【Ⅱ】#6-Fin Opening、失った物を探す物語
虚華はふと母親のことを思い出す。思い出すと言っても、もうそんなに彼女に母親との思い出は残っていない。
虚華の母親は特に何かに秀でていたわけではないが、虚華の“嘘”と虚華の体質について研究を続けていた。
一日の半分を母親として、残り半分は虚華の身体についての研究に費やしていた努力家の母だった。
そんな母親に甘えたくて、研究中の母親の私室によく潜り込んでは怒られていたのを昨日の出来事のように思い出す。
(母さん、私の身体なんてどうでもいいよ。私のことを見て……)
一度、きっちりと母親モードの母親に叱られた時は、何でそんな怒られなくちゃならないんだとも虚華は思ったが、それでも自分のために時間を使ってくれている母親に強く出ることは、年齢的にも状況的にも出来なかった。
だから、それからは研究モード中の母親で居る時じっと母親の事を見ていた。買い与えられていた玩具には目もくれずに、恋心に囚われた乙女のように見ていた。ただ少しだけでも振り向かせられれば良いと思いながら。
そんな虚華の視線に負けたのか、やれやれと言った表情を見せながら母親は虚華を自分の膝に乗せた。
膝の上に乗せた虚華の頭を撫でる。ぎゅうっと優しく抱きしめている母親の顔は研究モード中の険しい顔ではなく母親特有の慈悲に溢れた、それでいてとても暖かいものだった。
虚華はふと母親の顔を見る。肩ほどの長さに切られた灰色混じりの黒髪と少し痩せ気味の顔つきに、とても似合ってるとは言えない理知的な眼鏡の奥には、とても優しい目がこちらを覗いている。
厳しい一面もあったが、それでも賢く、懸命に虚華を育ててくれた自慢の母親だ。
そんな母が頭を撫でてくれている時が、一番幸せだった時間と言っても過言ではなかっただろう。それが嬉しくて、虚華は普段は見せないような笑顔で母親に口ずさむ。
「お母さん、大好きだよ。いつもありがとう」
「もしかして、お母さんだった?」
「そんな訳無いでしょ……ボクは男だぞ」
「でも、虚。お母さんって」
「寝惚けてるんじゃない?そっとしときなよ」
「じゃあ何で頭、撫でてる?ずるい。あたしもしたい」
「うわ、止めろ。なにするんだぁ」
先程までの幸せだった世界から、急に聞き慣れた声が頭上から響く。これはこれで悪い声じゃないなぁと寝惚けた頭でバカみたいなやり取りをしている声を聞く。
(そりゃあ夢だよね、だって母さんは殺されたんだもの)
消えかけていた幸福の世界から、虚華はすっと現実世界へと帰るべく目を開ける。何でかは分からないが、臨が虚華の頭を撫で、それを雪奈が羨んで争いになりそうになっているようだ。やれやれ、と少し溜息を付きながら、明順応で視界が正常に戻るまではぼんやりと二人のやり取りを見ていた。
「あ、虚が起きた。おはよう。大丈夫?」
「“嘘”の過剰使用で倒れられる位なら、先に言って欲しかったんだけどなぁ?」
変装で髪色を変えていた少し前とは違って、本来の髪色である光を飲み込むような漆黒と、燃え盛るような深紅の髪が目の前で揺れているのが、半目にもなっていない虚華の視界に映り込む。
まだ目が完全に開いていない虚華に臨と雪奈が、心配そうにこちらを見ている。臨の声色も態度も此処最近のものとは大きく違っていたことは、少しずつ頭が覚醒しだしてから気づいた。
(なんだか、昔の臨と話してるみたい。懐かしいなぁ。あぁ、じゃあコレはまだ夢なのかな……?)
こんな光景を見るのは何時ぶりだろうか。普段の臨なら「起きたか虚。過剰使用は控えろと言っただろ」と無表情で自分を攻め立ててくるのがお約束というものだったのに、先程はシンプルにこちらの心配をした上に、自身の身体に熱などはないかと、額に手を添えてきた。
「雪奈と……本当に臨?頭でも……打った?」
「起きて早々失礼じゃない!?ボクだって怒るよ!?」
プンスカ!と言わんばかりに顔を赤くして、自分の怒りを表現してくる臨を見て虚華は確信する。
あぁ、やっぱりまだ夢の中なのだと。これは明晰夢っていうやつなのだと。
「もっかい寝る。まだ夢の中みたいだし。悪い夢じゃないけど戻らなきゃ」
ちゃんと現実で起こしてね臨、と意味の分からないことを言われて再度横になり、寝ようとしている虚華に臨は拳骨の中指だけを少し飛び出して握った右手で虚華の頭を強めに殴る。
「痛ぁ!?何!?何で殴ったの?!」
「そりゃあ、夢の中にいると錯覚してる虚を起こすためだけど?」
強めの拳骨のせいで頭にたんこぶ出来たんだけど!?と自分の頭を擦りながら臨に怒りをぶつけてる虚華と、これで此処が現実だと分かったから良いじゃないかと、言葉を吐き捨て、青筋を立てている臨の喧嘩が始まった。
唯一喧嘩に参加していない雪奈は、もう二人を制止しても止まらないだろうし、と自分の鞄に入っていた魔導書を取り出す。喧嘩をBGMにしてもそれなりに本は読めると自負している雪奈の前に、彼らの喧嘩は物語を深める挿入曲程度にしか思っていなかった。
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どれくらいの時間が経ったのかは分からないが、雪奈の読んでいた魔導書が半分を差し掛かろうとしていた時には、二人の争う声は沈静化され、三人の現在居る場所は静寂に包まれていた。
「はぁ……はぁ……止めてよ雪……。起きたら臨がこんなんだったら誰だって夢って思うでしょぉ?」
「誰がこんなんだ、誰がぁ!」
虚華の息絶え絶えの悪態に、臨が青筋を立てて虚華に噛みつかんとしている。
特に顔色も変えずに、雪奈はいつも通りの表情と態度で虚華の頭をぽふぽふとする。虚華は少しだけ頬を綻ばせ、にへらと笑顔を浮かべると、先程までぴきっと音を立てているだけだった臨の青筋はビキビキビキと音を立て、今にも炎が出そうな程赤くなっている。
「多分、透?と会話した時からこう。ほら、目も見て」
「目?」
少し前まで沈黙を貫いていた雪奈から臨の目を見てみてと言われ、虚華はふと臨の目をじぃっと見つめる。そんなにじっと見られたら照れる……と言いながら顔を先ほどとは別の意味で赤らめている臨の表情には目も暮れずに凝視する。
確かによく見なくとも臨の目の色が昨日までとは違っている。かくいう自分の目も確か元々は黒色だったけど、片目だけエメラルドブルーに変わっていたのを思い出す。
臨の瞳は両目とも元々は濁ったような灰色だったが、今は髪色と近しい光を飲み込むような真っ黒になっている。絵の具で塗りつぶされた黒々としている瞳からは感情は汲み取れないが、表情から感じるため気にはならない。
「本当だ。臨の目。黒くなってる」
「ち、近いって!」
まじまじと至近距離で虚華が臨の目を見ていたが、恥ずかしさが限界値に達したのか、臨が離れてくれと照れを超えて真っ赤になっている顔で、虚華を引き剥がす。
「それで、此処は……?あぁ、ログハウスか。鬱蒼な森に建ってた?」
「御明察。寝惚けた頭でも、それなりに思考能力はあるんだね」
虚華はキョロキョロと周りを見渡して、あぁと感嘆し、此処が何処だか当てる。
その思考能力があるなら、近くで見なくても良いじゃんと悪態をついた臨はべーっと舌を出しながら怒ったまま話を続ける。
「虚はさっきの出来事を何処まで覚えてる?」
「私の頭をぽふぽふと撫でててご満悦そうだった臨の顔とか?」
臨は何も言わずに虚華の肩を握り拳で小突いた。臨的にはそんなに強くはしてないのだろうけど、それでもひ弱な虚華にとってはそれなりに痛かった。
「いたーい!これって昔のディストピアで流行ってた「パワハラ」って奴じゃないの?」
「ふざける虚が悪い」
ふんとそっぽを向きながら首だけをこっちに向けてべーと舌を出してる臨を見ながら、器用だなぁ。と思っていた虚華は真面目に臨の問についてふむ、と手を顎に置き、考える。
「意識失う前で最後に覚えてたのは……“嘘”を使った所位までだね」
「まぁ、そこら辺が妥当だろうね。“嘘”付いた後にばったりと倒れちゃってたし」
うん、まぁ予想通りだなと首を縦に振りながら、臨の話は続く。
「あの後、ちゃんと逃げられたボク達はひとまずこのログハウスで一夜を明かしたって訳。幸い林檎や食べられる木の実は複数種類あったから、そこは問題なかったけど」
「ん、林檎美味しい」
何処から取り出してきたのか、雪奈が林檎をさくさくと小さな口で頬張っている。小動物が黙々と林檎を食べている様が大変可愛い。小動物なんて現物は見たことないけど。
「なるほど、それで?」
「魘されていたから、心配そうに臨が見てた。顔は真っ青で」
「わぁやめろやめろぉ!」
林檎を食べていたはずの雪奈に知られたくない部分の話を暴露された臨の顔色が、先程の赤色から真っ青になっていた。
散々雪奈と虚華に弄ばれた臨は真っ青な顔が徐々に青白くなって、仕舞いには死んでしまいそうになっていく気がしたので、虚華は逸しまくった話をしょうがないなぁと言いながら戻した。
「要するに、過剰使用で倒れて一日後に起きた私を看病してくれてたんだね。ありがとう、臨」
にっこりと微笑んでそう臨にお礼を言うと、青かった顔がまた赤くなっていた。本当分かりやすくなったなぁ臨。助かる。
「んんっ。そりゃあ虚が倒れたらどうすることも出来ないからな。それでリーダー。これからどうする?」
「どうするって?」
虚華はそう臨の顔を見て聞き返すと、臨は神妙そうな顔をしてこう続ける。
「此処には、この「異界」には黒咲夢葉。夢葉姉さんも居る。つまりはディストピアで斃したはずの人も、此処では生きている可能性が高くなってくる。更には「異界」の雪奈は殺されているらしい」
雪奈はその言葉にも気にもしない素振りを見せ、齧りかけの林檎を再度しゃりしゃりと齧っている。
「そんな地獄かもしれない場所に、再度足を踏み入れる覚悟はある?」
強い意志を孕んだ瞳で臨は虚華を見つめる。その目には先程のような巫山戯た感情などは一切ない。
このグループの参謀として、主に意見を聞いている。
「当然。どうせ、ディストピアで私達が出来ることなんて何もない。でもあの世界「異界」なら出来ることがあるかも知れない」
どうせ、今のディストピアじゃ詰んでるし、と言葉を付け加え、断言する。
「私は、どんな奴が居ようとも、仲間に会いたい。勿論同姓同名の限りなく本人に近い他人なのは分かってる。それでも……それでも、会えるなら会いたいじゃん」
少しだけ目尻に涙を溜めながら虚華は言葉を続ける。
「だから、私はあの世界にもう一度挑む。どんな場所化はまだ計りきれてないけど、それでもディストピアよりかはマシだから。二人はどうするの?」
臨と雪奈は意外そうな顔をして、お互いの顔を見合わせる。臨に至っては、何言ってんだろう?あの人みたいな猿芝居まで添えて来た。
「行かない訳無いじゃん、虚に付いていくよ」
「右に同じ」
二人も賛同してくれたので、この「異界」で暮らしていくことを決意する。
「そうと決まれば名前を付けなきゃね」
脈略も無く、両手をぽんと叩きそういった虚華を臨は訝しげな目で見る。
「何の名前?」
「「異界」って名前はダサいし、「探索者」になる時にチーム名が居るらしいし、つけようかなって!」
目を輝かせながら、虚華は言っているが、臨はそんな事に力入れなくて良いんだけどなぁと半目になりながら呆れているし、雪奈は特に興味もなさそうに、読書を再開している。
「でー?名前ってもう決めてるの?」
心底名前なんてどうでもいいけど、一度言い出したら虚華はもう止まらないことを知っている臨は、さっさと決めてよと虚華を急かすように問う。
「“Find friends in a another world”」
「え?なんて言った?」
虚華がふと言った言葉に、臨は首を傾げて聞き直してくる。
「“Find friends in a another world”此処じゃない異界から仲間を、友を探す。その頭文字を数個拝借して、「フィーア」うんうん。フィーアにしよう。私達の「異界」の呼び方はフィーアね!」
くるくると回りながら虚華は楽しそうにそう臨に答えた。特に呼び方に拘りのなかった臨だったが、あまりにダサい名前だったら文句の一つでも言ってやろうと思っていた。しかし、案外まともだったので、そのままおっけーを出し、続けて「探索者」のチーム名はどうするのかを問うた。
「うーん、そうだなぁ。私達らしい名前が良いなぁ。うーん……。欠損してる……足りてない……失った……?あ、決めた。「“喪失”」にしよう。これ以上、大切なものを失わないように」
「「“喪失”」良いね。虚らしい名前」
いつの間にか読書を止めていたらしい雪奈が、その名前に賛成、と一言だけ加えて虚華の背中に飛びついてくっついている。
「これ以上、失わないと良いな。何も」
「……うん!」
名前を決めた虚華達は決意を新たに、ログハウスを出る。日は既に頂上に差し掛からんとしていることを見て、時間を大まかに把握する。
「“喪失”」と名付けられた三人のグループはディストピアという最悪の地獄からフィーアというまだマシな地獄へと足を踏み入れることにした。
この幻想みたいな世界で「探索者」となり、鍛錬を積んで、仲間を探し出し、協力してくれるなら手を貸してもらう。そうでなくとも話はしたい。そうして自分達が失ったものを探す旅に出る。
私達が逃げることで最後の一手だけは逃れていた、絶体絶命の投了寸前だった盤面は、指し手(虚華)が消失することで引き分けに陥らせることにした。
此処から覆そう。追い詰められた兎が逃げに逃げた結果、火事場の馬鹿力で獅子を殺めるように。
ログハウスを出る際に、髪色だけでは足りなかったことを反省し、認識阻害の効果を軽微に含んだヴェールを被る。虚華達は、ジアを目指して臨の先導の元、歩みを進めていく。
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第二章は此処までとなります。次回以降、第三章からは新キャラと、遂にフィーアでの虚華も登場します。
お楽しみに待っていて下さい!