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【Ⅸ】#17 No pain, no gain


 「琴理!?どうして眉間から血が!?」

 「分かんないっすよ!あの女が魔術を発動したら急に……」

 

 半ばヒステリック気味になりながら、琴理は眉間から流れる血を必死に抑え、医療魔術を詠唱し始める。

 しかし、その魔術は途中で詠唱を強制的にキャンセルされ、発動することはない。

 その結果、更に血が溢れ出し、琴理の顔は青褪めていく。


 「なんでっすか!なんで魔術が使えないんすか!?」

 「っ……ノワール!貴方、何か心当たりは!?」


 琴理の錯乱状態は依音にまで伝播し、後衛陣は完全に麻痺しつつある。依音が詠唱した魔術も発動すること無く、不発に終わり、刻一刻と琴理の頭部から血が流れ落ちる。

 臨は彼女らの状況を見て、小さく息を吐く。あくまで冷静に、この状況で自分まで混乱に巻き込まれてしまえば、このパーティは目の前の魔女達に敗北するだろう。

 魔術が発動することが出来ない。という問題点の原因は幾つかある。精神的な問題で詠唱することが出来なくなってしまうこともあるが、恐らくは……という答えを一つ持っていた。


 「恐らくだが……、出灰……いや、ヴァールとやらが「イズ」と呼んでいる彼女が詠唱破棄(キャンセラ)を使っている可能性が高い。そのせいで葵も出灰も魔術が使用出来ないんだ」

 「なんすか……詠唱破棄って……」


 魔術が使用できないと理解した琴理は、肩をガックリ落として臨の言葉を待つ。

 しかし、臨も目の前の二人の相手をしなければならない。実際に雪奈の攻撃補助と、楓の命中補正に糸を使用しているため、そちらの操作に神経をすり減らしているのだ。

 その状況下で説明するのは正直面倒臭い。こういう時に虚という存在がどれだけ有難かったのかをひしひしと感じながら、臨は敵の方を向く。


 「言葉のままだ。術者の詠唱を強制的にキャンセルする魔術だ。高速詠唱が使える者が使うと、大多数の魔術師は無力化することが出来るが、術式の理解度が相当高くないと行使は難しいんだ」

 「なら……琴理の傷は……」


 「治らないだろうね。詠唱破棄をしている彼女を無力化しない限り、魔術が使えないから」

 「ちッ、どうにも厄介な相手を相手してるみたいだなァ?俺等は」

 

 臨は相手が詠唱破棄を使用してくる想定で動いてはいなかった。習得難易度が非常に高い詠唱破棄を使用できる者などそうそう居ないと高を括っていたからだ。

 「七つの罪源」と遭遇する可能性はあると考えていたので、災禍対策として自身の糸を利用した魔導具は準備していたのにも関わらずだ。

 臨は忌々しい物を見る目で相手を見据える。相手はたった二人だ。

 そのうち一人は、ついこの間まで死んでいたとされるかつての仲間だ。今では隣りにいる黒き聖女と似たような格好を身に纏い、懐かしい武器を携えている。

 あれはかつての琴理が依音の為に拵えた初めての改造武器だ。そんな思い出の武器を片手に、こちらと敵対している彼女を見ると、自分が本当に正しいことをしているのか、疑問を抱いてしまう。


 (交渉するべきだろうか。それとも世の咎とされる彼女らと会話することも罪なのか?)


 臨が前衛二人を補助する糸を手繰りながら、彼女らを見ていると、「エラー」が急にヴァールへと目掛けて突進を開始した。

 横切る際に臨は彼女──“虚華”の顔を見た。怒りで我を忘れ、暴走している時の表情だった。

 そういった感情の暴走を防ぐ意味合いも、臨の糸にあったのにも関わらず、「エラー」は状況などなりふり構わず、展開式槍斧を片手に全力疾走して行く。

 数テンポ遅れて、彼女の行いがまずいと勘付いた臨は叫ぶ。

 

 「待て!「エラー」!それは罠だ!!」

 「止まりません!仲間を愚弄し、命の危機に晒されたのに、どうして黙っていられるんですか!」

  

 臨の静止も虚しく、「エラー」は黒き聖女の命を奪わんと戦場を駆け抜けていく。

 

 ___________________


 

 虚華は冷静に盤面の状況を整理していた。戦況がかなりこちら側に傾き始めている。

 虚華が「伝播する負傷(シンパシー・ダメージ)」を発動してからは露骨にあちら側の動きが悪くなっているお陰で、虚華も依音も圧倒的に負担が減っている。


 「ねぇ、ヴァール?」

 「どうしたの?イズ」


 イズには詠唱破棄と呼ばれる、魔術師が使用しようとしている魔術を発動する前に術式を破壊することで不発に終わらせる魔術を依音と琴理の魔術に対して使用することだけお願いしている。

 かなりの集中力と神経を使う魔術な上、初級の簡易的な医療魔術が発動する前に、詠唱破棄を発動する必要があるので、そうそう簡単に扱えるものでもないのだ。 

 だからこそ、こうして自身に話しかけてきていることに虚華は少し驚いている。

 意識だけイズの方向に向け、虚華は前衛二人の相手をする。


 「私……詠唱破棄だけだと手持ち無沙汰なのだけれど……」

 「……じゃあ防御結界も余裕があればお願いできる?」

 

 余裕があればね、と念押しをするとイズは分かったわ、と首を縦に振る。

 幸い、楓のヰデルではない双剣の攻撃と、貧弱な身体から繰り出される“雪奈”の苛烈な足技は、臨の補正込みでも、なんとか虚華一人で捌き切れるレベルにまで弱体化されている。

 それだけこのパーティの医療は琴理と依音に任せっきりだったのだろう。

 

 「医療班が医療を使えないとなると、踏み込んだ攻撃が出来なくなる。結果としてこちら側への攻めも弱くなってしまう。どんどんと症状が悪化していく回復役(ヒーラー)を前に彼はどう動くかなぁ」

 「貴方……随分と黒くなったわね……黒くなったのは髪色だけだと信じていたのに」


 「べーつにっ?黒くなんかなってないよーだ。ただ私は目的を忘れてないだけ」

 「ふふっ、そうね、なら私達はどうしましょうか?」


 余裕が生まれたからなのか、繰り返し詠唱破棄を的確に使用し、相手の回復役を封殺しながらイズは口元を緩め、虚華の方を見る。

 イズの表情は半分以上聖骸布で隠されて見えなかったが、間違いなく暖かい笑顔を浮かべている。

 生前では、あまり見ることの出来なかったそれを間近で見られて、虚華は心底嬉しさを噛み締めながら、未だに連携して波状攻撃を仕掛けてくる楓と“雪奈”を見据える。


 「決まってるじゃん。目前の敵をぶっ飛ばすだけだよ」

 「なら一つずつ片づけて行きましょう?ヴァール」


 「何俺等に百合見せつけてんだよ、随分と余裕だなァ?オイ」

 「そうだなぁ?うちらが勝った暁には、その素顔ひん剥かせてもらうかんなぁ!!」


 虚華とイズがふふっと笑うと、楓と“雪奈”が青筋を浮かべながら、鋭い目で睨みつけている。

 どうやら受け流したり、攻撃を躱し続けられるのは不服だったようだ。

 ならば、こちらは詰め将棋のように相手を崩していくだけ。

 最初の一手は既に打っている。この一撃で彼らは防御の要を失ったも同然だ。

 

 (警戒するべきは、回復を要する前にこちらが壊滅させられることだけど……)

 

 威力と命中に補正を掛けている“雪奈”の攻撃も、何故かヰデルを用いず、普通の双剣で接敵している楓も、虚華一人で対処することは不可能では無さそうだと判断している。

 問題は、恐らくこの状況下で一番危険な彼女だろう。


 「はああああああああああっ!!!弧月閃!」


 声がした方向から、いきなり「エラー」が展開式槍斧を下から上に弧を描くように振り上げる。

 虚華は寸での所で躱すことが出来たが、先程よりも数段威力も速度も上がっている。

 だから、彼女は危険なのだ。命の危機など関係無し。回復など求めてもいない。

 白い息をふぅぅと吐き、憎悪を目に孕ませている彼女は、重い一撃を躱されたことに気づくと、不快感を剥き出しにする。

 

 「チッ。非人(あらずびと)の分際でっ……」

 「そんな見え見えの攻撃に当たってあげられる程、私は弱くも優しくもないんですよ」

 

 虚華は分かりやすく煽るように「エラー」の顔を見て、手を振る。


 「貴様!!人種たる私を愚弄するかぁ!!万死に値する!!」

 「お、おい落ち着けって。お前、完全に挑発されてるって」

 

 「エラー」は楓の制止も虚しく、虚華の煽りを見て、地面に槍先を突き刺していた展開式槍斧の槍先を虚華へと向ける。


 「はあああああ!刺突征跋!!」

 

 この先の展開は簡単だ。ただ猪突猛進した後に、対象に展開式槍斧を突き刺し、肉体を肉塊へと変える一撃を放つだけ。

 驚くほど単純に激昂している「エラー」を見て、虚華は弾丸を込めながら苦笑する。

 此処まで分かりやすく相手に行動を支配されて、よく彼女は此処までやってこれたなと思う。

 威力も速度もこのパーティでは上位に食い込むことが出来るが、如何せん人間以外を相手すると理性が飛んでしまうのは決定的な弱点だ。

 虚華は装填した弾丸を「エラー」が走っている大地へと放つ。

 

 「奈落へと沈み込め、堕華(だっか)


 ズダァンと弾丸が放たれた音がすると、撃ち込まれた地面の周辺が急激に液状化していく。

 勿論、こちらへと突進している「エラー」の脚も、その大地へと飲み込まれている。なんとかして出ようと藻搔けば藻掻く程、周囲の大地は「エラー」の身体を地中深くへと呑み込んでいく。


 「なっ、なんなんですか!?これ……!ぬ、抜けない……」

 

 展開式槍斧を液状化していない部分に突き刺し、抜け出そうとするが、どうにも足が抜けない。

 だから言わんこっちゃないといった表情の楓と、助けに行こうとする“雪奈”は、膝辺りまで沈み込んでいる「エラー」を見て、言い争いを始めていた。

 

 「ちっ、待ってろ、結白。今助けるからな!」

 「おィ、待て緋浦。今あそこに行ってもお前まで巻き込まれるだけだ」

 

 “雪奈”が液状化していく大地へと足を踏み入れようとしたが、楓が腕を引っ張って止める。

 止められると思っていなかったのか、“雪奈”は楓の制止を振り切ろうとするが、静止される。

 今にも噛みつこうとしている“雪奈”の腕を決して離さずに、楓は亜麻色の瞳を輝かせ、叫ぶ。

 

 「じゃあなんだっ、アイツを見殺しにするってのか!?」

 「あの大地に足踏み淹れて、お前はどうやって此処に戻るって言うんだ!冷静になれ!」

 

 「ちっ……、うちはまた守れなかったってのか……」

 「いや、まだ手はあるだろ?アイツが手を下す前に、俺等でヴァールを無力化すれば良い」


 楓と“雪奈”は考えを改めたのか、直ぐ様此方へと攻撃を仕掛けんとする。

 更には、ご丁寧に地面の液状化を警戒しているのか、二手に分かれてこちらへと走り出す。 


 (流石に堕華だけで勝負を決するのも華がないか)


 そう考えた虚華は、堕華の弾丸をシリンダーから外し、別の弾丸を装填し、銃口を空へと向ける。

 楓と“雪奈”、ついでに身動きの取れない「エラー」の三人は自ずと銃口を向けている上へと視線を動かす。その行い自体が虚華の狙いだとも知らずに。

 口元を歪に歪めた虚華は、黒い銃の引き金を二度引いた。


 「不幸な夢を、夢であると気づけないように。惑華(めいか)


 虚華の放った弾丸は、通常の弾道とは大きく掛け離れた動きで楓と“雪奈”の身体に入り込んだ。

 二人共、ビクンと身体を痙攣させると、バタリと地面に身体を放り投げる。

 楓達が倒れたのを見ると、再び「エラー」は騒ぎ出す。戻っていた目の色も、再び真っ赤な炎がゆらゆらと燃えているように見える程に変色している。


 「おのれっ、おのれっ非人風情がぁ!!よくも私の仲間をぉぉぉぉ!!」


 獣の咆哮のように吠え猛る「エラー」の元へと、虚華は一歩ずつ歩いていく。

 その間も、「エラー」は聞くに堪えない罵詈雑言を虚華へと発しているが、当の本人はBGM程度にも聞いていないようだった。足取りは軽く、まるでピクニックへと向かう途中のようだった。

 地面へと沈み込んでいる「エラー」の元へと辿り着いた虚華は、彼女が左手に持っている展開式槍斧を脚で蹴飛ばし、銃口を「エラー」の眉間に突き付ける。

 前衛の二人を失い、攻撃の要だった得物を失っても尚、彼女の戦意は一切衰えていない。

 低い唸り声を上げ、今にも命を奪おうとしている虚華を鋭い眼で睨み付ける。

 

 「そうやって私も殺すのか!緋浦さんや白月さんのように!!」

 「……“弱い犬ほどよく吠える”ってよく言うけど、正しくその通りですねぇ」


 「非人風情が、人間である私を愚弄するのか!!」

 「今こうして銃を突きつけられている時点で、劣っているのは貴方ではありませんか?」


 虚華の表情に感情の類は浮かんでおらず、只々さもしい物を見るような目で「エラー」を見る。

 虚華とは対象的に、表情も動きも激しく動かしている「エラー」は頭部を動かすことで、虚華の黒い銃の標準をずらすことに成功させる。

 得意げな表情で、「エラー」は胸を張って浮かれたような声を出す。

 

 「……いいえ、人間はこうして知恵を駆使して、状況を打破することが出来るのです!」

 「そう。それで?この状況を打破出来たのですか?」


 虚華の声色と表情、「エラー」を見る目はどんどんと冷たくなっていく。

 底冷えした彼女の声色は耳を劈く金属音よりも人の心を抉る。

 先程までにこやかにしていた彼女の表情との落差が、人間に恐怖心を抱かせる。

 

 「……こうして時間を稼げば、きっとノワールさん達が……」

 「ならさっさと終わらせましょうか。貴方と話すのはもう沢山ですから」


 虚華は黒い銃を懐に抑えると、口早に詠唱を開始させ、手に巨大な影を生み出す。

 詠唱が進むごとに、黒い靄のような影は、形を取り戻していき、詠唱が終える頃には人間の頭部の五倍程の大きさの巨大な槌状に形を変えていた。

 虚華は軽々と巨大な影で出来た槌を持ち上げ、柄の部分で自身の肩をとんとんと叩く。

 すっかり戦意を失ったのか、黒い巨大な槌を見た「エラー」は恐る恐る虚華に訊ねる。

 

 「な、なにするんですか。まさか非人だからって非人道的な攻撃をするんじゃ……」

 「煩いですね本当に、黙ってて貰えますか?影の鉄槌シャドウ・デストラクション


 虚華は「エラー」の抵抗など一切気にせずに、黒い巨大な影の槌を「エラー」の腹部目掛けて遠心力が最大限掛かるように振り被る。

 ドゴォンと非常に鈍い音が周囲に響いた頃には、「エラー」の身体が膝から頭部にかけて後ろへと倒れ込む。

 使い終わった黒い巨大な槌を虚華が手放すと、黒い靄に戻って大気へと溶けていった。

 再び黒い銃を取り出すと、最後の関門である少年が、こちらの方を向いている。


 「後ろの二人はイズに任せても良いかな?勿論物理攻撃系は私が対処するから」

 「えぇ、分かったわ。ヴァールはノワールをお願い」


 虚華は背中をイズに預け、薄く笑う。


 「おっけー、此処から先、君は私の“嘘”からは逃れられない」


 虚華達の視線の先には、深緑の華美なドレスを身に纏う黒髪の美丈夫。

 糸を巧みに行使し「絶糸」という別名で呼ばれることの多い黒咲臨が立ちはだかっていた。

 


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