【Ⅸ】#9 Unexpected Fool
臨達はジアを出発してから雪華を抜け、蒼の区域へと向かう。
普段なら吹雪いている道も今日は珍しく晴れているせいか、幾分か歩きやすく感じる。
現在行動を共にしているのはイドルとしのを除いた「臨、“雪奈”、“依音”、“琴理”、楓、“虚華”」の六人。
「エラー」はイドルを置いていったことに対して不満を感じていたようだったが、琴理の為を思ってのことだと説明したら何とか納得してくれた。
臨は、中央管理局の職員と指名手配中の人間を一緒に行動させてはいけないという事を「エラー」に理解させるのにこんなに時間が掛かるとは思っていなかった。本当はすぐにでも行動したかったのに、「エラー」が頑なに反対したのだ。最終的には出灰や白月の助言などもあって、なんとかなったのだが。
(僕はきっと、リーダーには向いていないんだろうな)
その過程で臨は気づいた。今までは虚をどうやって守るかに、どうやってこの局面を切り抜けるかに自身の思考回路を割いていた代償に、彼女らが自分に対してどういった感情を抱いているのかを把握するのを怠っていた。現に自分は虚華程、彼女らからの信頼を得ていない。
それもそうだろう。臨はそもそも接していた時間が虚華よりも圧倒的に短いのだ。
「エラー」の顔を見て話せば分かる。拭いきれない嫌悪感が、抑えきれていない殺意が至る所から放たれている。
どうやら彼女は虚華と同じように接してはいけないことに、臨はだいぶ時間を掛けてから気づく。
(あの殺意の向け方、まるで親しい人を僕が殺した……あぁ、そういう事か)
臨はふと、虚華と話していた事を思い出した。どうやらこの世界の自分は緋浦を殺した首謀者、夜桜透と繋がっているのだと。だが、彼女らの反応は傍から見ても主犯が自分で、夜桜が仕方無くやった。というような印象を抱かせる。
(それに加え、“臨”が黑の区域の出身という事も要素の一つらしいが……)
黑の区域が、どういう場所なのか、終ぞ知ることはなかった。実際話を聞こうにも誰も口を開こうとしなかったのだ。止むを得ずイドルに聞いた際にもこう言われたのだ。
『聞いてどうするの〜?それにボクもあんまり詳しくないんだよね〜。黑の区域はほぼ鎖国状態だから情報も何も無いんだよね』
『お前が知っている物だけでいい。何か知らないか?』
『まぁ、今は黑に行こうにも行けないから興味も湧くのかな?うーん……そうだなぁ。ついこの間の話なんだけどね?鎖国状態を開始させた区域長である黒咲光峰が病気でダウンしたんだって。だから代替わりは秒読みか!?って話は聞いたよ』
『……そうか。ありがとう』
黒咲光峰。その名前は確かに自分の親の名前で相違ない。もっとも、自分の知る父親など、とうの昔に人格を喪失された人形でしかなかった。そんな人形が病気で崩御しかかっていると聞いても何の感情を抱くことはなかったのだ。
(親父……あんな人形が鎖国を……ね)
だからこそ、死んだ筈の仲間と同一人物である彼らとこの世界で出会い、あたかも自分の仲間と同じ様に扱い、接している。そんな虚華の考えが未だに理解出来ない。
臨は何処かで昔読んだ『記憶を完全に消失した貴方は、私の恋人なの?』という本を思い出す。確か、とある事故で記憶を失った彼氏が、完全に新しい人生を歩み始めたのだが、その隣には他の恋人の姿があり、自分のことも忘れられてしまっていた。最終的には気を病んだ元彼女の飛び降りという形で幕が下りる典型的な悲恋の物語だった筈だ。
「おい」
臨はこの登場人物である彼氏に一定の理解を示していた。記憶という物は積み重ねる物だ。何を見てどう育つ。それら全てはその人物が生きてきた過程において重要な要素だと考えているからだ。
物凄く簡単に言ってしまえば、超都会で英才教育を受けた虚華と、人っ子一人いない密林で育った虚華が同一人物か?という問いに臨はきっぱりと首を横に振る、とだけ理解してくれれば良い。
ただ、虚華はきっとすぐに首を縦に振り、どちらも抱き締めるんだろうとも考えている。そこが虚華の良いところでありながら、悪いところでもあると臨は半ば諦めながらここまで進んできた。
「何無視してんだ、この野郎!」
「痛っ……、なんで僕を殴るんだ……」
臨の頬に唐突な右ストレートが御見舞された後に、楓から罵倒の言葉が浴びせられる。どうやらまた自分は考え事をしすぎて自分の世界に入り込んでしまっていたようだ。
(この悪癖だけは虚と同じなんだよな。……直そうとは思わないが)
臨は殴られた頬を擦りつつ、状況を把握するべく周囲を見回す。
辺りは未だに雪景色、見た感じ雪華を抜けてからまだそこまで時間は経っていない。周りの面々の表情を伺う。
相変わらずフィーア組はこちらにいい顔をしていないが、依音は悪戯っぽく笑っている。楓がやや不快そうに眉を顰めている事から、概ね何か方針で会話を持ちかけていた際に、自分が反応しなかったから、こうなったのだろう。
(素直に謝罪しておこう。僕ではなく、組織の為に)
「すまない、少し考え事をしていた。改めて話を聞くから白月、悪いがもう一度話してくれないか?」
「あァ?良いけどよ。なんか調子狂うな。何考えてんだ?」
そう言いながら楓は臨と一緒にツカツカと先導組として前を歩く。依音も近くに居るので先導組三人、後方には残りの“雪奈”、“虚華”、琴理の三人で別れて歩いている。
後ろの三人はどうやら雪華の特産品やジアの良い所や、ダメ出し、此処数年で変わった所などを“虚華”と琴理が会話を主導しながら楽しそうに話している。
(彼女らを見ると、やはり僕がおかしいのだろうか……と考えてしまうな)
無言で先頭を歩いている楓に臨はやや申し訳無さそうな声色で声を掛ける。
「それで、話ってなんだ?」
「あぁ、その件なんだがよォ」
楓がこちらを見る目は鋭くギラついている。髪色と同じ亜麻色の瞳は優しい色とは裏腹にこちらに冷たい印象を抱かせる。先程は自分なりに精一杯謝罪したつもりだったのだが、まだ足りなかったのだろうか?
そもそも殴られたのはこちら側なのに、なんで此方が謝罪しているのだろうとまで思わなくはないが、今は楓の言葉に耳を貸そうと楓の目を見返す。
「……悪かったな。さっきは殴ってよ」
「先程も言ったけど、僕が話を聞いてなかったのが悪いんだ。本題に入ってくれ」
楓が小さな声で「けっ、可愛くない奴」と言ったのは聞き逃さなかったが、敢えて追求せずに臨は楓に話を続けるように促す。
自分の隣にはひょっこりこちらを見ている依音が楽しそうにこちらを見ているが、時が来ればキラーパスでもかましてやろう。
今はまだ触れるタイミングじゃない。一番触れられたくないタイミングで着火させてやるのが、臨流仕返し術だ。
清濁の両方を呑み込んだ臨は、不器用な笑みを貼り付け、毅然とした態度を取る。
「簡潔に言えば、お前ンとこのクリムが俺らの知る緋浦になった。この事実は間違いねぇよな?」
「……間違いないな」
「なら、最初からアイツと一緒に行動を共にしてたお前らも平行世界の人間……なんだろ?」
「……だったら何だ?まさか僕を生贄に、“黒咲臨”をこの肉体に宿らせてリンチでもするつもりか?」
「そんな事する訳無いでしょ。流石の貴方も血が昇り過ぎ、冷水浴びせるわよ」
隣りにいた筈の依音がいつの間にか、少し離れた場所に移動しており、本当に臨に冷水をぶっ掛けてきた。
臨は正気か?と思いながら、火と風の複合魔術の詠唱を早口で始める。こんな極めて気温の低い場所で冷水を人間に浴びせたらどうなるかなど、少等部の人間でも分かるだろうに、良い歳したこの女は一体何をしているのだろうか。
余計に血が昇った気がしなくもないが、臨は深呼吸をし、丁寧に衣服を複合魔術で乾燥させる。
服を乾かし終える頃には、また臨の近くに依音が近づき、悪戯っぽく笑う。
「あら、中々珍しい魔術を使うじゃない。誰からそんな奇特な物を教わったの?」
「君じゃない君だよ。それもついこの間、再会できたんだけどね」
依音は少しだけ、頭上に疑問符を浮かべた後に、臨の言葉を理解したようだ。若干申し訳無さそうな顔をしているが、依音は何一つ悪いことはしていない。
むしろ、自分こそ何も出来なかった。彼女らの「災禍」という恐ろしい能力によって強制的に戦意を喪失させられる辺り、自分には彼女らに挑む権利すら無いのだ。
隣で依音との会話を聞いていた楓は暫くの間、疑問符まみれになっていたので、そっとしておくことにした。なんでお前は覚えてないんだ。現場に居たんだぞ。忘れるなよ直近の事を。
「あぁ、あの時の事かしら。確か、死体は奪われたのよね?「七つの罪源」に」
「そうだね、奪われた。出灰依音と葵薺の死体がどうやら奴らのお目当てだったようだけど、そう言えば、何故あの二人の死体が、あの場所にあるって知ってたんだろう?ましてや何故、あの世界の事を……」
臨の中で、考えが纏まった。未だに煮詰まりきってない部分も多いけれど、概ねの結論は同じ場所に行き着くだろう。
考えたくはないが、そうとしか考えられない。臨は額から流れ落ちる冷や汗をそのままに、思い至った結論を口に出す。
「虚……もしかして「七つの罪源」に捕まった……?」




