【Ⅸ】#20 The side I didn't want to know
昼餉に向かうパンドラ達を尻目に虚華は再び、琴理のアトリエへと足を運ぶ。
少食の虚華は暴食の魔女と一緒に早めの昼餉を食べる余裕など一切なかった。
足早にアトリエへと向かう際には、報告の際に依音が発言した内容を反芻するように何度も脳内で再生させる。
絶対に依音は何かを隠している。元より自分に幻覚魔術を使用してまで話さないといけない内容なんてそうは多くない筈だ。あの報告会ですら何かしらを隠していたのは明確だ。
昨晩の散歩とは比にならない速度でアトリエへと辿り着くと、虚華はアトリエの扉に手を掛ける直前で立ち止まる。
自分が覚えている記憶の最後の部分はアトリエの周辺をうろちょろしていた際に、近くの茂みから出てきた臨達と問答しているシーンだった。
これはこれでよくよく考えるとおかしな話だと今更虚華は気づく。
──自分はふらっと散歩しに来ただけなのに、六人もの面子が森の茂みに隠れていた。
その様を見るに、自分の行動が「喪失」側に筒抜けだったのではないか。
どこからが真実で、どこまでが現実なのか分からない今、考えることすら無駄ではある。
しかし、自身の記憶になく、依音の語り草に無かったのはこのアトリエの内部だ。
「喪失」の面々との戦闘が終わり、彼らが撤退していった後、自分は疲労と眠気が強かったことから、宿に戻ろうと提案こそしたが、依音が賛同するとは思っていなかった。
勿論、依音も大して睡眠時間を取れていなかった筈だし、眠りたかったのだろうと推測は出来るが、それでも腑に落ちない。
あの無駄を嫌う性格である依音が、ただ眠いからという理由でアトリエの扉を叩かないのか?
(何か裏がある?物凄い嫌な予感がする……)
扉を開こうとした虚華は、扉に掛けた手を一度離す。
念には念を入れるということで、虚華は扉から少し離れ、魔導具を取り出す。
取り出したのは探知魔術を繰り返し使用できるスグレモノだ。臨や雪奈は探知魔術を使用できるが、虚華には使用できない為、彼らと行動する機会が減った今、手持ちの魔導具で一番お世話になっている。
虚華は自身の魔力を注ぎ込み、魔導具を発動させる。
自身の脳内にアトリエ内部の情報を反映させ、何か生体反応があるのかを確認する。
目を瞑り、探知魔術の結果を参照するのに集中していると、反応が二つあることに気づいた。
それもそのうちの一つは、扉の反対側。つまりは扉越しに何者かが居るのだ。
(もし気づかずに開けてたら、そのまま殺されていたかもしれない……)
仲にいる人物が知り合いの可能性などは皆無だが、無駄に戦闘はしたくない。
この時期にこの場所に居るという事は、琴理の現状を把握している人間か、琴理の知り合いの可能性が高い。
懐から取り出した黒い銃には惑華の弾丸を装填し、出てきた相手に撃ち込めるようにする。
意を決した虚華は、扉をノックし、扉の向こうへと居る誰かに声を掛ける。
「あの!ドアの向こうに貴方が居るのは分かってます!良ければ話を聞かせて貰えませんか?」
「ククク……あはははっ」
返って来たのは笑い声だった。聞いた感じは女の笑い声。
あまり知人が多いわけでもないのに、何処かで聞き覚えのある声に虚華は首を傾げる。
どうして笑われたのか理解出来なかった虚華は、銃を扉に向けたまま言葉を続ける。
「戦うつもりはありません!ですが、私も知りたいことがあってここに来たんです!」
「あははははっ、止めてや〜。うちを笑い死させる気?あんた才能あんなぁ?」
ケラケラと特有の訛り口調で話しているその声に、虚華はようやくピンときた。
扉の向かいに居るのは、ジアを焼き討ちにした組織【蝗害】の幹部、玄緋綿罪だ。
どうして此処に居るのかは知らないが、虚華は声色に静かに怒りを滲ませる。
「玄緋……どうして此処に居るの?」
「あらら、うちやと分かった途端、凄いご機嫌斜めやなぁ。折角やし、中で話そや」
扉の向こうに居る綿罪に虚華は、銃口を向けたまま、警戒心を最大限引き上げていると、扉が開けられる音がする。
重厚な扉がギギギと音を立てながら、開かれると満面の笑みで虚華を迎え入れんと綿罪が手を振っている。
それは虚華が銃口を向けているにも関わらずだ。この世界では銃が普遍的なものではないにせよ、彼女は銃が凶器たらしめることを知っている筈だ。
一切動じない綿罪にアトリエの中を案内されている虚華は、ずっと彼女に銃口を向けたまま歩く。
「ねぇ……玄緋」
「綿罪でええんよ、あ、君やったら特別にわーちゃんでも」
虚華は言葉の節々に緊張感を走らせているにも関わらず、銃口を向けられている筈の彼女の方が気楽に話している。
何かこのアトリエに仕掛けでもしているのだろうか?暖かい日差しが差し込む昼下がりにも関わらず、虚華は冷や汗をかきながら、綿罪を睨みつける。
「御託は良いから。何でこんな場所にあんたが居るの?」
虚華の言葉の節々からは深い憎悪が滲み出しており、言葉を受けた綿罪はヘラヘラと笑う。
まるで君の怒りなんて気にしていないと言わんばかりの態度に、虚華は眉を顰める。
「あー。ま、一応疚罪も此処居るから三人で話さへん?」
「二人掛かりで私を倒す気……?」
玄緋兄弟が過去にした所業を虚華は忘れてはいない。
焦土と化していたジアで雪奈を足蹴にしていた光景は今でも目に焼き付いている。
どんな理由があったにせよ、それだけは許されることではないのだ。
虚華がどれだけ深い怒りを瞳に宿していても、綿罪は気にすることなく手を横に振る。
「あー、無い無い。ほんまに危害加える気は無いねん。そんな事したら黙ってないやん?今のリーダー」
「今の……?彼はずっと【蝗害】のトップだったんじゃないの?」
虚華はずっと透──夜桜透が【蝗害】のリーダーだと思っていた。
ジアの焼き討ち事件の首謀者が【蝗害】だと知った時に虚華が真っ先に怒りの矛先を向けたのだって、透なのだ。
虚華の言葉に、綿罪は複雑そうな表情で微笑する。
「そこら辺も知らへんのね。詳しいことは後で話すけど、あん時のリーダーは今のリーダーとは違うんよね。やから、今の【蝗害】はホロウちゃんが思ってるよりクリーンなんよ?」
「クリーンって、何が変わったのよ」
綿罪の言葉に、虚華は不快感を隠さずに尋ねる。怒りの炎は別に消えていない。
しかし、一集団の主が代替わりすれば方針が大きく変わることは良くあることだ。
だからこそ、虚華は主が変わった今の【蝗害】についても知らねばならないと感じていた。
(何も知らずに嫌悪し続けるだけの意固地じゃないんだから、私は)
「そやなぁ。昔のうちらはリーダーの鶴の一声で誰彼構わず殺し回ってたんやけど、今は不必要な殺しは御法度なんよ?リーダー本人が厳しい戒律を敷いて、違反者を確実に処刑しとるし」
「何の為に、そんな事を……?」
「さぁ?うちはリーダーちゃうし、そんなん知らんわ。今度会った時に聞いてみたら?蒼に暫く居るんならいつでもうちらと会えるで?」
「遠慮しとく……透と話すと体力が一気に減るから……」
「あははっ、まぁせやろなぁ。リーダーのホロウちゃんに対する愛は怖いもん」
「私はもっと普通な人がいいよ……あと出来れば人間……」
虚華は綿罪に連れながら歩いている中で、周囲を観察する。
綿罪はどうやらこのアトリエ内を熟知しているのか、それなりに複雑な構造をしているのにも関わらず、スタスタと歩いていく。
虚華も過去に一度、琴理のアトリエに訪れているが、その時とそこまで内装に変わりはなかった。
というか、そもそもかなり荒れていたという方が正しいのだが、未だにあちこちに琴理が作った物らしい武具が綺麗に整理整頓されている。
家主が去ってからの方が家が綺麗になっているという何とも稀なケースを目の当たりにしながら、虚華は思案する。
恐らく綿罪が疚罪と合流しようとしている場所は、琴理の私室だ。
虚華の脳内に内蔵されている地図でこの先にあるのは琴理と依音の私室、残りは空き部屋だけだ。
色々な部屋を通って、最終的に辿り着くのがこの私室エリアになるのだが、此処に来るまでではっきり分かった。
彼らはこの部屋の清掃をした上で、何かを調べようとしていたのだ。
琴理と依音がこのアトリエを出てから少なくとも一月以上近くは経っている。
それなのにあちこちが異常に綺麗なのだ。煩雑に置かれていた武具も綺麗に整理整頓されており、綿罪の纏め上げられた赤黒い髪は埃を少しだけ被っていた。
今もずっと銃をいつでも撃てるように構えてはいるが、彼女は牙を剥く気配はない。
疚罪と合流してから二人で襲い掛かる可能性も加味して警戒は怠らないが、どうにも調子が狂う。
(もし仮にイズが探知魔術で彼らが居ることを知っていたとしたらなんで……?)
どうして依音はこのアトリエを捜索しようとしなかったのか。
恐らく誰かしらが居ることは知っていたのだろう。ならば何故それを自分に言わなかった?
(言えない理由があったとか?……あのイズが私に気を使ったとか有り得ないし……)
「ホロウちゃん、着いたで〜」
「此処は……やっぱり琴理の私室……じゃあ此処に玄緋疚罪が?」
「せやな」
「乙女の私室に、男が一人きりで、女の子二人を待ってるの?」
「……せやな」
「変態だーっ!!あいつ変態じゃん!?」
虚華と綿罪が琴理の私室の前でそんな会話をしたせいか、ドア越しに疚罪のツッコミが聞こえてきたのは言うまでもなかった。
虚華は少しだけ疚罪の事を見直した気がした、悪い意味で。




