【Ⅸ】#14 A deranged witch's heart is consumed by hatred.
夜が明けて、パンドラが寝息を立てていた頃、虚華は一人で外に出ていた。
眠れる気がしなかったし、なんとなく一人になりたい気分だったのだ。
念の為に黒いフード付きのマントを被り、音を立てずに虚華は部屋を後にする。
誰も居ないエントランスを抜け、外に出るともう少しで日の出が見られそうな時間帯になっていた。
ブラゥの土地勘など虚華にはなく、特に行く宛も無かったのだが、唯一覚えている場所があった。
ここから少し離れた場所にあるフィーアの琴理が居を構えていたアトリエだ。
中央管理局に指名手配目前の彼女が、流石に身元を特定されるような場所に向かうことなど無いだろうと、虚華は高を括って、自分の記憶を頼りに琴理のアトリエへと足を運ぶ。
「着いた。前来た時はまじまじとは見れなかったけど……凄い質素な見た目してるなぁ」
朝の散歩と呼ぶには少し歩き過ぎた程度の距離を進むと、目の前には蒼の区域特有の無骨さと、機能性を兼ね備えた建物が見える。
あの建物こそが、琴理──「アズール」が疑似ヰデルヴァイスを作成したアトリエだ。
前回来た時は、瀕死の雪奈を助けるために葵薺に扮したアラディアの扉を潜った時に此処に行き着いたのだ。その直後に「アズール」と“依音”に襲われたのだが。
過去を振り返ってみると、虚華はふと思い出した。
「アズール」達との戦いの後、イドルが何かをこのアトリエに投げ込んでいた。中身が何かは知らない。と彼女は言っていたが、もしかすればあれこそが疑似ヰデルの素材だったりしたのだろうか。
「考え過ぎか。にしても周囲に荒された形跡が無い。まだ指名手配されていないから?」
虚華は建物には入らず、周囲をウロチョロと歩き回る。もし此処に管理人や当の本人が来ていたとしたなら、虚華は間違いなく不審人物で、捕縛されるのは間違いないだろう。
きっと、ディストピアに居た頃の臨が此処に居たとすれば「此処で何をしている?仇なす者なら容赦なく殺すぞ」とバッサリ言われるだろう。
だが、もし仮に今の彼が此処に居たのなら、何て言うのだろうか。「歪曲」の館でそれなりの時間を鍛錬に使っていたせいで、彼とは時間の感覚が違っているから、今の彼らがどれだけ自分より時間の歩みが遅いのか見当もつかない。
彼からすれば、失踪してから数日から長くても数週間といった所だが、虚華の感覚では二ヶ月は経っている。
「元気してるのかなぁ。この世界に来てから、あんまり臨とは一緒に居ないんだよね」
寂しいのかと言われたら、そういう訳では無いが、長い時間を一緒に過ごした仲なのだ、失いたくはない。大切に思っている。
長い時間を共に過ごしたから分かる。背後でこちらに糸を放とうとしている存在が居ることに。
虚華は溜息のように大きく息を吐く。演じるしか無いじゃないか、と諦観の笑みを浮かべる。
虚華がヴァールだと知られる訳にはいかない。虚華が此処に居ると知られる訳にはいかない。
深くフードを被り、振り返る。すると今は見たくなかった顔が勢揃いしていた。
「へぇ。隠密には自信があったんだけどなぁ。よく気づいたね?」
「貴方はそうでも、殺気立っている方が居ますから」
「……私でしょうね、非人が跋扈する地に足を踏み入れてから、ずっとこうですし」
先頭には深緑の濃淡が鮮やかで、隠密に長けたミニスカート丈のドレスを身に纏っている、随分と余裕の表情をしている臨が姿を表す。
後ろからはぞろぞろと見慣れた顔が現れる。毎回彼らは複数人で現れるが、単独行動が出来ないのだろうか?なんて、毒づくも、過去の自分だってそうだったじゃないかと、自傷している気分に陥る。
“雪奈”、“琴理”、“依音”、楓、「エラー」。しのとイドルが不在だが、現在の「喪失」の面々の大半が此処に集結している。
彼らは現状の琴理の状況を理解しているのだろうか?
琴理はもう間もなく指名手配され、中央管理局は彼女を処分する事まで検討しているのだ。
そんな彼女を捜索するなら、此処!みたいな場所に連れてくる神経が虚華には理解出来なかった。
彼女らの目的が何にせよ、出会ったしまった以上、虚華はこの場を切り抜けなければならない。
五対一という圧倒的数的不利をものともしない素振りを見せながら、虚華は嘯く。
「別に私は争うつもりはないのですが、そう武器を突きつけられると困りますね」
「へぇ?これが武器だって、知っているのか。お前は誰だ?名乗りなよ」
虚華はしまった、と思ったが、此処で狼狽える訳にはいかない。相手の方が心理戦に関しても圧倒的にアドバンテージがある。
此方を警戒している臨を前に、黒い銃を取り出すのは至難の業だが、彼らを相手取るなら罪を纏わねばならない。
この姿で戦ったとて、圧倒的数的不利を覆すことが出来ない。勝ち目がない。
「まぁ、待てって。コイツはあたしの知り合いだ、な?ヴァール」
「は?こいつがヴァール……?」
そう思っていた矢先に、後ろから出てきた“雪奈”が臨の構えを解かせる。前回ディストピアで邂逅してから、どうにも臨には嫌悪感を抱かれ、“雪奈”には好印象を抱かれている毛色を感じる。
他の人物からは等しく中立か、「七つの罪源」の一員としての反応が主だ。
だからこそ、一人だけ妙に此方の肩を持つ“雪奈”の存在が虚華からすれば不気味に写って仕方ない。
そんな“雪奈”からヴァールという単語を耳にした途端、臨の態度が豹変した。
「……そうか、ならお前に聞きたいことがある」
「なんでしょうか、「絶糸」のブルームさん」
虚華が「絶糸」という単語を口にすると、臨はビクリと体を動かす。じぃっと鋭い眼光で観察してて思ったが、彼はどうやら自分に名前を呼ばれたり、「絶糸」と呼ばれると不快感を顕にする。
過去に何かあったのだろうか?自分の預かり知らぬ所で恐らくは何かしらの出来事があったのだろうが、周囲を警戒しながら、臨の言葉を待つ。
「お前は、お前らはあの武器と、彼女をどうしたんだ」
「…………どうして気にするのですか、と返すのは野暮でしょうね」
「あぁ、そうだな。その言葉一つでお前が僕を知っていることが分かったけどな」
「彼女の遺品は彼女の手に、彼女は往くべき場所に、在るべき所にありますよ」
言えるのはそれだけです、と虚華は言葉を添え、フードを深く被り直す。
虚華の言動に、臨も“雪奈”も何も言えずに、ただ此方を警戒しながら見ているだけだ。
しかし、その裏から、ずいっと二人の間を縫って此方に来る影が一つ。右手には自身の身長ほどの大きさを持つ展開式槍斧を片手に持ちながら、槍先をこちらに構えている。
険しい表情を浮かべたまま、臨とは対象的に戦闘面に全振りの格好をしている「エラー」は固く噤んでいた口を開く。
「それはどういう意味ですか」
「それ、とは何のことでしょうか?」
虚華は「エラー」の質問の意図が汲み取れず、質問を聞き返す。
すると、「エラー」は奥歯を噛み締めながら、怒気をこちらへとぶつける。
この手の感情を顕にすることが出来るのは恵まれた証だ。そう考えている虚華は、フードの奥で不快感を噛み殺しながら、「エラー」を見据える。
「言われなきゃ分かりませんか?」
「あの世界の出灰をよォ、結局の所、どうしたんだって聞いてんだよ。魔女さんよ」
“雪奈”と臨の横に、双剣型のヰデルヴァイス──Crime&Punishmentを握っている楓が、加虐者地味た下卑た笑みを浮かべながら、臨の肩をぽんと叩く。
「触るな、服がカビる。この服結構高いんだぞ」
「あぁ?そんなファンシーな服がかぁ?何なら俺が選んでも良いんだぞ?」
すぐに臨は楓の手を払い、自分の肩を手で撫でるように触れる。まるで埃が付いたから触れたと言わんばかりに。
彼らは仲が良さそうに、やいのやいの言い合っているが、虚華は反対側からただ眺めているだけだった。
「…………………………………………」
虚華は何も言わずに、俯いて黙り込む。この行為に意味など無い。
目前に敵がいるのに推奨される行為でないことなど、頭では分かっている。
それでも彼女らを直視することが苦痛だった。ただただ視界に入れたくないと感じたのだ。
別に羨ましくなど無い。「喪失」に居たままだったのなら、きっと自分も臨が居た場所、隣に立てたのだろう。
そこに雪奈が居ないことに目を瞑れば、きっと束の間の安息に浸れたのだろう。
ただ、もうそこに虚華の求めている雪奈は居ない。雪奈は死んだのだ。
随分と馴れ馴れしい“雪奈”を視界に入れるだけで虫酸が走るのに、剰え彼女は虚華を友人だと、友人面をして虚華を庇ったのだ。
此方の気も知らずに。自分の大切な友人の皮を被って、生き返った分際で。
(貴方だけが、お前だけが私を肯定するのか。そんなの認めない)
本当ならば、今すぐにでも彼女の息の根を止めて、雪奈を蘇生したい。琴理だってそうだ。
虚華は実際に目の前で見てしまったのだ、死者が甦る様を。
自身の嘘ではどうにもならなかった数少ない現実改変を。
嘘憑きの虚華が成し得なかった最大の願望を、叶えられるのだったらそうしたい。
(けれど、その手段は現在見つかっていない。禍津さんが如何にイズを蘇生したのかさえ)
暫くの間、禍津のことを観察していて気づいたのだが、禍津が魔術を使用している姿を久しく見ていない。少なくとも、虚華が火の玉を射出して人形を燃やす鍛錬をしている間は一度も見ていない。
更には、普段ならパンドラの供をするのだが、此度のパンドラの外出に禍津は参加していない。
それが死者蘇生の副作用のせいだと言わんばかりだ。普段ならば移動にすら浮遊魔術を使って低空移動をするあの禍津が地に足つけて歩いていた時に気づくべきだった。
万物記録が彼に示した人間の蘇生方法がどれだけ難題だったのか、虚華には知る由もないのだ。
(どれだけ強請っても禍津さんは教えてくれないって分かってる、だから聞かないの)
けれど彼が相応の代償を支払い、イズを蘇生したのならば自分だって、代償を支払ってでも仲間を取り戻したい。
自分が死なせてしまったかけがえのない大切な物を、取り戻す為に虚華は「喪失」を離れたのだ。
決して、自分の居ない「喪失」が楽しそうにしている様を見る為に、自分は去ったんじゃない。
虚華の心に汚泥が溜まって行くことなど露知らず、「エラー」達は冷たい言葉を投げ掛ける。
「聞いているのですか、「虚妄」」
「だんまりたぁ、センスねぇなぁ?五対一だ、流石の罪源とは言えども、きちぃだろ?」
虚華の耳に音は入っている。声の主も分かっている。意味も理解できる。
なのに、虚華には何一つ届かない。フードの奥深くでは黒い何かが溢れていく錯覚に陥る。
次第に、虚華の心の奥底からどんどんと泥のような物がふつふつと湧き上がるのを感じた。
この気持ちの言語化は既に済んでいる。前回彼女と会った時から、虚華は時間を掛けて理解した。
この感情は「憎悪」でしか無い。
嫉妬や殺意等と言った負の感情を全部練り混ぜた結果、最後に残った言葉は憎悪だった。
「…………………………………………」
何も行動をおこなさない黒頭巾の女を相手にしている楓達はお互いの顔を見やる。
あちら側から見た自分はさぞ不気味だろう。ただただ俯いているだけなのだから。
沈黙を破ったのは、獅子を喰らう兎の魔術刻印を肩口に刻んだ楓だった。
「なんでこいつは何も言わねぇんだぁ?もしかして怖気付いたか?」
「……ヴァール?どうしちまったんだよ。なぁ、教えてくれよ」
「……るさい」
「何だって?もっと大きい声で言わねーと聞こえないんだけど?」
唯一友好的に接してくれた──紛い者の言葉が虚華の琴線に触れる引き金となった。
虚華は今まで俯いていた頭を「喪失」の面々が居る方向に向ける。
右手には黒い銃を持ち、銃口など見ずに自身のこめかみを撃ち抜く。
「総員戦闘準備。皆、災禍対策はしておいて。相手は災厄の魔女の一人だ!」
「「「「「ええ!(応!)(了解)(分かりました)(あいよ!)」」」」」
眼下の敵達は各々が様々な表情を見せる。怒り、悲しみ、疑問、興奮、殺意、無表情。
そのどれもが最早どうでもいい。虚華の心は真っ黒に染め上げられているのだ。
虚華の髪の毛が憎悪とは対称に真っ白に染め上がり、顔に封が施され、囚人服のようにも、修道服のようにも見える華美な戦闘着を身に纏うと、黒い銃を臨へと向ける。
対象なんて誰でも良い。どうせ全員地に伏して貰うのだから。
「黙れって言ってんだよぉ!!!!」
我を忘れた黒き聖女の怒号を皮切りに、「喪失」の面々は各々戦闘を開始する。
突如現れた災厄の魔女の一人が、如何に凶悪なのかを思い出すのに時間は掛からなかった。
主人公を曇らせる時だけは筆が早いと定評ののるんゆないるです。
パンドラが予言した嵐はもう間もなくやって参ります。どれほどの規模になるのか、どんな被害を及ぼすのか。
この先の物語はもう少しだけお待ち下さい。そうお時間は頂きません。
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