【Ⅸ】#1 The beginning of despair, The end of hope
「近々、葵琴理の捕縛、処分が中央管理局内部で決定されるらしい」
「……はい?」
虚華は何度も何度もパンドラの言葉を頭の中で反芻させるが、未だに理解が出来ない。
否、本当は分かっている。あんな武器を彼女に渡せるのはあの子だけ。それに材料をアトリエへとぶん投げていた運び屋とも遭遇している。
条件は全て揃っている。そして何よりも、虚華は彼女の腕を信じている。
だからこそ、頭が痛い。どうすれば助けられるかよりも、何をやっているんだと思うからだ。
「なんじゃ。驚かぬのか?それとも所詮、紛い物である存在なぞどうでも良いのか?」
パンドラは虚華の表層に浮かぶ表情があまりにも薄かったせいか、頬杖を付き、少し顔色に陰りが見せる。
確かに、今回の処刑対象は葵琴理であって、葵琴理ではない。でもだからといって見捨てる理由にはならない。そんな事は分かり切っている。
しかし、言葉がうまく出ない。未だに付き合いの浅い子なのに、深い知り合いだと錯覚するのもおかしな話だ。
それも間違いではない。別世界の存在とは言え、同姓同名の存在なのだ。
目を瞑れば彼女との思い出が今でも鮮明に思い出せるが、それは葵琴理の物であって、この世界で罪を犯した彼女のものではない。
「正直な所、よく分かりません。彼女とはあまり関わりはありませんでしたから……けど」
「けど、何じゃ?言うてみぃ」
虚華が敢えて言葉を濁したが、パンドラは顎をしゃくり、言葉の続きを促す。
「私の世界の彼女は既に死んでおり、遺体も保存出来ていません。既に灰燼に帰し、冷たいアスファルトの大地に同化していることでしょう。だから、私は彼女を死なせるわけには行きません」
「その言い方はつまり、今は殺すつもりなどなくとも、何時かはお主の知人の為に殺す可能性があるから飼い殺しにしたい。そう言いたいんじゃな?」
パンドラの言葉に、虚華の隣でお菓子をもりもり食べていた「カサンドラ」が口を挟む。
「ヴァールちゃん、そうなのぉ〜?カサンドラ、話がよく分からないけど、人殺しは駄目なのよぉ〜?」
「お前はまずこの資料を見ろ。あとお菓子を食いすぎるな、肌に悪い」
眉間に皺を寄せながら、禍津は何処からか取り出した資料を「カサンドラ」へと手渡す。口いっぱいにパンドラの大好物であるフィナンシェを頬張りながら、資料に目を通すと口の中のものを一気に飲み込む。
その光景にパンドラは眉間の筋肉をヒクヒクさせながら、默まって見ている。虚華は「完全に怒ってるけど言えないんだろうなぁ」と思いながら二人のやり取りを見守る。
「なるほどねぇ〜。ヴァールちゃんはこの世界の人間ではない……ってえぇ!?そうなの!?じゃあ、この世界のヴァールちゃんは誰なの?」
「資料に書いてあるだろ。白の区域の次期区域長候補の一人である結白虚華だ。まぁ、見た目は結構違うがな」
わぁ〜全然違うんだねぇ〜、とおっとりした声で「カサンドラ」は興味深そうに資料にある「エラー」と虚華の顔を交互に見る。禍津は話の腰を折るな、と「カサンドラ」に注意すると再びパンドラに会話を振る。
「話が阿呆によって拗れそうになったが、妾に主導権が戻ってきたので良しとしよう。それでじゃ、ホロウ。お主はどうしたい?」
会話のボールが虚華へと投げられた。お主はどうしたい?そう聞かれている。
現状、最も答えにくい問だ。どうすれば良いのだろう。虚華自身はどうしたいのだろう。
虚華は視線を下に向けるが、自身の震える手が組まれているだけ。こんな状況になっても、何が何でも助けます、なんて物語の主人公みたいな言葉は出てこない。出てきそうな言葉は、どれも醜く打算的な物ばかり。そんな物を吐き出してはきっと失望されてしまう、嫌われてしまう。
(嫌だ、嫌われたくない。此処から追い出されたら、私は本当に一人ぼっちになる)
そう思うと、余計に手が震える。次第にその震えは身体に伝播し、口にまで及ぶ。
何か言わなきゃと思う度に、何も出てこない自身に嫌気が差す。こんな少女が別の世界では「嘘憑き」と恐れられ、「疫」と蔑まれていたと思うと、自分事なのに笑いが出る。
自虐じみた笑みしか出てこない自分が余計に滑稽で、わなわなと震えていると、後ろから抱き締められる。
「ふえっ……?ぱ、パンドラさん?」
「どうやら妾の聞き方が悪かったようじゃ。済まぬ、お主の心を澱ませるつもりは無かった」
先程までパンドラは正面に居た筈なのに、気付かない間に背後を取られて居たらしい。挙句の果てに謝罪までされ、人肌の温もりまで与えられている。
「お主が何を望もうとも、妾は拒絶せぬ。だから素直な気持ちを吐露するが良い」
パンドラの言葉に虚華の表情が少しだけ緩む。
虚華が一番気にしていた部分を的確に貫いたのだ。この能力が無いから、虚華自身はずっと自身にリーダーの資格がないと悩んでいた。全てを包み込む包容力、全てを許す優しさ、全てを識る知識。その他にも様々な要素が絡み合って、組織の長という物が存在する。
パンドラに感謝しながら、虚華は言葉を溢す。自身の私情などは捨て、あくまでもこの組織のために進言しようと決めた。
「率直に言いますが、葵琴理に対する所有欲はそう強くありません。理由はそもそも関わりが殆どないのも大きいですが、私の大切な仲間とは少し違うというのも理由の一つかもしれません」
虚華の言葉に、パンドラはほほう、と感嘆を漏らす。宙で指を回しながら「つまり」と言う。
「ならば、我々は何もせずに静観すると?」
パンドラの言葉に、虚華は無言で首を横に振る。
「いえ、もし仮にそうすると中央管理局が彼女の力を使用することになるでしょう。それは避けなければなりません」
「ほう?あやつはそんなに危険なのかえ?ならばどうするのじゃ?」
虚華は目を細めてパンドラに無言の抗議をする。本当は識っている癖に何を白々しいこと言ってるんですか、と。禍津の「万物記録」でも分かっているだろうし、自身の視界を共有している中に大体の理由は写っているのだ。
虚華の視線に気づいたパンドラは少しだけ舌を出し、悪戯っぽく笑う。
「「七つの罪源」としても、彼女のヰデルヴァイス作成能力をみすみすと中央管理局に渡すことは得策ではないと考えています。なので、彼女の作成能力を奪うか、命を奪うかはしないといけないと考えています」
「お主の友人を殺すことになるが、構わないのか?」
「構いません。そもそも友人ではありませんし、仮に友人だったとしてもヰデルヴァイスを作成可能な人間を易易と中央管理局に渡すことは有り得ません」
虚華の言葉に、大広間に居た人らは言葉を発さずに各々考え込む。
禍津はいつも通り、何も言わずにただこちらを睥睨しており、「カサンドラ」は困り顔で皆の顔を見ている。パンドラは楽しそうに虚華の方を見ているが、恐らくはろくなことを考えていないだろう。
「ふむ、お主の考えは相分かった。お主は最悪綺麗な状態の死体さえ回収できれば良いって訳じゃな?」
「はい。綺麗な状態で蘇生さえできれば、きっと私の識る友人が還ってくるでしょう。それが私のこの世界に来た目的でもありますから」
虚華の瞳には確固とした意志が生じている。これだけは譲るつもりはない。
もうこの世界に純粋に虚華の仲間だったものは居ないのだ。ならば、早く生き返らせなければならない。あの日、ずぶ濡れになりながらそう願った。「仲間と再会したい」と。
──その為なら悪魔にでも非人にでもなってやる。
そう決めた虚華にもう迷いはなかった。
最優先は生存したまま「七つの罪源」で確保。次に葵琴理の死体を綺麗に保存し、確保。最悪の場合、飼い殺しにでもすれば良い。薬でもなんでも良い。中央管理局が彼女を否とするならば、自分が是とすればいいだけだ。
「ふむ、ホロウの意見は相分かった。ならば蒼の区域で色々探ってくるが良い。共には……そうじゃな、禍津、カサンドラ。二人に任せ……あぁ、もう一人居たな」
「ん、アイツも呼ぶのか?構わないが」
禍津が指をパチンと鳴らすと、ドアを叩く音がする。この速度で叩いたとすると、恐らくはドアの近くで待機していたのだろうか?
知らない人は「汚染」に「忘我」、「瑕疵」の三人だが、誰が来るのだろう。
そう思っていた虚華の前に立っていたのはその誰でもなかった。
「虚っ!久し振りね。随分と大きくなっちゃって……私は何年眠っていたのかしらね?」
懐かしい話し方に、懐かしい見た目。あの頃と同じ見た目のまま、虚華に話し掛けてくる彼女は……。
「依音……?依音なの?」
「えぇ、そうよ、貴方も随分変わっちゃったわね」
くすりと笑う依音に虚華は全力で飛びついた。
これが夢じゃないことを祈りながら、虚華は目の前の温かさに涙を流した。




