【X】#1 雨が降らずとも、此処は青い
虚華が【蝗害】の玄緋兄弟に蒼の区域に滞在することを提案されてから、早一ヶ月。
あの日から、虚華は他の「七つの罪源」メンバーと別れ、蒼の区域に滞在している。
勿論、基本的にやっていることは白の頃と何ら変わりはない。ギルドに足を運び、気になる依頼があれば、受け、解決すれば報酬を受け取る。
そう考えてみると、探索者というものは、どの色でも同じなのだろうか?
昼間は基本的に街を散策したり、依頼を受けたりし、夜になって時間が余れば魔術の鍛錬をしたり、狙撃の訓練をすることもあるが、大抵の夜時間は虚華の元へ来客が来るのだ。
一仕事終え、風呂から上がろうと脱衣所へと足を運ぶと、何やら自室に人の気配がする。
今日、誰かが来るとは虚華は聞いていない。つまり自室に居る者は「女の子がお風呂に入ってる間に、女の子の部屋へとアポ無しで侵入した愚か者」という事になる。
自室に居る際にノックをして入ってくる知り合いはそこそこいるが、まさか入浴中の侵入は初めてだった虚華は、服を着ると最低限の武装を整える。
ある程度の装備は全部自室に置いているが、ショートダガーと愛銃である虚偽と欺瞞はいつも持ち歩いているお陰で丸腰にはならずに済んだ。
(ディストピアに居た頃なら、部屋ごと爆破してた所だけど……)
当たり前のように虚華の部屋に訪れる来客に複雑な感情を馳せながら、銃を構えながら脱衣所の扉を開ける。
緊張感を抱きながらも、知り合いであることを祈りながら開いた扉の先に居たのは──。
「やぁ、愛しい君。元気していたかい?」
「帰って、というか服着て。通報するよ?えーと、蒼の区域駐在の中央管理局に」
「それは困る、僕は話をしに来たんだ。君に話したいことがあってね」
【蝗害】のリーダー、夜桜透が全裸でこちらに見せてはいけないものを見せつけていた。
どうしよう。今まで襲撃とかは何度か経験があった。それこそ、ディストピアでは日常茶飯事。
しかし、此処はフィーア。寝込みを襲われることもなく、ましてやイチモツをこうしてマジマジと見せつけてくる奴なんて今まで一人も居なかった。
命の危険を感じた事など、山程あったが、今は別の意味で危険を感じている。今すぐ逃げ出したい。
強張る表情筋もそのままに、虚華は妙なポーズを取り、アピールしてくる透に向き合う。
「分かった、話を聞くから、取り敢えず服を着てくれない?見てて恥ずかしいの」
「「ドア・イン・ザ・フェイス」を匠に使う君に免じて服を着よう、愛しい君」
「意図して使ったわけじゃない……埒が明かない頑固者に譲歩しただけ、で?話って?」
指をパチンと鳴らすな否や、いつの間にか透は服を着ていた。
まるで最初から着ていたかのように、おかしいのは自分だと言わんばかりのその仕草に、虚華は眉を顰める。
虚華がベッドに座り、透が部屋に置かれていた椅子に腰掛けると透は口を開く。
「ブラゥに着てそろそろ一ヶ月だ。君もこの区域に慣れてきた頃合いだと思ってね」
「まぁ、お陰様で。蒼と白の違いは大体分かったよ」
透は虚華の言葉を聞いて、透の唇は弧を描くように歪める。何だか嫌な予感がする。
彼と初めて会った時も、頭の中で警告が喧しく鳴り響いていたが、今も鳴り始めている。
「じゃあ聞こうか、蒼と白、どう違うのかを」
「何もかも違うでしょ、質問の意図が組めない。それに私はてっきり琴理の話だと思ってたのに」
虚華が半目で睨むと、透は両手を肩の上に上げ、お手上げだと言わんばかりな仕草を見せる。
相変わらず、飄々としていて掴み所がない。瞳は黒い絵の具で塗りつぶしたような色をしており、何を見ているのかすら、今ひとつ判然としない。
そんな彼を見ていると、虚華はかつて眼の前で死んだ透と眼の前の彼を重ねてしまう。
自分があの時、彼を助けた所で、現状は何一つ変わらないのに。
「僕は率直な感想が聞きたくてね。白しか知らない君は蒼をどう見たのか、【蝗害】の僕からじゃ見えない物を見てくれてたら嬉しいと思ってね」
「じゃ、簡潔に。人間──人種は随分と非人以外──えっとなんて言えば良いのかな……」
「人型で人間以外なら亜人、人と言葉を交せないのなら魔物。その認識でいいと思うよ、愛しい君」
「そ、分かった。えーと、蒼の区域の人間は白に比べて、随分と中央管理局の人間が多い。警邏の人間なんて白じゃ見なかったのに、やっぱり亜人が街に蔓延ってるから?」
そう、虚華が蒼の区域で過ごしていて一番驚いたのは、今まで非人と皆が蔑んでいた機械の身体で出来ているマシナリーや、淫魔とよく呼ばれているサキュバスやインキュバス、その他にも様々な種族がブラゥには暮らしていた事だった。
他の区域では非人と人間が共存していると、頭では知っていたが、いざ目の辺りにするとどうしても虚華は目を白黒させてしまったのだ。
一年半近く居た白の区域──ジアでは非人は存在してはならないものとされ、一度足を踏み入れようものなら、凄まじい勢いで排斥しようとしてくるのだ。
しかもその首謀者が区域長とその娘なお陰で止めることも難しい。人間からすれば実害もないので、わざわざ止める理由もない。
虚華が非人と人間の共存についての話をすると、ほう、と透は小さく感嘆の言葉を漏らし、組んでいた足を反対側にすると嬉しそうな顔をする。
虚華はこの世界において、人間判定されておらず、透も自身の心臓にヰデルヴァイスを突き刺したことで既に人間を捨てている。
透がニコニコしているのを虚華は首を傾げながら眺め、目を細めて透の言葉を待つ。
「どうだろうね、人間だから気性が大人しい。亜人だから気性が荒いってわけじゃない。要は個体差があるって訳だ。でも、気性が荒い種族が居るのは否定出来ない。例えばバトルオーガとかかな?現に彼等のような争い事を好む種族も居るが、大抵は探索者や、傭兵、衛兵、用心棒などと言った誰かを守ったり、治安を維持するような職に着くことが多い。適材適所ってことだよ」
「バトルオーガ……戦鬼人種っていうんだっけ?何度か依頼で討伐したことがある……」
虚華が少し物寂しげな声色でそう言うと、透は小さく鼻で笑う。
「彼等は人の言葉を会得出来ない個体が殆だから、白の区域ならしょうがないよ。ただ、同族殺しを主張しなければいいだけの話だ。彼等もそこら辺は弁えている。違うところはそこだけかい?」
「……そうだね、気になったのはその二点位かな。他に何かあった?」
虚華は透の様子を窺うような素振りを見せるが、透は何も気にしていないのか、ただずっとこちらを見つめている。
その視線に耐えかねた虚華が視線を逸らすと、透は少しだけシュンとするが、気を取り直して口を開く。
「白の表は区域長、白の裏は「終わらない英雄譚」じゃあ蒼の表と裏は?」
「なにそれ、言葉遊びみたいに言うじゃん。要は実権を握ってるのが誰かってことよね」
白の区域では区域長とその娘の虚華が表面上では治安を維持しており、非人を排斥するような制度を作成したり、探索者の登録などに種族名を記載させたりしていた。
その裏でかつて「終わらない英雄譚」と呼ばれていたレギオンが、不法入国の斡旋や個人情報の改竄、リーダーの背反の圧倒的カリスマ力、その他様々な要因で裏世界の頂点に君臨していた。
そう考えてみると、虚華はてっきり【蝗害】が「終わらない英雄譚」と同じような扱いや境遇だと思っていたが、この一ヶ月で【蝗害】が蒼の区域の人間に悪影響を及ぼしているという話は聞かない。
それ処か、虚華がパーティ推奨の依頼を受ける際に「七つの罪源」の面々が忙しい際は、玄緋兄弟にお手伝いを頼むことがあったのだが、その時のブラゥの住人は皆が皆、玄緋兄弟と親しげに話していた。
彼等がブラゥの住人と親しげに話している所を、虚華が目を丸くして見ていると二人に物凄い揶揄われた事もあり、とても印象に残っている。
「うーん、てっきり裏って【蝗害】がそうだと思ってたんだけど、違うみたいだし、他の大きな組織の話ってあんまり聞かないんだよね。前に玄緋兄の方に昔の【蝗害】は「終わらない英雄譚」と近いことをしてたって聞いたけど、いまはしてないんでしょ?」
「あぁ。していない。僕がトップに立ってからは不用意な殺しは禁止してるからね」
虚華の肩は目に見えて強く震えている。この感情が間違っていることは重々承知している。
自分の無力さを他人に押し付けたいのだ。自分の怒りを正当化したいのだ。
ジアを焼き討ちにあったあの時、虚華はジアに居なかった。そのせいで雪奈は致命傷を負い、結果として“死なせて”しまった。
もし仮に、あの時既に透がトップになっていたのなら、防げた未来だった。
ただ、そんな物は机上の空論だ。虚華の“嘘”でも改変することの出来ない過ぎ去った過去。
(いけない、また後悔してた。もう自分の選択を後悔したくなんてないのに)
肩の力をそっと抜き、虚華はそっか、と小さく呟く。
「じゃあ答えは分からないや。強いて言うなら表も裏も中央管理局が管理してるとか?」
「へぇ」
透は心底驚いたような反応を見せる。目を丸くし、まるで知ってたのか?と言わんばかりだ。
「その通り。蒼の区域の何が問題なのか。それを見て欲しかったんだけど」
辞めて欲しい。当てずっぽうで言っただけの言葉をまるで考えた末の言葉のようにしないで。
虚華が心の中で罪悪感を積み重ねていく一方で、透の表情は殊更にこやかに告げる。
「もう裏も表も見せる必要もなさそうだ」
「ま、待って」
虚華の制止も虚しく、透の弁舌は止まらない。こういう所はディストピアもフィーアも同じなのかと、虚華はガックリと肩を落とす。
人の話を聞かない所は全く変わっていないことに、虚華は呆れ半分関心半分といった所だ。
「君の言う通り、蒼の区域は表も裏も中央管理局が管理している。蒼の区域長、レクサヴィル・S・ブレーディアも今では中央管理局の傀儡だ。何か弱みを握られてるんだろうけど、全く情けない話だ」
虚華は透の口から出た「レクサヴィル・S・ブレーディア」という名前を脳裏で反芻するも答えが出てこない。
とどのつまり、聞いたことのない名前と言うことだ。不思議な話だ。
白の区域では区域長やその娘である“虚華”の話は何処でも聞いたり知ることが出来た。
それほどありふれていた筈の情報が、何故此処では手に入らないのだろうか?
「知らない名前、そう言えば区域長も、その側近とか?区域長関連の人は殆ど見た記憶がない」
「ふふふ、そうだね。そこに引っ掛かるのは中々の洞察力だ」
透は黒い目を細めて、非常に悪辣な笑みを浮かべる。この笑顔は凶兆の兆しだ。
虚華はなんとなく、この話に透が持っていきたかったんだろうな、と思いながら黙って透の話に曖昧な相槌を打つ。
しかし、その直後に虚華の感情は堰を切ったように激しく動き出す。
「あくまで僕の予測ではあるが、蒼の区域の上層部はその殆どが惨殺されているか、感情を喪失させられている可能性が高い」
「感情の喪失……?」
虚華の短い人生で長い間苦しんできた「感情の喪失」という言葉をフィーアの透から聞かされた。




