【X】#8 判決まで幾許の猶予もない
「宵紫蜜柑は最終的に「七つの罪源」を掌握しようとしている」
この言葉を聞いたパンドラは驚くこともなく、ただ何度も同じ言葉を反芻させる。
彼女が何者かは知らない。けれど、大罪人とされている自分達を掌握しようと試みている人物がまともな訳がない。
基本的に「七つの罪源」が自ら他者に攻撃することはない。レルラリアでの惨殺も、パンドラの名を騙る不届き者とその信奉者を始末したに過ぎない。
(じゃが、もっと情報が必要じゃな。何故我々に接近したいのか、検討もつかん)
ホロウであれば、何か知っているだろうか。彼女は【蝗害】の面々とも面識があると聞いている。
しかし、今の彼女は傷心状態。この場に呼び出したり、尋問のように聞き出すのは酷だろうか?
それなりに短くない時間でパンドラはどうするか考えたが、最終的には禍津の方を見る。
「なんだ、パンドラ」
「宵紫蜜柑について、今引き出せる情報を教えてくれ」
パンドラの言葉に、禍津は目を細める。些か不機嫌になったのを主に対して隠しもしない。
ある程度の意図は理解しているが故の、反応であることは両者理解している。
「「万物記録」を使えと?」
「無論じゃ。今更フィールドワークで情報を探す猶予など無いじゃろ」
禍津は低い唸り声を出した後に、慣れた様子で詠唱を始める。あまりに長い詠唱を終えると、禍津の周りには質量を持たない本がふわりと浮かび始める。
彼は今、この世界に生きていた生物全ての記憶と記録を閲覧することが出来る状態になっている。
文献に残されていなくとも、たった一匹の記憶にでも残されていれば、そこから情報を引き出すことの出来る禁術の一つだ。
意識を世界の記憶に集中させている禍津はパンドラに問う。
「調べたい項目は?」
「手始めに宵紫蜜柑は何者なのかを」
「難しい質問だな、随分と曖昧だ。……そうだな」
禍津は検索を絞らんと試行錯誤しながら、条件を絞り込む。絞れば絞るほど、周囲に漂うほんの数は減っていく。最終的に周囲に漂う本が無くなれば、禍津が臨んでいる一冊が手に入るという算段だ。
禍津は周囲に本が無くなったのを確認すると、自身の足元に手を突っ込み、一冊の本を掬い上げる。
本の題名は、「宵紫蜜柑の回顧録」文字通りの回顧録なのだろう。筆者は蜜柑本人だ。
禍津は見つけた書物を実体化させる魔術を発動させ、パンドラへと投げ渡す。
「読んでみろ、それがそいつの人生の歩みのようだ。俺は興味がない」
「そうじゃな、妾が出してくれと頼んだ物。妾が責任持って読もう。アラディア、アティス。此度の会議は一度閉幕じゃ、また後程声は掛けるかも知れぬが、暫しの間休んでくれ」
パンドラの言葉を聞いた二人は静かに頷き、大広間から退室する。
二人が退室していく中、禍津は自分は?とパンドラに訴えかける。パンドラは本に集中しながらも首をただ横に振る。
禍津は自由な時間を諦め、仕方なくパンドラの近くで持参してきた書物を読むことにした。
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「さて、一人になれたことだし、情報を自分なりに整理しなきゃ」
虚華は、自室に引きこもることに成功し、落ち着いて思考の海に溺れられることに安堵している。
議題は勿論、「緋色の烏」と【蝗害】との関係性とこれからどうするか。
透や、クロウ達の話を聞いていればある程度は察しが付くが、残りは推測と仮説で補っていくしか無い。
「まず、宵紫蜜柑が何故透達を殺そうとしていたのかだけど……」
これは簡単だ。追い出された恨みを晴らすべく、再び【蝗害】を罪源信奉団体へと戻すべく動いていた。
疚罪と綿罪は大分手こずっていたけど、透にはやはり勝てない辺り、透が居ないタイミングを見計らって徐々に戦力を削ぎ落としているといったやり口を続けていたようだった。汚いやり方だ。
今の【蝗害】が元に戻ったとして、それが一体彼女に対してどうメリットになるかに関してだが。
「「緋色の烏」だと制限があるとか、になるのかなぁ?好き放題したいとか?もしくはただの顕示欲?でも話している言葉を鑑みれば、随分と「歪曲」様に傾倒してたよね……」
やはり「歪曲」様のために好き放題したいから「緋色の烏」から脱退して【蝗害】に戻りたかったと考えるのが一番納得がいく答えな気がする。
もしくは今の【蝗害】のやり方が気に食わないからという理由か?「緋色の烏」が中央管理局とズブズブという感じは今の所見られない。
しかし、「緋色の烏」は確か赫の崩壊を引き起こした中央管理局からの解放過激派派閥だった筈だ。
ならば、今の【蝗害】のやり方は「緋色の烏」からしてみれば、賛同こそされるものの、潰される道理がない。
「以上を鑑みると、「緋色の烏」との関係性が一切ない宵紫蜜柑の独断専行っていうのが結論になるのかな……?……なら傷が回復し次第、また【蝗害】にちょっかい掛けてそう……」
手元にあったノートに無作為に書き込んでいたせいで、虚華が気づいた頃にはノートの中身は読めない程に書き込まれてしまっていた。
彼女が生きている限り、今の【蝗害】に安寧は齎されないだろう。それは感情の喪失が引き起こされているという蒼の区域の調査も捗らないことと繋がる。
【蝗害】の面々──疚罪と綿罪には困っている時に一緒に行動して貰いたい時は少なくはないのだ。
そんな中で、また蜜柑がキそうだから動けないというのは正直困る。
「やっぱりこのタイミングで彼女は殺しておかないといけないのかな。琴理の処刑の話が進んでいない今のうちに」
虚華にもやらねばならないことが沢山ある。
魔術の鍛錬だってしたいし、もっと強くなるために覚えたいことだって一杯ある。
その他にも蒼の区域で何が起きているのかの調査や、フィーアの琴理の肉体の確保もしなきゃならない。
蘇生の算段が得られたら、今度は生き返った琴理が安心して暮らせるように、処刑寸前の状況もなんとか解決しておきたい。
これらの問題を解決するための今の協力者が【蝗害】なのだ。彼らの協力の阻害をスるのであれば、排除する以外の選択肢は虚華にはない。
幸い、彼女が死んで悲しむ人間は多くない。精々同じ罪源信奉者の方々ぐらいだろう。
ならば悉く鏖にしてしまって、いっその事「カサンドラ」の食事にでも使ってしまえば無駄がなくて良い。
決まってしまえば、善は急げだ。恐らく透達は今も虚華が取っている宿に居ると思われる。
念の為、書き置きだけ残しておいて、急いで此処を出よう。きっと何も書かずに此処を出れば、パンドラが自分を心配するだろう。嫌、しておいて欲しい。
一筆認めた虚華は指輪に魔術を注ぎ込んで黒い靄を上げながら重厚な扉を顕現させる。
「悪いけど、私にはあまり時間の猶予がない。邪魔をする人は容赦しない」
時間の猶予がないと言う割には、パンドラの為にメモ書きを残していく変わった子である。
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「ふむ、こんなものか」
パンドラは「宵紫蜜柑の回顧録」を読破すると本をテーブルに置き、凝りきった体を伸ばす。
柄にもなく、気持ちよかったのか「ん〜」と声を出すと、隣からコホンと咳き込む声が聞こえる。
パンドラが半目でそちらを見ると、三冊ほど読破済みであろう本が積み上げられている禍津が未だに本を読んでいた。
本を捲る速度を落とすことなく、禍津は口を開く。
「随分可愛らしい声だな。随分と熱心に読んでいたようだったが」
「う、うるさいっ。本を読むのは慣れてないのじゃ。そういう禍津は読む量が凄いの」
顔を赤くしているパンドラとは対象に、禍津は涼しい顔で分厚い本の頁をペラペラと捲る。
パンドラが読んでいたものが精々300頁だとすれば、禍津は1500頁程の量を読破している。数字にすれば五倍だ。本当に頭に入っているのだろうか、と疑わしく思うが、何も言わずにパンドラは満足気に本の表紙を指でなぞる
「それで?何か収穫はあったか?」
「あぁ、彼女が何故「七つの罪源」を信奉したがるのかは分かった。実にしょうもない事だ。幼少期に蒼の区域の……なんたら教会……?だったか?そこの神父に手酷い仕打ちを受けた。だから中央管理局が管轄している宗教なんて破壊してやるという感情が燻っている中で、我々という強烈なアンチテーゼが産まれてしまった。それに心酔している愚か者、という訳じゃな」
禍津はパンドラの言葉に特に興味も示さずに、読み切った本を乱雑にテーブルの上に置く。
「それで?彼女が我々を掌握したいと考えてる節はあったか?」
「あぁ、それな。謂わばあれじゃ。何て言えば良いのかのぉ」
古臭い言葉を未だに使うような女性が、なんて表現すれば良いのかで悩んでいる。
その顔が面白くて、禍津は顔には出さずとも、少しだけ期待しながらパンドラの言葉を待つ。
「あ、あれじゃ!不相応な力を人から貰って無双したがる糞餓鬼みたいな感じじゃな!」
「……ブフッ……、辛辣だな……」
禍津が笑いを堪えきれずに吹き出していると、パンドラは急いで大広間を出てホロウの部屋へと向かっていった。
その後、パンドラが大声で「ホロウがおらぬー!!!」と大声で叫び散らしていたのを罪源達全員が聞いていたという。




