【X】#11 降り頻る罪の災禍
依音はパンドラから賜った灰色の銃で自身のこめかみに銃口を突きつける。
一度は体験したものの、銃というものがどういう物なのか、把握しているだけに恐怖心が募る。
弾は入っていない。だから引き金を引いても死ぬことは有り得ない。だが怖いのだ。
「銃というモノが恐怖の象徴だから、引き金を引くことに意味があるのかしらね」
震える手を抑えながら、生唾を飲み込み、依音は無理矢理銃の引き金を引く。
ガラスをぶち破ったような音が周囲に鳴り響き、依音の身体の周りに灰色の蝶と靄が現れる。
靄が身体を覆い隠し、靄と蝶が消える頃には、依音の姿は変貌していた。虚華と同じく艶やかな修道服を身に纏い、顔は聖骸布のようなもので覆われている。この姿には見覚えがある。
「罪纏……虚をヴァールたらしめる姿、と呼べば良いのかしら」
虚華も「喪失」の面々と戦っていた際にこんな格好をしていたのを思い出す。確か、虚はこの姿のことを「罪纏」と呼び、この姿こそが「七つの罪源」だと言っていた。
これから依音が行なうことはきっと、この世界にとっての正義ではない。けれど、依音はそれでも歩みを止めることはない。
既に変貌を遂げている虚の姿を視界に写し、依音は独りでに頷く。
(相手が誰だろうと、虚の邪魔をする奴は消すわ)
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巧妙に隠されていた転移装置──ポータルを使用すると、瞬時に別の場所へと転送される。
あちこちに埃が積もっているのを見ると、長期間放置されていたようだが、人間種の靴跡が散見される辺り、また最近人の出入りが活発化しているらしい。
此処が【蝗害】の旧アジトなのは間違いないようだ。探知魔術に引っかかっているのも五人で間違いない。ただ気になるのは──回復系と魔力系の魔術師の二人がどうやら人間ではないらしいこと。
此処を隠匿したのが盗賊職の者だと思っていたのだが、魔術師の二人がかなりの手練らしい。
(種族が不明……。私が見たことのない種族って事かしら?)
虚がフィーアと呼ぶこの世界には人間以外の知的生命体──要は人と言語によってコミュニケーションを取ることが可能な存在が多々存在する。
機械で出来た機械種から、人間種や亜人種を強く敵視している魔人種。人間よりも獣の遺伝子が色濃く継承されている獣人種まで様々だ。
依音が把握している種族の中に探知対象が居るのであれば、彼らが何の種族なのか把握できるのだが、残念ながら彼らの種族名は「unknown」、種族不明だ。
依音は周囲に何かトラップがないかを確認しつつ、先導していると不意に虚華に袖を引っ張られる。
「きゃっ!」
依音が先程まで歩いていた場所に、無数の槍が降り注いでいる。考え事をしながら歩いていた依音は自分に降りかかろうとしていた罠に気づくことが出来なかったらしい。
おずおずと虚華の方を向くと、案の定、虚華は頬を膨らませながら怒りを表現している。
「考え事してるからそうなるんだよ?ちゃんと自分のことも気にかけて」
「え、えぇ……ごめんなさい。……反応はすぐそこよ。戦闘準備はいい?」
「うん、大丈夫。いい加減二人っきりでトライブ相手するのもしんどいもんね」
(私は二人でも良いのだけれど……」
「何か言った?」
「言ってない。ほら、行くわよ」
いつから難聴系になったのかしたのかしら、と依音は溜息を付きながら、重厚な扉を蹴破る。
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依音達がアジトの最奥部に侵入すると、蜜柑達が戦闘態勢でこちらを睨みつけている。
流石にあれほど雑に乗り込んでしまえば、盗賊職に勘付かれるのは当たり前の話だ。
暗殺する気などサラサラ無かった依音は正面から何も考えずに乗り込んでいた。
「あんた達、何者ぉ?なんであたし達が此処に居るって知ってんのぉ?」
「見慣れぬ得物に、見慣れる装身具。貴殿らは蒼の者ではないな」
蜂蜜を焦がしたような甘ったるい喋り方をしている紫髪の女──あいつが虚の言う宵紫蜜柑か。
喋り方が古風な如何にも忍びです。みたいな格好をしているのが盗賊職、ならば自分が見たことのなかった魔術師二人は……。
互いが互いを牽制し合う中、依音は周囲を確認していると、蜜柑達より更に奥に二人の影を見つける。
純白の羽を携えた女性と、漆黒の羽を携えた女性が興味もなさそうにこちらを眺めている。
他にも竜徒と呼ばれる存在も居るが、正直あの二人は別格な可能性が高い。
(まさか、天使と悪魔……?実在したんだ)
純白の羽根を携えた──天使と称される黒髪の女は、見るからに神の使徒だと言わんばかりの格好をしている。その天使が蜜柑に近づき、顔色一つ変えずに質問をする。
「宵紫殿、彼女らは何者ですか?」
「さぁ〜?あたしにも分かりませんわぁ。恐らくですけど、【蝗害】かホロウ・ブランシュの関係じゃありません?敬虔なる罪の使徒たるイスラ様は何かご存知ではありませんかぁ?」
敬虔なる罪の使徒という随分と大層な二つ名を冠している天使は、ふむと顎に手を添え、考える素振りを見せる。
その姿を見ている盗賊職、竜徒、蜜柑はおぉ……と感嘆の声を上げるが、依音達には何が「おぉ……」なのか、さっぱり理解出来ずに彼らの寸劇を前に、警戒度を引き上げる。
「私には判りかねます。アズラ、貴方には分かりますか?」
「あ?知るかよ、どうせ敵襲だろ?だったら殺せば良いだろうが」
大鎌を携えた見るからに堕天使の使徒に見える白髪の悪魔──アズラと呼ばれた女は、気怠そうにこちらを指差している。
手の甲を挑発する仕草も見せているが、依音達は動かずに相手の動きを見守っていると、アズラはケッと唾を吐き捨てる。
「んだよ、こねーのかよ。肝っ玉がちっせぇ変質者だなぁ。おい、蜜柑。さっさと殺っちまおうぜ?相手は変態二匹だ、瞬殺できるぜ」
「ん〜。まぁそれもそうですわね。「七つの罪源」の「歪曲」様の為に、彼の者らの首を捧げることを誓いましょう〜」
随分と余裕綽々で、蜜柑は両手を合わせ、神に誓うかのように、パンドラに祈りを捧げている。
依音がチラリと、虚華の方を見ると随分と不思議そうな顔をしている。何だこいつら、何言ってんだろ?と言いたげなその顔を見るに、本当に彼女らのことを知らないのだろう。
罪の使徒と呼ばれている天使達が、パンドラに虚華の首なんて捧げたら最期、末代まで嬲り殺しにされるだろうな、と依音が小さく身震いしていると、イスラが微笑する。
「見て下さい、宵紫殿。彼女らは神の怒りを受けることを悟り、恐れ慄いているではありませんか。ならば、早く楽にしてあげるべきではありませんか?」
「分かりましたわ、イスラ様。大分傷も癒えたし、死んで貰うわぁっ!!!」
抜刀した刺突剣を自身の拳に巻き付けた蜜柑は口角を歪に歪ませる。
竜徒が蜜柑に追従し、虚華の元へと駆け寄っている中、依音は口元に指を添えて微笑む。
「微睡み、二度と醒めぬ夢へと、私の灰で堕としてあげる」
虚華の後ろで、虚華がいつもしている仕草を維持したまま、依音は魔術を詠唱する。
状況を察した虚華が、依音の周囲に結界魔術を展開しながら近接職二人の攻撃を捌きながら、逃げ回っていると、屋内にも関わらず、灰色の雪が降り始めた。
虚華がしんしんと降り積もる雪に触れてみると、これが雪ではないことが直ぐに分かった。
これは随分と魔力濃度の高い魔力で出来た擬似的な雪だ。
しかし、どうして屋内で魔力で出来た雪などを降らせたのだろうか?疑問に思っていた虚華が、次に聞いた言葉は、宵紫蜜柑とクロウ、盗賊職ら三人の悲鳴だった。
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依音の発生させた雪に触れた彼らの様子が急変したのは、本当に雪に触れた直後だった。
執拗に怯え、吐き気を催したのか、盗賊職の男は嘔吐を繰り返す。
顔面蒼白になりながらも、拳をこちらに構えている蜜柑は、低体温症患者のように全身が震えている。瞳孔は開きっぱなし、冷や汗が身体中から吹き出しているせいか、前髪が汗で額に引っ付いてしまっている。
クロウに至っては、竜化した部分が完全に解除されており、とても戦える状態ではないようだ。
(これは……もしかして呪い?天使と悪魔には効いてないけど、三人には効いてる)
虚華は彼らの症状に見覚えがあった。
これらはパンドラ達「七つの罪源」らと何の耐性もない者が相まみえた時に出る拒絶反応だ。
人外であるとされている虚華や、依音には効果はないが、臨や楓達には、顔を見た瞬間には戦闘どころじゃないレベルで心身の機能を麻痺させていた。
(じゃあやっぱり……これは……)
パンドラ達が居なければ起きることのない呪い「災禍」が、目の前で起きている。
勿論、この場には虚華達しか居ないのにだ。……もしかしてだが、この雪が?
手の平に降る雪を眺めても、虚華達には何の効能もない。
同じく何の効果も受けていない天使が、依音めがけて弓を構える。
「随分と稀有な魔術を使うのですね、貴方は。おかげでこちらの戦線は崩壊しました」
「けどまぁ、オレらがコイツらの代わりにお前ら殺してもいいけど、意味ねーもんな」
思った以上に彼女らは虚華達に敵意がないようだ。仲間ではないのだろうか?
疑問に思った依音は天使であるイスラに剣先を向けたまま、尋ねる。
「仲間が苦しんでいるのに、貴方達は助けようと思わないの?」
「……仲間?彼女らがですか?」
「はっ、笑わせるなよ。オレらはただ偶像の使徒を演じただけだ」
偶像の使徒……その言葉を察するに彼女らは「七つの罪源」がどんな物かを知らずに名前を騙った。
別に虚華は天使達に怒りを覚えてはいない。だが、彼女らの行いを許せる気はしなかった。
聖骸布越しに睨む虚華に対し、イスラは肩を竦め、呆れた表情を見せる。
「そんなに睨む理由が理解出来ませんね。宵紫殿らは貴殿らの敵では?彼女らが無力化されたのであれば、我々が争う理由など無いではありませんか」
「たった今、出来たんだ。理由が」
イスラは涼しい顔で虚華に相対する。
イスラのまるで怒りを覚えている貴方が間違っているのだと言わんばかりの態度に、虚華は余計に心火を燃やしながら、愛銃である黒き銃「欺瞞」に弾丸を込められているのを再確認する。
「なら、お聞かせ願えますか?貴方の怒りの要因を」
「身を持って知ればいいよ。貴方に語ることの出来る言葉なんて、私にはないから」
そう言った虚華は、イスラ目掛けて「欺瞞」に込められた弾丸を放った。




