【X】#10 もう間もなく、狂華が花開く
虚華は依音と共に黒い扉を潜り、目的地へと足を運んでいる最中に、少し前の出来事を思い返していた。
パンドラに一度、質問をしたことがあった。どうして依音を「七つの罪源」に迎えたのか?と。
パンドラという存在はこの世の咎、そのものであり、この世に存在してはならない禁術を使用できる魔術師の一人だ。
性格や人格というものは、環境によって左右されやすい。彼女の年齢は分からないが、きっとそれなりに長い間、投獄されていた彼女の性格が多少なり歪んでしまっていてもおかしくはない。
そんな彼女が齢十三の少女を迎え入れたことに虚華は疑問を覚えていた。
パンドラに茶会の呼び出しを受けた虚華は、フィナンシェを頬張っていた彼女に、「どうして依音を迎え入れたのですか?」と訊ねると、パンドラは半目になりながら食べかけのフィナンシェを一口で飲み込んだ。
「もしかして、妾が友の仲間を受け入れない程、狭量だと思うてか?」
「そ、そんな事は思ってませんけど……ただ純粋に気になったんです」
「確かに、ぱっと見はただの童じゃ。年端も行かぬ童を、道を踏み外した妾が預かるのも、また異な事のように見られるのも已む無し。確かにホロウの願いで受け入れたのもあるが、本質はそこではないんじゃぞ?」
「では他に何かあるのでしょうか?」
虚華は依音の凄い所を沢山知っている。だが、それはあくまで虚華の主観であり、パンドラの考えではない。それを今言ってしまうのはフェアではないのだ。
だが、傍から見た彼女はとても戦闘面で役に立つとは思えない。近接戦闘は不得手であり、魔術側に努力のリソースを割いてはいるが、雪奈程の多彩さはなく、虚華程の属性の尖りはない。
基礎属性も中級程度までは習得しているが、呪、闇、無といった特殊属性は使えない物も多い。
その中で唯一得意としているのが、防御結界を展開する魔術だが、それも雪奈に勝っているのかと言われれば、そうでもない。
だからなのか、依音はディストピア時代に寝る間も惜しんで魔導書を夜中に読み漁っていたのだが、終ぞその才が実ることなく人生を一度、終えてしまった。
生き返ってからも、虚華と行動を共にしない場合は殆どの時間を「歪曲」の館で過ごしているらしいが、実際の所、何をしているのかまでは虚華も把握していなかったのだ。
虚華の問に、パンドラは露骨に顔をしかめて、呆れた表情で虚華の分のフィナンシェを自分のお皿の上に移す。
「ホロウは、イズが妾にとって有益だから、滞在を許されていると思うか?」
「違うのでしょうか?」
「イズが妾に出来ることなど、無いと言っても過言では無いわ。じゃが、彼女はひたむきに努力していた。此処最近は特に顕著じゃの。イズがお主と一緒に居らぬ間に何をしているのか知っておるか?」
「……魔術の鍛錬でしょうか?服装が時々、動きやすい格好になっている時があるので」
虚華が「歪曲」の館に戻った際に大抵の場合、依音が何処かのタイミングで会いに来る。
パンドラに呼び出されたりした後に、彼女を見かけたり、会った際は長い髪の毛を一纏めにしてトレーニングウェアを着ていたりしている辺り、体作りをしているものだと思っていた。
「それもあるが、此処最近は魔導書を読み漁り、文献を探し回り、この世界の歴史を調べておる。特に蒼の区域にお主と「カサンドラ」が踏み入った頃からは蒼と赫の二つの区域の事を念入りに調べてる。きっとお主の為じゃろうな」
「そうだったんですか……。なら、私は依音と一緒に行動した方が良いのでしょうか?」
虚華の言葉に、パンドラは首を横に振る。
虚華は蒼の区域の事はおろか、白の区域の事すら殆ど知らない。
例えばだが、前まで滞在していた白の区域は、非人──人間以外の種族を強く排斥している環境下であったが、その理由は白の区域長の娘である結白虚華が強烈な人間至上主義を拗らせていたのが理由だった。
フィーアの虚華が何故、人間以外を排斥するに至ったのか。共に「喪失」として活動していた時期もあったが、ついぞ知ることは出来なかった。
「時が来ればきっと、イズはお主の力になる。その時はイズ本人が同行を願うじゃろう。それまでは力を付ける時間が必要じゃ。まだ暫くは掛かるじゃろうが、イズが満足するまでは待つが良い」
「分かりました。今は琴理……葵琴理の件に専念するべく、ブラゥに戻ります」
「うむ。葵家のご令嬢はこの世界の均衡を崩しかねない。それにホロウの願いに彼女は必須じゃからな。彼女の生死は問わない。どちらにせよ、一度は死んで貰わねばならないからの」
「そうですね……。それでは失礼します」
丁寧なお辞儀をした後、退室するべく扉に手を掛けると、パンドラに呼び止められる。
虚華が振り向くと、パンドラはコホンと小さく一つ咳き込み、顔を赤らめる。
風邪を引いているのだろうか?ならば無理をさせてしまっただろうか、と虚華は申し訳無さが心の中に積もっていく。
「どうかしました?……まだ何か?」
「ちなみにじゃがな、妾も蒼の区域についてはそれなりに詳しいぞ?」
「……そうなんですか?」
「うむ、お主が望むならば、妾が同行するのも吝かではない」
虚華が不思議そうな顔でパンドラを見ていると、パンドラは更に顔を赤くする。
虚華自身は人の身を捨ててから、風邪や体調不良といった物には無縁だったのだが、パンドラは違うのだろうか?もし具合が悪いのであれば、自分がこの場に長く滞在しているのも、パンドラの身体的にも良くない。
早くこの場から立ち去ろう。体調が悪い時は一人でゆっくり休む方が絶対に良い。
虚華はなるべくパンドラに気負わせないように、清々しい笑顔を顔に浮かべる。
「いえ、大丈夫です。パンドラさんはゆっくり休んで下さい。それでは失礼します」
「え、あ、ちょっと」
虚華が扉を閉じてから暫く経った後、言葉にならない叫び声が聞こえてきたと、徹夜明けの禍津から話を聞いたのはまた別の話である。
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扉を潜った虚華は、辺りをキョロキョロと見渡す。
まるで白雪の森に戻ってきたのかと錯覚するぐらい鬱蒼な森が続いている。あの森では漂っていた金木犀の薫りこそしないが、地面を踏み締めた感触や、頬を撫でる風の冷たさは殆ど同じだった。
依音の話を聞いている限りだと、この付近に【蝗害】の元アジトがあるということだが、とてもあるようには思えない。
「ねぇ、依音。本当にこの近くにあるの?」
「えぇ。探知魔術にも人間の反応があるわ。恐らくは隠匿魔術を使っているのね」
隠匿魔術──情報や大切な物を他人に見つからないように隠したり、腕のいい魔術師であれば、隠した物を知る者の記憶すら消去してしまう高度な物だ。
扱い方によっては準禁術にも匹敵するほどの物だが、どうやら今は禁止されていないらしい。
依音はこの付近に“人間”の反応があると言っているが、虚華が探知魔術を用いても、反応が非常にぼんやりとしている。
精度の差が出ているのか、虚華には詳しい場所までは察知できないが、依音が言うのなら間違いはないのだろう。
彼女らが場所を探るべく、虚華は辺りをウロチョロと歩き回るも、手掛かりの一つも見つからない。
ぐるぐると付近を歩き回っている虚華が目障りだったのか、こめかみに青筋を浮かべた依音が苛立ちを隠さずに虚華に詰め寄る。
「もう少し落ち着いてくれるかしら。黙って私の探知を待ちなさい」
「……すみません」
叱られた虚華は、手持ち無沙汰だったため、依音の使用している魔術をまじまじと眺めることにした。
今まではあまり人の魔術を凝視することがなかったのだが、凝視することで初めて分かることも中々どうして、少なくはなかった。
依音は短時間の中で随分と高スパンで魔術を発動しているが、精度を物凄い上げている代わりに範囲を極小範囲に絞っている。
虚華は探知魔術こそ使用することが出来るが、範囲を指定したり、精度を極限まで高めたりする魔力制御能力が著しく低い。お陰で火球を形成して飛ばすだけでも相当苦労したのだ。
なので、周囲の反応をぼんやりと探知することは出来るが、建物内の何処にどんな存在がどれだけ居るか、などの詳しい情報を虚華単体で得ることが出来ない。
魔力量と、持ち前の才能だけで呪、闇属性に特化している虚華と違い、依音の魔術は一つ一つの理解度が非常に深い。
一箇所一箇所をくまなく探知している依音が、アジトへの侵入方法を発見するのも時間の問題だ。
「あった、此処ね。随分と小細工が上手い魔術師を侍らせているのかしら」
「これが……扉?」
「扉というよりかはポータル?転移装置っていった感じかしら。仕組みは「歪曲」の館と相違無いわ」
「そ、そっか。ちなみにそのアジトに人は何人居るの?」
「歪曲」の館の仕組みを一切理解していなかった虚華は、話を逸らす為に早口気味に訊ねると、依音は目を細めながら、不機嫌そうな顔をする。
再度、探知魔術を詠唱し、アジト内を確認した依音は視界共有の魔術を展開し、虚華の瞳に複写する。
虚華が視界を凝らして見てみると、致命傷を負っていたはずの蜜柑が、何とか歩けるまでには回復してしまっているようだった。
「ん〜、五人って所か。紫髪の女の人が、宵紫蜜柑で竜徒のクロウ、後の三人は知らない人だ」
「此処の構造を鑑みるにトライブ構成は……盗賊職、魔力系魔術師、医療系魔術師といった感じかしらね、竜徒は竜化して戦う近接職、宵紫は拳と刺突剣で戦う恐らく武闘僧だと思うわ」
対してこちらは二人。前回の「喪失」との戦いもそうだったが、毎度毎度二人でトライブ単位で戦闘を行うのは正直、リスキーが過ぎるのだ。
職業で言えば、依音は魔力系と医療系の両方を修めた魔術師、虚華は狙撃手。
どちらも後衛、もしくは中衛職と呼ばれている職種である。
基本的にトライブというのは前衛、中衛、後衛のバランスが取れていることが望ましいにも関わらず、二人で行動している際は非常にバランスが悪い。
だから前衛の味方と言うことで玄緋兄弟や透と行動することが最近は多かったのだが、彼らは現状動くことが出来ない。
「カサンドラ」は満腹だから動けない。パンドラや禍津を呼んでしまえば、もし狩り残しや生き残りが存在した場合などの懸念点がいくつも存在する。
(だから結論として二人で動かざるを得ないんだよね。元々一人で行くつもりだったけど)
一人なら何とでもなる。いざとなれば切り札を切れば良い。死ななければ実質勝ちなのだ。
「喪失」戦をしてから、また暫くの間時間が経っているが、依音は何処まで戦えるのだろうか?
一抹の不安を胸に懐きながら、虚華はおずおずとした口調で依音に進言する。
「えと、相手五人みたいだけど、一回撤退する?」
「どうして?相手は手負いが二人に、雑魚三匹よ?」
きっぱりとした物言いをする依音に気圧されながら、虚華は言葉を続ける。
「雑魚て……。前回みたいに穴まみれじゃないのよ、今回は」
「えぇ、いくら急造したとはいえ、相手はそれなりに手練でしょうね。でも」
依音はずいっと虚華に近寄る。
お互いの息が顔に掛かる程の至近距離まで顔を寄せられた虚華は、咄嗟に反応できず、固まる。
「元々一人で行こうとしてた貴方に、私を止める筋合いはないわ。貴方が行かないなら私一人でも行くわ」
「……分かったよ!私も行くって……もー!」
まるで、そう言えば虚華がどう動くのかなんて、お見通しよと言わんばかりの物言いに呆れ笑いをしてしまった虚華は、しょうがないなぁと小さく呟く。
「あら?別に嫌なら、私一人でも……」
「嫌じゃないから!もう、どうしてこういう時の依音は押しが強いのかなぁ……」
ブツクサと文句を言いながらも、戦闘の準備をしている虚華を見て、依音は勝ち誇った顔をしようとするも、すぐに冷静な表情へと戻す。
何時でも狙撃できるようにホルスターに収めている「虚偽」と「欺瞞」に弾丸が込められていることを再確認すると、「欺瞞」だけは左手で握ったままにしておく。
虚華の聞こえていない所で、依音は小さく独り言を言いながら、ディストピアから一緒に来た愛剣の鞘を撫でる。
「そうしないと、何処かに行っちゃいそうだもの。また私から離れてしまうもの」
「依音?今、何か言った?」
虚華が「欺瞞」を片手に、依音の肩に触れると、びくんと依音の身体が飛び跳ねる。
虚華はこの瞬間察してしまった。触れちゃいけないタイミングで触れちゃったのだと。
物凄い勢いでこちらを向いた依音は涙目になりながら、虚華に懇親の右張り手をお見舞いした。
すんごい痛かった。ほっぺた、暫くは真っ赤だったもん。




