【Ⅸ】#3 I really wanted was reprimand, not sympathy
虚華はぼんやりと夢を見ている感覚に襲われる。自分で夢を見ていると認識できる夢、確か明晰夢と呼ばれていた物だ。
内容は簡単なものだった。昔から一緒に居る仲間と楽しく各地を転々としながら旅をする夢。
ある日は豪雨に苛まれ、衣服を魔術で乾燥させようとしたら怒られた日の話。
またある日は、会いたくもない奴の顔を見て、引っ叩こうとしたら思ったより強くなっていたせいで、危うく襲われそうになった日の話。
そんなありきたりだけど、それなりに刺激的な話がぼんやりと走馬灯のように流れる。
(どれも見覚えがある。それに、今こうして出来ている時点で夢なのは間違いないし)
こんな物を見せられて一体どうすれば良いんだ、というのが虚華の率直な感想だった。
興味のない映画を映画館に無理矢理押し込まれ、鑑賞させられている気分に苛まれながら、過去の映像を視界に写していると、何処からか声が聞こえてくる。誰かが虚華を呼んでいる声だ。
「ん…………んぅ?」
「お目覚めかしら?寝坊助さん」
虚華は下半身あたりから重みを感じて目を覚ます。寝起きの瞳は光を拒んでいるせいで中々開くことがないが、無理矢理開こうと努力すると、なんとか半目ぐらいにはなった。
目の焦点が合わないまま、自分の下半身の違和感の正体を探るべく視線を向けると、そこには声の主である女性がこちらをじぃっと見ていた。
「ん……依音?」
「他に誰が居るのかしら?もしかして幽霊の類でも見れる力でも手にした?」
声のする方向に居る女性に目を向けると、そこには幼い姿の依音が馬乗りになっていた。そうだ、確か彼女は虚華の居た世界で死んだ筈の依音だ。決して持って雪奈の命を奪おうと策謀していたアイツではない。
「んー……、何で私の上に乗ってるの……?」
「自分の頭で思い出してみて。それとも考えること、出来なくなっちゃった?」
寝起きの頭に酸素を取り込みながら、虚華は依音の言っていることに耳を傾ける。随分と悪戯地味た声色でそう問い掛ける依音の声がどうにも艶やかに聞こえる。
ぼんやりとしながら、眠る前に何をしていたのかを考えるが、あまり記憶が残っていない。
そもそもここは何処だ?そう思い、ようやく開くようになった瞳をキョロキョロと動かす。どうやら、此処は大広間の隣りにある休憩室のようだ。
ちょくちょく此処のソファで眠ることがあるのだが、ジアの宿屋で眠るより数段階上なせいで、此処最近はジアではなく、此処か自室で眠ることが増えてきた事を思い出す。
その事を踏まえた上で、再度虚華は思考する。恐らくは此処で自分は寝てしまったのだろう。
しかし、そこから先に自分が何をしていたのかが思い出せない。何か白い靄のような物が掛かってしまっている。
分からないものはしょうがない。正直に言えばきっと依音は許してくれるだろう。そういう打算の元、困り顔を顔に貼り付け、虚華は小さめの声で呟く。
「ごめん。やっぱり思い出せない。多分だけど、ずっと上に乗ってたらしんどいでしょ?降りたらどう?」
「別に。降りなくてもいいでしょう?私ちっちゃいし。今の虚なら余裕じゃない?」
虚華の腰のあたりをガシッと掴んで、自分からは降りる気はないといったポージングをされる。依音の顔からは嗜虐心と不機嫌さを足して二で割ったような表情が見て取れ、寝起きの虚華の被虐心を擽る。
結局の所、どうして依音が虚華の下半身に馬乗りになっているのか分からないままだ。こういう時は、相手側の立場に立って考えるやり方、『盤上反転思考』を使って考えれば良い。
依音からすれば得体の知れない人外が跋扈する不気味な屋敷で、無防備に爆睡している旧知の友人と二人きり。しかも自分は蘇ったばかりでうまく戦えるかわからない。
つまりは──。怖かったのだろう。気持ちは分かる。自分が依音の立場ならずっとくっついている自信さえある。
「気持ちは分かった。けど私も起きたいから退いて欲しいなぁ」
「……別に退くのは構わないけれど、絶対分かってない。その顔見たら分かるわ」
ディストピアで読んだ本に載っていた『盤面反転思考』で依音の考えを読んだつもりだったが、違ったらしい。
休憩室に備えられていた果実水を一口でごくりと飲み干すと、依音と昨日話していた内容について、再度話し合う。この際、覚えていないものは仕方ないじゃないかと、開き直りながら粘り強く話していると、依音は大きなため息をつく。
「この頑固さ。変わらないのね。使う獲物は大きく変わっているのに」
「獲物?武器の話なんてしたっけ?」
困惑する虚華を、依音は楽しそうに微笑みながら上目遣いで見つめる。
「えぇ、夢から醒める前の貴方は、血を扱う魔術を得意としていると言っていたわ」
「……もし「喪失」の子らと再会することがあれば内密にお願いしたく存じます……」
狼狽えながら内緒にしてくれと虚華が懇願する度に、依音の嗜虐心が燃え上がり、どんどんと虐める方向へと向かう。
それを分かっているのに止めないのは、虚華の感情が弱いからなのか、依音の意志が強すぎるからなのかは、二人ですらも分かっていないのだ。
「どうしようかしら?知ってる?この世はギブ・アンド・テイクなのよ?」
「それはディストピアでの話で、此処は違うんですよ……」
あまり広くない休憩室で二人は、暫くの間昔のように歓談していた。つかの間の休息を精一杯楽しむつもりだろうが、虚華はこの間のやり取りで2kgは落ちたんじゃないかと後に語る。
_______________
「今考えるべき最重要項目は『葵琴理の処遇をどうするか?』だと思うのだけれど」
「まぁ……そうよね。うん、理解が早いね。まださっきの会議は始まってすら無いのに」
依音は的確に虚華の悩んでいる部分を指摘する。虚華がもじもじと手をこね、手を拱いている事を示すと、依音は頭に手を置き、呆れたような表情を見せる。
「私が虚から聞いた話と、「七つの罪源」としてのスタンスを鑑みるに、恐らくパンドラさんはどう転んでも問題ないと考えているんでしょう?つまり、どういう事を会議で話すかなんて、猿でも分かるわよね?」
猿でも分かるわよね?といった枕詞は、虚華に只々圧を掛ける為だけのものだ。
勿論、虚華が分からないと言うことを見越して言っている。当たり前だろう、まだ始まっても居ない会議の内容なんて分かって堪るものか。
昔からトライブの参謀役だった彼女は、虚華にだけは鬼畜ばりにドSだった。
その御蔭で今日此処まで生きてこられた実感があるから、反論こそ出来なかったが、まさか自分だけが三年も成長した上に、蘇生された直後でもその態度が一切変わらないとは思っていなかった。
(ちょっとぐらい優しくしてくれたっても良いじゃないかぁ、折角再会したのに……)
「……わからないです。教えて頂けないでしょうか?」
「嫌よ。さっきは私が教えた『盤上反転思考』使って精一杯考えたんでしょう?なら今度はパンドラさんの視点と、私がさっき言った言葉を踏まえて、少しは考えてみなさい」
しっかりと虚華を拒絶する依音はどうにも楽しそうだ。口元には笑顔が溢れ、言葉の節々からは喜びが漏れている。
依音の罵詈雑言の数々は、キチンとヒントを出した上のアドバイスであることに、虚華は気づいていないせいでこうした軋轢が生まれつつあるが、よくよく考えれてみれば此処までヒントを上げている方が珍しいのだ。
そんな事にも気付かずに、虚華はソファに深く腰掛けたまま、顎に手を置いてうーんと考え込む。
ほぼ答えを言っていることにも気付かない虚華を依音は楽しそうに見つめていることも気が付かない程に熟考した結果、一つの答えにたどり着いた。
「そっか、別にパンドラさんは琴理がどうなろうと知ったことじゃない。だから私が全部に任せるつもりなのか」
「でしょうね、でも葵琴理……は長いからアズールとでも呼称しようかしら。アズールを中央管理局に渡しちゃ不味いのは分かるわよね?」
確かに彼女を渡すのは不味い。現に彼女の作成した疑似ヰデルの威力は本物さながらだった。あんな物を量産されてはこの世界も中央管理局が完全に牛耳る可能性が生まれてくる。それは避けなければならない。
「分かる……けど、なら「七つの罪源」で確保しなきゃって事だよね?でもそれは無理じゃない?」
「災禍、の影響でまともな人間はこの屋敷に滞在することすら出来ない。つまり此処に匿うことは出来ない。だからといって外に匿おうにも今は私も、虚も表に出ることが出来ない。なら?選択肢は二つある。一つは、アズールの両腕を切断してヰデル作成能力を奪う。もう一つはアズールを殺害して、私と同じ様に葵琴理として蘇生する。残酷だとは思うけど、この二択しか無いわ」
虚華は他に解決策が無いのか考えた。
アズール自身は恐らく「喪失」の面々と一緒にいるはずだが、彼らが何時までも匿えるとは思っていない。
それに近くにはイドルも居る。彼女も曲がりなりにも中央管理局職員だ。ならば、味方であると断言はできない。
それに気づいていた。依音と“依音”はどうしようもなく違うのだ。同じ見た目、同じ声、同じ部分は多いが、それでも決定的に違う部分があった。だからこそ、虚華はもう葵琴理を彼女のまま助けるという選択肢を排除した。
「……そうだね。“葵琴理”を生死を問わずに確保が最優先。彼女の意思を問わずに、中央管理局の目論見みを潰す事を最優先にしなきゃいけない。それで、もし死んじゃったらその時は禍津さんに引き渡そう……」
「そうね、それが正解でしょう。私も力不足とは思うけれど、全力でサポートするから」
虚華が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている間も、依音は薄い笑みを浮かべたまま果実水を口に含むと虚華の顔をじぃっと見る。
依音の口角は三日月の形にまで曲がり、弱冠十三歳とは思えない程、不気味に笑う。
ソファに座り、見るからに憔悴している虚華の肩を抱きながら、依音は此処に居ない「喪失」の面々の事を想う。
──何があっても、誰が敵であろうとも、お前はお前の往きたい道を歩め。
とある教師に言われた言葉を胸に、依音はボソリと呟く。
「それじゃあ時間まで一緒に居ましょう。この時が貴方の休息の時になりますように」




