【X】#17 かつて居た地獄に、無いものがそこにあった
虚華達は、セレスティアルの先導の元、かつての地獄と酷似した大地を踏み締める。
(歩いていても、靴が濡れない)
虚華の故郷はずっと湿気を帯びた空気が纏わり付き、硝煙の匂いと雨の匂いが立ち込めていたが、「地下」はそんな事無かった。
「地下」と呼ばれるこの空間は、天井まで綺麗な塗装がされているような構造になっており、その中に小さな居住区があちこちに点在しているというような感じだ。
(随分と静かだ。人がこんなに居るのに、騒音がまるで少ない)
ディストピアのような徹底した管理されている感もなければ、あちこちから子供達の悲鳴が聞こえてくることもない。
自分達の歩く音が聞こえてくる。この大地に血に足着けていることが証明されている。
勿論、住人が居るのだから、生活音がない訳じゃない。あの地獄にあった不快感が全て拭われている。
「……大人しか居ないんですね、此処には」
「ん?……えぇ。流石の中央管理局も子供には手を出していないようです。今の所は」
虚華の言葉に、セレスティアルは含みのある言い方をする。将来的には此処も、地獄へと近づくのだろうか?
此処には子供達が居ない。感情を持っている者が共存していない。
感情を喪った者達が、機械種によって不足している部分を補われながら暮らしている。
(罵声が聞こえない。此処には虐げる者が居ないんだ)
歩けば歩く程に、此処が自分の故郷とは違うことが分かってくる。
確かに此処にいる人間は感情が奪われている。彼らの瞳は濁っており、その虚ろな瞳には何も映っていない。
けれど、彼らの身体に傷は付いておらず、健全に各々が虚華には分からない作業──仕事をしている。
機械種が機械音で彼らを導き、時間になるまで黙々と作業を熟す。
それらが終われば、作業は終わり、部屋で休息を取り、来る明日を眠ることで待っているのだ。
一時間程だろうか、歩いて思った。此処は平和だ。争いごとが起きる気配もない。
全ての人が平等に奪われた世界は、こんなにも感情を揺さぶられないのかと、虚華は感心した。
セレスティアルは、そんな虚華の関心を気にすることもなく、どんどんと進んでいく。
「セレスティアルさん、私達は今、何処へ向かっているんですか?」
「セレスでいいですよ。わざわざ長い名前で呼んで頂かなくても構いませんから」
セレスティアルは虚華の方を見ずに、あっけらかんとそう言った。
自分よりやや歩幅の大きいセレスティアルに、虚華は普段より早めに足を動かし、追い掛ける。
「じゃあ、セレスさんって呼びますねっ」
「はい、ありがとうございます。それで行き先ですが、この「地下」の主に逢いに行こうかと」
「地下の主……ですか?」
「えぇ、流石に広くはないとは言え、管理人が必要でしょう?こんな無機質な空間でも秩序を保つためには、感情を持つ生物が最低でも一人は必要なんです」
セレスティアルは、この「地下」を広くはないと言っていたが、虚華にはそうは見えなかった。
少なくともブラゥと遜色のない広さがあるこの場所を数人、もしくは一人で管理しているのは相当の労力が必要だろう。
どんな人物がこの場所の支配人なんだろうか、虚華はまだ見ぬ管理人へと期待を馳せながら、懐かしき未だ知らぬ土地を踏み締めながら、進む。
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虚華達が歩いて暫くの時間が経った。
セレスが先導する先には地上まで届きそうな巨塔が聳え立っている。目的地はあそこだろうか。
歩いていて感じるが、やはり此処はかなり広い。けれど、機械種と感情喪失した人々以外は存在しないようだ。何処も彼処も、平穏な時間が流れている。どうして此処はこんなにも平和なのだろうか。
(皆が平等に奪われているからだって、分かっているのにね)
分かりきった自問自答を何度も繰り返している虚華は、自嘲気味に笑う。
情けない表情を晒している虚華の顔を、依音はそっと覗き込む。
「どうしたの、ホロウ。そんな気持ち悪い顔して」
「相手が“雪奈”だったら殴り合いになってたよ、そのすんごい暴言」
「雪奈が……?あぁ、そういう事ね、こっちじゃなくてあっちの方ね」
「……うん。悔しいけど、雪奈の身体は盗られちゃったし。また奪い返さなきゃ」
依音が少し考え込んでいる中、虚華は固く拳を握り締めていた。
後悔の念が薄れることはない。距離を置いても尚、悔しさや怒りは収まることを知らない。
今までは、諦めざるを得なかった。自分はとても弱かった。守られるだけの存在だった。
でも今は違う。どんな手段を用いてでも、取り戻して見せる。
「……そう。でも雪……えぇと、ややこしいわね。“雪奈”はどうやって蘇生したのかしらね」
「それが分からないんだよね……。多分クリムが何かしたんだろうけど」
彼女が如何にして人格を入れ替えたのは分からない。
条件として言われているのは、並行世界線上の同一人物を、蘇生させたい対象と同じ世界で、一度殺してから蘇生させれば、その世界での人格が宿る、と言われている。
成功例は一例だけだが、彼女のお陰で噂話は真実となった。
……雪奈が死んでしまったから、虚華は仲間を取り戻す旅へとシフトしたのだ。
(……まさかね)
雪奈が有り得ない選択肢を取ったのかと、一瞬邪推したが、虚華の脳内から振り払った。
そんな事、あってはならない。だからこそ、早く取り戻して説教しなければならない。
「もし帰ってきたら、思い切り叱ってやりなさい?……あら」
依音が立ち止まり、上を見上げた。虚華もそれに倣って上を見上げると、先程まで随分と離れていた巨塔が目の前に立ちはだかっていた。そんなに長い時間、依音と話していたのだろうか?
虚華はセレスが居た方向を見ると、なんとも言えない表情でこちらを見ていた。
「着きましたよ、って何度か言ったんですけどね、随分と熱心に何かを考えていたようで」
「……あはは、すみません。昔からの癖なんです」
そう、考え込みすぎて思考の海に溺れるのは、昔からの悪癖だ。
周囲の事を何も考えずに、自分だけの世界に入り浸った挙げ句に、迷惑を掛けるのは頂けない。
虚華がセレスに謝罪すると、気にしないでください、とセレスは手を横に振る。
「此処が目的地、管理人が居る施設です。圧倒的に分かりやすいので悩むことはないでしょう」
「どうだろうね。「愛しい君」を一人で歩かせては、彷徨う気がしてならないよ」
透がそう言うとドッと笑い声が上がる。虚華が顔を真っ赤にして恥ずかしがっていると、依音が透との間に割り込む。
依音の後ろに隠されたので、今の表情は分からないが、一瞬見えた彼女の表情を見るに、かなり怒っているようにも見えた。
依音が透にずいっと駆け寄ると、透はそっと後ろへと後退る。
「なんだい?出灰さん。僕が何かイケない事でもしたのかい?」
「夜桜くん、確かにホロウを一人でこんな場所歩かせたら、そりゃあ迷うわよ」
(……あれ?)
唇を噛み締め、ゆっくりと言葉を慎重に選んで発言している筈の彼女の言葉は、思っているのと違うものだった。
正直、ここで突っ込んだほうが良い気もするが、虚華は黙って見守る。
「そうだよね、分かってるじゃないか」
「でもね、そんな事を周りの子に吹聴するような事はしない方が良いわ」
(……あれぇ?)
段々と違う方向へと進んでいるような気がしてきた虚華は、そっと透の方を見る。
……やっぱり目が点になっている。何を言っているんだ?と虚華に目で訴えかけてきているが、そっと首を横に振る。自分も正直言って分からない。
どうしたものかと、頭を抱えていると、依音の暴走は留まる所を知らない。
「良い?あの子はね、昔、小等部へ一人で登校しようとした時に」
「“お喋りな口は、暫しの間眠りにつく”」
虚華が唇に人差し指を添えて、暴走気味に発しかけた危ない暴露を一旦封じる。
モガモガと苦しみながらも、何かを訴えかけようとしている依音は、虚華が冷たい目で見ると途端に大人しくなった。
シュンと小動物のようになったのを確認すると、虚華は“嘘”を解除する。
はああ……やってしまったぁ、と虚華は小さく後悔する。こんな場所で“嘘”を使うとは思わなかった。
戦闘時でも余程の事がない限りは封印しようと思っていたのに。
この場の空気が困惑に染まりつつある事に気づいた虚華は、セレスよりも先に進み、階段に足を掛けた辺りで、コホンと大きな声で咳き込む。
「セレスさん、行きましょう。管理人さんに挨拶しに」
「え……と、良いんですか?」
過ごした期間こそ短い間ではあったが、いつも冷静だった彼が、いつにもなく狼狽えている。
虚華は、狼狽えている彼に対し、不思議そうな顔で首を傾げる。何の話をしているのだろうか?
虚華の反応を見て怪訝な表情をしながら、周囲の反応を伺うセレスに、鋭い口調で訊ねる。
「……何がですか?」
「い、いや……出灰さん、失神しちゃってますけど」
「え、嘘でしょ」
嫌な予感がして後ろを振り返ると、彼の言う通り、依音は地面に突っ伏して意識を喪っているようだった。
面白半分で綿罪や疚罪が肩をちょんちょんと叩いても、当の本人は反応する気配すらない。
いつもの依音ならば、不快そうな顔をして、触られた部分を手で払うのだが、今日に限ってはぴくりともしない。
虚華は、階段を急いで駆け下りて、依音の頬をパァンと両手で潰してみた。
「ぴぎゃっ」
「イズ、起きてるよね」
普通、寝ている人間は両頬を潰されても「ぴぎゃっ」という鳴き声を発することはない。
つまり、彼女は寝た振りをしているのだ。虚華が依音を凝視していると、彼女の方から声がする。
「すぅ……すぅ」
虚華が半目で睨んでいると、鋭い視線を感じたのか依音は、寝返りを打って、虚華に背を向けるとわざとらしい寝息を立てる。
「ふーん?そう、そんな反応しちゃうんだ」
彼女のあからさま過ぎる反応に、起きているのが確定したので、虚華はそっと依音に耳打ちをした。
他の人には聞こえないように、声量に気をつけて。
「今度はもっと重い嘘ついても良いんだけど……?」
「ごめんなさい、私が悪かったわ」
端から見れば、虚華が耳打ちした途端に依音が元気に立ち上がったから、何が起きたのかさっぱり分からないが、実情はただの脅しである。
虚華は肩を落としながら、セレスの案内の元、巨塔へと続く階段を再度登り始める。
この場所の生い立ちや、様々な話しをセレスから聞いている途中で、後方に居る依音と、透の話し声が微かにだが、聞こえてくる。
『……「愛しい君」にはなんて脅されたんだい?』
『知らない方が良いわ、夜も眠れなくなるから』
『それは聴き逃がせ無いなぁ。……是非とも聞きたいんだが?』
『そうね……じゃあこれくらいの誠意を頂こうかしら』
依音は指を三本立てて、透に示す。その反応を見た透は眉を少しだけ顰め、険しい表情を見せる。
『金貨三枚かい?随分と重要な秘密なんだね?』
『違うわ、ホロウの秘蔵写真三枚よ。貴方、ホロウの隠し撮り写真持ってるんでしょう?』
写真……対象者が見た景色や記憶を抽出して一枚の絵を作り出す物があると、聞いたことがある。
しかし、大抵の生物には隠したい物や記憶が沢山ある。自分だってそうだ。
他人に許可無く写真を作り出す魔術は御法度、それらを作成するための魔導具を許可なく設置することは、多くの区域では禁止されていると聞くが、彼らは魔導具を何処かに置いているのだろうか。
今はもっと情報が欲しい。後ろで聞き捨てならない会話をしている二人に聞き耳を立てながら、虚華はセレスの言葉に適当な相槌を打つ。
「うんうん、そうですねぇ」
「……本当に聞いていますか?」
「聞いてますよぉ、此処の管理人は元々は「地下」の人達と同じだったんでしょう?」
「……本当に聞いてるんですね。逆に感心します」
「酷い言い草ですね、二〇%は聞いてるんですよ?これでも」
「真面目に聞いても、頭から抜けていく良い歳したおじさん達が、咽び泣きますよ」
呆れ顔で話を続けるセレスの言葉に、頭空っぽの相槌を打ちながら、虚華は階段を登る。
直ぐ後ろでは玄緋兄弟が楽しそうにこちらの様子を伺っているが、今は無視だ。
最近しみじみと思うが、もうこの世界に真の意味での味方が居ないんだなぁと感じている。
最後尾の話し声に注力して、耳を傾け続けていると、会話の続きが聞こえてきた。
『……何処から聞いた?その情報はトップシークレットなのに』
『まさか、ただのハッタリよ。持ってるだろうとは思っていたけれど』
『……くっ、僕の負けだ。ほら、写真三枚だ。代価はそれに見合っているんだろうね?』
『えぇ、勿論よ。想像するだけでその日の晩はお腹一杯ね』
なんていうか、嫌になってきた。どんどんと知的だった筈の依音のイメージが崩れていく。
今ではもう透と同レベルの変態にしか見えなくなってしまっている。
何があったんだ、この数ヶ月で。失う前はもっと理的で知性の溢れる先輩だと思っていたのに。
(後で没収しよう。なんとなくだけど、出所はあの人な気がする)
頭の中で白黒髪の女の事を思い浮かべながら、虚華は巨塔の中へと入っていった。
おまけ:第十章時点での探索者登録証及び、各キャラの性能紹介
〜依音、玄緋兄弟、透編〜
名前:出灰依音/イズ 性別:女 年齢:十四歳
階級:四級 所属トライブ:無
所属レギオン:「七つの罪源」/「ホロウ非公式ファンクラブ」
職業:基礎魔術師
:応用魔術師
:魔術師殺し
:共鳴者
種族:不死者/人間 属性:魔術師/法王 善性:中立(+二〇)
特異性:一度、死を経験している都合上、種族に不死者が追加。
対魔術師を想定している職業欄を見るに、斃さねばならない相手がいると推測。
名前:玄緋綿罪 性別:女 年齢:二〇歳
階級:四級 所属トライブ:無 所属レギオン:【蝗害】
職業:総合格闘家
:武芸者
:処刑人
:悪逆野伏
:悪逆斥候
種族:人間 属性:隠者 善性:悪(-九〇)
特異性:かつての行いが探索者登録証に悪であると断じられた。
そのため、一部の職業に就くことが出来ず、また、適性や生き方も制限されている。
名前:玄緋疚罪 性別:男 年齢:二〇歳
階級:四級 所属トライブ:無 所属レギオン:【蝗害】
職業:武芸者
:処刑人
:符術師
:悪逆斥候
:基礎治療師
種族:人間 属性:隠者 善性:悪(-九〇)
特異性:かつての行いが探索者登録証に悪であると断じられた。
そのため、一部の職業に就くことが出来ず、また、適性や生き方も制限されている。
名前:夜桜透 性別:男 年齢:十六歳
階級:三級 所属トライブ:無
所属レギオン:【蝗害】/「ホロウ非公式ファンクラブ」
職業:超越者
:腐食促進者
:基礎治療師
:基礎戦士
:早期熟練者
種族:不死種/人間/不明 属性:塔 善性:極悪(-一〇〇)
特異性:一度、死んでいるにも関わらず、動いている歩く特異点。
:身体にヰデルヴァイスを突き刺しても生存していたのは彼のみの為、研究用に捕縛する計画も練られていたが、現状、彼を捕縛できる人材は発見されていない。




