【Ⅷ】#Ex-3 提言:ホロウ・ブランシュについて
スメラに思いっきり頭を殴られたイドル・B・フィルレイスは正面に、「中央管理局:七罪源捜索課」の課長であるオルテア・ランディルと同じく捜索課であるスメラ・L・イジェルクトを見据え、頭を擦っている。
課長は自分で淹れたミルクティを啜り、スメラは頬杖を付き、腕を組んで訝しげな表情をイドルに向ける。
どう考えてもおかしいだろ、と言った表情をしているスメラに、イドルが笑顔を返すとスメラはこめかみに青筋を浮かべる。
「なんで後頭部を思いっきり殴ったのに落ちないのよ。おかしくないですか?課長」
「何でって言われてもなぁ。強靭なんだろ?首元辺りが」
「いやぁー。僕ってば、もしかしてわりかし強いのかも?」
イドルの二人の事を一切考慮しない物言いに、スメラは堪忍袋を膨らませつつあるものの、なんとか課長がその堪忍袋に孔を開けることで事なきを得ている状況だ。
スメラは気づいていた。この状況が読めていたから、課長が逃げ出そうとしていたのだと。
いい加減自分も大人にならないといけない。そう思ったスメラは大きく深呼吸をしてから、イドルに疑問をぶつける。
「今日は何しに来たの?」
「何って……此処、僕の配属先だよね?所属してる組織に出社しただけでこの物言い、酷くない?課長もそう思わない?」
「ん?あぁ、俺も久々にお前の顔を見れて嬉しいかも知れないなぁ」
この部署が出来て早数ヶ月が経つというのに一度も顔を見せなかった奴が良くもいけしゃあしゃあと……と言いそうになるのを抑え、スメラはこめかみに手を添える。
課長の方を見ても、借りてきた招き猫の様になりながら、窓の外から見える木をぼんやりと眺めている。今の課長は力になってくれそうにない。
(やっぱり、自分がなんとかしなきゃ駄目か……)
覚悟を決めろ、と自分に言い聞かせる。眼の前に居る面倒な奴さえ居なければ、不満もない。
イドルと視線が合う度に、ニヤニヤした顔を向けてくる。それが気に食わない。自分の顔の何が面白いのか。何度聞いても「さぁねぇ?何だと思う?」とはぐらかしてくる。
だから、今もこうしてニヤニヤした顔を向けられても何も言えずに居る。不愉快だ。
「貴方がそんな理由もなく来るわけ無い事ぐらい分かってる。もう一回聞くけど、此処に何しに来たの?」
「たはー!僕の事よく分かってるねぇ。流石唯一残った同期ちゃんだ。聞きたいこと、知りたいことがあって来たんだけどさ」
イドルが顔から表情を落として、スメラに顔を近づける。このギャップが彼女に対する恐怖心を増幅させるスパイスなのは既に理解している。
普段からニコニコしていたり、ヘラヘラしている奴が、急に真面目な顔をするとその温度差に相手の身体は結露の様な現象を起こす。それをイドルは意図的に狙ってやっているのだ。自分優位の話し合いにするために。
「何で急に葵琴理を処分する計画が立案されて、実行段階まで動いてる訳?中央管理局が此処まで急に動き出すの、おかしいと思うんだけど」
「さぁね。私達も詳しくは知らないもの。けど、フィルレイスだって概ねの見当はついてるんじゃない?」
スメラの言葉に、イドルは苦虫を噛み潰したような表情を顕にする。図星なのだろう。
本当は理解しているのだろうとスメラは判断する。彼女──葵琴理の特色するべき点は類まれなる鍛冶の才能。その才能を用いた際に、中央管理局が危険だと判断する物。
そう考えれば、スメラでも気がつくのに、目の前の天才が気付かないわけがない。
「分かってて言ってるんでしょう?彼女の犯した罪。裁かれる理由を」
「……っ。よりにもよって使用者があの子だなんて、僕は認めない」
そうだ。眼の前の天才は気づいている。何故葵琴理が罪に問われているのかを。
特定の人物以外には一切興味を示さない筈のイドルが、此処まで狼狽えているのもその証拠だ。
「僕が届けた展開式槍斧は確かに最高傑作だった。幼かったあの子の為に作られたとは言え、年齢を重ねても刀身等を調整することで長く使えるように設計されていた。切れ味も相当なもので、区域長に止められそうになったのも、僕が説得することでなんとか渡すことに成功したんだ。なのに、そんな大切なものを差し置いて……」
「あぁ。彼女の……確か八つの頃に貴方が渡した奴でしょ?奇しくも同じ人間が作った武器だ。可哀想としか言い様がないけど。不幸だったね」
徐々に感情を吐露しながら話し始めるイドルの言葉を遮らないように、スメラは優しい言葉を相槌として捧げる。
この部分は以前にイドルが意気揚々と話していた内容だったのでスメラの記憶に残っている。葵琴理が弱冠七歳の時に作った展開式槍斧を手渡した辺りの話だ。
彼女は分かっていて話を止めずに居る。きっと答え合わせのつもりできたのだろう。壊れたラジオのように同じ事を言うのを防ぐために、スメラは適切な操作をするが如く相槌と話の促進を続ける。
「なのに、なのに、あの子は新しい武器を手にしたんだ。それも僕に隠して。時折変な話が風の噂で流れてくることがあったんだ。「喪失」の欠陥品が豹変しているのを見かけたって。けど、僕は何も考えずに、いつもの発作だと思ってた」
「……違ったんだね。それは、どんな物だったの?」
スメラは此処らへんの話は詳しくは知らない。恐らくイドルは、自分の知らない場所で何かを知ったのだろう。イドルは虚ろな瞳で語ってはいるが、スメラの言葉を聞きながら首をカクンと動かしながら、口を動かす。
「対象が人にも向けられていた。だからこそ、僕は急いで白の区域に戻ったんだ。今までは対象が白の区域には少なかった非人の類だけだったからまだ良かったのに。その無慈悲な正義感が人に向けられてはまずい。そうだろう?」
「……そうね。もし刃を無条件に無辜の民に向け、首を落としていたのなら、法以外の全てが彼女の敵になってたと思う」
実際にはそうなっているという話を、スメラは聞いていない。もしかすると話を聞き漏らしていたのかも知れない、と課長の方へと視線を向けると、課長は何も言わずに首を横に振る。なら答えは否だ。
「エラー」──結白虚華の非人に対する強烈な殺戮衝動は前から聞いていた。非人といっても生き物には変わりがない。そう言っても効かない彼女をある種の危険人物扱いする派閥は、中央管理局内部にも一定数あったが、それを黙殺させていたのはイドルだったのだ。
彼女が居たから、白の区域内において、結白虚華は生きる事を許されていた。
非人が限りなく少ない白の区域であれば、危険性も少ないだろうと、中央管理局が判断したから。
けれど、そうも言ってられない事案が発生した。それが「エラー」がホロウを殺そうとした事だ。
「実際には常に殺戮衝動を撒き散らしている訳ではなかった。ヰデルヴァイス──琴理が作った物を握った際に、非人だけに向けていた殺戮衝動を人間にも向けてしまうという副作用的な物だった。しかし、リーダーであるホロウ・ブランシュは命からがら虚華ちゃんを撃破したものの、大怪我を負った。そして、二人の関係性は、リーダーとその構成員。その関係性が相まって、今回の処遇を下すことになった。そうだろう?」
「そうね、私が聞いている内容も概ねそんな感じ。だからこそ、これ以上結白家のお嬢さんみたいなのを増やさないためにも、作成者である葵琴理を捕縛、もしくは処分する必要があるってことでしょう?友達の知り合いが殺されるのは不服だと思うけど、貴方にそんな人情があるとは思ってなかった」
スメラのからかいも虚しく、虚ろな目をしているイドルには届いていないようだった。イドルは拳を握り締めたまま、俯いたまま動かない。
スメラはふと思った。此処まで状況が分かっている中、彼女の言う答え合わせをする必要があるのだろうか?此処に来た理由が本当にそれだけだとは思えなくなっているのだ。
(カマをかけてみようかな。引っかかるかは分からないけど)
「ねぇ、フィルレイス」
「ん?なに?スメラたん」
名前呼び且つ「たん」なんて付けられたこと等なかったスメラは、一瞬言葉に詰まったが、スルーしつつ話を続ける。
「結局何しに此処に来た訳?私達に……ううん、多分だけど中央管理局に知らせたいことがあるんだよね?」
「何でそう思うのさ〜。ただただ同期の顔が見たくて来たって理由だと疑わないの?」
スメラははっと鼻で笑う。そんな事、あのイドルが言う訳が無いと分かり切っている。
もし、本当にただそれだけなら、イドルに一言謝ってご飯でもどうかと誘ってみようかと思う程有り得ない。
眼の前に居る奴は、そんな無駄なことをする奴ではない。彼女にとって益の有ることならば、どれだけ無駄に見えることもでもやる女だが、ただただ報告するためだけにこんな所には来ない。
──ましてや、私の顔を見たいから来たなんて嘘は、傷付くだけだから止めて欲しい。
「そんなタマじゃないでしょ?聞いてあげるから言ってみなよ」
「ははっ、信用されてるのかされてないのか……まぁ良いか。実はね」
イドルの虚ろな目に少しだけ光が灯り、スメラの隣にぽすりと音を立てて座った。
近くに座られたせいで、イドルから柑橘系の香水の匂いがふわりとスメラの鼻腔を擽る。
イドルの顔を見ると、先程までの暗い気持ちを滲ませていた顔は何処かへと行ってしまい、いつものいたずらっぽい顔に、真剣味を交えた表情を見せる。
「ホロウ・ブランシュが失踪したの。それに加え、「喪失」の「全魔」のクリム・メラーに既に死亡していた緋浦雪奈の記憶と人格が宿り、クリムの主人格が喪失したんだ」
「……ぷははっ、あんた、そんな事を言いに来た訳?笑わせないでよ!」
真面目な顔をしてそう言ったイドルの言葉を、スメラは思わず腹を抱えて笑う。別に笑うつもりなどはなかったのだ。ただ、真面目な顔をして言うことがそれなのかと、肩透かしを食らったせいだと、自分の心に言い訳をする。
「あー。笑った。それで?その二つの何が不味いの?」
「えっ、信じるの?あんだけ笑ったのに?酷くない?僕泣きそうだったんだけど?」
も~!と顔を少し赤くしながらイドルはスメラの肩をポカポカと叩く。
「だって、フィルレイスがあんな真剣そうな顔で面白……くはないけど、拍子抜けだったもん」
「も〜!ケホン、ま、まぁ良いけど。で、何がまずいかだけど……」
イドルは分かりやすく咳き込むと、何処からか机の上に紙を用意する。見た感じ簡易魔術紙のようにも見えるが、イドルは魔術を詠唱しようとしないので、スメラは首を傾ける。
「フィルレイス、この簡易魔術紙?には何もしないの?」
「も〜スメラたんはせっかちさんだな〜。もうちょっと待ってね、すぐ出てくるから〜」
イドルが指をパチンと鳴らすと、簡易魔術紙にぼんやりと何かの記録が映し出される。
この記録が一体何なのか、分からなかったスメラはイドルに訪ねようとしたが、直ぐに唇に人差し指を添えられ、止められた。
「黙って見てて。この出来事が理解出来なきゃ話にならないから」
内容はこうだった。「喪失」内での話の食い違いによって、リーダーのホロウ・ブランシュが失踪。リーダーを探してとお願いしたメンバーであるクリム・メラーだった者の人格がいつの間にか緋浦雪奈へと変わっていたこと。
そして、此処最近噂になっていた「平行世界の人間を殺し、蘇生することで人格が入れ替わる可能性がある」という物。つまり、イドルはクリム・メラーが緋浦雪奈の平行世界上の人間であると言いたいのだ。
真面目な雰囲気で始まった話が急にファンタジーなお話になってきたので、スメラの頭が痛くなってくる。
記録映像が終わると、課長とスメラはお互いの顔を見やる。
「……もしかして、前に報告書で見た「ブランシュとご令嬢が別人には見えなかった」っていうのは、そういう事?」
「Exactly!(その通り!)」
何て事だ。まさか、白の区域の一レギオンが流布したバカバカしい噂が本当になるとは思わなかった。勿論、白の区域を担当していたから、この噂は知っていたが、眉唾にもほどが有ると一蹴していたのだ。
もし、この情報が確かなら、この世界以外にも世界が存在し、自分が死ぬ前に自分を確保することで“残機”が一枚増えるのは大きいにも程が有る。
「まさか、キミの目的って……お嬢さんの“残機”を確保すること……?」
「あはは、“残機”なんてひっどいなぁ。……だったらどうするの?」
スメラの声が震え、イドルは邪悪な笑みを浮かべ、スメラを見つめる。
一方、課長は女子二人のやり取りには触れずに、窓の外に生えている木から木の葉が落ちるのを眺めながら、ミルクティをちびちびと飲んでいた。




