっと、一発。当たった」
虚華が少し顔を綻ばせると、柚斗は対照に顔に怒りを滲ませる。
柄を握り締める力を強めて、力一杯に刀を振るう。そのせいか、先程よりも剣撃が激しくなり、より一層、虚華は回避に専念せざるを得なくなった。
虚華は気づいた。閉眼したまま、弾丸を斬る事は、彼にとって怠慢であり、慈悲であったと。
何度、死角に弾丸を隠そうとも、回避不可能だと思われる場所に弾丸を撃ち込もうとも、柚斗はいとも容易く躱してくる。
胸元の赤い薔薇はどんどんと広がっていくのに、攻撃の激しさがそれに比例して強まっていく。
(このままじゃ……間違いなくマズい……)
ゆらりと、瞳に妖光を孕ませている彼には一片の油断も隙もない。先刻までは、一瞬程度なら付け入る隙があったのかもしれないが、今はいくら探しても見つからない。
柚斗は鋭い視線を虚華に向け、赤い薔薇を撫でる。
「……………………この一撃は、ただのまぐれか?」
「言ってくれるじゃん……!」
悲しみ半分、侮蔑半分といった声色で、柚斗は虚華を煽る。
煽られた虚華は、口角を歪に曲げて笑う。形振り構ってられない。互いに時間は残されていない。
慣れた手つきでリロードした「虚偽」の弾丸を全弾一気に放つ。
普段は絶対にしないそれは、「虚偽」と虚華の身体に多大な負担を掛ける。
抑えられているとは言え、片手で全弾発射すると、左腕がズキズキと痛む。
(やっぱり、コントロールすら怪しい……けど)
薬莢は六発、虚華の足元にカランカランと音を立てて落ちる。
五発は斬って落とされたが、残る一発は、柚斗の頬を掠めていた。斬り落としきれずに、躱そうとしたが、弾速を見誤ったのだろう。
切れた頬を親指で適当に拭い去ると、柚斗は刀の抜身を虚華に晒す。
先刻までは、抜刀しては、納刀を繰り返し、抜身のまま、刀の全貌を晒していなかったのだ。
まじまじと見てみると、彼の持つ刀は随分と禍々しい風体をしている。
刀身には何やら魔術刻印が幾重にも刻み込まれており、大気中の塵と反応してか、常に紫電を纏わせている。
(あんなのに斬られたら、まずまともには死ねないだろうなぁ)
今度は自分が煽る番だと思った虚華は、照準を柚斗の眉間辺りに合わせて、微笑む。
「随分と危なそうな刀ですね、時代が違えば、妖刀だなんて呼ばれてそうな」
「…………………………現に、これは妖刀だろうな」
「えっ」
「…………推して、参る」
距離を一気に詰め、瞬時に抜刀し、鋭い一撃で相手を斬り刻む戦法から打って変わって、今の柚斗は、重たい一撃を凄まじい速度でぶつけることで、相手を叩き潰す戦術に切り替えている。
分かりやすく言えば、先程までは刀で斬り付ける斬撃をメインに、今は刺突や殴打をメインにしていると言えば、理解しやすいだろうか。
鞘と刀身を分けて持っている分、動きが遅くなると読んでいたのに、まるで自分が走る部分の大地だけ短くしているのではないかと錯覚させる程に、柚斗の動きは非常に機敏だ。
刀以外にも、隙があれば鞘で殴打し、足蹴や体術なども絡めて動いてくる。
ギリギリ五分五分だといった戦況はあっという間に、圧倒的不利にまで戻されていた。
「痛っ……鞘で思い切り殴られると、やっぱり痛いなぁ」
「…………………………鞘には、殴打の刻印を、刻んでいる」
そりゃあ痛い訳だ、と納得するが、躱すことで精一杯の虚華に、何処を弄れば現状を打破出来るか、考える余裕すらない。
もしかすれば、骨が折れているかもしれない。口の中は血の味で一杯だ。
何度も何度も鞘で殴打され、刺突され、何とか本命の斬撃だけは躱すが、足が縺れてきた。
誰がどう見ても、勝ち目のない戦いに、虚華は思わず膝を折る。
(あ、あれ……足が動かない。逃げなきゃ、死ぬって分かっているのに)
「………………遊びは、終わりだ」
ボソリと、そう呟いた柚斗は一旦、虚華から距離を取る。もう動けないというのに、何故止めを刺さないのかと思ったが、虚華は直ぐに理解した。
抜き身の刀を鞘に収め、居合い切りの構えを取る。彼の動きには見覚えがある。
離れた場所から、膂力の限りを尽くして抜刀されたその刀からは、紫電を纏わせた衝撃波が、相手の身を蝕み尽くす。
名前は何と言っただろうか──。確か、こうだ。
虚華は、重い身体を起こし、大技を放とうとしている柚斗と目を合わせ、同時に口を開く。
「「…………紫電一閃」」
処刑待ちしている罪人は皆、こんな感情を抱くのだろうか。
見るまでもなく迫りくる紫電を纏った衝撃波が、音を立てて虚華の方へと飛んでいる。
(ごめん、皆……私、勝てなかった)
もう逃げられない。もう数秒で虚華は死ぬだろう。
死ぬのは怖くないが、残した仲間がどうなるのかだけが、心残りだ。
やらねばならないことも沢山あった。未だに道半ばだった。
(けど、もう動けない。この状況を覆せても、眼の前の化け物に勝てる気がしない)
虚華は目を瞑り、与えられた数刻の猶予を、仲間へと懺悔で過ごしていると、衝撃波を浴びる直前に別の方角から衝撃を受け、弾き飛ばされる。
衝撃波が、轟音を撒き散らしながら、虚華の隣を過ぎ去っていったのを耳で確認すると、虚華は目を開ける。
どうやら、依音が虚華を無理矢理弾き飛ばしたお陰で、衝撃波の軌道から避けられたらしい。
虚華に抱きつく形で、依音が自身の肩に頭を預けている。
「あ、ありがとう、イ……え」
虚華が依音の背中に触れると、べちょりと粘性の強い液体が手に触れる感触があった。
嫌な予感がしたが、目を逸らすわけにも行かず、おずおずと自分の手を確認すると、そこには深紅とも言える程に、酸素をたっぷりと内包した血が、虚華の手を鮮やかに染めていた。
「え……?」
虚華は慌てて、依音の顔を見る。口から吐血しているので、口を開けさせ、窒息を防ごうとする。
かなり出血量が多い。自分もかなり血を失っているが、自分の事など、後回しだ。
動く気力もなかった筈の虚華は、何とか身体を起こし、依音の頭を己の膝に乗せる。
ぐったりとした依音の身体は、まだ仄かに温かいが、これが生を証明するものにはならない。
「イズっ、イズ!!返事して!!ねぇ!!!!嘘だよね?」
虚華の悲しみに染まった叫び声は、墓標中に響き渡った。




