【Ⅸ】#11 Seeker's hustle and bustle /Witch's rest
臨は日が暮れる一歩手前の頃合いに、寒さに全身の体温を奪われながらキャンプへと戻った。すると、既に“雪奈”達は自分が捕まえた雪狼を調理して串焼きにしていた。
自分が食べようと捕獲した訳では無いが、こうまで仲間外れにされた上に、自分抜きで盛り上がられるとなんともやるせない気分になる。
自分の獲物を何勝手に食っているんだ!と心の中では不快感を募らせているが、残念ながらこの場に自分の味方は一人も居ない。
先に雪狼を担いで戻って行った“雪奈”とはキャンプ以外で鉢合わせたくない為、ゆっくり戻るとこのザマだ。どうにもこのメンバーは自分に対して容赦がない。
(虚達が如何に僕に優しかったのかよく分かるな)
居なくなった後にその人物の良さや大切さに気づくとよく言うが、臨は本当に熟そのとおりだと感じる。
前までは居ない方が清々すると思っていた雪奈や、これまでも大切だと感じていた虚がいざ居なくなると此処まで心細い物なのかと驚いているのだ。
喪失の名前を冠しているのにも関わらずに、現在のトライブに喪失の人間は自分一人だけ。
自分が居なくなってしまっては、もう此処は喪失ではないだろう。それだけは避けなければならない。
(虚の居場所は僕が守らなきゃ。帰ってくるまで死ねなくなっちゃったな)
臨は過去の仲間達へと思いを馳せながら、少し離れた場所に唯一空いている、恐らくは自分用の切り株で出来た椅子に腰を掛ける。
一息ついた臨は、少し離れた場所で喪失の面々が楽しそうに歓談しているのを眺めていた。すると、臨の目の前に一本の串焼きが差し出される。
差し出された串焼きから、臨は視線をそのまま腕から顔の方へと向ける。するとどうやらこの串焼きは“雪奈”が自分に渡していたようだった。
臨は驚いた。あれ程の殺意を向けている人間に対してどうして此処まで出来るのだろうかと、疑問を抱く程には、彼女の行動に違和感を覚えたのだ。
「……良いのか?」
臨は自分で自分の言っていることがおかしいことに、気づきながらも遠慮気味に“雪奈”にそう言った。
すると、“雪奈”はバツが悪そうな顔をしながら、空いた方の手でガリガリと頭を掻く。
その行為自体が、臨の心象景色を汚していることに気づけない二人の間には微妙な空気が漂う。
「そりゃあこの雪狼はお前が狩った物だしな。心配しなくても食える部分しか焼いてねぇよ。雪華の珍味として有名だからお前も食ってみろ、要らないならあたしが食う」
ん、と“雪奈”は臨の前に湯気が昇る串焼きを突きつける。
此処で要らないと“雪奈”の串焼きを突き返せば、却って悪印象が植え付けられるだろう。
何度も演じた薄い笑みを顔に貼り付けた臨は、“雪奈”が差し出した串焼きを受け取る。
「ありがとう。頂くよ」
「ふんっ、何度も言うが、お前が狩った物だ。食う権利はお前にあるんだ」
腕を組んで、そっぽを向く“雪奈”の姿は違和感の塊そのものだ。普段の彼女だったらきっと「虚、食べないから、臨が食べて」なんて言いながらこちらの口に無理やり押し込んでくるだろう。
(なんだ、やっぱりお前はどっちも優しくないじゃないか)
臨は“雪奈”から受け取った雪狼の串焼きを一欠片だけ口に含む。
珍味と呼ばれているだけはあってか、あの時仕留めた彼の肉は、些か臨には塩辛く感じた。
「お、おい」
「ん?どうした?そんなに狼狽えて。心配しなくても面白い味だと思うけど」
一切れずつ味わいながら食べている臨を見ていた“雪奈”は狼狽えながら、心配そうな声色で臨に声を掛ける。
臨が急に立ち上がった“雪奈”の顔を見ると、どうにも彼女らしくない表情を浮かべ、こちらを見ている。
何か言葉を誤っただろうか?と臨は串焼きと“雪奈”を交互に見ながら少し考える。
この世界でも食事に対して大した興味もなかったせいで、栄養重視の食事を取ってきたせいで反応がおかしかったのだろうか?
それも加味して情状酌量という事で許してもらえないだろうか?
相変わらずバツの悪そうな顔のままこちらを見ている“雪奈”の反応がどうにも厭に感じた臨は、ディストピアの雪奈にするような反応をぶつけようと、口を少し尖らせる。
「何だよ。僕の顔に何か付いてる?もし君が良いなら取ってよ」
「……わーったよ。お前がそう言うならやってやんよ」
臨の目の前で、何故か深呼吸をした“雪奈”は意を決したのかずいっと臨の顔に近づくと、人差し指で臨の目尻に溜まっていた涙を拭う。
臨は彼女の人差し指を目で追って、初めて自分が泣いていた事に気づいた。それ以上に彼女の耳が真っ赤になっていたのだが、その事に臨が気づくことはなかった。
きょとんとした顔をしていた臨だったが、“雪奈”が自分の涙を拭ったという事実に気づいた。
どうして自分が泣いていたのかも分からないし、何故“雪奈”が自分の涙を拭ったのかも理解出来なかった。そんな臨は思ったことをそのまま口に出す。
「えっと、もしかして僕、泣いてた?」
「……んだよ。分かってあたしに触れろって言ったんじゃねぇのかよ」
何なのだろうか、彼女は。そんな普段と違う反応をされると調子が狂うじゃないか。
自分で目尻を拭うと、確かに水分が流れている感じがする。これが泣いているというものらしい。
(これが涙……これが泣いていると言うものなのか)
どうして泣いているのか分からないが、止まらない。止まる気配がない。
塩味の強い串焼きを平らげた臨は、ニコリと笑い、目元を乱雑に袖で拭くと“雪奈”を見る。
チラチラとこちらの様子を見ながらも、いつも通りの嫌そうな態度を見え隠しさせている。臨はそんな彼女の様子を見て、ふふっと笑い声を上げる。
どうせなら、道化らしく演じてやろうじゃないか。彼女が望む自分が分からぬ今は手探りなれど。
「何笑ってんだよ。やっぱきもちわりぃな、お前」
「まぁまぁ、そう邪険にしないでよ。……何度も言うけどありがとう。この世界の僕はどうやら葵や、出灰に嫌われているみたいだけど、君は嫌な顔をしながらでも接してくれた。嬉しいよ」
「……はーっ。ほんっと調子狂うなぁ……。それ食い終わったんなら、これからの方針で軽く話し合うぞ。「七つの罪源」にホロウが捕虜になっている可能性があるんだろ?ほら行くぞ」
「あぁ……分かった」
臨の言葉に、“雪奈”はすっと背を向ける。どうやらこの言葉は彼女には刺さらなかったらしい。
やっちゃったかなぁと、臨は苦笑いを浮かべながら、“雪奈”を追いかけ、他の面々の元へ向かう。
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随分と騒々しい酒場で結代虚華──ホロウ・ブランシュ──現在は「虚妄」のヴァールと呼ばれている彼女はパンドラ、依音、ルウィードの三人と一緒に食事を取っていた。
元々虚華は、ルウィードと二人で蒼の区域へと足を運ぶ予定だったのだが、依音とパンドラもどうやら蒼の区域に用事があるらしく、同行することになったのだ。
蒼の区域に辿り着いたは良いものの、ルウィードこと「カサンドラ」がお腹が空いたと言い出したので、蒼の区域の首都とも言えるブラゥ内でも一際人気の酒場に入って、現在に至る。
(私達三人が少食なせいか、「カサンドラ」さんの食事量が凄まじく見える……)
吸い込むように大量の食事を平らげていく「カサンドラ」の食事の様子を依音──イズとホロウは眺めている。
「す、凄いね……。確かにいつもお菓子食べてたイメージあるけど……」
「此奴の食欲は舐めない方が良いぞ。最悪魔物でも喰らいよる」
「見境無さ過ぎじゃないかしら……どんな胃袋をしているのよ」
各々が「カサンドラ」の圧倒的な食事に呆然と眺めている中、「カサンドラ」は笑顔で「化け物しか喰らえない超爆盛カツカレー」を吸い込んでいく。
たまたま入った酒場だったのだが、どうやらこの店の名物「化け物しか喰らえない超爆盛カツカレー」が「カサンドラ」の目当てだったらしく、嬉々として注文していた。
ちなみに残りの三人は、虚華が「白身魚のフライ定食」パンドラが「アイスワインとアクアパッツァ」依音が「大人様ランチ」を注文し、雑談混じりで楽しく食事していた。
少食組三人が食べ終え、「カサンドラ」がもうじき完食しようとする頃合いだった。
「カサンドラ」が前菜として食べていたものを乗せていた皿を男がひょいと取り上げ、床へと思い切り投げつける。
ガッシャーン!と陶器が割れる音が甲高く鳴り響く。先程までは喧しい声で木霊していた酒場も、その音が一つ聞こえるだけで皆がこちらを注視し、しーんと静かになる。
静寂が支配する酒場の中で、未だにカツカレーをもっもっと食べている「カサンドラ」が皿を投げつけても尚、何の反応も示さないことが鶏冠に来た犯人が声を荒らげ、テーブルを激しく叩く。
「お前、白で活動してるフードファイターだろ?なんでブラゥに居る?」
フードファイターという言葉を聞いた「カサンドラ」が身体をピクリと動かし、紙ナプキンで口元を優雅に拭き、とても女性が使えるとは思えない程大きいスプーンを置いて男を視界に入れる。
見覚えがないのか、「カサンドラ」は首を傾げ、犯人に対して素朴な疑問をぶつける。
「え〜と……どちら様ですかぁ?言っておきますけどぉ……別に「カサンドラ」はふぅどふぁいたぁ?なんかじゃありませんよぉ?」
「っつ!忘れたとは言わさん!俺はグレン・フィラメント!ハーミュゾロアで過去に開催されたとある大食いチャレンジにてお前に後一息での所で敗れた男だ!」
(負けたんだ……、というか「カサンドラ」さんも大食いに参加してるんじゃん……)
虚華は心の中で二人にツッコミを入れながら、二人のやり取りを見守る。
周りの空気もひとまずは様子を見ようと言った形で、パンドラも楽しそうにニヤニヤしている。
「う〜ん。覚えてないですぅ……。それでぇ〜?グレたフラミンゴさんは一体「カサンドラ」に何の用ですかぁ〜?」
「グレン・フィラメントだ!!!此処であったが百年目!この前の雪辱を晴らさして貰おうか!」
グレンは顔を真っ赤にしながらビシィと人差し指を「カサンドラ」に向ける。
指を向けられた「カサンドラ」はあらあらぁ〜と困ったような顔をしながら、ちらりとパンドラの方を一瞥する。
パンドラは邪悪な笑みを浮かべて、自身の首を親指で横切る仕草を見せる。
虚華はあの仕草がどういう意味なのか、理解している。
(自分の力を隠せるなら、好きにしろ、か)
「七つの罪源」とバレなければどうしたってもいいという意味だ。ルウィードの力を使わずに「カサンドラ」のままで倒せるものなら、生死は問わないとリーダーが判断を下した。
虚華個人としてはあまり「カサンドラ」が好戦的な人物ではないと考えているので、きっとそのままスルーするんだろうなと思いつつ、パンドラが頼んだワインを分けてもらってちびちび飲んでいる。
未だに顔を真っ赤にしたままのグレンに対し、「カサンドラ」は席を立ち、グレンの顔を上目遣いで見つめる。人差し指を顎に置いてグレンを値踏みするように「カサンドラ」は見ているが、グレンはその視線の意図を掴めることが出来ていない。
「カサンドラ」の身長がかなり低いせいで結果的にそういう風に見えているが、「カサンドラ」自身に狙っているつもりは更々無いのだ。
「カサンドラ」がじぃっとグレンを見つめているとグレンは先程とは別の意味で顔を真っ赤にしてそっぽを向く。
「な、何だ急に。此方を見るんじゃねぇよ」
「ん〜。あんまり美味しそうじゃないけどいっかぁ〜。おいで〜?」
「カサンドラ」が手招きすると、グレンはそのまま「カサンドラ」に導かれるまま二人共店の外に出て行ってしまった。
追いかける者は一人も居らず。騒ぎの元が去ると酒場は元の喧騒を取り戻す。
度数の低いワインを飲み干した虚華はパンドラの肩をツンツンと突く。
「どうした?ホロウ。もしかしてアイスワインで酔ったのか?」
「ふわふわはしてますけど、大丈夫ですよ。それよりも「カサンドラ」さんは大丈夫なんですか?」
パンドラはワインを呷りながら、小さく溜息を吐き手を振る。
大人様ランチに添えられていたぶどうジュースを飲み干して満足そうな表情を見せていた依音が虚華の質問に口を挟む。
「彼女言ってたでしょう?「あんまり美味しそうじゃないけどいっかぁ〜」って」
「わ、似てる!凄いね、イズ」
虚華が依音の髪の毛をワシャワシャと撫でると依音は満更でも無さそうな顔をしながら、虚華の手を払う。
パンドラはそのやり取りを見て、ふんと小さく鼻を鳴らすと、追加で酒をウェイターにオーダーする。聞いたことはないが、それなりに度数が高い気がするのだが、大丈夫だろうか?
まだ昼前なのに、「七つの罪源」の面々は各々が自由だ。それもまた旅の醍醐味かと思いながら虚華もパンドラのオーダーに被せて、飲み物を注文する。
「べ、別に褒めて欲しくて真似したんじゃないわよ!あの言葉の意味そのままよ。ホロウなら分かるでしょう?」
「え〜。じゃあ食べちゃうってこと?……え?食べる?あの人を……?」
虚華は依音の言葉を再度反芻しながら、言葉の意味を察して戦慄する。
「カサンドラ」がどういう風に彼を喰らうのかまでは想像がつかないが、恐らく彼の命はないと思って間違いはないだろう。
「まぁ放っておけ。妾達が宿に戻る頃には合流出来るじゃろうて」
「そうね、夢魔の彼女じゃ骨も残さないでしょうね。今頃極上の快感と引き換えに身体を溶かしてるんじゃない?」
依音がさらりと「カサンドラ」の事を夢魔と呼んだ。人間じゃないことは既に把握していたが、種族が夢魔であることは初めて知った。
それに夢魔の存在自体がディストピアでの伝承で知っている程度のものだったので、彼女のような存在が夢魔だとは想像もしていなかった。
「えっ、「カサンドラ」さんて夢魔だったんですか?」
「知らんかったのか?普段は精気の代わりにあやつは大量の食事を接種してるんじゃよ。じゃがまぁ……あの手の愚か者を喰らえば、暫くは食事を取らずに済むんじゃないかのぉ」
いつの間にか依音の前にはぶどうジュースのおかわりが置かれており、ストローでちょろちょろと吸っていた。
パンドラも追加で頼んだワインを依音の真似をしてチューチュー吸っていたが噎せていた。
「もー。何やってんですか、リーダー……」
「ゲホッゲホッ。ワインをストローで吸うもんじゃないのぉ。あー、良いか?「カサンドラ」が戻ったら明日以降の買い物のスケジュールを再構築するからの、良いな?」
それだけを言い残すと、パンドラは先に「行く所があるからまた後での」と言い、お会計を終えてから店を後にした。
店に残された虚華と依音は互いを見やる。考えていることは同じのようだ。
「二人で見て回ろっか。ブラゥは来たことなかったから「カサンドラ」さんに案内して欲しかったけど、事後解説でもして貰えば良いよね?」
「そうね。時間が勿体無いもの。不可抗力よね」
ぶどうジュースを飲みきった依音は椅子から立ち上がり、虚華と共に店を後にした。




